3. 始動
第四章 『海女神の娘たち編』
ノワルは額に汗を滲ませ、本城の通路を走り泳いで行く。
(嫌な予感がする。……いや、予感ではなくもはや確信ですね)
セイレーン一族の女たちが、間違いなくリリィに何かを仕掛けたのだ。
(だから女性は嫌いなんですよ。嫉妬深くて我儘で、自分の美しさばかりを追求していて。
古の魔物とていずれは老い、死ぬ運命にあるというのに)
女に虐げられて育ったために、自身は女性という生き物には嫌悪感を抱いている。
性差で差別され、無能と罵られ、塵クズなどと言われながら、今日まで生きてきた。
男である自身には、セイレーン一族特有の、人間を惑わせるための歌声を持ち合わせてはいない。
しかし何の因果か、海人族を洗脳する魔声を持って生まれたため、一族が代々側妃を勤める海神、アランフォルスに気に入られ、彼の配下となった。
主は海人族を憎んでいたから。
その主の命で、此度 "女神の愛し子" を彼の元へと連れて来た。
人間である女神の愛し子は、主のかつての婚約者であるテティス海女神の子孫に当たる娘。
そんな高貴な血筋を受け継ぐ女性なのだから、さぞや気性が荒く、さぞや傲慢な、主の側妃たちのような人物を想像していた。
……しかし。
出会った愛し子は、一族の女たちとは似ても似つかぬ者だった。
(直接にお伝えすれば良かったですね、リリアナ女神様。
そんなお人好しでは今後もずっと、厄介事に巻き込まれてしまうと)
そうこう思考を巡らせているうちに、中庭に隣接している渡り廊下へと到着した。
そこには、顔を青ざめさせぐったりと横たわっているリリィの姿が在る。
リリィの横には、少しパニックを起こしている彼女付きの従者も二人いた。
「リリアナ女神様!」
ノワルはリリィに駆け寄ると、すぐさま脈を確認した。
……脈が鈍い。焦りが募った。
ノワルはリリィの頸に手をやり、彼女の身体を起こそうとした。
だが、自身の手のひらに、何やらぬるりとした液体が付着したことに気付く。
(これは、血……?)
ノワルは腕でリリィの身体を支えつつ自身の手のひらを確認した後、その血液を舌で舐め取ってみた。
(……なるほど、苦い。これは毒を喰らっていますね)
ノワルは眉間に深く皺を寄せた。
『ノワルサマ! メガミガ、メガミガ……!」
『……アノヒト メガミノコト カンダ……!』
すると、隣にいた従者二人が悲鳴のような声を上げつつ、自身の腕を掴んできた。
普段、海魔族たちはほとんど言葉を発しない。ましてや、こんな感情を剥き出しにして何かを訴えてくることなど、今まで皆無だった。
「二人とも、落ち着きなさい。リリアナ女神様はおそらく、毒を注入されています。毒の種類に何か心当たりはありますか?」
『…… "タブン テトラオドンティダエ"。
メガミガ ソウイッテタ』
「……これはこれは。ご丁寧に応急処置の出来ない厄介な毒を。
お前たち、すぐにアランフォルス様を呼んで来て下さい。彼は執務室におられます。
自慢の足を使って側妃たちよりも早く、主の部屋へと着けるよう急いで下さいね。
僕は今からリリアナ女神様を医務室に運びますから、その旨も主に伝えて下さい」
『ギョ、ギョイ!』
『……スグ イク!』
リリィの従者二人は足をもつれさせながらも、ノワルの指示通り、猛スピードでアランフォルスの執務室の方へと走り泳いで行った。
ノワルはそんな彼らの様子をほんの数秒のみ見届けた後、リリィを抱き上げ、自分も医務室へと急いだ。
「状況は把握した。ノワル、それにパルとメノウ、と言ったか。其方らもご苦労であったな」
ノワルが医務室へとリリィを運び込んでから間もなくして、アランフォルスも到着した。
リリィは現在進行形で今もなお、彼の神力によって解毒を施されている。
「いかがですか、アランフォルス様。
リリアナ女神様の治療を開始されてからすでに十分ほど経過していますが、彼女のお身体の状態は」
アランフォルスの後方では、彼の答えを待つノワルと、オロオロと医務室内を右往左往しているパルとメノウ、それに騒ぎを聞きつけて駆け込んで来たルビの姿がある。
アランフォルスはそんな彼らを一瞥し、ベッドサイドへ寄るよう目配せをした。
すると、ノワルたちは遠慮がちにアランフォルスの指示に従った。
「其方ら、リリアナの顔色を見よ。平常通りの血色が戻ってきておるのが分かるか?
