2. セイレーンの女たち
第四章 『海女神の娘たち編』
(幕間)
「従者の三人とは上手くいっているようだの?」
突然、部屋の扉がガチャリと開いた。
「……ノックをして下さいって、いつも言ってますよね?」
毎度毎度ノックをせずに扉を開けてくるアランフォルスのことを、私はじとりと見やった。
「相変わらずつれんやつよ。ここでの暮らしも大分に慣れ、そろそろ暇を持て余してると思うて書物を持ってきてやったというに」
「書物?」
「マーレデアム王国で出回っている物を、我が海魔族らが手に入れてきよった」
「えっ?!」
一体どうやって手に入れたのだと言いたかったが、手渡された本たちを見るなり、私は眉をひそめてしまった。
「…………育児本?」
そう。それらは、生命の誕生から子供の成長を見守る云々まで、全て子育てに関する本だったのだ。
「もし、其方の気が変わって余との御子が万一誕生した時のためにな」
「…………」
私はもう一度、彼を一瞥した。
「……普通の読み物として、有り難く読ませてはいただきます」
「役に立てば良いがのう」
アランフォルスはそう言って、ケラケラと楽しそうに笑いながら部屋から出て行った。
「……本当に思考が読めない人」
一人取り残された私は、テーブルに置かれたその本たちを見つめ、大きなため息をついたのだった。
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「国王陛下、取り急ぎ報告に参りました。
海人騎兵、戦闘鮫魚たちの療養、再訓練は本拠地にて滞りなく行われております。
民への王国の現状説明、及び声明は、兄上の指揮のもと守護者会議で議論されていた通り、明日に王都広場にて行う予定です。
そして、薬師たちと共に試作を続けております件の薬剤も、まもなく完成いたします」
ここはマーレデアム王国王宮にある国王の執務室。
「準備は整っております。
我々から "相手側" に差し出す協約文書は、以前のものを全て改正いたしました」
そして国王に向き合い、彼に説明を施しているのは、次代国王となるシェリである。
「なお、薬剤については以前、兄上たちが採取されたシリスハムの血液が大いに役立ちました。
薬師たちには少々無理を言って研究を急かしましたが、その分満足のいく返化薬に仕上がったかと」
シェリは薬師たちと共に、シリスハムの海魔族としての血液を、元の海人族の血液成分に戻す研究を繰り返し行なっていた。
薬師たちが寝る間を惜しんで研究に勤しんでくれたおかげもあり、それがついに完成したのだ。
あとはその薬剤を量産し、実際に海魔族へと注入するのみ。
「ご苦労であった、ラドシェリムよ。たった一月で全ての事項を終えてしまうのは骨が折れたであろう」
「いえ。兄上や姉上、それにユーリを始め、皆が同じ目的を見据え突き進んでくれましたので」
「……リリアナ様の人徳のなせる業であるな」
「はい、本当に」
今から約一月前。
リリィがシェリの元を去ってしまったあの日。
シェリはナプティムウトと共に王宮へと戻り、カリュブディスの別城で生じた事の一部始終を国王に説明した。
海底戦争を回避させるための条件が、リリィの持つ女神の神力全てを海神であるカリュブディス、もといアランフォルス・ポセイドンへ預けることであったこと。それを彼女が実行したこと。
そして、彼女がその身を賭して新たなる女神の秘宝を作り上げ、この海に息づく全ての生命を守護したこと。
……さらにその代償として、2000年もの生命時間を失い、あと僅か数十年ほどの寿命しか持てなくなったリリィが、海人族の皆に気を遣わせないよう、マーレデアム王国を離れ、海神の元に身を置く選択をしたことを。
シェリの後ろにはナプティムウト、ユーリをを始めとしたリリィに近しい者たちが控えていた。
唇を震わせ、蒼白な面持ちで目を閉じていたトリンティアと、彼女の肩を気遣わし気に支えていたセシルド。
リリィの侍女であるモネとルルは声を漏らし泣き崩れていた。
彼女たちには恋人であるネレオとオルフェスが寄り添っていた。
ナプティムウトは自身がそばにいながらリリィを守れなかったことを悔やみ、ユーリはその場に両膝を付き、拳を震わせていた。
己の口調は淡々としたものだったが、全身はまるで、炎を帯びているかのように熱かった。
あらゆる感情を、寸前のところで食い留めていたからだ。
そして一月後の現在。
シェリの目的は今もなお、変わらない。ただの一つのみである。
「……ラドシェリムよ。其方の気持ちに、今もなお、一欠片も迷いはないか?」
国王の質問に、シェリは迷わず答える。
「もちろんです。
まずはマーレデアム王国の全民に、我々王家、及び守護者一族のみが知る、王国の裏の歴史を説明いたしましょう。
どんな非難や罵倒があろうとも、全て俺が受け止めます。
この先もポセイドン家が王家として在しても良いのか、そして、俺が次王を継ぐことに異論はないか。
マーレデアム王国は、王国民全ての共有の財産です。王国の未来は我が民へと委ねましょう」
シェリは国王に向け、揺らぎのない瞳をぶつけた。
すると、国王はとどこか肩の荷を降ろすかのように息を吐き出した。
「良いだろう。この件は其方に任せよう」
