第5話 消えた物資と、消えた金
朝の冷たい空気が漂う第一備蓄倉庫の内部で、任三郎は誰もいない東側区画から入口脇の小机へと歩み寄った。
机の上には、紐で綴じられた分厚い入出庫台帳が置かれている。任三郎が表紙を開くと、乾いた羊皮紙の擦れる音が静かな倉庫に響いた。
「ねえ、おじさん。その台帳にはなんて書いてあるの?『実は奥の隠し部屋にぜんぶしまってあります』とか?」
隣から覗き込むすずに、任三郎は先月のページを開いて指し示した。
「そんな便利な隠し部屋があれば、私も今ごろもう少し気楽なんですがね。ほら、ここが現場でつけている先月の入出庫記録です。塩の樽が三つに、錆びたツルハシの貸し出し……以上です。木材も香薬も、影も形もありません」
小机の横に来たミラがページに目を凝らし、息を呑んだ。
「台帳にも載っていない? え、でも、どうしてですか? 納品控えには、ここの受領印がちゃんと押されていたのに」
「印鑑というのは、足が生えて勝手に歩いたりはしませんが、ポケットに入れて持ち歩くくらいは簡単にできますからね。すず君、少し外の空気を吸いながら、倉庫番の方を探していただけますか? 裏手に管理用の詰め所があったはずです」
「りょうかい! ちょっと声かけてくるね」
すずが軽やかな足取りで開け放たれた鉄扉から出ていくと、まもなく、腰の曲がりかけた白髪交じりの老人を連れて戻ってきた。倉庫番の老人は、リリアーナ直筆の調査許可状を見るなり恐縮して頭を下げた。
「これは……館の方々でしたか。朝早くに何かご入用で?」
「お仕事のところ恐れ入ります。先月、この第一倉庫にベルン商会から上質な建築木材が五十束、オルソン商会から魔獣除けの香薬が百箱届いた記録があるのですが、現物は別の場所へ移されたのでしょうか?」
任三郎が穏やかに尋ねると、老人は目を丸くして首を振った。
「木材が五十束に、香薬が百箱? いえ、そのような大口の荷は、ここ半年ほど一度も入っておりませんよ。第一、それだけの量が届けば、荷下ろしだけで若い衆を何人も呼ばねばなりませんし、私の腰がとっくに砕けております」
「それはご無事で何よりでした。ですが、館の会計に回ってきた納品控えには、こちらの倉庫の受領印が押されていたのです。印は今、どちらに?」
「ああ、受領印でしたら、半年前にガレス様がお持ちになりましたよ。『急ぎの荷は私の執務室で直接検めるから、第一倉庫の印を預かる』とおっしゃいましてな。それ以来、ここへ実際に届いた荷は、私が署名だけで台帳につけております」
ミラの喉が、ひゅっと小さく鳴った。
「ガレス様が、倉庫の受領印まで?」
「なるほど。おかげで、ずいぶんスッキリしました。お話、ありがとうございます」
老人に礼を言って下がらせると、任三郎は手帳を取り出し、万年筆を走らせた。
「つまり、受領印がガレス代官の手元にあったのなら、品物を倉庫へ運ばなくても、執務室の机の上だけで『納品済み』の書類が作れるわけです」
「そんな……では、本当に品物は何も届いていないのに、お金だけ支払われたというのですか?」
「今のところは、そう見るのが一番自然でしょうね。ただ、万が一にも別の倉庫や現場へ直接運ばれて、『実はあっちに積んでありました』なんて後から言われると面倒です。念のため、このまま第二倉庫と南区の資材置き場、それに街の職人組合や納入元の商会の窓口も回って、逃げ道をぜんぶ塞いでおきましょう」
三人は第一備蓄倉庫を後にし、領都へ続く坂道を下った。
午前中のうちに第二倉庫と南区の資材置き場を検めたが、やはり帳簿に記載された石材や木材、そして魔獣除けの香薬の納入は確認できなかった。それどころか、現場の職人頭からは「資材が来ないせいで工事が止まっているのに、なぜ納品済みになっているんだ」と逆に詰め寄られる始末だった。