この娘はどうやら、無意識に自身でも毒の体内浄化を行なっていたようだ。
余はそれに上乗せする形で祝福を施したのみよ」
「ご自身による体内浄化……? リリアナ女神様にはもう、ご神力が内在していないはずでは?」
「そのはずなんだがのう。だが万一、新たなる神力を自ら生み出したというなら、それこそ天晴れよ。
2000年は生きられなくとも、数十年間は決して死なぬ、というこの者の気迫を感じるわ。
まあ、余が海中での呼吸用として与えた神力が、そのように作用したとも考えられるがな」
アランフォルスはそう言って、少しばかり口角を上げた。
「どちらにせよ、リリアナの命に別状はない。心配はいらん」
「……そうですか」
ノワルはほっと息を吐き、自身の額に浮かぶ汗を手背で拭った。
そして、未だリリィの側でオロオロとしている従士たち三人へと視線を移す。
「お前たちも怪我をしているのでしょう?
ルビ、パルとメノウの手当てを手伝ってあげて下さい」
ノワルの言葉にルビはコクリと頷き、慣れた手つきで医務室の冷凍庫から氷を取り出すと、それをガーゼで包んでパルへと渡していた。
小さく丸めたガーゼはメノウ用のようだ。
ルビはそれをメノウの鼻へと詰め込むと、鼻頭をしっかり押さえておくよう言い聞かせている。
「随分と慣れてますね」
『イツモノコト』
「……そうでしたか」
『デモ! キョウハ メガミガ オレタチノコト マモロウトシテクレタ!』
『……キズノシンパイモ イッパイシテクレタ。メガミノホウガ、カラダ ツラソウダッタ ノニ』
「……そう、ですか……」
ノワルはベッドに横たわるリリィを見つめる。
彼女から聞こえてくる規則的な寝息に、どこかほっとしている己がいる。
女は嫌いだ。
リリィに出会った頃は間違いなく、彼女のことも嫌悪していたはずなのに。
------
「……う、ん」
「! リリアナ女神様、気がつかれましたか?」
「……ノワル?」
「リリアナよ、やはり其方は大した女よの」
「アランフォルス様……」
ズキズキと痛む顳顬を抑えながら、私はこの状況を整理する。
(ええっと…… パルとメノウと一緒に、ルビのいる調理場に向かおうとして、その時に中庭でアランフォルス様の側妃たちに出くわして、それで……)
だんだんと色を帯び、明確になる脳内。
だが。それとは裏腹に、全てを思い出した私の顔面は蒼白へと変化していくのが分かった。
「ノ、ノワル! アランフォルス様……!
二人は? パルとメノウは?!」
私はガバリと勢いよく起き上がる。
……が。横たわっていた身体を急に起こしたせいか、頭に鈍い痛みが走ってしまった。
(……そうだ。私自身も河豚の毒を受けてたこと、すっかり忘れてた)
しかし……
『メガミ! メガミ ブジカ?!』
『……ボクタチ ダイジョウブ。メガミモ モウ カラダツラクナイ?』
『メガミ、ズット チョウリバ コナイカラ シンパイシタ。ヘヤニモ イナクテ シンパイシタ』
顳顬を押さえ込んでいる私のそばに、すぐさま三従士たちが来てくれた。
「パル、メノウ……! 立ってて平気なの?
それに、ごめんねルビ。あなたまで不安にさせちゃって……
でも、良かった。パルは、コブはもう平気?
メノウは鼻血、ちゃんと止まってる?」
『ルビガ テアテ シテクレタ』
「そっか、良かった……!
