19. 帰還〈後編〉
騎兵団本拠地を後にした私たちが次に向かったのは、マーレデアム王宮。
「リリアナ様……!」
「お帰りなさいませ、リリアナ様、ラドシェリム殿下」
王宮の中庭で私たちを出迎えてくれたのは、来月には臨月を迎えるトリンティアとその夫、セシルドだ。
外に出てまで待っていてくれた二人に、私は腰を落としお辞儀をする。
「姉上、義兄上、ただ今戻りました。……リリィ、こちらへ」
シェリに誘導され、私はトリンティア夫妻の前へと進み出る。
「……リリアナ様。今回ばかりはわたくし、どうしても納得がいきませんでしたわ」
私の手を取るトリンティアが、少し震えている。
「……ご心配をおかけしたこと、本当に申し訳なく思っています。
でも、アランフォルス様に神力をお渡しすることだけが、この海の秩序を保つための、私が出来る唯一でした。
女神の愛し子を名乗る以上、私にもそれなりの覚悟はもう出来ています。
それに、シェリも国王様ももちろんトリンティア様も、もしあの状況に直面したならきっと、私と同じ方法を選ばれるはずです」
私はトリンティアの手をそっと握りしめた。
彼女を見上げると、美しく整った唇はぐっと結ばれ、今にも泣き出しそうな表情になっていた。
「……分かっているのです。リリアナ様の性分も、貴方様だからこそ、この海の救い主として選任されたということも。
それでも、わたくしたちは家族となるのです。愛おしい妹が失われることを良しとする姉が、一体何処にいるのですか?」
トリンティアは私の両手を自身の口元へと寄せ、声を震わせてそう言った。
マーレデアム王国には、私のことを家族と呼んでくれる人たちがいる。
この海には、私が自身を想う以上に私のことを大切だと、そう言ってくれる人たちがいるのだ。
海だけではない。
グッセンスタシューン王国だって、母国だって、私に手を差し伸べてくれる温かい人たちが大勢いる。
大切な人たちのことをこの先もずっと守っていきたい。私が出来得る限りのことは何でもしたいと思う。
でも同時に、これからは自身のことももっと尊重しなければならない。
家族が、友人が、心から私のことを愛してくれていることが、今はもう十分に分かっているのだから。
「ごめんなさい、トリンティア様」
「いいえ、わたくしの方こそ。貴方様に非がないことは、ちゃんと分かっているのです。
……リリアナ様。改めまして、この海をお救い下さったことを心より感謝申し上げます」
トリンティアが腰を折り私に拝礼すると、彼女の隣で私たちのことを見守ってくれていたセシルドが穏やかに微笑む。
「リリアナ様、ラドシェリム殿下。国王陛下と王妃陛下がお待ちです」
「では俺がリリアナ様を国王の元までお連れいたします」
と、チラリとトリンティアを見るシェリ。
「なあに、シェリ。わたくしとは一旦ここでお別れだとでも言いたくて?