「ありがとうございます」
国王に拝礼した後、シェリは立ち上がり、そしてそのまま踵を返して執務室のドアへと向かった。
「……其方にばかり、辛抱な想いをさせてすまない」
ドアに手をかけた時、背後から国王のそんな声が届いた。
シェリはもう一度、国王へと顔を向けた。
「父上。辛抱な思いなど、今は些かもしておりません。俺には最愛の女神が付いていますので」
リリィはもう、あと数十年しか生きることが出来ない。例えそうだとしても。
「俺が愛を誓うのは、この先もずっと、リリアナ・マリンクロード嬢だけです。
必ず、この腕に取り戻します」
己の目的は、このマーレデアム王国の未来を彼女と共に守ることだ。
民らがそれを赦してくれるのならば。
シェリは国王にもう一度軽く一礼した後、今度こそ彼の執務室を後にした。
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三従士と共に散歩へと出かけたのはつい一週間ほど前のこと。
ただ今の私は大変に困惑していた。
何故なら本日の本城中庭には、それはそれは美しい女性たちのピクニック集団が出来上がっていたから。
(どうしてこうなったんだろう……)
私はこの集団の中心部へと座りながらも、このようになってしまった経緯を思い出していた。
朝のお祈りを終え、パルとメノウと共に簡単に部屋を整えた後、私たちは食事係のルビを手伝うために、本城の調理場を目指して歩いていた。
ちょうど中庭を横断する渡り廊下を通りかかった際、いつもは静かな中庭に何やらお喋りを楽しんでいる、とても美しい女性たちがいたのだ。
すぐに私たちの存在に気付いた彼女たちはお喋りを中断すると、くすくすと妖艶に微笑みながらも「あら、噂をすれば」と言いながら、私たち三人の周りをくるりくるりと取り囲むように旋回しだした。
(ど、どちら様……? というか、こんなにたくさん女の人がこのお城にいたなんて、今まで全然気が付かなかった)
私へと舐めるような眼を向けてくる女性たちは、ノワルと同じ若紫の髪色、そして青い眼を持っていた。
彼と違う点はといえば、ノワルは下半身が人型なのに対し、彼女たちの下肢部分は魚類型をしているということだろうか。まさに、お伽話に出て来そうな人魚の見目である。
(すっごく綺麗な人たちばかりだけど、この人たちはもしかして……)
「ご機嫌よう、リリアナ女神様」
「わたくしたちはアランフォルス・ポセイドン様の側妃、セイレーン一族の者でございます」
「ノワルがとてもお世話になっているとか。本当に何とお礼を申し上げて良いか」
私が一人 思考を巡らせていた矢先、彼女たちが自ら答え合わせをしてくれた。
やはり。彼女たちはノワルと同じセイレーン一族の者であり、以前に彼が "沢山いる" と言っていた、アランフォルスの側妃たちだった。
私を品定めするような視線は未だ感じられたが、一先ずは私も挨拶を返すことにする。
「えっと、初めまして。リリアナ・マリンクロードと申します。訳あって一月ほど前から、このお城でお世話になっています」
と言ったところで、
「この度、我が主にご正妃に任命されたとか。おめでとうございます。同じ妃同士、仲良くして下さいな。
わたくしたちはここでティータイムを楽しんでいましたの。よろしければ貴女もいかが?」
と笑顔で言われ、そのまま腕を引かれて中庭へと連れ出され今に至っている、という訳である。
ざっと、ことの経緯を思い返してはみたが、私はそれよりもしばし放置状態にしてしまっているパルとメノウのことが気になっていた。
私がちらりと渡り廊下の方に目をやると、何故か彼らは少し怯えたように、そしてどこか探るように、柱の影からこちらをじっと見やっている様子が見て取れた。
(うーん…… 二人のこと待たせちゃってるし、このままだとルビのお手伝いにも間に合わなくなっちゃうな。
申し訳ないけど、今日は遠慮させてもらおう)
私は意を決し、側妃たちに口を開いた。
「あの、すみません。私、実は友人たちを待たせていまして」
「ご友人?」
「はい。本当に申し訳ないのですが、今日は戻らせていただきますね。また是非、一緒にお話しして下さい」
そう言って立ち上がり、彼女たちにペコリと頭を下げた後、私はパルとメノウの元へと忙いだ。
「待たせちゃってごめんね、二人とも。ルビの所に行こっか」
『メガミ、ナニモサレテナイカ? ダイジョウブカ?』
『……アノヒトタチ、キライ』
「……パル、メノウ、どうしたの?」
どこか様子のおかしい二人に気付き、私は再び眉を寄せた。すると。
「聞いたかしら? "ご友人" ですって。
あの化け物たちは、ご正妃様のお友達なんですって」
「お育ちの悪い方は心まで貧相ね。あんな醜い者たちとしか仲良くお出来にならないのだから。でもまあ、異形のもの同士、お似合いでしてよ」
パルとメノウの肩がビクリと上がったのを見て、私は声の主たちを振り返る。
先程まで美しくにこやかな笑みを浮かべていた女性たちは、目を細め口を歪ませ、心底恨めしそうな顔をこちらへと向け、私を睨めていた。
「……どういうことでしょうか?」
私は二人を背に隠すようにして、側妃たちに向き直った。
「なあに? 貴女、わたくしたちに楯突くおつもり?
