12. 開戦〈後編〉
私の予想通り、イシスとオリオンが去ってから一時間もしないうちに、シェリ率いる海人騎兵団が本城へとたどり着いた。
側妃たちはといえば、大パニック状態。皆が皆、自室へと引きこもっている。
何故かと言うと、シェリたちの小芝居に見事引っかかってしまった彼女らが、イシスとオリオンを本城へと誘導することになってしまったから。そこに故意はなくとも。
と、落ち着いた様子で私の自室窓から騎兵団を見下ろし、同僚たちの挙動不審理由を淡々と説明するのはメリドゥーシャだ。
「いよいよね、リリアナ。ここからの未来がどう変化するのかは、貴女と彼にかかっているわ」
彼女はそう言って、隣に立つ私の方を見やった。
「……うん、分かってる」
私はチェストを開け、テティスの髪飾りを取り出しそれを髪へと付ける。
もちろんいつも通り、腕にはテティスの腕輪も。
私がメリドゥーシャ、三従士と共に扉を開けると、そこにはすでにアランフォルスとノワルの姿があった。今日のアランフォルスは青年の姿をしている。
「待ちくたびれたぞ、我が正妃よ」
「……アランフォルス様。何度でも言いますが、私はあなたの妻ではありません。
"マーレデアム王国" を守護するため、陸国
から派遣された女神の愛し子です」
着用していたドレスを思わずぎゅっと握りしめながらそう言った。これは先程、メリドゥーシャが会談用として持ってきてくれたものだ。
「ほう。其方は何を着てもよう似合いよる。海神の妃である証、余と揃いのその黒装束は、翠緑の瞳をより一層美しく際立たせる。
あの海人族の王子が余に染まったリリアナの姿を見て地団駄を踏む様子が目に浮かぶ」
アランフォルスは、まるでシェリたちがここへ来ることを予測していたような口ぶりである。
「彼らの要求をお聞き入れになるのですか?」
彼の後ろに控えていたノワルが口を開く。
「あの男の覚悟次第、といったところかの」
アランフォルスの視線は私の腕輪と髪飾りに向けられていた。
「……御心のままに、我が主」
ノワルはそう言うと何故だかメリドゥーシャをじろりと睨め付けたが、彼女は素知らぬ顔をしていた。
私たちが本城の外へと出ると、
「リリィ、待たせて悪かった」
(シェリ……)
「リリィ! 良かった、君が無事で……!」
「リリアナ様、遅くなりまして申し訳ございません」
シェリに、ユーリやナプティムウト、それに海人騎兵団の人たちと、
「ったく。元気そうで安心したぜ、リリアナ」
「ピピピッ、ピピピピピピ〜ッ」
なんと、ギルとベルの姿までもがあった。
(みんな……もう二度と会えないと思っていたのに)
涙が漏れてしまいそうになるのを私は必死に堪えた。
シェリと視線を合わせると、彼は私を安心させるようにしかと頷いてくれた。
「遥かなる古よりこの海を守護される大神、カリュブディスよ。
我がマーレデアム王国への多大なる祝福を国王陛下に代わり、感謝申し上げる」
シェリが右手拳を左胸に当て、カリュブディスに一礼する。
「此度、我らが其方の本城を訪れた理由はただの一つ。リリアナ様をマーレデアム王国へとお返しいただくため。
彼女を慕う全ての者たちが首を長くしてご帰還を待っている」
口調ではあくまでアランフォルスを立てているが、シェリの目は非常に据わっている。
「海人族の者たちよ、この本城までよくぞたどり着いたというもの。しかし、勘違いされては困るのう。
余がリリアナを引き留めているのではなく、この者が自らの意思で余のそばにいるだけのことよ」
アランフォルスは意地の悪い笑みを、シェリへと向ける。
「リリアナ様と俺は婚姻の意を交わしている。彼女がここに留まる目的が達成されれば残る必要もなくなる」
「ほう? この先、其方らにとっては驚愕の早さでリリアナは老いゆくぞ。それを隣で見続ける覚悟があると?」
「老いはそんなに悪いことか? 魂は何ら変わらぬというのに」
「若造よ、強がるでない。リリアナが先に死した後、お主はどうする?