わたしくしたちの子はあなた方の御子と同い年になるのだから、もう少し母親同士の交流をさせてちょうだい」
「……メリドゥーシャ殿には妙な既視感があったが、なるほど。彼女はどことなく姉上に似ていたのか。どうりでなかなかに圧と凄みがあったわけだ」
と、何かを納得したかのようにそう呟くシェリを無視して、トリンティアが私の手をゆっくりと引いて行く。
「さあ、陛下方のもとへ参りましょう、リリアナ様。シェリなど放っておいて」
にっこりと微笑む美しいトリンティアに魅入らされた私は、知らぬ間にコクリと頷いていたようで、彼女のエスコートを受けて歩みを進めていた。
------
「……ここ最近、情勢変化の目まぐるしさですっかり抜け落ちていました。
この王国のどの男どもよりも、姉上が最大の強敵であることを」
「トリンティア殿下は幼い頃から、それはそれは男前でいらっしゃいましたからね」
自身たちの前をズンズンと歩いていく女性二人のことを、セシルドはくすくすと笑いながら見やっていた。
シェリはリリィたちから、そんなセシルドへと視線を戻す。
「……義兄上。すでに報告に上げた通り、海魔は消滅しました。その娘は俺とリリィが引き取り、長子として育てます」
「ええ、存じております」
「義兄上はそのことに複雑な思いなどはありませんか?」
セシルドの瞳をじっと見つめ、そう問うシェリに対し、彼は少し眉を下げ小さく微笑んだ。
「ございません、ラドシェリム殿下。命とは儚く、無事にこの世に生を受けることは奇跡です。
御子が、貴方がたのもとに舞い降りることが出来て本当に良かった」
「……義兄上」
かつて、海魔は多くの民らの命を奪った。
その中には当然幼子がいた。生まれることが叶わなかった者たちもいた。
セシルドは再び、リリィとトリンティアへと視線を移す。
「我々も彼女たちには負けていられませんね。父母としてだけでなく、大人として、未来ある子たちを育み守っていかねば」
「そうですね。リリィや姉上に遅れを取るわけにはいきません」
シェリとセシルドはお互いにしかと頷き合う。
そして、二人はもう随分と前を歩いていたリリィとトリンティアに追いつくため、大きく足を踏み出したのだった。
------
国王の執務室に着くや否や、国王は私の前に跪き、謝罪と、感謝と、後悔の言葉を、そしてアランフォルスとの条約締結文書を前に、二度とこの海に争いは起こさせないという決意の言葉を口にしてくれた。
彼の妻である王妃は、娘のトリンティアと同様、美しい顔に憂いを落とし、少し憔悴していた。
彼女はずっと、私の手を優しく撫でながらも少しばかり力を込め、握ってくれている。
二人は以前よりもどことなく痩せていて、顔色も良くなかった。
これが私への気鬱によるものならば、本当に申し訳なく思う。
「国王陛下、王妃陛下。お願いします、顔を上げてください。本当に、ご心配をおかけしました」
私が国王のもとにゆっくりと腰を落とすと、王妃もそれに続いた。
「アランフォルス様とは、それはもう語り尽くせないほどに色々とありました。
でも、彼はマーレデアム王国との友好な結びつきを、今後も約束して下さいました。
この先もずっと、この全海域にはアランフォルス様からの祝福が授けられます」
国王夫妻は眉を寄せ、目を伏せている。
私たち三人のもとに、後ろに控えていたシェリも歩み寄って来る。
「海神・アランフォルスは我々が提案した条約文書に迷いなくサインされました。
そして彼の妻と義弟は、リリアナ様が失った二千の寿命を自ら埋めたのです。
海神の信頼を得、海魔の心を解放し、魔物にまで魅入られるリリアナ様は、今後もこのマーレデアム王国と共にいて下さいます。100年先も、1000年先もずっと」
国王夫妻はそんな私たちを交互に見やり、そして互いに顔を合わせ頷き合った。
「マーレデアム王国は……この海はリリアナ様の加護を受け、生命を吹き返しました。
ラドシェリム、其方の功績も他の者からしかと伝えられた。本当に見事だった」