ルビもご苦労様、ありがとう。
あと、せっかくご飯作ってくれたのに食べそびれちゃってごめんね。後で絶対にいただくから!」
私がそう言うと、三従士たちは皆一斉にヒシッと、私に抱きついてきてくれる。
「ふむ、食欲があるなら問題あるまいな」
アランフォルスは苦笑しながら、私の頭に手を添えた。
「……もしかして、アランフォルス様が解毒をして下さったんですか?」
「倒れていた其方を見つけ、医務室へと運んだのはノワルであるぞ。海魔族らに指示を出し、余を呼び寄せたのもな」
「え……」
私は思わず、目を見開いてしまった。
(……二人ともが、私のことを助けてくれたの?
側妃の人たちも言ってたみたいに、私にはもう女神の神力はないし、ここでは何の役にも立たないはずなのに)
私はアランフォルスとノワルを交互に見やった。
「……お二人とも、ありがとうございました」
戸惑いつつもお礼を言うと、アランフォルスは再び私の頭を撫で上げた。
ノワルは私から視線を外し、「いえ」、と一言だけ返してくる。
「それはそうと、リリアナ女神様が目覚められて良かった。貴女はしばらく医務室で休んでいて下さい。アランフォルス様がいて下さるのでもう安心でしょうし。
僕は少し用が出来ましたので、これでお暇させていただきます」
「ノワルよ、お主が行くのは止めておけ。
今の其方では、あやつらを半殺しにし兼ねんからの。
一族同士での争いは醜いぞ。ここは余に任せよ」
「……主。何故僕が、彼女たちの元へ行くと思うのですか?」
「はっきりと顔に、そう書かれておるからのう」
「………」
「リリアナもつくづく罪な女よ」
アランフォルスはどこか面白がるようにノワルを見やり、医務室を後にした。
彼が出て行った後、ノワルは小さく息を吐き出していた。
「リリアナ女神様、この際はっきりと言わせていただきます。
貴女には警戒心というものが無さすぎます。そんなにもご自身を痛ぶるのがお好きなのですか?」
そして少し鋭い表情を、今度は私へと向けてくる。
「アランフォルス様の側妃たちが正妃に選ばれた貴女をよく思わないことなど、初めから分かっていたでしょう?」
ノワルは少し、怒っているようだった。
「此度貴女に危害を加えた側妃たちを、アランフォルス様がどう処理をされるのかは知りません。
でも、主の側妃は彼女たち以外にも大勢います。今回は運が良かったですが、次は命を落とすかもしれないのです」
「……ノワル。でも私、」
「おや、何か良い言い訳でも思い浮かびましたか?
ならさらに、他者を守ろうとするあまり自衛を怠っておられる、という言葉も付け加えておきますが、これでもまだ弁解出来ますか?」
「……それはちょっと、耳が痛い話だけど」
私は、左腕にはめられた腕輪にそっと右手を添えた。
「言い訳なんてしないよ。だって私、まだ死ぬつもりなんてないもの。
私の命は曾おばあちゃんたちから受け継いで、マーレデアム王国やグッセンスタシューン王国のみんなが繋いでくれたものだから。簡単には死ねない。
与えられた時間だけはちゃんと生きていかなきゃって、そう思ってる」
私がそう説明しても、ノワルは相変わらず鋭い表情のままだった。
「……愛し子とは、実に残酷な運命を背負っていますね。
突如寿命を延ばされ、海の命運を背負わされたかと思えば、神と魔物と人の中枢へと投げ込まれて。
しかしそれが収まると、今度は再び従来の寿命と生き方を強いられるなんて」
「……そう思う人もいるかもしれない。でも私は女神の愛し子に生まれたこと、今は後悔してないよ」
私は腕輪を触れている手に、少し力を込めた。
「私 実は、前はあんまり海が好きじゃなかったの。カナヅチだし、溺れた嫌な記憶しかなかったから。
でも今は海に来れて、愛し子になれて、ほんとに良かったって思ってる。マーレデアム王国を通して、たくさんの大事な人たちに出会えたもの」
すると、ノワルは私から少し視線を逸らし、「そうですか」とだけ、言葉にした。
(あ、ノワルはこれ以上言い争うつもりはないみたい)
喧嘩腰じゃない彼との会話は、実はこれが初めてかもしれない。
なので、私はここぞとばかりに言いたいことを言っておくことにした。
「それと、ノワル。あなたとは前に "子供" についての話をしたことがあったでしょう?