狂った先導者となるか、それとも後を追うか、あるいは若く見目麗しい乙女を後釜に添えるか」
シェリの眼が細められる。しかし口調は乱さない。
「其方がどのように想像しようが、全ては幻影に過ぎん。真の答えは俺の中にのみ存在している」
シェリの言葉を聞き、私はぎゅっと唇を結んだ。隣に立つメリドゥーシャをちらりと見やると、視線に気付いた彼女が微笑み、首を縦に振ってくれた。
「ふん、何故そう言い切れるのだ。理想を述べるのは構わぬが現実に突き当てられた際、真先に名誉を傷付けられるのはリリアナぞ」
「その言葉、そのまま返上しよう。其方は俺でも、ましてやリリアナ様でもない。
それとも大神故、先見の明でもあると?」
アランフォルスの片側口角が僅かに上がる。
「相も変わらず、生意気な海人族の王子よの。そこまで自信があると言うなら示して見せよ」
アランフォルスの手中から白い光が放たれ、やがてそれは海神の証である三叉の矛へと変化する。
「これより、其方らを海魔の元へと送り届ける。そこであの者の心を暴き、魂を解放すれば其方の勝ちだ。望み通り、リリアナを連れ帰るが良い。
ノワル」
「はい、アランフォルス様。リリアナ女神様、少し失礼いたします」
ノワルは私の腕を引き、何故だか身体を抱きこむような姿勢を取った。
「え? な、何……?」
「これから主が渦潮を起こされます。以前、貴女も一度経験してるでしょう?
逸れると厄介ですのでしばしご辛抱を」
「くくっ、ノワルよ。異空間への移動途中にリリアナが飛ばされぬようその身を守ると、正直に言えば良かろう。
のう? メリドゥーシャよ」
「全くですわ、アランフォルス様。どうしてこんなに素直じゃないのかしら。
これでは恋人の一人や二人、いつまで経っても出来なくてよ」
「……余計なお世話です、お二方」
ノワルは深いため息と共に、ゲンナリとした様子で海神夫婦を見やっている。
「……なんかごめんね、ノワル。私のせいで揶揄われちゃったよね。あと、ありがとう」
「……いいえ」
ほんの少し、ノワルの腕に力がこもったのが分かった。
一方、その一部始終を見ていた海人騎兵団側では。
「……へぇ。あいつは初見だがこりゃ間違いねえわ。ラドシェリムは相変わらず、どこに行っても敵だらけだな」
「最初っから怪しいって思ってたんだよね。
シェリ、リリィをノワルなんかに取られたら絶対許さないから」
「……ギルストロン、ユーリ。お前たち二人がそれを言うか?」
と言いつつも、シェリの顳顬には青筋が数本。もちろん金の眼は、自身の婚約者を腕に抱くノワルのことを睨め付けている。
が、青の瞳もまた、シェリのことを鋭い
目付きで見据えていた。
「其方らよ。女の奪い合いも結構だが、それは一時休戦せよ。
では、行くとしようかの。
我が愛矛よ。我らを前女神の愛し子、"アレキサンドラ" の在所へ先導せよ」
アランフォルスはそう言い放ち、矛を上方へと掲げた。すると……
「何だこれは……! 海中なのに竜巻が起こってやがんのか?!」
「……っさっすが海神。毎日飽きもせず、こんな巨大な渦を起こして僕たちの仕事を増やしてたってわけ」
アランフォルスの渦潮を初めてその身に体験したギルとユーリが、それぞれ眉をひそめている。しかし。
「各自、パートナーの戦闘鮫魚と逸れぬよう低姿勢にて待機せよ。
海魔のいる異空間へ飛んだ後はすぐに隊列を組み直せ!」
「御意!」
荒々しい渦潮が巻き起こる中でも、シェリの力強い声は騎兵団の者たちにしかと届いたようだ。
私たちはいくつもの異空間を抜けていった。
強い水圧のせいでそれほどじっくりと観察できた訳ではないが、通り過ぎた空間の中には、あの別城に存在していた平原や森もあった。
私が確信したことは、本城と別城は異空間を通じて繋がっていること。
そして、アランフォルスは陸地に似せたあの場所らを "意図的に" 創り出していたということも。
何故、彼が偽陸地を海底に設けているのか。
それはもう、言うまでもないことだ。
(海魔となった愛し子が、決して母国である陸国のことを忘れないように)
「さて、こんなものかの」
平原や森を通り抜け、霧ばかりの空間、岩ばかりの空間等に何度か移動した後、アランフォルスは上方に掲げていた三叉の矛をゆっくりと降ろしていき、その石突を地へと着かせる。