国王と王妃は肩を寄せ合い、そして私たちにこう告げた。
「一年後を目安に、私たちは退位いたします。
その後はラドシェリムとリリアナ様に、このマーレデアム王国を引き継いでもらいたい。
其方たちこそ、この王国の国父母に相応しい」
国王夫妻が私たちに拝礼する。シェリと私もまた、彼らの手を取った。
「……お任せ下さい、陛下方。俺が必ず、マーレデアム王国民を未来へと導きます」
はっきりとそう言葉にするシェリ。
私は彼のその美しい横顔を見つめながら、いつかの日に、この人が背負う重責を私が少しでも支えられるようにと願ったことを思い出していた。
「国王様、王妃様。私もラドシェリム様と同じ気持ちです。必ず彼をお支えし、民の皆様が安心して生活出来るよう努めます」
私たちの言葉を聞き、国王夫妻はやっと安堵した表情になった。
あの日に。
シェリが婚姻を申し込んでくれた時に、二人で交わしたこの約束は決して何者にも阻止出来得るものではなかったと、今となれば分かる。
固く結ばれた絆は、簡単には解けない。
「民らへの報告はいかがいたしましょう」
「この後に王都広場にて前民に向けて声明する予定だ。
海神との条約締結の旨と其方らの婚姻のこと。そして、海魔の愛し子の娘についてもだ」
「……アリィのことは、俺たちから説明いたします」
「うむ、そうだな。其方たちから民らへ伝える方が良い。
……険のある言葉が飛び交うやもしれぬが心を強く持て」
「はい、国王陛下」
……そうだ。民たちに出される声明の中にはアリィのことも含まれている。
海魔の娘である以上、彼女の存在に戸惑う人たちが現れる可能性は十分にあり得る。
マーレデアム王国民は皆とても気さくで優しい人が多いが、ほとんどの人たちは海魔に良い印象を持ってはいない。
私は思わず両手のひらをぎゅっと握りしめてしまった。
「大丈夫だリリィ。マーレデアム王国民は善良な者たちばかりだ。例え今は受け入れられずとも、時間をかけて説得すれば、いずれ分かってくれる」
「……うん、そうだね」
不安な気持ちを察してか、シェリが私の手を優しく解き、冷えた手指に自身のそれを添わせてくれた。
王家と民たちの間に築かれた長年の信頼は簡単には壊れないのだと、シェリの温かな体温が私を勇気付けてくれる。
まるで、自分たちがそれを証明してみせただろうとでも言うように。
シェリたちと共に王都広場へ移動すると、ユーリたち海人騎兵団の部隊が護衛する、モネとルル、そしてアリィの姿がすでに在った。
「リリアナ様! ラドシェリム殿下!」
私たちに気付いたモネとルルが、ほっと安堵したようにこちらへと歩み寄って来る。
「世話をかけたな」
「とんでもございません。今もすやすやとよく眠っていらっしゃいますよ」
モネの腕に抱かれたアリィは口元を何やらむにゃむにゃと動かしている。
「ありがとう、モネ、ルル。ふふ、アリィも可愛いドレス着せてもらってる」
アリィも私と同じ純白のベビードレスに、胸元にはテティスの髪飾りが軽く縫い付けられている。
モネとルルが大切な髪飾りを無くさないようにと、そう気遣ってくれたのだろう。
二人にお礼を言いつつ、私はアリィの可愛い頬をそっと指で撫でた。
ほんの一時間ほど離れていただけなのに、やっと会えて嬉しいという気持ちが膨れ上がる。
「リリィ、行くぞ」
「うん」
シェリと私は国王夫妻の後ろに続き、王都広場の先端まで足を進めた。
そこから十メートルほど下に王都が広がっているのだが、今日は下の開けた地に隙間なくマーレデアム王国民たちが集っている。
彼らは私たちを見るや否や、盛大な拍手と歓声を上げてくれた。
「リリアナ様、お帰りなさいませ!!」
「やったー! リリアナさまがオレたちのもとに帰ってきてくれたぞー!」
「ラドシェリム殿下! リリアナ様を取り戻して下さって本当にありがとうございます」
「国王陛下、王妃陛下万歳……! 私たちの心は永遠に、この海と王家に捧げます」
人々の熱狂が王都を震わせている。
