13. 忌み姫
「シェリ、海魔の軸首について何か分かった?」
アランフォルスとギルが対面していた頃。
後方部隊を先導していたユーリが前方部隊の指揮を取っていたシェリのもとを訪れ、そう言葉をかけた。
二人は海魔と騎兵団両者から少し距離を取りつつ、交戦の様子を伺う。
「正直、姿形は他の八体とあまり変わらんように見えるな。何か違いがあるとすれば、首周り面積が少々広い、という当たりか?
あとはユーリ。お前はシリスハムの言う軸首の心情とやらを感知できたか?」
「 "恐怖" の感情ってやつ? それが全っ然分かんないんだよね。
シリスハムがそれに気付いた時ってさ、確かあいつがその軸首を攻撃した時だよね?」
「そうだと聞いた。その感情をもう一度表に出させるにはやはり軸首への攻撃しかないか」
シェリは顎に手を添え、ふむ、と唸る。
「……シェリはやっぱり団長なんだね。考えに躊躇がないや。
そりゃ、海魔が僕たち海人族に与えた被害が計り知れないくらい大きいってことは僕だって分かってるよ。海魔のせいで亡くなった知り合いだっていっぱいいるし。
でもやっぱ心のどこかで、海魔だってもともとは普通の、人間の女の子だったんだって思っちゃうんだ。
……海人騎兵団は民を守るお仕事なのに、僕ってば副団長失格だよね」
ユーリはそう言って視線を落とし、ぐっと拳を握りしめた。
「……いや。お前やリリィのような考えを持つ者がいるからこそ、此度もそれほど大きな戦にはならず幸いしているのだ。
俺は民らに仇を成す海魔のことをずっと憎んできた。海魔の心に寄り添うなど、考えすら浮かばなかった」
シェリは未だ自身の鮫笛に結び付けてあるリリィの婚約指輪に触れる。
彼女がこの指輪を安心して受け取れるように、自分も変わらなければならない。
「"怒りとは、戦での勝利でのみ解決する" という考えは、もう時代遅れかもしれん」
「……シェリ。僕もそうだけど、君もリリィに出会って救われた部分があるんじゃない?
怒ったり憎んでばっかじゃ出口は見えない、ってね」
「いがみ合っていた者同士が行う "歩み寄る努力" など、実は戦よりも難しいがな」
「でももしそれが完結したら、ものすごい達成感を味わえちゃうんじゃない?」
「……そうかもしれんな」
シェリは海魔の中心にある軸首を見据える。
相変わらず興奮状態にあり、騎兵団に向けて威嚇をし続けている。
すると、その時。
「目には目を、歯には歯を。人間には人間を、つってな」
「ギル……それって使い方がちょっと違うんじゃない?」
という、よく聞き知った声々がシェリとユーリの耳に届いた。
二人は声の主たちの方に向かい、勢いよく振り返ったのだった。
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「頭のかてーこと言うな。要するに、リリアナお得意のコミュニケーションとやらで海魔の心内を探るぞって意味だ。
俺は隣でちょくちょく野次飛ばしてやっから」
「ちょ、ちょっとギル! 私たちは前愛し子様を怒らせるために行くわけじゃないでしょ……!」
海魔の様子を探るため、私たち二人はベルの背に乗り、少しずつ忍びつつ、海底から浮上していたところ……
「リリィ?! ギルストロン、それにベル……! 三人とも、何故ここにいる? 今は交戦中だぞ!」
「もーっ! 危ないでしょ!! ギルもこんな所にリリィ連れてきて、一体何考えてんのさ!」
シェリとユーリは血相を変え、私たちの元へと走り泳いで来る。
「何って、騎兵団が海魔を押してる隙に会話しようとしてんだよ」
「会話だと?」
「海魔が喋るのなんて聞いたことないよ。基本咆哮ばっかだよ?」
「俺たちは今海人族の言葉で喋ってんだろ? だから人間言語で話しかけりゃあどうなんだろうなと思ってよ」
「!」
……そうか。ギルは秘薬を飲むことによって、
海人族語を話す能力が得られる。
それは、彼が初めてマーレデアム王国をお忍びで訪れた時に判明したことだ。
私たちが今話している言語は、いわゆる海での言葉。
なら、ギルの言うように、海魔に向けて人間の言葉で語りかけるのはどうだろうか。
海魔だってもともとは人間の女性。
言語とて私たちと同じものだったはずだ。
「海魔の "恐れ" とやらを沈めるためには、人間と海人族、双方が揃う必要があるだろ?