あの時あなたは、子供は一族にとっていらない場合があるって言ってた。でも、それはやっぱり納得出来ないよ。
だって、子供ってね。生まれた時からもう奇跡なんだって。
お母さんのお腹の中でたくさん泳いで、たくさん努力して、それで一等賞になって堂々と地上に出てくる。
生まれる前からたくさんたくさん、生きるために頑張ってきた子供たちが、生まれてこなければ良かったなんてこと、あると思う?」
この話はつい先日、アランフォルスから手渡された育児本に記されていたものだ。
受け売りに過ぎないが、私はこの、"生命の誕生秘話" を語ったお話が妙に腑に落ちたのだ。
「王家の人も民の人たちも、それこそ男性でも女性でも。そんなこと、この広い世界の中ではほんの一個性に過ぎないもの。
そんなことで人の価値を判断するなんて、神様だって出来っこない」
私はノワルの、この海のような青い瞳をもう一度見やった。
「ノワル。あなたがシリスハム様を罪人塔から誘い出したことも、怪魚に戦闘鮫魚たちを攻撃させたことも、私はまだ許せてない。
でもそれで、あなたの心内を "全部" 見ないようにすることも、私には出来ない。たとえ、あなたの方が私のことを嫌ってても。
……私、ノワルがセイレーンの男の人で良かったって思ってるよ。
人と違う生き方をするのはしんどいけど、あなたはその苦労を知ってる分、海魔族の人たちを卑下したりしないから」
ノワルに一言も言葉を発させないまま、私だけが言いたいことを機関銃のように放ってしまった。
でも、どこか緊張していたのだろうか。話し終えた途端に、急に瞼が重くなってくる。
「……リリアナ女神様、少しお眠り下さい」
「ごめんなさい…… 真剣な話、してる途中なのに」
「主の解毒効果のせいでしょう。睡眠を施す祝福が込められていたのだと思いますよ。
まだ病み上がりなのですから、大人しくなさっていて下さい」
「……うん」
「貴女が眠れば、僕がお部屋に移動させますから」
「それは、さすがに、申し訳ないから……」
大丈夫だと、私はちゃんと最後まで言い終えることが出来ていただろうか。
瞼が完全に落ちてしまっているのを感じつつも、ほんの少しだけ残っていた意識の片隅で、そんなことを気にしている自分がいた。
------
再び、リリィの規則正しい寝息が聞こえてくる。
「……お休みなさい、リリアナ女神様。
ルビ、パル、メノウ。先に戻って部屋の準備を」
『ギョイ』
ルビたちが医務室を出て行った後、ノワルは少しばかり、寝台に腰掛けた。
「……別に。僕も嫌いではありませんよ、貴女のこと」
そして、リリィの頬を指でなぞりながらポツリとそう言葉を放った。
ノワルの心に、リリィに対する何かが始動し始める。
------
一方その頃。
アランフォルスは自室へと戻る通路を進んでいた。
リリィたちと医務室にいた時は子供の姿をしていた彼だが、今は青年の姿に成り代わっている。
彼がノワルの心の変化に、はてさて…… と思いを巡らせていると、やがて自室前に集まる女の集団が目に入ってきた。
「アランフォルス様! 一体どちらにいらしたのです?
お部屋にも、執務室にもいらっしゃらないんですもの。随分とお探ししましたわ」
「今のお時間なら少しご休憩される頃でしょう? 今日は誰になさいますか……?」
側妃たちは猫撫で声をあげながら、アランフォルスへと身体を擦り寄せてくる。
「すまんの、其方ら。ちょっと急用が出来てな」
だが、アランフォルスは腕に絡みつく側妃たちをゆっくりと払い退けた。
「アランフォルス様……?」
「時に其方ら。何故リリアナにあのような仕打ちをした?