すると、やがて突風は止み、巻き起こっていた渦潮も徐々に小さくなっていった。
「皆よ、着いたぞ。ここが海魔、ヒュドラー の根城よ。
リリアナよ、ここは足元が悪いからの。泳げぬ其方は特に気を付けよ」
アランフォルスが口元にゆっくりと弧を描きながら、そう言い放つ。
(……ここも知ってる。前と同じ)
騎兵団と海魔が以前戦闘した、あの古びた遺跡郡のような所。
薄暗く、建築物はひどく汚れているか、ほぼ壊れているかの場所だ。
「リリアナ女神様、お手を」
「あ、うん。ありがとう、ノワル」
異空間を移動する間もノワルが支えてくれていなければ、あの突風竜巻の中では私の身体など間違いなく吹き飛ばされていただろう。
ノワルに手を預けつつも、私は騎兵団の方へと眼を向けた。
さすが、彼らは普段から厳しい訓練を受けているだけあって、皆何とか大丈夫そうだ。
(ギルとベルは……)
私と同じ人間のギルと、戦闘鮫魚ではないベルも平気だっただろうか。
「なーんか知ってる気がするな、ここ」
「え? ギルはこの遺跡場所に来るの初めて
でしょ?」
「そうなんだが、どっかで……」
ギルはガシガシと頭をかき、ユーリはそれを不思議そうに見ていた。
「ユーリ、ギルストロン。来たぞ」
二人のそばにやって来たシェリが、彼の手中に長槍を創り出す。
「全員獲物を構えて整列せよ!」
彼の指令を受け、すぐさま騎兵団員たちは戦闘鮫魚に跨り、その手中に獲物を構えた。
ギィィィィィィィィーーー
早速、遺跡の中でもかなり損傷が激しい遺構の影からヒュドラーと呼ばれる九つの頭を持つ大海蛇、海魔が姿を現す。
海魔はその巨体をうねらせ、海中に大量の気泡を発生させながら騎兵団員たちの方へと迫って来た。
その姿は以前よりも興奮状態にあり、気が立っているように見える。
「各部隊長に告げる! 策戦通り、海魔の四方を取り囲め!」
シェリの号令と共に、第1、第3部隊が前方、第5部隊が後方、第2部隊は右方、第4部隊は左方へとそれぞれが速やかに移動する。
「前方ニ部隊と後方一部隊が同時攻撃を、左右ニ部隊は補佐に回れ。
前後部隊、攻撃を開始せよ!」
シェリの号令後、騎兵団の者たちは雄叫びをあげながら海魔に向かい突撃していく。
ちなみにこれが、シリスハムの考案した戦略である。
前回の、海魔と騎兵団による戦闘を客観的に見ていた彼が、海魔は巨体な分それほど素早く動けるわけではないため、前方を囮にして後方から攻撃を行っていくよりも、前後両側から同時攻撃を仕掛けた方が効率的にも良いのではないかと分析したのだ。
確かに、今の海魔からの攻撃は、前方部隊が完全に防御体勢を取っていた時よりも弱くなっている。
もちろん、全ての巨大怪魚や魔物がこの戦法で成功するとは限らないが、海魔にいたってはかなり有効的なようだ。
「やはり前後からの同時攻撃は正解だったか…… 口惜しいが、シリスハムの手柄だ。
皆の者、分かっているだろうが首は決して斬らぬように!」
海魔、もといヒュドラーの首は斬られるごとに切り口が二手に分かれる。
つまり首を斬り落とす度に、そこから2本の首が生えてくるのだ。
以前の戦いではそれを知らずして斬撃したため、今の海魔の首の数は11になっている。
次の号令では右回りに部隊が入れ替わり、前方部隊が第2、第3部隊、後方部隊が第4部隊、左右部隊が第1、第5部隊となる。
「ユーリ。俺たちは海魔の中枢、軸首の攻略方法を見極めるぞ。
斬撃が不可な上、滅することも出来んからな。今の状態では検討も付かんが」
「了解。みんなの攻撃に合わせて接近しつつ、まずは真ん中の首をよーく観察しなきゃだね」
シェリとユーリは互いに頷き合い、前方と後方へそれぞれ移動する。
ついに、開戦したのだ。
「ほう、前とは策を変えてきよったか。しかしあんなぬるい戦闘で果たして海魔が討てるかの?」
「アランフォルス様、騎兵団の人たちが海魔を完全に討伐されることはありません。
目的はあくまで、海魔の心を鎮めることですから」
「はてはて、リリアナは一体どのような方法であやつの心を癒すつもりか」
お手並み拝見、とでも言うように、彼は隣に立つ私を見下ろした。
なので、こちらも負けじとアランフォルスを見返す。
私が掌をぎゅっと握りしめ、もう一度口を
開きかけた時。
「リリアナ様、ご安心下さい。シェリが必ず、貴方様を海魔の愛し子の元へ先導いたします。我が海人騎兵団の新団長は有能ですよ」