子孫のリリアナ、後継の俺、そんでもって、海魔が一番憎んでるはずの海人族王家の男。
てなわけで、ラドシェリム。お前も強制参加だ」
「……俺はリリィの婚約者である前に、彼女の守人だ。当然共に行く」
と、シェリが手中の長槍を握り直す。
「おい、戦闘じゃねえぞ。話し合いだ」
「言われなくとも心得ている」
「はっ! そうかよ」
ギルは後ろに座る私をチラリと見つつ、口角を上げた。
まるで、準備は整ったとでも言うように。
「ユーリ、悪いが兄上と合流し、タイミングを見計らって騎兵団を一時下げてくれ」
「……了解。でももし、海魔への接触が上手くいかなくて僕がやばいって判断した時は、ソッコー再攻撃に出るからね」
「そうならんよう努力する」
「ほんとだよ。まったく……」
ユーリは、はぁ、と大きなため息をつき、私の方を見やった。
「……リリィ、君なら出来るって信じてるから。頑張っておいで」
海で溺れかけた、7歳の私を助けてくれて時と同じ、少し困ったような笑顔。
「……ありがとう、ユーリ。行ってきます」
それでも背中を押してくれた、私の海のお日様。
騎兵団の皆の元へと戻っていくその背中を見送りながら、私は自身の髪飾りにそっと触れる。
「行こう。シェリ、ギル」
私は自身の翠緑瞳を、海魔の愛し子へと向けた。
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「── ── やれやれ、ついに行きおったわ。ほんに見上げた根性の持ち主よ。
テティスよ、見ておるか? ついに、其方の子孫二人が時を超えての対面ぞ」
アランフォルスは海魔の方へと少しずつ近付いて行くリリィたちを見据えていた。
なお、ナプティムウトはユーリが合図を送って呼び寄せていたため、すでにここにはいない。
「……メリドゥーシャ様。万が一、リリアナ女神様が海魔の反撃に遭い、お命を危険に晒される事態になった際はどのように責任を取られるおつもりですか?」
ノワルの鋭い視線がメリドゥーシャへと向けられる。
「そのために、わたくしと貴方がここへ来たのよ」
「……それも想定内というわけですか?」
「彼らには2000年もの溝があるのよ? 少しも痛みのない、感動の対面だけが待っているなんてこと、あるはずがないでしょう?」
メリドゥーシャは当たり前のことを聞くなと言わんばかりにノワルの方は見ず、リリィたちを目で追っている。
「海魔とはあまり関係の無さそうな、余分の男が一人くっついて行きましたが、果たしてそれが凶と出るか、あるいは……」
「吉、であることを祈るしかなくてよ。わたくしたちが今出来るのは、ただのそれだけ」
ノワルはもう一度、隣に並ぶメリドゥーシャを見やった。
彼女はアランフォルスの側妃たちの中でも一番の古株になる。
長い年月を生き抜き、海魔の愛し子のことも海底戦争のことも、そして前カリュブディスのことも、ノワルが知らない全てのことをその目で見てきたはずだ。
人生経験の差だろうか?
