20. 海底の結姻式
地平線上に綿あめのような入道雲がもくもくと沸き立つ今日この頃。
海上は蒸し暑い夏風に晒され、高く登った太陽が煌々と海面を照り続けている。
地上を照らす陽の光は燦々と輝きに満ちていたが、海の底では平常通り、海神 "たち" の祝福のおかげで穏やかな気候を保っていた。
いつものごとく空気は澄んでいるし気温も安定しているのだが、本日のマーレデアム王国はかなりの熱気に満ち溢れている。
王都は通常時よりも何倍にも活気付き、色鮮やかな花飾り、もとい美しい珊瑚や貝殻たちの装飾が、まるで陸の花々のように各民家や店頭に所狭しと埋め尽くされていた。
だが、それもそのはず。
今日はマーレデアム王国第二王子であり、つい先日に王太子となった、ラドシェリム・ポセイドン殿下の結姻式が執り行われるからだ。
しかもお相手は……
「ねえ、モネ、ルル。もう十分だと思うんだけど、まだ装飾品を付けるの?」
「まーあ! 何をおっしゃいますの!
これでも歴代王家に嫁がれるどのお妃様よりも質素にしておりましてよ!」
「貴方様が豪華絢爛をあまり好まれないのはよくよく存じておりますが、テティス様の腕飾りと、ラドシェリム殿下より贈られたご婚約指輪、トリンティア様たちより賜りました耳飾りに、王家に嫁がれる女性がお式当日にお付けになる伝統ある首飾りと額飾りだけは、なんとしてでもご着用いただきますわ」
鼻息を荒くしながら長い言葉を話し切った侍女たちを少々苦笑しながら眺めているのが、そのお相手。
私こと、リリアナ・マリンクロードである。
「お髪はどうされますか? ハーフアップか前髪を上げるポンパドールスタイルか……」
「あ、今日は後ろの髪を全部上げて、アップスタイルにしてもらおうかなと思ってるの」
そう言うと、モネとルルは目を丸くして私を見つめてきた。
「……良いのでございますか?」
「うん。マーレデアム王国に来てからもう二年近く経つし、みんなもこの痣のことを知ってるしね。
陸にいた時みたいに気味悪がる人たちは皆無だし、みんなこれを見ると逆に喜んでくれるし」
「リリアナ様……」
大コンプレックスだった、獣が三本の爪で引っ掻いたような首後ろにあるこの痣は、今となってはとても親しみのあるものに変わっている。
ただの生まれつきの悪痣だと思っていたものが、実は大切な人たちのもとへと導いてくれる、大切な鍵だったのだから。
「では、お髪を編み込んで襟足の方でまとめましょう。髪型を華やかにすれば、真珠を散りばめただけでも十分に見栄えいたします。
それに、リリアナ様の薄褐色のお髪はとても美しいですから白パールがとても映えますわ」
モネとルルは嬉々として私の髪をブラシでとかし始め、楽しそうに鼻歌を歌い始めた。
ドレスも既にトルソーに飾られていて、エメラルドグリーン色が映える、とても美しいAラインドレスだ。
それを着て動くとふわふわとレースが揺れて、まるでこの海自身のようにとても優雅で美しい。
侍女二人が丹精込めて作ってくれた、この世に二つとない一点ものである。
「とうとうこの日が来てしまったのですね……
リリアナ様にお仕えし始めた頃、どなたが貴方様の結婚相手となるかの白熱した談義を思い出しますわ」
「あの頃から最大の有力候補は、守人であらせられるラドシェリム殿下だとは思っておりましたが、やはり、ですわね!」
白熱したかどうかはさておき、モネもルルも自分たちの読みが当たっていたことにとても満足しているようだ。
「アリィ姫様は今日もとてもご機嫌でいらっしゃいますわね」
そして、私のドレッサーの横で可愛らしい乳母車に寝かされているのは、これまた可愛く着飾っている娘のアリィ。
彼女は薄いレモン色のベビードレスを身に纏っている。もちろんこのドレスもモネとルルのお手製だ。
この半年でアリィはだいぶと大きくなった。
夜はまとまって寝てくれるようにもなったし、離乳食も始まった。
私たちの顔を見ると手足をバタバタと動かして笑顔を見せ、全身で喜びを表現してくれる。声はなくても、その表情や仕草が彼女の感情を事細かに伝えてくれるのだ。