大人も子供も、海のあらゆる生物たちもこの王都広場と王都前に集結しているのではないかと思えるほどだ。
「皆の者、まずは本日 集ってくれたことを感謝申し上げる。この場へ皆を呼んだのは、我々王家から其方ら王国民たちへいくつかの声明を出すためだ。
まずは第一に、リリアナ様が此度やっと、我がマーレデアム王国へと帰還された。
全海を守護し、全生命ために、……全ての神力を手放されたテティス海女神の愛し子に深い御礼を」
国王がそう言うと、広場下に集まる全ての民が、両手を胸の前で交差させ跪いた。
国王夫妻も、シェリたちですらも。
……この光景は一年半経った今でも、やはり
慣れない。
私は焦りたい気持ちを抑えながら、ゆっくりと皆に向かい腰を折って拝礼した。
チラリとシェリを見やると、分かっている、とでも言うように彼は立ち上がる。
シェリは私が跪かれると落ち着かなくなることを、もうよくご存知なのだ。
シェリや国王が佇まいを直すと、民の人たちもゆっくりとその場に立ち上がった。
「続いては王位継承権についてだ。私は一年後、国王の座を退くつもりである。これは以前より決めていたことだ。
次期国王には私の隣に在るラドシェリムを任命する。これよりこの者は王太子となり、私の執務を引き継ぐための準備に入らせる。
我が長子トリンティアは次期右大臣に、次子ナプティムウトは宰相の位をそのままに、ラドシェリムとこのマーレデアム王国を支えていくだろう。
しかし、彼らはまだ経験の浅い年若い者たちだ。そのため現在私の補佐を担う左大臣エーギルを、彼らの監督に付かせる」
国王はそう言うと、彼の後ろに控えているトリンティアとナプティムウトに目配せをした。彼らはそれに応えるよう頷いている。
「また異例として、ラドシェリムには少なくともあと一年、海人騎兵団の団長を兼任させようと思っている。
団長として民の平安を守護する経験は、今後国を治める際に大いなる糧となるからだ。
皆の上へ立つに相応しい国王となれるように」
国王の声が王都中に広がると、人々はさらなる熱気に晒されながらも、同時に疑問も浮かび上がっているようだった。
「確かに、ラドシェリム殿下は文武両道のこの上なく有能な若君ですが、トリンティア様とナプティムウト様も申し分ないはず。
何故、後継は姉兄ではなくラドシェリム殿下に?」
他の者を推す発言ではないものの、人々の興味はシェリたち姉弟に注がれている。
「わたくしたちから説明いたします」
トリンティアとナプティムウトは互いに頷き合うと、私たちがいる王都広場の縁までやって来た。人々はゴクリと唾を飲み込んでいる。
「まずは皆様、本日はお集まりいただき感謝申し上げます。
さて、我が次弟ラドシェリムが王位を継承する件についてですが、これは彼が王妃の胎内に宿る以前から、もうすでに定められていたことです。
私と隣にいる長弟ナプティムウトは、数百年前に王位継承権を放棄しております。
……当時のことを知る方々はご存知のことと思いますが、わたくしは平民であった現在の夫と婚姻を結ぶ時に、ナプティムウトは先王との意思 違いが生じた際に」
噂程度には知っている、という年配の民たちもいれば、今初めてそれを知り驚嘆している若者たちもいた。
いずれにせよ、時期的にも先王が治めている時代に、彼らの間に何かしらの確執があったのだろうと皆予測したようだ。
「言い訳をするつもりはありません。私と姉は自らの意思で王位継承権を放棄しました。
私にいたってはまだ成人すらしておらず、政治というもの自体、よく理解出来ていなかった。
……まだ生まれてもいなかったラドシェリムに王国の未来を背負わせることになってしまったことは、本当に申し訳なく思っていました」
ナプティムウトはシェリと、きっと不安そうな表情をしているであろう私を見やり、優しく微笑んだ。
「……しかし、ラドシェリムはリリアナ様と出逢った。
出逢うべくして出逢った二人だったと、もう今では誰もが確信していることです。