こうも落ち着かれてしまうと何も言い返せ
ない。
「さすがですね。僕のような若輩者の青二才とは違い、生きて来られた年数分だけ、その肝も座っていらっしゃる」
「何か言ったかしら?」
年増だと言いたいのか?という、ドスの効いた幻聴が聞こえた気がしたが、ノワルはしれっと海魔たちの方へと眼を移した。
ユーリとナプティムウトが騎兵団の者たちに何やら指示を出している。
その後ろには、リリィたちの姿。
「リリアナ女神様。どうかくれぐれも転ばぬように。
……貴女の手を引くのは、今は僕ではないようですから」
この世に生を受けた全ての者が奇跡なのだと言い切った、あの心根の澄んだ女神が選ぶ道を自分も少しだけ見てみたくなったのだ。
「拗ねるな拗ねるな。其方は後ほど、嫌でもリリアナを手引きするであろう?」
己の独り言を返されてしまったせいか、ノワルは少し目を見開いてアランフォルスを見やった。
「あの男どもには出来んことよ」
「……ふふ、そうですね。実に光栄なことです」
メリドゥーシャは夫と弟の会話を聞きつつ、「やれやれ」といったように、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。
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シェリ、ギル、そして私の三人は、ユーリとナプティムウトが先導している騎兵団前方部隊のやや後ろに付いていた。
ギィィィィィィィィーー!
海魔の威嚇に思わず怯みそうになる。やはりそう甘くはない。
迂闊に距離を詰めようとすれば、私などすぐに返り討ちに遭ってしまう。
ユーリたちがうまく視界を開けてくれるのだが、海魔の咆哮ばかりが響き、なかなかその先に進むことが出来ない。
隣でホメロスに跨るシェリへと視線を移すと、彼もまた眉間に皺を寄せ、怪訝そうな表情をしていた。
(……どうしよう。これじゃ海魔の心を沈めるどころか、近付くことさえ出来ない……!)
もどかしさと焦りから、私はどうやら目前にいたギルの腕にぎゅっと指を押し付けてしまっていたようだ。
彼がこちらを振り返ったことにも気付かずに。
そしてそれを見ていたシェリが目を吊り上げてギルを睨め、ギルがふふん、と勝ち誇ったような顔をしていたことも。
「しゃあねえ。ダチとはいえ、そんな可愛いことされちまったら俺が先陣切るしかねーな。
おーい! ちったあ落ち着け、海魔の愛し子!
俺たちはてめえとちょっくら話がしたいだけだ! 俺の言葉は分かるか?」
と、私の目の前でそう叫ぶギル。
私とは違い、全く怯んでいない様子の彼に思わず瞬きを繰り返してしまう。
「ほれ、リリアナも何か言え」
「えっ?! え、えっと、海魔の……じゃなくて、め、女神の愛し子様! はじめまして、私も女神の愛し子です!」
「……おい。なんつー自己紹介の仕方だ」
「だ、だって。えっと、アレキサンドラ様。私はリリアナと申します。リリアナ・マリンクロードです。
アレキサンドラ様の後継として、昨年マーレデアム王国に参りました!」
ギルに促され、私も思わずそう言葉を発すると、
「……あれ? 何か光って……」
「俺がリリアナに "返した" 髪飾りが発光してやがる。お前が祝福を授けた時みてえに」
どうやらテティスの髪飾りが何かに反応しているようだ。
私は左腕にはめている腕輪も見やる。しかし、こちらは光を発していない。
ギ、ギ、ギィ
「海魔の動きが少し鈍くなっている。まさか、リリィの髪飾りに呼応しているのか?」
「……なるほどな。ならもう一押しいってみるか」
ギルは唇の端をニィッと上げる。
「オブラートに包んでもしょうがねえからはっきり言ってやる。
てめえが抱く "恐怖" ってのはいったい何だ? 海人族や人間に向ける感情はソレのようで違うんだろ?
俺たちに向いているのはどっちかといえば、怒りとか憎しみの方だろうしな。
ならお前は一体何を怖がってる? お前が "抱えてるもの" は一体 "誰" だ?」
ギィィィィィィィィ!!