ただの人間、何の力も持たない卑しい女の分際で、どうして、一体何をしてあのお方のご正妃に収まったの?」
「女神の愛し子? テティスの娘? そんなことはどうでもよくてよ。
わたくしたちは1000年以上も前からアランフォルス様にお仕えしているの。あのお方にお気に召していただくために、美しくなるための努力も日々欠かしていないわ」
「それに比べて貴女の色気のないこと。あれほどに美しく魅惑的な我が主とは、不釣り合いにも程があってよ。
貴女にはせいぜい、そこにいる気味の悪い海魔族たちと並ぶのがお似合いよ。
きっと海魔族と同様、ぼうっとしていて頭の中身もないのでしょうね!」
側妃たちはそう言い放ち、さらに私を睨め付けてくる。
(……ものすごく直球に悪意を向けてくる人たちだ)
恋愛経験がそれほどなくてもさすがに分かる。これは "嫉妬" だ。
私は手のひらをぎゅっと握りしめた。
「全部、アランフォルス様にお聞き下さい。私が何を言っても、あなたたちはきっと信じないでしょうし。
それと、海魔族の人たちのことをそんな風に言うのはやめて下さい。
お互いもう良い大人なんですから。悪態を付き合うような喧嘩なんて、私はしたくないです」
そして、負けじと側妃たちに鋭い視線を投げる。
すると、背後にいたパルとメノウが、私の前へと進み出てきた。
『メ、メガミノコトモ ワルクイウナ!』
『……アナタタチ、メガミノコトナニモ シラナイクセニ」
二人の身体は尋常ではないほどに震えている。だが、彼らは私を庇うようにしてその両腕を広げた。
「……あら? お前たちは確か、つい先日までわたくし付きの従者だったわよね? その汚い声色、覚えていてよ」
すると、一人の側妃が他の側妃たちより一歩前へと進み出て来た。
「前主人に対して何という無礼な物言いなのかしら。これは "お仕置き" が必要ね」
彼女の言葉を聞いたパルとメノウの身体が、ビクリと跳ね上がった。
次の瞬間。
その側妃はまるで瞬間移動をしたかのように突如として私たちの目前へと尾びれを使って移動して来た。
そして、パルとメノウの頭を掴み上げたかと思うと、
『ヘブッ……!』
『……ブ、フ……』
あろうことか、そのまま二人を地へと打ち付けたのだ。
あまりに突然の出来事で、私は一瞬身体が動かなかった。
「汚い皮膚に触ってしまったわ。すぐに入浴しないと」
側妃のその言葉で、私はハッと我に帰った。
途端、全身から汗がブワリと吹き出してくる。
私はすぐさま二人の元へと駆け寄った。
「パ、パル! メノウ……!
あなた、突然何するの?! 何てことを……!!」
腕を抑えうずくまるパルと、鼻血を流すメノウを視界に捉え、私は思わず声を荒げた。
「二人とも、すぐに医務室へ行こう!
ルビ! ルビ聞こえる? お願い、手を貸して!」
祝福が使えなくなってしまった私では、二人の傷口を止血することも、痛みを軽減させることも出来ない。
中庭近くにある調理場に向かい、ありったけの声でルビの名前を叫びながら、私は両肩を使って二人を立たせようと試みる。
「あら、どこに行くつもりなの? 貴女はこちらよ」
だが。その側妃は、素早く私の背後へと周り、勢いよく髪を引っぱってきた。
そして。
「…………っ!」
そして、私の頸にそのまま歯を立て、噛み付いてきたのだ。
ブス、と食肉に針が突き刺さったような鈍い音が、私の耳奥に響いた。
「事後報告になってしまうけれど、私の歯には毒液が塗ってあったの」
放り投げるようにして髪を離された私は身体を支えきれず、そのまま地面に膝を付いた。
途端、手足がビリビリと震え始めた。
「安心してちょうだいな。致死量ではないから。
貴女のその程度の苦しみなんて、正妃の座を突然奪われたわたくしたちの心の痛みに比べれば天と地の差よ?