二人が共に在ることで、マーレデアム王国が抱える数々の難問が解決された。
もし例え、二人が王子と愛し子として出逢っていなかったとしても、彼らは惹かれ合い、困難を乗り越え、共に生きていくことを選ぶでしょう。
二人が我々に見せたのは、"奇跡という言葉では語り尽くせない。
彼らの人望と明運と、そしてテティス海女神の加護がそれをもたらしたのです」
トリンティアとナプティムウトの言葉がしんとした王国中に響く。
どこからともなく拍手が沸き起こり、続いて先程と同じく民たちの歓声が王都を震わせた。
「姉上、兄上。ありがとうございます」
「……大きくなったわね、シェリ。これからはわたくしとティムが貴方とリリアナ様を全力でお支えするから安心なさいな」
「二人のことは私たちが守るよ。もちろん、アリィのこともね。
さあ、次は婚姻についてとあの子のことを皆に伝えておいで」
「トリンティア様、ナプティムウト様……ありがとうございます」
私も思わず、感謝の言葉を届けた。
二人が下がるのを見届けた後、今度はシェリが私の手を取り、言葉を紡いでいった。
「次は私から皆に報告したいことがある。以前も少し話したことだが、此度正式に私とリリアナ様は婚約し、婚姻を結ぶことが決まった。
リリアナ様は今後、女神の愛し子であらせられると同時に我が妃となる」
シェリがよく通る声でそのことを王国民たちに発表すると、本日一番の歓声が国中を揺らした。
国王はその光景を私たちの隣で見据えながら、とても満足そうに頷いていた。
「此度、ラドシェリムの功績は非常に大たるものであった。
もちろんそれは、海人騎兵団の皆やリリアナ様のお力添えのおかげであるが、ラドシェリムが女神の愛し子であらせられるリリアナ様と婚姻を結ぶに相応しい偉業を成し得たことに違いはない。
守護者たちも、このことに異論はあるまいな?」
国王からそのように問われ、王国の重鎮たちが次々と国王とシェリに向かい拝礼していた。
ユーリの父であるエーギル左大臣を始めとする守護者たちは、皆穏やかに目を合わせ頷き合っていたが、大臣の中にはとても悔しがっている人もいた。
私がどこかで見覚えのある人だなあと思ったその人は、以前に自分の孫息子を私の婿に、と国王に勧めていた人だった。彼は口をへの字にして目に涙を溜めている。
シェリはその様子を横目でチラリと見やると、私の腰を自身へと引き寄せ、少しばかり鼻を鳴らしていた。
「リリィ、これをもう一度其方に」
シェリはそう言って、ほんの少しばかり私から離れると、今度は私の横で跪き、左手の薬指に、エメラルドとイエローダイヤが彩る、あの美しい婚約指輪をはめてくれた。
「……シェリはお伽話の王子様みたいだね」
「正真正銘の王子だからな」
「それもそっか。
……ありがとう、シェリ。今度こそちゃんと受け取らせてね」
「全くだ」
シェリは私の左手甲に少し音を立てながら口付けを落とす。
私を見上げる美しい金色の瞳は相変わらず余裕があって、彼の口元も弧を描いていた。
そんな私たちの様子を終始見守ってくれていた民の人々は、喜びに満ち溢れた表情で周囲の人たちと抱き合って喜んだり、また、彼らの中には感涙余って泣いている人たちもいた。
周囲が優しい気持ちになっているだろう今、シェリがぐっと表情を引き締め背後へと顔を向けた。
同じように私も振り返ると、すぐ後ろに控えてくれていたモネとルルがアリィを私へと手渡してくれる。
私は二人にお礼を言って、シェリと共に民の人たちの方へと再び向き直った。
「そしてもう一つ。私から皆へ伝えたいことがある。
此度、我が海人騎兵団員たちの奮闘と海魔自身の寿命が尽きる直前だったことが合い重なり、結果として海魔の討伐に成功した。
しかし、その時に明らかになったのは海魔の身は一つではなかったということ。
彼女が胎内に "赤子" を宿していたということだ。
赤子は海魔となった前愛し子とその夫である我が祖先を父母に持つ。