抑えられていた海魔からの攻撃が、再び私たちへと向けられた。
しかしユーリやナプティムウトのおかげで、その撃が私たちへ及ぶことはない。
「……ギルストロン。お前、海魔に一体何を言った?」
ギルと私が今話している言葉は人間の言語のはずだ。
私もギルもマーレデアム王国へ来たその日に、種類は違うがシェリに与えられた薬によって、相手に合わせてその言語が変えられる使用になっているはずだから。
「恐怖の対象は俺たち人間や海人族じゃあなく、海魔自身が "抱えている者" だろって言ってやったんだよ」
「抱えている者、だと……?」
「そうだ。ずっと気になってた。あいつの身体は一体に見えるが、実はそうじゃねえの、お前らも知ってるだろ?」
ギルの言葉が私の核に突き刺さったような気がした。
どうして今の今まで、私はそのことを思い出さなかったのだろう。
「……私が話します」
私は "ヒュドラー " の首を一つ一つ見ていく。
九体、いや分裂している十一体のうち、十体の眼の色は翠緑色。
古書にも記されていた、女神の愛し子の瞳の色だ。私のそれと同じ。
こんなに近くで観察したことがなかったからだろうか。最後の一体の瞳を確認することが何故だかとても緊張した。
海魔の中枢にある軸首の瞳は、金色の眼をしていた。
「……あなたが抱いている恐怖は、"姫様" に対してですね?」
歴然とした物言いをしてしまった。
背中と顳顬に汗が伝い、体温も極端に下がっている気がしてならない。
しかし、髪飾りからさらに強い光が満ち溢れ出している感覚もあり、推測が確信へと変わっていく。
「……ギルストロン、リリィ。海魔の軸首には、あやつと我が祖先の "御子" が宿っているというのか?」
「当たりだ、ラドシェリム。
ったく。どこもかしこも血ってのはめんどくせえもんだなあ」
ギルはそう言って、私の両腕を掴み、自身の腹前で交差させた。
「ギル……?」
「来るぞリリアナ。はぐれねえようにしっかり捕まっとけ。ラドシェリムも吹っ飛ばされねえように気をつけやがれ」
「……なるほど。万一、お前がリリィを振り落としたら殺すぞ」
「は! 心配されるまでもねえよ。
てめえこそ死ぬなよ、マーレデアム王国の未来の国王さんよ」
「その言葉、そのままお前に返してやろう」
シェリとギルの少し物騒な会話が終了した途端、
ギィィィィィィィィ!!!
という、海魔の雄叫びが再びこの地に轟いた。
段々と近付いてくるその声に身を固くし、私はぎゅっと瞳を閉じる。
そして、マーレデアム王国やグッセンスタシューン王国に祝福を授けていた時のように、この異空間全体が眩いばかりの光に包まれた時。
それははっきりと聞こえたのだ。
私の耳元で、私と同じ声で。
『どうか、どうか "忌み子" に救済を。そして、"我ら" に罪と罰を。
我が親愛なる子々孫々、リリアナ・マリンクロードよ』
私に救いを求める、アレキサンドラ・マリンクロード、その人の声が。
私が眼を開けると、そこは元いたあの異空間の遺跡群の場所ではなかった。
薄暗く、湿気が多く、海底のはずなのに、まるで地上の川のせせらぎを近くに感じるような、そんな不思議な空間だった。
「リリィ無事か?!」
いつの間にか地へと横たわっていた私の身体をシェリが抱き起こしてくれた。
「シェリ……ありがとう」
光が差さない中でも彼の姿がはっきりと見えたことに安堵する。
「いててて…… って、おい! ラドシェリム、俺も起こせ」
すぐ隣ではギルがむくりと顔を上げた。彼は頭をさすっている。
「ギル、良かった! あなたも大丈夫?」
