第2話 異世界で頼れるのは女子高生の怪力だった
六人の男たちが間近に迫っていた。揃いの革鎧に簡素な胸当てをつけ、手には槍を携え、腰には予備の剣を吊るしている。山賊や野盗というより、正規の巡回部隊に見えた。
「おじさん、あの人たち、こっち指差して何か言ってる。目つき、けっこう怖いよ」
隣を歩くすずが、声を潜めて言った。彼女の目には、すでに相手の表情や細かな仕草まで見えているらしい。
任三郎は革鞄を地面へ置き、武器を持っていないことを示すように両手を上げた。
「すず君も、手は相手に見える位置へ出しておいてください」
「え、こう? 万歳するみたいに?」
「胸の高さで十分ですよ。あまり高く上げると、もう降参したみたいですから」
数歩の距離まで迫ったところで、先頭を歩いていた年嵩の男が片手を挙げ、後ろの五人を止めた。浅黒い肌に無精髭を蓄え、深く刻まれた目尻の皺が厳しい風霜を物語る四十代ほどの屈強な男だ。あちこちに補修痕のある革鎧を無骨に着こなし、鋭い視線で任三郎のスリーピーススーツと、すずのブレザー制服を交互に見定める。
「止まれ。見慣れぬ身なりだな。商人の荷車も連れずに、こんな街道を二人きりで何をしている」
低く野太い声が響いた。男の口から出た言葉は、驚くほどすんなりと任三郎の耳に届いた。発音や抑揚に聞き覚えはないはずなのに、意味だけが自然な日本語として頭に入ってくる。
「あれ、言葉、通じてるね」
「ええ。少なくとも、身振り手振りで頑張らずには済みそうです」
任三郎はすずに短く応じてから、一歩だけ前に出て、先頭の男へ軽く頭を下げた。
「突然お騒がせして申し訳ありません。私は佐藤任三郎と申します。こちらは同行者の鈴木すずです。少し事情がありまして、道に迷っていたところ、この街道を見つけて歩いておりました」
「サトウ? 聞いたことのない家名だな。その黒い服も、そちらの娘の奇妙な装いも、この辺りのものではない。どこから来た。通行証は持っているか」
「いえ、通行証に類するものは所持しておりません。私どもは遠い土地から参りまして、気がついた時には近くの草原におりました。現在の場所も、この先の街の名前も分からない状態です」
突然異世界から転移してきたなどと言えば、頭のおかしい不審者として拘束されかねない。嘘は言っていない。それで納得してもらえるかは別だが。
隊長らしき男は眉根を寄せ、任三郎の頭からつま先までを改めて観察した。
「草原にいただと? おい、この辺りで馬車が襲われたという報告はあったか」
「いえ、隊長。ここ数日は何も」
後ろに控えていた若い兵士が答える。だが、別の兵士――隊列の右端にいた痩せぎすの男が、落ち着かない様子で任三郎の革鞄とスーツを見つめた。小柄な身体には装備が少し浮いており、鋭く尖った目つきには苛立ちと卑しさが滲んでいる。
「おい、その服、妙に仕立てがいいな。貴族か大商人の使いか? それにしては護衛も連れていないし、その鞄には何が入っている。金目のものか、それとも余所の領の間者か」
その男が槍を片手に持ち替え、無造作に任三郎との距離を詰めてきた。
「待て、まだ何も決まって――」
隊長が制止の声を上げるよりも早く、男の空いた手が、任三郎の胸倉へ向かって乱暴に伸びた。その視線は足元の革鞄にも向けられていた。
任三郎が身を引こうとした、その瞬間だった。
「ちょっと、いきなり掴まないでよ!」
横合いから、つむじ風のような勢いですずが割り込んだ。
彼女の小さな手が、伸びてきた兵士の手首を横からパシッと掴む。それだけの動作だったはずなのに、相手の身体が、まるで見えない壁にぶつかったかのようにピタリと止まった。
「なっ!?」
男が目を剥き、腕を引き抜こうと力を込める。革鎧の下の筋肉が膨らみ、顔を赤くして踏ん張るが、すずの指先は微動だにしない。
「あ、ごめん、強く握りすぎた? でも、急に手を出してくる方が悪いんだよ」
すずが困ったように眉を下げながら、掴んでいた手を造作もなく押し返した。
力を抑えて突き放したつもりだったのだろう。にもかかわらず、槍を手にし、鎧を身につけた成人男性の身体が、すずの想定以上に足元を滑らせるようにして後方へ二、三歩も大きくよろめいた。
背後にいた仲間の兵士たちが慌てて槍を構えかけ、隊長が「やめろ!」と鋭く一喝する。