あれは人間の娘 故、其方らとは違い身体に毒の耐性などはない。
テトラオドンティダエの毒であれば、ほんの少量でも致死量となることなど、賢い其方らには分かっていたはずだがの?」
側妃たちはアランフォルスの言葉を聞き、リリィが一命を取り留めたことに気付いたようだった。
そして案の定、声を裏返しながらも必死に弁明をし出した。
「ア、アランフォルス様、あの娘が悪いのですわ!
海魔族の従者に酷い仕打ちをしていたのを目撃してしまって、不憫に思ったわたくしたちはいてもたってもいられず……!」
「そ、そうですわ! それにあの卑しい愛し子の娘ときたら、我が一族のノワルと逢引きしていたものですから。
あんな淫婦、アランフォルス様のご正妃にはふさわしくありませんわ!」
側妃たちの言葉らに、アランフォルスは深く息を吐き出した。
「やれやれ。言いたいことはそれだけか?
あれはテティス海女神の愛し子だと、余は何度も言っておったはずだがの」
そして同時に、彼女たちへと冷たい視線をも投げつける。
「……アランフォルス様」
すると、あのリーダー格の側妃がゆっくりとアランフォルスの前へと進み出てきた。
「どうして、あの女なのですか? ただの人間の娘が、どうして海神である貴方様のご正妃などに。
テティス女神の愛し子なら、強大な神力を持ち、海の祝福と浄化を行うことが可能だと聞いております。
しかし、あの小娘はこの本城に身を寄せているだけの、ただの無能な者に見受けられるのですが」
側妃は夫であるアランフォルスに向け、淡々とそう言葉を紡いできた。
「……ほんに、其方らは何千年とこの海で生活しながら一体何を知った? 何を見てきたのだ?
以前、余はまもなくして消滅する兆しがあるという話をしたのを覚えているか?
その余が最近になって海神の神力を取り戻し、今この広大な全海の祝福を執り行なえておるのは何故か。この一月考えた日は、思索した時間はあったか?」
「……どういう、ことですの?」
「其方らが今、そうやって毒づいて生きていられるのは、その小娘とやらの神力のおかげだと、いい加減に気付かぬかの」
「……は……?」
「リリアナがこの先生きていくはずだった2000年分の命と、2000年間で発される全ての祝福を余に与えたために、あの娘はもう女神の神力は使えなくなった。
この海に息づく全生命体のために、己の2000年もの寿命を犠牲にして、リリアナは今、ここに在るのだ。
当然、その生命体の中には其方たち古の海の魔物らも含まれておる」
アランフォルスは側妃たちをどこか冷めた目で見渡した。
「其方らの恐れる老いも、あと数十年という儚い寿命も、リリアナはそれらを全て受け入れた。
その犠牲の元で、余らは生かされたのだ。
あの娘を蔑ろにするということは、気高きテティス海女神を侮辱するということよ。
良いか。今後は如何なる場合も、リリアナに無礼を働くことはこの海神が赦さぬ。
決して、あの者の恩を忘れるでない」
本城に、アランフォルスの地を這うような、低く鈍い声色が響き渡った。
側妃たちは、彼のその怒気を帯びた瞳と声に恐れをなしたのか、全身を震わせている。
「それに、万一 悋気などであれば、それこそとんだ的外れであるぞ。
二度と会えぬ恋人を思い続ける者を抱かねばならんほど、余は女には困っておらんからの」
アランフォルスは、どこか毒気の抜かれた様子の側妃たちを一瞥する。
そして少し口角を上げるようにして自室へと入っていった。
側妃一同は初めこそ、事の真実に驚愕し、アランフォルスに恐れをなしていたが、すぐに本来の勝気さを取り戻し、やれ自身が先だ、やれ今日こそ自分の番だ等と競り合いながら、彼の自室へと押しかけていったのだった。
だが。
「…………何だというの、あの娘は」
リリィに毒歯を立てた張本人である、あのリーダー格の側妃だけは、扉外でしばらくの間、立ちすくんでいた。
「 "リリアナ・マリンクロード" 。貴女はまだまだ謎だらけね。
これは近いうちに、二人でお話し合いの場を設けなくてはいけないかしら」
彼女の心内にも、何かを始動させる芽生えでもあったのだろうか。