「お前が海魔んとこ行く時は俺も一緒に行ってやる。あいつに言ってやりてえこともあるしな」
「! ナプティムウト様! ギル!」
オリオンとベルと共にこちらへと移動してくる二人の姿を捉え、私は思わず彼らのもとまで走り出しそうになった。しかし……
「リリアナ女神様、急に走ると転ばれますよ。あと貴女はやはり、もう少しお立場をしかとお考えになった方が良いですね」
私の手首を持ち、ジロリとこちらを睨むノワルにそれを制されてしまった。
「……ノワル。女性の手をそんなに強く握ると指圧で跡が付いてしまうのをご存知?」
ノワルが私の手首を掴む手を、さらにメリドゥーシャがギリギリと握り出す。
「これこれ。姉弟喧嘩は止めよ。リリアナは常に、誰かに取り合われておるのう」
取り合いの意味は全く分からないが、
「……えっ?! 二人って、姉弟だったの?!」
新事実を知ってしまった。
「聞かれてないから言っていなくてよ」
「聞かれていないので言ってません」
見事にハモった。なるほど。似ている。
「おめえは魔物にまで好かれんのかよ」
こちらへとやって来たギルが、私を見つつため息をついた。
「ギル……! 私、あなたまで来てくれてるなんて思ってなかった。秘薬を飲んでるんだよね? 効き目はまだ大丈夫なの?」
「まだまだ時間はある、と言いたいところだが正直早く方を付けてえ。
バルバロス号に部下たちを残してきてるからな。それと」
ギルはふぅ、と再び息を吐きつつ、アランフォルスへと視線を移す。
「よう、あんたが噂の海神か。古の海の魔物、カリュブディス」
「随分と威勢の良い人間よの。はて、リリアナ。この者は?」
ブラックダイヤのような見事な黒瞳が、ギルへと向けられていた。
「彼はギルストロン・アムレート二世陛下です。現グッセンスタシューン王国の新国王となられた方です」
「……グッセンスタシューンの、だと?」
アランフォルスの目が狭められる。
「其方の祖国を滅ぼした隣国の王家は、女神一族に恩のあった、とある別国部族によって捕らえられたと聞いておるが、その部族を祖先に持つ者か?」
私はギルの方をちらりと見やった。
「あんたの言う通り、その部族の末裔が俺ってわけだ。
訳あってここ100年間は別の一族がグッセンスタシューンを治めていたんだが、十月程前、リリアナの力添えもあって無事に取り戻した」
ギルはそう言って、この遺跡郡を見渡した。
「で、思い出したぜ、この風景。どっかで見たことありやがると思った。
俺が見たのはグッセンスタシューン城の書庫内だ」
「お城の書庫の中で……? ギル、それってどういうこと?」
私は思わず前のめりになる。両手はしかと、セイレーン姉弟に掴まれていたが。
「正確に言えば資料の中でだ。
リリアナ、ここは "もう一つの" グッセンスタシューン王国だ。お前の祖先、女神一族が治めていた時代のな」
この場の建築物類は、ほぼ全て崩壊している。火災でもあったのかと思えるほどに、遺構の所々に炭の痕もある。
「……まさか、それって」
「察しの通りだ。ここは俺の先祖が再建する前の、前グッセンスタシューン王国の巨大レプリカだろうよ。
おそらくは陸に戻った際に海魔が見た最後の情景なんじゃねえか? ……祖国のな」
(海魔の愛し子が、決して恨みを忘れない
ようにってこと……?)
アランフォルスはそういう意図も込めて、この異空間を創り上げたのだろうか。
「べらべらとようしゃべりよる人間よの。しかし頭は悪くない」
「お? 図星ってか?
ラドシェリムから聞いたが、あんたはグッセンスタシューンを建国した、あのテティス女神の元婚約者らしいじゃねえか。
今のあんたが海魔の愛し子や海人族らにやってる仕打ちは、テティスが望んでることなのか?」
今度はギルの、深紫色の瞳がアランフォルスを捉えていた。
「望みも何も、テティスには関係なかろう。アレキサンドラが産声を上げたのは、テティスが没してから2000年も後の話よ」
「そうかい。じゃあ俺がその2000年前の恨み辛みとやらを、"あの女" から色々聞いてきてやるよ。ついでにこの先どうしてえのかもな」
ギルはふん、と鼻で笑うと私に向かい手を差し伸べてきた。
「じゃあ行くかリリアナ。
"人間同士" 、腹割って語り合おうじゃねえか」