2000年もの間、子は胎内に宿り続け命を繋ぎ止めていた。その赤子とは今まさにリリアナ様の腕に抱かれている者だ。
この赤子にはもう身寄りがない。よって、子は今後夫婦となった私たちが引き取り、長子として育てたいと思っている。
……違を唱える者がいるのは覚悟の上だ。意見のある者は今この場で私に話してくれて構わない」
シェリがそう言うと、王都は一瞬しんと静まり返った。
互いに顔を見合わせ、ひそひそと話し合う声や、困惑顔の者、私たちに赤ちゃんが出来たのだと無邪気に喜ぶ子供など、私たちのいる王都広場からは、民の人たちの本当にさまざまな表情が見て取れた。
すると、ポツリポツリと話し出す者たちが現れた。
「……殿下がそうおっしゃられるなら、私たちはそれに従います」
「いや、待て。あの海魔の子供だぞ? お前の爺さんがあいつに殺されたことを忘れたのか?!」
「私の妹は怪魚に食べられてしまったわ。怪魚を操っていたのはあの海魔だって噂よ」
「リリアナ様が降臨されたここ一年ほどは海の浄化が進み、海魔の被害はそれほどなかったが、以前は本当に酷かった」
「殿下! あなたは誰よりも我々の苦しみをご存知なはず。なのに、よりによってあの魔物の子供なんかを……」
「子供なんか、なんて言い方をするな! 親が罪を犯そうがその子供には何の関係もないだろう!」
本当に、色々な意見が次々と人々の口から発せられた。
アリィには何も罪がないことは明白だが、どうしても血縁という二文字がそれを覆い隠してしまう。
それでも、私は言わずにはいられなかった。
「みなさまのご意見はごもっともです。でも、この子が海魔の愛し子の娘であるように、私も遠縁とはいえ、同じ血族の者に当たります」
「で、ですが、リリアナ様は……!」
「はい。あなた方が私のことを受け入れて下さっていることは、もちろん分かっています。
でも、どなたかが先程おっしゃったように、子供たちは親を選べません」
胸に抱くアリィがゆっくりとその瞼を上げた。
まだ眠そうにはしているが、今度はしきりに口をすぼめて何かを訴えている。
「どうした、腹が減ったのか?」
シェリはそう言いつつ、私の腕中を覗き込んだ。するとアリィは彼の瞳をじっと見つめながら自身の指を物欲しそうに吸い始めた。
「……俺の目は飴玉ではないぞ」
「シェリってば、まだ飴が美味しいかどうかなんて、生まれたばかりのアリィには分からないでしょ?」
少し苦笑しながら私がそう言うと、アリィの胸元を飾っているあのテティスの髪飾りが一人でに光を放ち出した。
「……え?!」
私は一体何が起こったのか分からず口をあんぐりと開けていると、今度は私の腕輪がそれに呼応するように光り出した。
同時に、私の頸にある痣、もとい女神の紋章の部分が熱を帯びているかのようにとても熱く感じられた。
「シェ、シェリ、これって……!」
「……ああ。女神の祝福の光だ」
シェリの言葉に目を見開くと、その光たちは私たちの頭上に筋を作るように舞い上がった。
そして、それは王都の方へと螺旋状に広がり、やがて上空から光の粒がひらひらと民たちに降り注ぐ。
「祝福だ……!」
「テティス海女神の祝福が、お二人から我々に注がれたんだ」
「リリアナ様の神力は完全に失われたわけではないってこと? それに、あの赤ちゃんは女神の愛し子様ではないのに祝福を贈れるってことなの?」
「どうなってるんだ?! リリアナ様はともかく、あの赤ん坊は……」
……王国民たちが戸惑っている以上に、私自身が状況を把握しきれていない。
確かに先程私は騎兵団の本拠地で、ほんの微々たるものではあるが、まだ祝福を贈れるということが分かった。
なのに今、アリィの髪飾りと合わさるとそれが何倍も、いや何十倍も膨れ上がり、何なら以前とそう変わりない祝福を飛ばせている気さえする。
私の全神力をアランフォルスに渡してからは、こんな現象は一度も起きたことがなかった。
「リリィは女神の愛し子として生を受けたため、その体内でも自然と神力を作り出しているということは先程話したな?