よろめいた男は尻もちこそつかなかったものの、自分の手首を押さえ、信じられないものを見る目ですずを見つめていた。幸い、双方に怪我人は出ていなかった。
任三郎はすずの制服の袖口をそっと引き、自分の斜め後ろへと下がらせた。
「すず君、ありがとうございます。もう十分です」
「うん。でも、ほんとにちょっと押しただけなんだけどな」
「ええ、分かっています。助かりました」
任三郎はそのまま、槍に手をかけたまま硬直している兵士たちへ向き直り、先ほどと変わらない穏やかな声で口を開いた。
「お見苦しいところをお見せしました。私どもに敵意はありません。急に手を伸ばされたため、同行者が驚いてお止めしただけです。鞄の中身をご確認されたいのであれば、私の目の前で見ていただけますでしょうか」
任三郎は足元の革鞄を拾い上げ、留め具を外して中身を示した。並んでいるのは整然とファイルされた書類や電卓だけで、武器や金目のものなど爪の先ほども見当たらない。
隊長はすずと、よろめいた部下を交互に見比べた後、大きく息を吐いて槍の石突きを地面に下ろした。
「お前たちも槍を下ろせ。相手の言う通りだ、検める前に手を出したのはこちらの落ち度だ」
隊長が厳しい声で命じると、兵士たちは顔を見合わせながら武器を引いた。手首を押さえていた男も、バツが悪そうに舌打ちをして列の後ろへ下がる。
「すまなかったな。この街道は最近、余所からの流民や夜盗が増えていてな、若い連中も少しばかり気が立っていた。俺はアークライト辺境伯領の街道警備隊で小隊長を務めている、マルコだ」
「ご丁寧にありがとうございます、マルコ隊長。それで、鞄の中身ですが――ご覧の通り、紙の束と計算用の道具ばかりでして、金目のものは入っておりません」
マルコは鞄の中を覗き込み、真っ白で均一なA4用紙と、黒いプラスチックの電卓に珍しそうな視線を向けた。
「ずいぶんと綺麗な紙だな。文字も……いや、見たことのない書体か。お前さん、学者か何かか?」
「いえ、学者ほど立派なものではありません。前の土地では、商いの帳簿つけやお金の出入りを管理する仕事をしておりました」
「帳簿つけか。道理で、その娘さんとは違って腕っぷしは強そうに見えんわけだ」
「ええ、からっきしです」
任三郎があっさり認めると、マルコは苦笑してすずの方をちらりと見た。
「しかし驚いたな。そんな細い腕のどこに、大の男を押し返す力があるんだ。どこかの高名な武芸者の弟子か?」
「えっ、私? ちがうちがう、武芸者なんて全然! ただの高校生……えっと、学生だし、ちょっと人より力持ちなだけだよ!」
「『ちょっと』の基準が、この辺りとはだいぶ違うようだな」
マルコは半信半疑の顔でぼやいたが、それ以上は追及しなかった。
アークライト辺境伯領。任三郎は初めて耳にしたその名前を覚えた。
「マルコ隊長。重ねて不躾な質問で恐縮ですが、この道をこのまま進めば、アークライト辺境伯領の街へ出られるのでしょうか」
「ああ、ここから歩いて半刻……お前さんたちの足ならもう少しかな、街道を抜ければ領都の門が見える。だが、余所者が宿を取るなら、門番に身元を申告して滞在許可をもらわにゃならんし、宿代も要るぞ。金は持っているのか?」
「実は、手元にあるのは前の土地で使われていた貨幣だけなのです」
任三郎は内ポケットから財布を取り出し、百円玉と千円札を一枚ずつ見せた。
マルコは目を細めてそれを眺め、首を横に振った。
「丸い銀色の金属片と、絵の描かれた紙か。細工は細かいが、少なくともこの王国で出回っている銅貨や銀貨じゃないな。市場の連中に見せても、珍しがられるだけでパン一つ買えんだろう」
「やはり、このお金では買い物ができませんか」
「ああ。日雇いの荷運びでもすりゃ、一日に大銅貨数枚くらいにはなるが……お前さんの体格じゃ荷運びは無理だろうし、今の領都で仕事を探すのは、あまり勧められん」
マルコは言葉を切り、街道の先――街があるであろう方角へ視線をやって、渋い顔をした。
「とおっしゃいますと、街で何か起きているのでしょうか」
「まあ、領都へ入れば嫌でも分かることだ。今のアークライト領は、どこもかしこも金が回っていない。俺たち警備隊の手当も遅れがちなら、街の修繕工事に出ていた職人たちにも、もう何週間も賃金が支払われていない有様でな」
その言葉に、任三郎の視線がかすかに鋭さを帯びた。