続いて、ミラが知る南門近くの連絡所へ足を運び、ベルン商会とオルソン商会の窓口担当者に先月の納品記録の照会を求めた。しかし、応対に出た男は任三郎たちの顔を見るなり表情を硬くし、「当商会はガレス代官様と直接お取引をしております。代官様ご自身の許可がなければ、部外者に取引控えをお見せすることはできません」と冷たく扉を閉ざしてしまった。
その後、職人組合と商店会の詰め所でこの一年間の相場と未払い分の明細を聞き取った任三郎たちが館へ戻ったのは、昼過ぎのことだった。
「おや。お出迎えにしては、ずいぶん賑やかですね」
北棟の廊下を曲がったところで、任三郎は足を止めた。
資料室の扉が開け放たれ、その前に二人の男が立っている。一人は仕立ての良い深緑の上着を着た、五十代ほどの恰幅の良い男だ。手入れされた口髭を蓄え、指には太い金の指輪が光っている。もう一人は、その背後に控える大柄な護衛風の男だった。
三人が歩み寄ると、深緑の上着の男が振り返り、ミラを見るなり険しい声で怒鳴りつけた。
「どこへ行っていた、ミラ! 私の許可もなしに資料室の帳簿を持ち出したばかりか、倉庫や街まで嗅ぎ回っていたそうだな!」
「あ、あの、ガレス様! ち、違います、佐藤殿たちは、リリアーナ様の正式な許可を得て倉庫へ」
同行していたミラが慌てて一歩前に出て弁明するが、ガレスは聞き入れずに手で制した。
「黙りなさい! 領地の財務と倉庫の管理は、すべて代官たるこの私に任されているのだ!」
ミラを庇うように任三郎がすずと共に進み出ると、ガレスが鋭い視線をこちらへ向けた。
「お前だな、サトウというのは。通行証も持たぬ身元不明の余所者が、領主様の御心を惑わせ、館の記録を引っ掻き回しているそうだな」
「初めまして。佐藤任三郎と申します。お噂はかねがね……と言いますか、今朝からずっと帳簿でお名前だけは拝見しておりました。代官のガレス様でいらっしゃいますね」
任三郎が立ち止まって一礼すると、ガレスは不快そうに鼻を鳴らした。
「いかにも。おい、そこの娘ともども、今すぐその手帳と資料を置いて館から出ていけ。代官である私の承認も得ずに帳簿を検めるなど、越権行為も甚だしい。従わねば、衛兵を呼んで牢へ繋ぐぞ」
「ちょっと、おっさん。越権行為って、私たちはリリアーナ様から直接頼まれてお仕事してるんですけど。おっさんよりリリアーナ様の方が偉いんじゃないの?」
すずが任三郎の隣から口を挟むと、ガレスは眉間に深い皺を刻んだ。
「小娘が口を挟むな! 領主様は優しいお方ゆえ、お前たちの口車に乗せられただけだ。おい、そいつの手帳を取り上げろ!」
ガレスが背後の従者に顎をしゃくった、その時だった。
「――そこまでになさい、ガレス」
凛とした声が廊下に響き、従者の足が止まった。
階段の方から歩いてきたのは、リリアーナだった。その後ろには、館の老執事が静かに控えている。
「リリアーナ様! ちょうど良いところへ。この者たちが、私の管理する帳簿を勝手に持ち出し、倉庫や商会まで引っ掻き回しておりました。ただちに調査を止めさせ、館から追い出すよう命じますので、どうぞお下がりください」
ガレスが揉み手をしながら歩み寄るが、リリアーナは冷ややかな視線で彼を制した。
「追い出す必要はありません。佐藤殿に帳簿の確認と倉庫の調査を命じたのは、私です」
「なっ! リリアーナ様、なぜ私に一言もご相談なく! 先代の頃より、当家の金庫と帳簿はこのガレスめが命懸けでお守りしてきたではありませんか!」
「ええ、あなたが長年勤めてくれたことは知っています。ですから、佐藤殿の調査で何事もなければ、それであなたの管理に問題がなかったことも証明されるでしょう。むしろ喜ばしいことではありませんか?」
リリアーナの静かな問いかけに、ガレスの頬がわずかに引き攣った。
「わ、私の管理を疑っておられるのですか!? ただでさえ税収が落ち込み、やり繰りに苦心しておりますのに、このような調査で現場を混乱させれば、取引先の商会からの信用も失われますぞ!」
「ご安心ください、ガレス様。現場の方々は、私が調査を始めるずっと前から、すでに十分混乱しておられましたよ」
任三郎が穏やかな声で割り込むと、ガレスが鋭く睨みつけた。