それに、不本意ではあるが、其方は以前、アランフォルスからも神力を少しばかり送り込まれている。
問題はアリィだが、彼女自身はリリィのように愛し子の身分でも紋章を持つわけでもない。
……おそらくは其方がアランフォルスから受けたのと同様の神力を、アリィはテティスの髪飾りから知らず知らずのうちに送り込まれていたのではないか」
まだ頭の中が整理し切れていない状態ではあるが、シェリの意見には納得した。
私たち一人一人の神力は決して大きいものではないが、二人のそれが合わさると、私が以前、海陸両王国に届けていたものと同様の祝福となる、ということなのか。
「……アリィは、すごいね。こんなに小さいのに、もうみんなに祝福を届けられるなんて」
「赤子故、無意識だろうがな。祝福を飛ばしても、其方の身体はなんともないか?」
「うん、全然平気。前と変わらないよ」
「……そうか」
私とシェリはアリィの様子も注意深く確認したが、顔色も良く、祝福によって体力を消耗しているような感じは今のところない。
「…………奇跡だ!」
すると、そんな私たちの様子を見守っていた民の一人が、興奮した様子でそう声を上げた。
「リリアナ様と姫様は、お二人で一つなんだ。お二人はきっと、前世で無くされた半身同士だったんだ」
「親子か兄弟かあるいは親しい友同士か……
いやいや、そんなことはどうでもいい! お二人はやっと、出逢うことが出来たんだ」
私は民の人たちの言葉を聞きながらも、あながちそれは正しいのかもしれないと思った。
アリィの母であるアレキサンドラと、私の祖先クリソベリアは双子の姉妹だった。
テティスの髪飾りと腕輪それぞれが私たちを現在の主人として認識したこと、それに私たちの持つほんの少しの神力が合わさり、奇跡のような、それでもって必然的とも言えるような祝福を作り出せたのかもしれない。
「邪の心身を持って生まれたのならば、テティス様の神力を身体に宿すことも、ましてやそれを私たちに与えることも出来るはずがない」
民の一人がポツリと、そのように言葉を紡いだ。
前愛し子はその身体に神力を宿してはいたが、海魔となり、心が九つの負の感情で占められてからは、海神であるアランフォルスでさえ、彼女の神力を自らの手で取り出さなければならなかったのだ。
「その赤子様は海魔の娘に違いはないけれど、その邪心までを受け継いでいるわけではない、ということか」
「いや、まだ分からないぞ! これから悪い心が芽生えるかもしれない」
人々の意見は未だ二分しているが、少なくとも今のアリィがテティスの神力に拒まれる存在ではないのだと、民たちは認めざるを得なくなったようだ。
「……ラドシェリム殿下とリリアナ様の監督下の方が、下手な罪人塔なんかで育てるよりもずっといい」
「ちよっと、あの赤ちゃんは罪人なんかじゃないでしょ?! そんな風に言うのはやめなさいよ!」
王国民たちの論議は未だ終わる様子はなかったが、シェリが軽く片手を挙げたことで、再び彼らは私たちへと視線を向けた。
「皆の意見は最もだ。しかし、どれが間違っていどれが正しいかなど、誰にも結論付け得るものでもない。
ただ、少なくとも、今ここにいるアリィはリリアナ様と同じくテティスからの祝福を受けている。
両親の不運故に生まれ落ちたのも事実だ。
だが、この子自身が咎められる理由など本来一つもないはずだ。
私の従姉妹であり、リリアナ様と同じく女神一族の血縁者であるこの子を、どうか私たちに任せてはくれないだろうか」
シェリの、力強い声色が王都へと響き渡る。
すると、アリィを受け入れることに賛成していた人たちから拍手が起こり始めた。
反対意見を持っている人たちも、シェリの言葉を聞いて少しばかり自身の意見に考えを巡らせているようで、弱々しくはあるが同じようにして拍手を送ってくれた。
王国中の大賛成が得られた訳ではもちろんないが、アリィは何とか、私たちが育てていけそうだ。そのことに一先ずほっと胸を撫で下ろす。
「……テティスの加護があったな」
「……そうだね。テティス様たちがきっと、私たちを手助けしてくれたんだね」
私は未だ王都に舞う、キラキラと輝く祝福の粒を見やりながらそう言った。
シェリと私が王国民たちに向かい拝礼すると、彼らもまた私たちに向かって跪いたのだった。
王家からの声明が、終わりを告げた瞬間だった。