「ふふっ。可愛くしてもらえて良かったね。お式はアリィも一緒に出ようね」
私がアリィの頬をツンツンとつつきながらそう言うと、彼女はふにゃりと満面の笑みを見せてくれた。
(娘が可愛すぎる……)
すっかり親バカになっている自覚はあるが、
世の親御さんも皆きっと、同じように毎日目尻を下げているはずだ。
侍女たちは私たちの様子を微笑ましそうに見やりながらも、とてもテキパキと手を動かし続け、あっという間に髪を仕上げ、ドレスまで着替えさせてくれた。
最後の仕上げに付けてくれた王家に伝わるという首飾りと額飾りは、とても重厚な作りでどっしりしていてかなり重い。
二人が四方、360度から入念に私の着飾り具合をチェックし終わったであろうちょうどその頃、女神の間のドアがトントンとノックされた。
「リリィ、民らがもう待ちきれないとばかりに王都広場下に集まっている。
其方と、アリィも準備は出来ているか? 姉上たちも首を長くして二人を待っているぞ」
声の主は紛れもなく、私の旦那様、ラドシェリム・ポセイドンその人である。
半年前、子供を持つことが既に決まっていた私たちは、結婚式を挙げずに婚姻のみを先に済ませていた。
式の準備を率先して進めてくれたのはモネとルルだったが、私と同じく乳幼児を持つトリンティアも、育児の合間を縫いつつセシルドの手を借りつつ、右大臣の仕事を卒なくこなし、私たちの式のためにさまざまな提案をしてくれていたようだった。
「行こうアリィ。みんなが待ってくれているから。ほら、お父様もお迎えに来てくれたみたいだよ」
モネが私をエスコートし、ルルがアリィの乗る乳母車を玄関前まで押してくれた。
私たちがドアを開けると、そこには王家の正装に身を包むシェリの姿があった。
……そして。私は少しの間、彼から目が離せずにそのまま魅入ってしまった。
シェリが眉目秀麗なのは出会った時から百も承知だが、今日は普段見慣れている海人騎兵団の制服とは違い、お伽話に出てくるような王子様衣装を身に纏っている。
びっくりするほど似合っている上、恐ろしく格好良い。
もう二年近く一緒にいるというのに、何だか急に恥ずかしくなってしまった私は、シェリと目が合うと思わず俯いた。
「……お、お待たせ。シェリはほんと、どんな衣装でも似合っちゃうね。
でも、アリィだって負けずに可愛いでしょ?
さあ、早く王都広場に移動しよう」
何事もなかったように装いつつ私が胸元にかかる獣笛を鳴らすと、すぐに上方からベルが姿を現した。
ベルは私の姿を見つけるととても嬉しそうに女神の間のテラスを数回旋回した。
私はそんな彼女に近付き、その身体を優しく撫でる。すると……
「……ふう、リリィもな。其方はいつも美しいが、今日は本当に、本当に誰にもその姿を見せたくない……」
と、シェリが眉をひそめ、ポツリとぼやいた。
彼は両足を揃えて既にベルに乗り終えていた私の元まで来ると、私の両手を握りながら頬に唇を寄せてくる。
「あ、あの、シェリ。モネとルルが後ろにいること忘れてない?」
「今さらだろう。あと、その侍女らが有能すぎるのも時に考えものだな」
私を上から下まで眺めたシェリは再び大きく息を吐き、乳母車からルルの腕中に移動していたアリィを見ると、さらに追加でため息をついた。
「美しい妻と可愛い娘がいて俺はこの上なく果報者だが、日々心配が尽きないのが心許ない」
と言って名残惜しそうに私から離れると、その腕にアリィを抱き上げていた。
私も、胸前に手指を交差させてニコニコと微笑んでいるモネとルルにお礼を言う。
……きっと、私の顔はまた、茹でダコのようになっているに違いない。
「ホメロス、今日はアリィを抱いているからゆっくり進んでくれ。ベル、リリィのことも同様に頼むぞ」
優秀な彼らは御意、とでも言うように穏やかに、できる限り背上を揺らさないように進んでくれる。
王都広場に着くと、王族の皆はもちろん、ユーリを始めとする海人騎兵団の人たちも所狭しと集合していた。
