5. 秘密の中庭
第四章 『海女神の娘たち編』
「なるほど。愛しの恋人は、海人族の王子ってわけね」
先程、何故だかメリデューシャの自室へと招かれてしまった私。
そして彼女の部屋に着いた後は、女の子たちが大好きなお話、つまり恋バナという名の質問責めに合っている。もちろん、海魔議論を終えてからのことだけれど。
ちなみに同行してくれているルビ、パル、メノウの三人はといえば、私の後ろにピッタリと付いていて、決して離れようとはしない。
……きっとまだ、メリドゥーシャのことを不審がっているのだろう。
そんな私たちの様子にふん、と鼻を鳴らしながらも、メリドゥーシャはさらに言葉を続けていく。
「思っていたより普通の相手ね。アランフォルス様がリリアナを悲劇のヒロインみたいに言うものだから、もっと身分差のある平民の男と道ならぬ恋に落ちたのかと思っていたのに」
「……メリドゥーシャって、絶対恋愛小説好きだよね。シリアス系の」
恋人だったシェリとの馴れ初めやら、交際中のことも根掘り葉掘り聞かれ、恥ずかしさなどはもうとっくに吹っ飛んでいる。
「それにしても、貴女は海魔の愛し子とはまるっきり正反対の生き方を選んだのね」
「そうなるのかな……」
「だって彼女は陸を選び、貴女は海で生きることを選んだでしょう?
あの海魔も、貴女のように器用に生き方を選べていたら、あんな醜い怪物になんてならずに済んだでしょうに」
「……前愛し子様は正真正銘の王女様だからね。私とは育った環境も立場も全然違ったと思うから」
「あら。では貴女は、陸地では普通の民として育ったというの?」
「そうだよ。その代わり王様も王女様もいないの。私の母国にはね」
「そんな国存在するの?」
「うん。陸ではそんなに珍しいことじゃないよ」
「……リリアナがわたくしたちに物怖じしない理由が、なんとなく分かったわ」
アランフォルスは海神。そして、メリデューシャたちはその妃だ。
本来なら神、あるいは神の妻たちなど、人間にとっては雲の上の存在である。
なので。
「今だけは私も、アランフォルス様の仮正妃っていう肩書きに感謝しておこうかな?
メリデューシャに堂々と意見できるし、こうやって同じ立ち位置で話せて良かったと思うし。普通の女友達みたいに」
「……なあに、それ」
メリデューシャは少し耳ビレ?を赤くしながら、ふいっとそっぽを向いてしまった。
(……あれ? もしかして、照れてるのかな?)
最初こそ、彼女の印象は強烈だった。
私に河豚毒を与え、あわよくば殺そうとしていたのだから。
海魔族たちに対するあの暴挙だって許せるものではないし、もし三従士たち以外にも被害を受けている海魔族たちがいるのなら絶対に止めさせたいとも思う。
……今の彼女ならそれを分かってくれそうな気がするのだが、果たして。
「……よし、良い機会だからはっきり言うね。あのね、メリデューシャ、」
「海魔族のことでしょう?」
私の思考を先読みしたかのように、メリデューシャが言葉を被せてきた。
「……悪かったわよ。言い訳になるけれど、わたくしたちはアランフォルス様の御子をこの身に宿せないことをずっと焦っているの。
海魔族たちはすでに両生体になっている者が多いし、ましてや過去の自分のことなんて綺麗さっぱり忘れているんだから、デリケートな悩みなんて何もない。
だから、それがものすごく腹立たしくて、同時に妬ましくもあった」
メリドゥーシャが、その長いまつ毛を伏せる。
「わたくしたちセイレーンの女は、所詮魔物。海神であるアランフォルス様の正妃にはなれない。
どんなに美しく装っても、どんなに甘い言葉を囁いても、わたくしたちでは前カリュブディス様やテティス女神様のように、あのお方の特別にはなれないのよ」
だから、悩みなく生きているように見える海魔族たちがとても煩わしく思えてしまったと、メリドゥーシャはそう続けた。
私はそんな彼女を見つめながら、言葉を紡ぐ。
「メリデューシャ、それは言い訳にもならないでしょう? だって、人の悩みなんてその人個人にしか分からないんだから。
