聳え立つ凍寒と解放の咒い Ⅲ
「ふぅ...これくらいで十分...」
厳しい冬の怒りが吹く中、自然の迷彩と成った白樺の樹の上、攀じ登りて胡桃に似た褐色の乾いて独特な年輪の様な畦が刻まれた掌くらいの大きさの樹の実を何粒か捥ぎ取る。
胡桃とは違い食えない。正確には食べれる時期では無いが、磨り潰して出て来る液は、アロエよりも回復性が高く、良く傷に染みて癒え易い。枝を揺さ振るだけで、ザーザーと小雨みたいに実が降って来る。少なくとも、軽い気持ち良さを感じる。降り落ちた実を外套の嚢に一杯詰め込む、一種の弾薬の様だ。
「よし、戻るか」
地面は泥の様に足を嵌まらす雪の溜池、慎重にまた、音を立てず、静粛に歩く。潜むかもしれない敵に見つからぬ様に軽い雪音と口から出る白煙の音だけに絞る。
(よしよし、順調...)
...どうして、私はこんな事をしているのだろうか?あくまで、赤の他人の者。救わず脱出を急げばいい物を、私もミュハもイデナも謎に助けようとする。銃で撃たれ、返り討ちにしても尚、他命を救おうとする。今は自分達も危ういと解って居ながら。撃って来た奴も、馬人の気配では在ったが、騎兵民族では無いだろう...なら、尚更、私には関係ない筈なのに...妙な正義感が出てしまう...少なからず、此処で仕留めれば、自分達は助かる可能性が在るのに、何の利益性も価値性も無い他人に干渉する意味は在るの...?
あくまで、他者に優しくせよとか、今は通用しない。正義感が肥大化して、悪と悪と化してしまった此処では、自分が唯一の正義なのだから、自分の思う事が全てだろうに...皆、結局は同胞が欲しいんだね...
そう思いながらも、徐々にミュハやイデナ達が居る所まで、近づいていく。同時に、無情で心身ともに明るさも無い吹雪が舞い始める。第二の雨の様だ...白濁とした足元の雪水に苦戦しながらも前進する。
此処は、絢爛豪華な城内で舞う舞踏場の様な優雅、美麗と言うよりも、下町の煤や黒煙が舞う貧乏と称せる薄気味悪い歌曲に相応しい。枯れた花、煤で黒に染まった華に相応しい。言わば、此処は自然では銀世界でも、我らには吹雪と言う煤が舞い、溜まる汚染水と言う雪水が有り、寒さが自らの虚しさを表現している博物館の様だ。
元から無い、自分の心に深く抉り刺す、其の寒さ。魔法に掛けられた様。心のひもじさが荒い汚い文字列の様に感じる、故に妙な気分だ。神秘さの一片も無い薄さ、神、と言う神聖さでは無い、自らに幼く芽生える道徳だ。
駿馬の様に速くも無ければ、馬耳東風とは違う共だが、其処まで馬鹿でも無い。だがらと言って、何か誇れる二つも三つも無い私の心に平然と建つ其の気分?麗しい馬の毛並みでも無ければ、泥を力む屈強な足の筋肉でも無い、目にも見えぬ、心の一部に変な気分を抱く。
低い弦楽器だけの暗き交響曲が頭の中を揺さぶって来る。端的で一定の周期で、淡々と鳴り響く。
今見える冬の銀景色とは異なり、白黒の映画の様な景色、処々に傷が有り、まるで体が凍った時の視線の様。
一光の光無く、白黒な景色と銀景色が頭中を統べている。だが、痛みや気持ち悪さは無い。ただ、書籍を読み漁る様な独特な高揚感と年老いて偲ぶ懐かしさが湧き出る。
(...どうしたんだろうね、私...)