そして、その中には……
「わあ! 女神、すっごく綺麗!」
「女神は何着ても似合うな」
「……女神も姫も可愛い」
「……え? もしかして、ルビにパルに、メノウ……?!」
なんと、この半年間で大分と海人族の姿に戻っている "元" 海魔族三従士たちも、私たちのお祝いにと駆けつけてくれていた。
「彼らを始め、王都郊外の施設に住む海魔族たちは着々ともとの姿に戻りつつあります。
特に、こちらの三人が率先して血液の提供を行ってくれているため、変化薬の改良もさらに進んでいます」
私たちのもとへと足を運び、そう説明してくれたのは、彼らの管轄責任者であるナプティムウトである。
「ナプティムウト様、ご報告ありがとうございます。
三人とも、元気そうで本当に良かった。お仕事の方はどう? もう慣れた?」
順調に海人族に戻りつつある海魔族たちは、少しずつ仕事にも就き始めている。
まずはルビ。彼女は料理の腕を生かして、現在は王都にあるレストランの厨房で修行中だ。
そしてパルはその腕っぷしの強さをシェリに買われ、海人騎兵団預かりに。その結果、メキメキと頭角を表し、仮騎兵団員の長槍使いとして日々訓練に明け暮れているとのこと。
また、メノウは医術、とりわけ薬剤の調合に興味を示しているようで、王宮医療班の下働きから始めさせているらしい。
他の元海魔族たちも、それぞれの適性を考慮しながら仕事を斡旋してもらい、第二、第三の人生を歩み始めているようだ。
「仕事、毎日大変だけどすごく楽しいよ。早く一人前になって、女神にもまたワタシのご飯食べてもらいたい」
「オレももっと長槍の腕を磨くぞ! 女神はそそっかしい上に泳げねえから、またいつでも俺がおぶってやるからな!」
「……女神が怪我した時は今度はボクが直してあげる。というか、その前に絶対無茶しないで。それで怪我もしないで」
と言いつつ、三従士たちは私にひしっと抱きついてくる。
「其方らは変わらず仲が良いのう」
「見目は変わったけれど、中身はそのままですわね。相も変わらず、リリアナにベッタリだこと」
「…………え、ええっ?! アランフォルス様にメリドゥーシャも……!」
今日は海神組が勢揃いだ。
アランフォルスとは月に一度の定期報告会で会っているし、メリドゥーシャともその際に毎回お茶をしているが、二人が私たちの結姻式に参加してくれるなんて、今の今まで知らされていなかった。
「彼らには俺が招待状を出した。リリィが世話になったからな」
三従士とメリドゥーシャには穏やかに目配せをしていたシェリだが、心なしかアランフォルスにはジトリとした視線を送っているようにも見えた。
「アランフォルス様、遠路 遥々《はるばる》ありがとうございます。
メリドゥーシャも一月ぶりだね。みんな変わりはない?」
「ええ、側妃や海魔族たちからは貴女宛に大量の手紙を預かっているから、後で届けさせるわね」
「わあ、ありがとう! ところでノワルは? 来てないの?」
「もちろんいるわよ。ほら、いつまでもいじけていないで出ていらっしゃいな」
メリドゥーシャがそう言うと、彼女の髪の毛の中からクリオネのノワルが顔を覗かせた。
「ノワルも来てくれたんだね。ありがとう」
私がお礼を言うと、彼はひらひらと翼足をはためかせて上昇し、私の鼻にちょんとその小さな身体を寄せた。
そして今度は私の隣にいるシェリの元へと移動し、同じように鼻前まで行くのだが、何故だかそこでは翼足を仕切りに動かしている。
「……ふん。それは攻撃のつもりか?」
シェリが鼻を鳴らすと、クリオネのノワルはぷいっとそっぽを向くようにまた私の顔前まで移動して、今度は頬にピッタリと身体を張り付かせている。
「……ノワル、こっちにいらっしゃいな。貴方のその姿では、ラドシェリム王子と全く張り合いにならなくてよ。
宣言通り、100年後に出直しなさい」
メリドゥーシャが腕を組みつつ呆れた様子を見せると、ノワルはさっと、彼女の髪の中へと戻って行った。
少し元気がないようにも見えたが、大丈夫だろうか?