海魔族たちだっていっぱい悩んでるし、葛藤だってしてる。
……少なくとも、私の友達はそうだった」
過去の罪にたくさん後悔して、反省して、それで次こそは後悔したくないと前へと突き進んで行って…… そして、私の目前で亡くなってしまった人。
もちろん、シリスハムのことだ。
私はメリデューシャの部屋にある小窓へと目を向ける。
すっかり、澄んだ景色を浮かべている城外。
そこには今日も、ポコポコと音を立てながら水泡たちが漂っている。
私はメリドゥーシャへと向き直り、ぐっと唇を噛み締めた。
「もし、そんな理由でパルやメノウに強く当たっていたのなら、それこそとんだ見当違いだよ。
これからは絶対に、海魔族たちに手を出さないって約束して」
私がそう言うと、彼女は少し、戸惑うように目を見開いていた。
「……アランフォルス様と同じセリフを吐くんじゃなくてよ」
「え?」
「分かっているわ。海魔族にはもう手は上げない。他の側妃たちにも、そう言い聞かせておくから」
……今日の彼女は昨日と全然違ってすごく素直。やはり、アランフォルスが間に入ってくれたのだろう。
彼には、数十年間とはいえ辛気臭い顔をして過ごしてくれるな、と言われているので納得である。
「……ありがとう。じゃあメリデューシャ、改めてよろしくね」
「ええ、リリアナ。こちらこそ」
私たちは今度こそ手を取り合い、握手を交わした。
うん、良い感じだ。
……このまま、"あの人" の話題も振ってしまおう。
「あともう一つ、伝えたいことがあるんだけど」
「何かしら?」
「ノワルのこと」
「…………」
その名を口にすると、メリデューシャは私の手をすっと離した。
「セイレーンの掟よ。男のセイレーンは人間を惑わす歌声を持ち合わせて生まれてこない。
わたくしたちは狩人なの。自分の獲物は自分で仕留めるのが基本よ。他人の面倒まで見ていられないわ」
「でも、同族の仲間でしょう?」
「同じセイレーン一族というだけよ。
わたくしたちは生まれ落ちたその日から狩りが始まるのよ。誰が親で誰が兄弟かなんて、そんなものはいちいち気に留めていれなくてよ」
そう言って、ツンと顔を背けてしまったメリデューシャ。
「それに今はもう、あの子も立派な大人よ。わたくしたちが介入することなど何もないわ」
「そうかもしれないけど……」
メリデューシャの言う通り、ノワルはもう大人だ。アランフォルスの部下として仕事だって得ている。
「あの子、アランフォルス様の配下になってから本当に生意気なのよ。女を見下すような発言ばかり向けてくる」
……確かに、それは私に対しても身に覚えがある。
そもそも、「家族なんだからこれからは喧嘩をせず、どうかお互い歩み寄ってください」という一言で解決できる程度の問題なら、双方間の溝など初めから出来てはいないだろう。
それに、一族間で互いに蔑み合っているのが何とも悲しく思えてしまうのは、私が自身の家族のことをとても愛していたからに過ぎない。
同族であっても家族であっても、相容れないことは多々ある。
自身の価値観を押し付けてはいけないということも、十分に理解している。
でも、なんとも歯痒く、もどかしいのが事実。
「さて、この話はもうお終いよ。次はわたくしとアランフォルス様の馴れ初めについて話してあげるわ!」
私はまだまだ悶々としていたが、メリデューシャが少し頬を染めつつそのように話し出したので、今度は私が恋バナの聞き役に回ったのだった。
------
リリィの河豚毒事件から二週間ほどが経過した本日。
アランフォルスとノワルはここ、本城通路を普段よりも少々急ぎ足に歩いていた。
「海魔族たちとの謁見が予定より長引いた。リリアナが寂しがっている故、急いであやつの部屋へと向かわねばの」
ニヤリと笑いながらそう話すのはアランフォルス。
リリィが本城へ住まうようになり、まもなく二か月が経つが、彼らは未だ日に二度、リリィへの監視という名の訪問を律儀にも行なっているのだった。
「アランフォルス様、どのような報告だったかお尋ねしても?