何時の間にか、白銀の涙を少々と流している。何も泣く事等無いのに...でも、何処か無い筈の幼き時代の細やかな喜びが今に沁みる。哀愁と青臭い感性が熟し嗄れた古き思い出が絵の具の様に混ざる。そして、絵の具は、灰銀の雪地に落ち染まる。
そんな、複雑な状態の中、涙を拭き採り、ポッと足元へ垂らし落とした。
そして、私はミュハやイデナの元へ着いた。
「おっ、ユジノーが帰ってきた」
「おかえり、ユジノー」
「...」
「ただいま...」
あぁ...何か平凡を感じる。いや、正確には平凡では無い筈なのに、何処か安心感が在ると言うか...僅かに感じる。消え欠けた心の盃の液に再び液が入れられる様なそんな感覚が在る。しかし、此処も何れは凹凸の傷が広がるだろう、歪んだ心身の様に凸凹に。しかし、今の私には其の凸凹感さえ、麻痺した様に狂っている。
「なぁ...白樺の実は手に入れたのか?」
「あぁ...勿論、之で怪我は大幅に回復できるさ」
「じゃあ、早く処置してくれ」
「あぁ...」
白樺の実を五本中の四本指で撫でると言うより、すこし力を入れ、潰す未満の感覚で実を触る。すると、枯れ色の実からは思えない、深緑の透明で粘着質な液が漏れ出て来る。徐々に、量は溢れる。
「怪我してる、場所を見せて」
「......ハイ...」
左足の脹脛、痛々しそうに朱色に染まっている服に、撃たれた跡。僅かに震えているし、肌は少し凍りを見せている。
「じゃあ、行くよ」
液を傷穴や周辺に着ける、薄く幕が出来る様に伸ばす。女は、薄く唸りを聞かせながら耐えている。私は、少し淫らに感じた...僅かに興奮を覚えた。我ながら恥ずかしい...
「之で良い筈、後は包帯...」
「はい、包帯」
「有難う、ミュハ...」
ミュハから貰った包帯で少し強く力を入れながら傷付近を巻く。グルグルと巻き付け、僅かに緑が視えるが、お構いなしに少し熱く巻き通した。
「ふぅ...これでいい筈...」
「...有難う...」
「別に...」
気まずい...何と言うか、見知らぬ馬人にこんな空気が重くなるのは初めてだ。今迄、元気な馬人役で貫き通していた私だが...今は素の表現が心や口からも漏れ出てしまう。本心の様な何かが、私の心を染め占めてしまう。
銀の雪に吹雪が吹き、また、静寂が広がる。しかし、何処か心までは凍らない感覚を感じた。僅かな温もりを感じる。言葉では無く、体感的な温もりを感じ取れる。煙も出ない煙草を銜え、座るミュハに顎に手を当て考え込むイデナにぼんやりとしている馬人の女。私も何と思えばいいのか解らないが、退屈に近しい何かを感じ取った。
(これから...如何なって行くんだ...?)
今、私達は女達しか居ない。男が居ない、其れは良い事でも悪い事でもない、しかし、何もかもが性別で勝手に決めるのも良くは無い。あくまで、男と言う存在に居ないと言う疑問を解いただけだ。
しかし、こうも静寂では私も気まずくなって、逆に私にも疲れが生じてしまう、ただでさえ、今は何をすべきか、考えるのが大事な筈なのに......其の時だった...馬人の女が小声で...
「あの...貴方も馬人ですよね...?」
「そうだけど...」
「私も何ですよ...お互い、仲良くしませんか...?」
「でも...ミュハを撃ったんだし...少し信じきれないかも...」
「...ユジノー...そいつはただの市民...いや、異国人だ、特に敵とは言い切れないし、あくまで防衛反応でやった事だ、別に私が撃たれるくらい...平気だ」
「いや...うぅん...」
「別に敵対関係でも無ければユジノーは何もされてないだろ?なぁ...イデナ?」
「ぇえ?私?いやまぁ...ユジノー自体には何の被害は与えられてないから...此処は親睦を深めたらいいじゃない?」
「...そうかも......改めて、私はユジノー、騎兵民族の馬人だ」
「私はハルィーヴ。私はヴルジアの隣国、トゥラードの馬人です...」
「...まぁ...よろしく、ハルィーヴ」
「よろしく...ユジノー...」
(ふぅ...何とか気まずくは無くなったぞ...)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
続