私がギルへと手を差し伸べると、横からシェリの長い腕がにゅっと伸びてきてギルの腕をガッチリと掴み、そのまま引き上げてしまった。
唐突に身体を起こされたことで、頭に衝撃が走ってしまったのか、ギルが片手で額を抑え込んでいる。
「てめえ、もうちょい優しく起こせねえのか?!」
「軟弱者が。騎兵団に入れば鍛え直してやるぞ」
「ああん?!」
「ちょ、ちょっと二人とも……! こんなところでまで喧嘩なんかしないで!」
ふん、とそっぽを向き合う二人の間に入り、私はアタフタと仲裁に入った。
喧嘩するほど何とやら、とはよく言ったものである。
「で、ここはどこだ?」
「少なくとも、あの偽りのグッセンスタシューン王国ではないようだ。リリィ、こちらへ」
シェリが私の腕を引き、立たせてくれる。
「薄暗いし、じめっとしてるのに、どうしてか心地よくて落ち着く感じがするの。二人はそんな感じしない?」
「……言われてみれば邪気もないな。海魔の気配も感じられない」
「ならここはまた別の異空間か? てかベルとホメロスはどうした?」
そうだ。私たちを乗せてくれていた二人の姿がどこにもない。急に不安が押し寄せて来る。
「どうしよう……あの子たちもどこか違う異空間に飛ばされちゃったのかな」
「……いや、おそらくホメロスとベルは元の場所に残されたはず。
俺たち三人のみが別の異空間に送られたのだろう。海魔の意思によってな」
海魔の子孫である当代女神の愛し子。祖国の後継者であるグッセンスタシューン新国王。そして、彼女の実質上夫となった人物の後裔である、私たち三名が。
「……もし、ラドシェリムの言う通りなら、海魔に関係の深い俺たち三人が送り込まれた "ここ" は、やつの "恐怖の源" がおわす場所なんじゃあねえのか?」
ギルの瞳がギラリと動き、辺りを見渡している。
私も彼を真似てみたが、やはり薄暗くて何も見えない。
……しかし。
《 》
不意に、その灰色の景色の中で誰かが "泣いている声" が聞こえたのだ。
「ふん、ビンゴじゃねえか?」
「……リリィ、手を」
私たち三人が想像しているのは、恐らくは共通の光景だろうと思う。
《……ほぎゃあ》
私たちが歩みを寄せた先で、じめりとしたこの空間で、たったの一人。
包み込む布も、温かい人肌も何もない中で、
恐らくは2000年もの間、ただの一人きりで過ごしてきたであろう "赤子" が地に置き去りになっていた。
「……もう、大丈夫だよ。頑張ったね。えらかったね」
私は赤子を拾い上げ、腕に抱いた。
地に直接背中が当たっていたせいか、初めはほんのり冷たく感じたが、彼女を抱き上げるとその身体はすぐに温かなぬくもりを取り戻していった。
「初めまして、王女様。あなたはお母さんのお腹の中で、外の世界へ駆け出すのを2000年も待っていたんだね」
私の眼からは自然と涙が溢れ出ていた。
海魔の恐怖は、まだこの世に生を受けてもいない、我が子に対するものだったのだ。
彼女が薄く開いた瞳は美しい金の色。
姿形は海人族のものだった。
「望まねえ妊娠の末に出来たガキな上、グッセンスタシューンに戻る足枷にもなったんだろうよ。妊婦の身体じゃ満足に動けねえからな。
……マジで先代国王もその息子も碌でもねえ野郎だな」
ギルが心底忌々しそうに舌打ちをする。
「……リリィ、これを」
シェリが自身のマントを外し、それを赤子へとかけた。すると赤子はそのマントをぎゅっと掴み、何やらうとうとし始める。
可愛らしい小さな口元からは、やがて穏やかな寝息が聞こえ始めた。
「シェリのマントが気に入ったみたいだね」
「……そうか」
シェリは迷いながらも、その赤子の頭を一撫でした。