マーレデアム王国、海上付近、及び "ヒュドラー " 監視のために派遣している彼らからの」
「現時点では特に変わった様子は見られぬな。まあ、そろそろ動き出すのではないかと読んでいるが」
「動き出す?」
「我が正妃は人気者 故、熱烈な信者が多くての」
「……まさか、海人族ですか?」
「そうだ。こちらからは好んでリリアナに会わせてやるつもりはないがな。
"元婚約者" の王子は中々に執念深そうだったからのう」
「しかし、祝福がリリアナ女神様のお手から外れ、彼女自身のご寿命が残り数十年となった今、そのような振る舞いは不要なのでは?」
「ノワルよ。一度 契った男と女というものは、そう簡単に切り離せるものではないのだ。肉体ではなく、感情の話だがの」
「……僕には、よく分かりませんね」
「そうか? 自覚がないというのもまた一興よ」
そう言って楽しげに笑うアランフォルスの後ろ姿を、ノワルは少し訝しげに見やる。
「して、ノワルよ。最近、我が妃たちの姿を見ないのだが、其方は何か知っているか?」
すると、今度はアランフォルスの方が少し首を後ろへと回し、ノワルへと視線を向けた。
「いいえ、存じませんが。何かご都合の悪いことでもありましたか?」
「閨事が無沙汰になっておってのう」
「……それで、主は僕にどうしろとおっしゃるのでしょう」
そんな二人が中庭付近の渡り廊下を移動し始めた時。
その中庭の方からまさに。今話題に上がったばかりの、よく聞き知った女たちの笑い声が聞こえてきた。
「まあ! アランフォルス様ったらメリデューシャへのプロポーズの時にはそんなことをおっしゃったのね。わたくしの時はねえ……」
「主はお優しいし、わたくしたちを平等に扱ってくださるところが紳士なの。
とっても頼りがいがあって、昨日の人間の男どもとは大違いよ!」
「あら、貴女まだ人間の男なんて口にしているの?
わたくしはアランフォルス様に嫁いでからやめたわよ〜。だって、ここのお食事の方が美味しいじゃない」
側妃たちの会話を聞いたノワルはチラリとアランフォルスの方を見やったが、彼は相変わらず楽しげな表情のままだった。
すると、今度は……
「あのう、みなさん。私がいること忘れてません……? 私も一応人間なんだけど」
「リリアナのことは食べないわよ。人間の女なんて美味しくないもの」
「…………待って、食べたことあるの?」
「さあ? どうかしらね……って、うふふ。やあねえ、ないない、ないわよ。だからほら、そんな顔しないのよ」
「だ、だって、メリデューシャが物騒なこと言うから……!」
「はいはい、ごめんなさいね」
何故だか側妃たちと親しげに会話しているリリィの声が耳に入ってくる。
「…………アランフォルス様。ここ二週間のうちに彼女たちの間で、一体何があったのでしょうか」
二週間前の彼女たちは、それはそれは険悪な雰囲気だったのではなかったのか?