「何だと、貴様」
「リリアーナ様。午前中の調査が終わりましたので、ここでご報告してもよろしいでしょうか。ガレス様もご一緒の方が、二度手間にならずにお話が早いかと存じます」
「ええ、構いません。執務室へ移りましょう。ガレス、あなたも来なさい」
リリアーナが踵を返すと、ガレスは低く舌打ちをしながらも、拒むことができずにその後へ続いた。
★★★★★★★★★★★
二階の執務室に入ると、任三郎は机の上に帳簿と納品控え、そして先ほど書き留めたばかりの手帳を開いた。
「まず、第一備蓄倉庫と第二倉庫、南区の資材置き場を確認しました。少なくとも今回調査した場所では、先月納品されたはずのベルン商会の木材五十束と、オルソン商会の香薬百箱の所在を確認できませんでした」
「なっ……そんなものは、すでに各所の修繕や巡回部隊で使い切ったに決まっているだろう! いちいち古い在庫など残っているはずがない!」
ガレスがすかさず反論する。だが、任三郎は表情一つ変えずに台帳の控えを指し示した。
「ひと月で木材五十束を使い切るというのは、なかなかの大工事ですね。ただ、第一倉庫の入出庫台帳には、そもそも荷が届いたという記録自体がありませんでした。倉庫番の方も、ここ半年は大口の納品を受け取っていないと証言されています。そして、納品控えに押されていた第一倉庫の受領印は、半年前にガレス様がご自身の執務室へ引き上げられたそうですね」
「そ、それは……急ぎの荷を私のところで一括して検めるためだ! 倉庫番がいちいち記録していなかっただけの話だろう!」
「なるほど、直接検められたのですか。では、その木材五十束は、具体的にどこの修繕に使われたのでしょう? 南区の現場監督も、職人組合の親方衆も、『先月は木材など楊枝一本すら届いていない』とかなりご立腹でしたが。ちなみに、納入元である両商会の窓口にも照会を求めましたが、ガレス様の許可がなければ出荷記録は一切見せられないと門前払いを食らいましてね」
「ぐっ! ど、どこかの現場へ回したはずだ! 領内すべての修繕箇所など、いちいち覚えておられるか!」
額に汗を浮かべるガレスを前に、任三郎はさらに請求書の束を机の上に滑らせた。
「では、記憶に頼らなくても分かる、こちらの承認印のお話をいたしましょう。昨日リリアーナ様にご報告した重複計上や高値の買い入れ、そして今回の所在不明の納品。これらすべての請求書には、通常の現場発注ではなく、ガレス様が直接発注・検収された案件として、ガレス様ご自身の承認印が押されています」
任三郎はペン先で、請求書の右下に押された赤い印影を指した。
「現場には現物が一つも届かず、倉庫の受領印はガレス様のお手元にあり、支払いの承認印もすべてガレス様のもの。そして、その不自然な取引の相手は、先ほど窓口で記録の開示を拒んだ二商会だけに集中しています」
リリアーナは並べられた請求書の赤い印影へ視線を落とし、それからゆっくりと顔を上げてガレスを見た。
「ガレス。これはどういうことですか。なぜ、あなたが直接扱った二商会の取引ばかりに、これほどの食い違いが出るのです」
「り、リリアーナ様! 誤解でございます! ベルン商会もオルソン商会も、隣領に本拠を置く手広い商会でして、当領の財政が苦しい中でも掛け売りに応じてくれる貴重な取引先なのです! 多少単価が高いのは、支払いを待ってもらう分の利息のようなもので……二重計上や納品の遅れは、あちらの番頭との書類の行き違いに過ぎません!」
ガレスは必死に言葉を並べ立て、懐からハンカチを出して額の汗を拭った。
「それに、この男が勝手に帳簿の数字を並べ替えて、私を陥れようとしているだけやもしれませぬ! だいたい、まだ金庫の出納帳と照らし合わせたわけでもないのに、不正呼ばわりとは心外ですぞ!」
「ええ、おっしゃる通りです」
任三郎があっさりと頷くと、ガレスは拍子抜けしたように目を見開いた。
「な……何?」