任三郎は先ほど手を出してきた小柄な兵士を思い出した。あの尋常でない焦燥や苛立ちの根底には、日々の生活を脅かす財政難があるのかもしれない。
「不作や戦でもあったのですか?」
「いや、大きな戦があったわけじゃない。なのに、領主の館からは『予算がない』『金庫が空だ』の一点張りだ。おかげで腕のいい職人や商人は余所の領へ流れちまうし、街の空気も暗くなる一方さ。だから、今から領都へ入って日銭を稼ごうとしても、雇ってくれる店があるかどうか」
「なるほど。お話を聞かせていただき、ありがとうございます」
任三郎は開いていた革鞄の留め具をパチンと閉め、静かに思考を巡らせた。
現地通貨はなく、手持ちの食料はメロンパン一個とお茶が半分だけ。野宿を続けるわけにもいかない以上、今日中に屋根のある場所と食事を確保しなければならない。
街の商店や工房に雇用の余裕がないとすれば、確かめるべき場所は一つだった。
「マルコ隊長。では、領主様の館では、帳簿や支払いの記録を整理する人手は足りていますか? 食事と寝場所をいただけるなら、お役に立てるかもしれません」
マルコは虚を突かれたように目を丸くした。
「領主様の館で? いや、俺の話を聞いていたか? 職人たちにすら報酬を出せない状態だぞ」
「ええ。ただ、そうした状況ですと、支払いの督促ややり繰りの計算が重なって、館の事務方がパンクしていることがよくあります。もし人手が足りずに困っておられるなら、金銭ではなく、当面の食事と寝場所を対価にお手伝いができるかと思いまして」
任三郎が淡々と言うと、隣で聞いていたすずが「おおー」と感心したように目を輝かせた。
「すごいじゃん、おじさん。いきなりお城に売り込み?」
「まずは今夜の寝床と夕食を確保しないと、明日の朝には二人で行き倒れですからね」
「う、それは絶対やだ」
マルコは二人のやり取りを呆れたように見ていたが、やがて顎の髭を撫でながら、じっと任三郎の顔を見つめた。
「そういえば、この前、館の警備に入った連中が妙な噂をしていたな。今の会計係だけでは手が回らんとかで、リリアーナ様――うちの若き辺境伯様が、代官の息がかかっていない新しい事務方を探しておられるとかなんとか」
「代官の息がかかっていない、ですか」
「ああ。俺たち下っ端には詳しい事情までは分からんがな。お前さん、本当に読み書きと計算ができるんなら、門番の詰め所で俺の名前を出してみな。『マルコから聞いた、事務方の募集について尋ねたい』と言えば、少なくとも門前払いは食わんだろう」
「ありがとうございます。何から何まで、本当に助かります」
任三郎が深く頭を下げると、マルコは照れくさそうに鼻を鳴らした。
「礼には及ばんよ。部下が無礼を働いた埋め合わせだ。ほら、お前たち、巡回に戻るぞ!」
マルコの号令で、兵士たちが再び隊列を整え、来た道とは反対側――街道の奥へと歩き去っていく。あの小柄な男も、去り際にちらりとすずの方を見て肩をすくめただけで、それ以上は何も言わなかった。
兵士たちの背中が遠ざかるのを見届けてから、すずがふうっと大きく息を吐いた。
「緊張したー。ねえ、おじさん、今の私、ちゃんとガードマンっぽかった?」
「ええ、とても頼もしかったですよ。あのまま掴まれていたら、私のスーツが破れていたところでした」
「そこ? おじさんの心配じゃなくてスーツ?」
「大事な仕事着ですからね。ただ、すず君もまだ自分の力加減が分かっていないでしょう。相手の腕が折れなくて何よりでした」
「えへへ、そこはちょっとヒヤッとしたけど……でも、やっぱりおじさんの隣には私がいないとダメってことだね!」
胸を張って笑うすずに、任三郎の硬い表情がふっと和らいだ。
「そうですね。そちらはすっかり頭が上がりませんから、今日泊まる場所と温かい食事は、私が責任を持って確保しますよ」
「うん、期待してる! あ、でもさっき『リリアーナ様』って言ってたよね。領主様って女の人なのかな? どんな人なんだろうね」
「さあ。少なくとも、書類の山を見て頭を抱えている方でないといいのですが」
「あはは、それ、さっきまでのおじさんじゃん!」
任三郎は革鞄を持ち直し、街道の先を見据えた。
「行きましょうか、すず君。まずは門番に話を通しましょう」
「了解。じゃあ、お腹が空く前に着いちゃおっか!」
まだ見ぬ領都の門を目指し、二人は轍の刻まれた街道を一歩ずつ踏みしめていった。