「……ギルストロン。祖父も伯父上も多大なる過ちを犯したのは事実だ。それを擁護しようなどとは微塵も思わん。
例え王国の未来を守りゆくためそうせざるを得ない状況に追い込まれていたのだとしても、我が祖先が海魔の愛し子にした仕打ちは許し難いものだったと、今となってはそう言い切れる」
私の腕の中でシェリのマントを満足そうに握りしめ、すよすよと気持ち良さげに眠っている赤子を見つめながら、シェリはそう言葉を紡いだ。
「しかし、俺は海魔を許すことは出来ん」
海魔によって命を落とした民たちがいる。家族を奪われた人たちだって、大勢いる。
「……だが、憎み続ける資格もない」
シェリは王族として、その事実を痛いほどに知っている。だから余計に心が苦しいのだろう。
"忌み子に救済を。我らに罪と罰を"
同様に、海魔の愛し子だって本当は分かっているのだ。
争いから生まれるものがあるのだとすれば、
それは憎しみの増幅だけだということを。
シェリと彼女は、それを心から知り得ているはずだ。
「……連鎖を断ち切ろう、シェリ。この子たちが生きる未来にまで、"恐怖" を引きずっていく必要なんてない。
理解し合うのが難しいのは分かるよ。ただ、"歩み寄る努力" だけはどんな時でも続けていこう。
子供たちには、どんな時でも笑っていて欲しいって思うから」
私は赤子へと眼を落とした。
カイリを初めとする海人族の子供たち。
決して苦境に屈しなかったエマたち。
海陸に在る全ての未来を繋ぐ子供たちが、大人の創り上げた恐怖に縛り付けられながら生きていくことなどあってはならない。
もし、その事実が少なからずも今日にあるのだとしたら、それを取り除き心の安堵を与えることも大人たちの義務なのだ。
赤子から再びシェリへと視線を移すと、彼は目を丸くして私を見つめていた。
「シェリ?」
「あ、いや……」
シェリの手がそっと、私の頬へと充てがわれる。
「全くもってその通りだと思っただけだ」
そう言って穏やかに微笑んだ彼の表情は、何だか憑き物が落ちたようにも見えた。
『リリアナ・マリンクロード。やはりあなたが次代を担う女神の愛し子で本当に良かった』
「……アレキサンドラ様、ですか?」
『ええ。あなたにわたくしの全てを見てもらいたい。
わたくしの願望と、失望と、絶望と、そして希望を』
先程と同じような眩い光が、再び辺りを包み込む。
やはりこの光もテティスの髪飾りから発されているようだ。また別空間にでも移動するのだろうか。
「海魔の愛し子よ。リリィと其方の御子だけで別の異空間へ行かせるわけにはいかぬ」
「俺たちも行くぜ。こっからの話だって、俺らに全く関係ねえってわけじゃなさそうだからな」
『……もちろん連れ行くつもりだ。リリアナと同様、あなた方もわたくしの "子々孫々" に変わりない。
血での繋がりはなくとも、わたくしたちには因果の糸が張られている』
ほんの少し棘のあるその言葉に、ギルが「そうくるか」とニヤリと笑みを浮かべ、シェリは唇を固く結び眉根を寄せた。
「二人とも、この子の手を握っていてくれる? もし異空間に移動するなら、逸れないようにしなきゃ」
私がしっかりと赤子を抱き直すと、二人は恐る恐る、彼女の小さな手を握りしめた。
シェリにいたっては、もう片方の手で私の肩も抱いてくれる。
「アレキサンドラ様、あなたの心内を全てお教え下さい」
その言葉に呼応するよう強い白光が私たち一人一人の身体に纏わりつき、炎のようにゆっくりと揺らめき始める。
私はそれが瞳に差し込むのを感じながら、もう一度静かに目を閉じた。