リリィは頸を噛まれ、毒を盛られた。彼女の従者たちも酷い仕打ちに遭っていたはず。
なのに、何故か目前にいる彼女たちは以前とは打って変わり、親しげである。
ちなみに女性集団の横には、これまた同じように海魔族たちの集団が出来上がっていた。
リリィの従者である、ルビ、パル、メノウを中心とした海魔族たちが、彼女たちの様子をチラチラと気にしながらもお茶をしているのだ。時折お菓子をつまみながら。
「ふむ。我々の知らぬ間に、どうやら打ち解けたようだの」
「……意味が分かりません」
「リリアナは人たらしだからのう。其方ももう、あの娘の性分を十分に理解しておるだろう?」
「…………」
ノワルはさらに眉間に深く皺を作った後、くるりと後方に向き直った。
「どうしたノワル」
「申し訳ございません。忘れ物がありましたので取りに行って参ります」
そしてそのまま振り返らず、一人スタスタと元来た通路を戻って行く。
「……やれやれ、あやつもまだまだ子供よのう。リリアナが他の一族の者と親しげに話しているのが、どうやら気に入らぬようだ」
アランフォルスはノワルの後ろ姿を見送った後、中庭でおしゃべりを楽しむ女性たちへと再び眼を向ける。
「リリアナよ、其方は魔物らの心まで掴んでしまったか」
そしてそう言葉を残し、ノワルと同様に中庭を後にした。
ほんの少し、物 鬱げな表情を浮かべて。
------
(なかなかのマシンガントーク…… マーレデアム王国にいた頃もこんなに話したことってなかったかも)
側妃たちは恋愛話を終えると、今度は美容の話へと話題を変えて相変わらず大忙しである。
私は側妃たちから少し離れ、よいしょ、と渡り廊下の縁へと腰掛けた。地面に座りっぱなしだったので足がちょっぴり痛かったからだ。
少々お行儀が悪いが、私は靴を脱ぎ裸足になって足を伸ばすことにした。
「わたくしもこちらに座っていいかしら」
「メリデューシャ! もちろん、どうぞ」
すると、側妃集団のおしゃべりを抜けてきたメリデューシャも私の隣へとやって来て腰を落とした。
彼女は少しお疲れなのか、ほぅっと息をついている。
「ニ週間前はあんなに険悪だったのに、何だか信じられないね。
海魔族たちのことも、メリドゥーシャがみんなにちゃんと話してくれたんだね。ありがとう」
「……いいえ。お礼を述べるのはこちらの方だもの」
彼女はそう言うと突然に私の手を取り、その甲へと口付けてきた。
「?! へっ……? メ、メリデューシャ、どうしたの?!」
「貴女のおかげで海が救われたとアランフォルス様から伺ったわ。
……自身の寿命を削ってまで他者を救おうとするなんて、一体どこまでお人好しなのかしら」
メリデューシャが私の手をぎゅっと握りしめる。彼女の手のひらはとても冷たかった。
(……やっぱりメリドゥーシャは、あの河豚毒事件の後にアランフォルス様から色々と話を聞いたんだ。
きっと、私がこの本城に住む経緯とかも知ったんだろうな……
もしかしてそのことを、今日までずっと気にしてたのかな)
私は暗い空気にならないよう彼女へと笑顔を向けた。
「寿命を削って、じゃないよ? 元に戻っただけ」
「……リリアナ。貴女はまだ、海人族の恋人のことを愛しているのよね?」
「えっ……こ、今度はどうしたの?」
「答えてちょうだい」
すると、何故だか次はこんな質問を投げられてしまった。
メリドゥーシャの意図は分からないが、彼女が向けてくる眼は真剣そのもの。
「……もちろん、今でも好きだよ。私が愛を誓うのはこの先も彼だけだもの」
だから私も、そう正直に答えた。
「良かった、安心したわ」
「安心……? ……あ! まさか、私がいつかアランフォルス様のことを好きになるかも、とか思ってた? それはない、絶対に! 」
「んん? まあ、分かったわ」
「うん!」
私が愛するのはこの先もシェリだけ。だからメリドゥーシャたちは大いに安心して欲しい、という旨を全力で伝えておいた。
もう二度と、河豚毒で死にかける訳にはいかないのだ。
「あら、リリアナ、メリデューシャ。いつの間にそんな所で油を売っていたの? 今度はお二人の初恋の話でも聞かせなさいな」
すると、すっかり話し込んでしまっていた私たちの元に幾人かの側妃たちが集まり出した。彼女たちは美容話を終え、再び恋愛の話へと話題を戻したらしい。
「メリドゥーシャ、そろそろ戻ろうか」
「先に行っててちょうだい。わたくしもすぐに行くから」
「? そう? 分かった」
私が靴を履き直すと、迎えに来た側妃たちに「早く、早く」と、両腕をガッチリと掴まれてしまった。
私は苦笑しつつも、側妃たちに半ば引き摺られるようにして、再び中庭の方へと移動した。
「馬鹿ね。リリアナとアランフォルス様のことはもう心配していないわ。
……ただ、貴女が恋人を今でも愛しているのなら、今度はわたくしが助ける番だと、そう思っているだけよ」
だから、先に他の側妃たちの元へと戻っていた私には、メリデューシャの放ったこの言葉が聞こえてはいなかった。