「ガレス様のおっしゃる通り、私はまだ金庫の現金出納帳も、ベルン商会・オルソン商会との元の取引契約書も拝見しておりません。もし単なる書類の行き違いや、正式な契約に基づく利息分であるなら、出納帳と契約書を照らし合わせれば、今すぐこの場でガレス様の潔白が証明されます。リリアーナ様、ガレス様の疑いを晴らすためにも、金庫の出納記録と両商会との契約控えを検める許可をいただけますでしょうか」
ガレスの顔色が、見る間に土気色へと変わった。
「ま、待て! 金庫の出納帳は、今ちょうど今月分の締め作業中で整理しておるところだ! すぐには出せん!」
「整理中でしたら、なおさら好都合ですよ。散らかっている書類をまとめるのは私の本業ですので、今すぐ執務室へ伺ってお手伝いいたします」
「ええい、結構だ! 代官の執務室には私個人の書類もある! 部外者を勝手に入れるわけにはいかん! リリアーナ様、いくら何でもこれ以上の詮索は、代官たる私の面目を潰すものでございますぞ! 明日の朝までに必ず私が書類を揃えてお持ちしますから、今日はこれまでにしていただきたい!」
ガレスはほとんど悲鳴のような声で言い募り、深々と頭を下げた。
リリアーナはわずかに目を細め、ガレスの震える肩と、その横で冷静に佇む任三郎を見比べた。
「分かりました、ガレス。長年の功に免じて、明日の朝まで待ちましょう。ですが、佐藤殿の調査は私の正式な命令として継続させます。明日の朝一番で、過去三年分の金庫の出納帳と、ベルン商会・オルソン商会の契約書類をすべてこの執務室へ提出しなさい。いいですね?」
「は、はいっ! 必ずや、明日の朝までに誤解を晴らす書類を揃えて参ります! では、私はその準備がございますので、これにて失礼いたします!」
ガレスは逃げるように一礼すると、従者を連れて足早に執務室を出ていった。荒い足音が廊下の奥へと遠ざかっていく。
扉が閉まると、すずが「ふうーっ」と息を吐いて肩を落とした。
「なにあのおっさん、顔に『私がやりました』って書いてあるようなもんじゃん! ねえおじさん、なんで明日まで待っちゃうの? 今すぐ金庫をこじ開けさせればよかったのに」
「こじ開けるのはすず君の領分かもしれませんが、今ここで無理に金庫を開けさせても、『書類が揃っていないから分からない』とシラを切られれば終わりですからね。明日の朝までに出納帳を出すと領主様の前で約束した以上、まずはその対応を見ましょう。もちろん、素直に机に向かって書類整理をするとは思えませんから、裏で何を動かすかは見張っておく必要がありますが」
任三郎はそう答えながら、リリアーナの方へと向き直った。
「リリアーナ様。私の調査をそのままお認めいただき、ありがとうございます」
「礼には及びません、佐藤殿。あれだけ具体的に事実を突きつけられて、代官の言葉だけを鵜呑みにするほど、私も盲目ではありませんから」
リリアーナは目を伏せ、自身の白い手をぎゅっと握りしめた。
「父の代から仕えてくれていた者を疑うのは、正直に言えば、胸が痛みます。ですが、領民たちが賃金も受け取れずに苦しんでいる時に、身内の体面を守るわけにはいきません」
「恐れ入ります。ただ、リリアーナ様。せっかく覚悟を決めていただいたところに追い討ちをかけるようで恐縮ですが、もう一つ、あまり気分の良くない数字をお見せしなければなりません」
任三郎は手帳の新しいページを開き、電卓で弾き出した数字のメモをリリアーナの前へ差し出した。
「こちらは、午前中に職人組合と商店会から聞き取った実際の未払い残高と、今後三ヶ月間に領地を維持するために最低限必要な支払額をまとめたものです」
リリアーナがメモに視線を落とす。
「佐藤殿。これは、昨日の帳簿にあった未払金の一覧より、金額がずいぶん増えていませんか?」