式は滞りなく行われ、披露宴になるとこの王都広場にはたくさんの民たちが足を運び、催し物を披露してくれた。
懐かしいあの手品の数々や、子供たちの歌やダンスの際はやはりとても盛り上がった。
女神の愛し子としてのお披露目時と同様に、この王国の結婚式もとても賑やかで楽しい。
おそらくは私の趣向を組んでそう仕上げてくれたのだろうと思う。
王族席に座っているトリンティアがそれはそれは満足そうにしていたから、きっと彼女がまた、あれこれと手配をしてくれたのだろう。
「さて、余からは其方らと王国に、七日分の祝福を贈ってやろうかの」
民たちの催物が終盤を迎えた時、来賓席に座るアランフォルスがそう言って三叉の矛を上方へと掲げた。
すると、この王都広場と王都全体に、眩いばかりの来光のような祝福が降り注がれた。
七日分の祝福が注がれた王都全体には、なんと陸上に咲く季節問わずの草花が咲き乱れ始める。
通常の陸の花々なら海中ではとても保てなさそうなものだが、さすがは海神の神力といったところだろうか。
そんなことは微塵も感じさせないくらいに真っ赤な薔薇や純白の百合、ピンク牡丹に向日葵、それに色取り取りのコスモスと、本当にさまざまな種の花たちが堂々たる姿でマーレデアム王国を彩っている。
民の人たちも初めて見る陸地の美しい花々に歓声を上げ、興味津々のようだ。
「わあ、すっごく綺麗だし懐かしい……!
私、お花大好きなんです。ありがとうございます、アランフォルス様!」
「本日のリリアナとメリドゥーシャも花が綻ぶように美しいがの」
「アランフォルス様。今日はわたくしの大切な親友の結姻式に参列しているのです。彼女を揶揄うのはお止め下さいな。
それとリリアナ。本当は後でお渡ししようと思っていたのだけれど、そろそろお暇しなくてはいけないから先に渡しておくわ」
メリドゥーシャが私の右手を掬い上げた。
「わたくしからの祝い品は、お揃いのピンキーリングよ。
貴女とわたくしが永遠の友という証を込めて作らせたわ。二人の瞳の色の宝石がはめこまれているの。
"アクアマリン"と"クリソベリル"。
アクアマリンはマリンクロードの名前をもじって、クリソベリルは知っての通り、貴女のご先祖であるクリソベリア王女に由来しているのよ」
美しく妖艶な笑みを浮かべながら、メリドゥーシャが私の右手小指に、その繊細で美しいリングをはめてくれた。
もちろん、お揃いの名の通り、彼女の指にも全く同様のものが装着されている。
「すっごく可愛い……! ありがとうメリドゥーシャ、大切にするね。
メリドゥーシャとお揃いなのも嬉しいなぁ」
「ふふ。本日のリリアナもとても愛らしくてよ。
……幸せにおなりなさい。2000年間を最高の毎日にするのよ」
彼女はそう言って、今度は私の両頬に手を添え、額にキスをしてくれた。
メリドゥーシャと私の様子を隣で見ていたアランフォルスは「ほんに仲が良いのう」と言いながらケラケラと笑っている。
海神たちと私の親しげな様子を見ていた王国民たちは皆、口をぽかんと開けていたが、アランフォルスたちが本城へ帰還するという話になると、守護者たちが中心となって慌てて見送りに出向いていた。
私も二人に向けて、大きく手を振る。
とはいっても、彼らとはまた一月後に会えるのだから、ほんのしばしの間お別れというだけだ。
「全く、あの夫婦はかなわんな。
それに、アランフォルスはやはり素直ではない。アリィの様子も見に来たと正直に言えば良いものを」
私の隣に立ち、そう言って目配せをするシェリの視線をたどると、そこにはまるで花飾り車のようになった乳母車に乗っているアリィの姿が。
アリィの髪にも美しいブルーグリーンのダリアの花が飾られ、彼女はそれを小さな手で掴もうと懸命に頑張っている。
「まるで宝石の、"アレキサンドライト" みたいな色のお花だね。
こんな色のダリアは見たことがないから、きっとアランフォルス様がその色に変えてくれたのかな」
「……粋なことだ」
私たち二人はアリィのもとに腰を落とす。
そして私は、彼女の名前、アレキサンドラを意味するその花に自身の右手を添えてみた。
ブルーグリーンの花とイエローグリーンの宝石が寄り添い合う姿は、とても美しかった。
「それじゃあアリィ、私たちからもみんなにお礼をしようか」
私が花に添えていた右手指でアリィの左手を撫でると、彼女はパッとその顔に笑みを浮かべ、私の指を握りしめた。
彼女の可愛い花のような笑顔を見つめながら、私がゆっくりとお祈りを唱えると、今度は女神の祝福が王国全体に光の雨となって降り注がれた。
披露宴は夜の部へと移っても、女神と海神から大いなる祝福を受けている今夜だけは、王国の空がまるでいつまでも昼間のように煌々とした光に包まれており、眠らぬ夜となったのだった。
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次回最終話となりますが、いつも通りその後+αでエピローグが続きます。
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