「はい。職人組合と商店会への聞き取りによって、これまでの未払金一覧にすら記載されていなかった労賃や修繕費がポロポロと出てきまして。請求書が帳簿に反映されなかった経緯については、ガレス代官の管理記録を確認する必要がありますが……過去二年間の二重計上や水増し分など、現時点で不自然な取引として確認できている金額は控えめに見積もっても銀貨三千枚を超えています。ただ、仮に今後の不正を止めたとしても、今月末までに支払わなければならない未払い賃金と必需品の代金だけで、銀貨八百枚あまりが不足しています」
「銀貨八百枚。今の金庫に、それだけの残高があるとは思えません。不正を暴いても、支払うお金がなければ、街の職人たちは」
「街から出ていくでしょうね。ですが健康診断と同じで、悪い数字ほど先に見ておかないと手遅れになりますからね。どれだけ足りないかがはっきりすれば、どこを優先して止血し、どこから資金を回収するかの順番が決められます」
リリアーナはメモの数字から顔を上げ、任三郎を見つめた。
「あなたの言う通りです、佐藤殿。臭いものに蓋をしてきた結果が、今の領都の姿なのですから。では、その不足分は、どうすれば確保できるのですか?」
「実際に流出した資金の行方を突き止め、そこから銀貨八百枚以上を回収できれば、当面の支払いは十分に賄えます。そのためにも、ガレス代官が明日の朝までにどう動くかを見極める必要があります。ミラさん、少しよろしいでしょうか」
任三郎が振り返って声をかけると、壁際で控えていたミラが一歩前へ出た。
「あ、はい! なんでしょうか、佐藤殿」
「午前中に私たちが訪ねた南門近くの連絡所ですが、普段、あの二商会への支払いはどのように行われているのでしょう」
「えっと……はい、どちらも隣領の商会だと聞いておりますが、あの南門近くの小さな荷捌き所を二つの商会が共同で使っておりまして、いつもガレス様の従者の方が、そこへ支払いの銀貨や書類を運んでおられました」
「ライバル同士のはずの商会が、仲良く一つの荷捌き所を共同で、ですか。ずいぶん風通しのいいご関係ですね」
任三郎は手帳を閉じ、胸ポケットへと収めた。
「すず君。少しだけ、夕方の街へお散歩に付き合っていただけますか?」
「え、お散歩? ああ、そういうお散歩ね! 了解、いつでも行けるよ!」
「ええ。明日の朝まで書類を整理するとおっしゃっていた方が、本当に机に向かっているかどうか……少しばかり様子を拝見してきましょう」
★★★★★★★★★★★
夕暮れが迫る中、任三郎とすずは館の裏門から出て、ガレスの執務室がある西棟の外周へと回り込んでいた。
すると、西棟の通用口の前に、幌付きの荷馬車が一台停まっているのが見えた。御者台には先ほどの大柄な従者が座り、さらに二人の男が、重そうな鉄枠の木箱を二人がかりで馬車の荷台へと積み込んでいる。
「おじさん、あれ見て」
物陰から覗き込んだすずが、小さな声で囁いた。彼女の視力の良さなら、薄暗くなり始めた距離でも細部まで見えているのだろう。
「ええ、ずいぶんと腰に悪そうな木箱ですね。少なくとも、羊皮紙の書類が何枚か入っているだけの重さには見えません」
「あ、ガレスのおっさんが出てきたよ。従者に何か言ってる……ちょっと待って、耳すませてみるね」
すずが集中するように目を細め、数秒後にぱっと顔を起こした。
「聞こえた!『今夜のうちに南門の荷捌き所へ運んで、オルソン商会の馬車で隣領へ移せ。明日の朝までに、すべて片づけておけ』だって! ねえ、おじさん、あのおっさん、書類を揃えるどころかお金持って逃げる気だよ!」
任三郎は荷馬車が地面に刻んだ深い轍を見つめ、静かにスーツのボタンを留めた。
「あの木箱が金庫の中身なら、明日の朝まで待ってほしいとあれほど必死に頼み込んだ理由も納得がいきますね」
「どうするの!? 今すぐ飛び出して、あの馬車ごとひっくり返しちゃう!?」
「馬車に罪はありませんから、ひっくり返すのは勘弁してあげてください。それに、ここで止めても『取引先への通常の支払いを運んでいただけだ』と言い張られれば水掛け論になります。向こうが荷捌き所へ運び込み、どこへ何を移そうとしているのか、現場と中身を確かめてから、言い逃れのできない形でまるごと押さえますよ」