早くお仲間に見つけてもらえるといいわね。
でも、さっき貴女のもう一人の従者が食事を乗せたカートを押していく姿が見えたから、残念ながら調理場にはもういないと思うわ」
その側妃はクスクスと満足気に笑いながら、私たちの元を離れた。
そして他の側妃たちを従えて、調理場とは反対側の方角へと立ち去って行った。
妖艶な笑い声が周囲から完全になくなってしまった後、私は震える指先に力を込め、パルとメノウに声をかけた。
「パル、腕は動く? 腕をゆっくり上下に揺らしてみて。
それが出来たら手のひらをゆっくり、閉じたり開いたりしてみてくれる?」
パルはゆっくりと上半身を起こし、私が言った通りに腕を上下に動かしたり、手のひらを開閉してみせた。
「うん、骨は折れてないみたいだね。良かった……
でも、頭にちょっとコブが出来てるから、医務室で氷をもらって冷やそうね。
メノウは、起きられる? 鼻血が出てるからゆっくりね。辛かったら無理に身体を動かさなくて大丈夫だから」
私はポケットからハンカチを取り出し、それをメノウの鼻下へ当てる。
『……スコシ、ハナト アタマイタイ ケド オキレル』
メノウもゆっくりと起き上がった。
鼻血がポタポタと垂れたため、私は慌ててメノウの鼻頭を押さえ直す。
「メノウ、少し顎を引いて下を見てて。喉から血が伝ってくるかもしれないから、少し口も開けておいてね」
私はハンカチを広げ、メノウの鼻下にはしっかりとフィットするように、そして口元にはふんわり被さるように手を添えた。
『……メガミ オイシャサン ナノ?』
「ううん、違うよ。
……私の、すごく大切な人が患者さんを治療する時、こうしてたのを見てたから」
患者ではなく、正確には騎兵団の人たちや海人族の子供たちに、だけれど。
シェリが。
リヴァイアサン事件の時や、以前王宮の中庭に遊びに来てくれた子供たちが怪我をしてしまった時、こうやって処置をしていたのを隣で見ていたから。
ポタリ、と私の瞳から雫が落ちる。
やっぱり。今だってほんの少し、彼を思うだけで胸が苦しくなる。
『……メガミ。メガミモ ドコカイタイ ノカ?』
パルの言葉に、私はふるふると首を横に振り、涙を手背で拭う。
「大丈夫だよ。突然噛まれてびっくりしたけど、痛みもないから。
さあ、二人とも歩ける? 医務、室、に行こ、う。い、むしつ、に…… あ、れ……?」
何故だか、呂律が回らない。
……まさか、毒が回ってきたのだろうか。
そう思った途端、今度は手先だけではなく身体が痺れ初め、さらに喉の奥からむせ返るような吐き気に襲われる。
(……この毒ってまさか、河豚の毒?
そういえば前にバルバロス号の上で、シェリと河豚毒の話をしたことがあったな)
元海辺のカフェ定員として、河豚の中毒症状については知っていた。
(……しっかりしなきゃ。直接毒を食べたわけじゃないし、歯だってそんなに深く刺さってなかった。
……致死量じゃない、うん、きっと。
そんなことより、二人を早く医務室に連れていかないと。
パルの頭のコブを氷で冷やして、メノウの鼻に、清潔なガーゼで詰め物をして、それから、それから……)
『メガミ カオイロ スゴク ワルイ……! ナンノ ドク モラレタ?!』
「た、多分、テトラオ、ドンティダエ、だと思う。でも、し、心配しないで。
二人の、ことは、わ、私が、て、手当て、する、から…………」
『!メガミ?!』
『……メガミ!』
全身にビリビリと電気が走るような感覚に再び襲われた後も、二人の声は聞こえていた。
『メガミ シッカリ シロ……!』
なのに、どうやら私の意識は、そこでプツリ、と途切れてしまったようだった。
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「今頃あの女死んでるんじゃなくて?」
「致死量じゃないわよ? 人間の男で何回か試したし、ちゃあんと検証済みよ」
「あらやだ、用意周到!」
側妃たちは口に手を添えながらもケラケラと笑い声を上げ、本城の通路を進んでいる。
「……おや? 貴女方が調理場のあるこちらの方角からお渡りになるのは珍しいですね」
するとそんな彼女たちの耳に、少し高めの男の声が入ってきた。
「アランフォルス様の元へお渡りになるのですか?
お元気なのは結構ですが、主はまだ仕事中 故邪魔だけはなさいませんよう」
側妃たちに辛辣な言葉を投げつつ前方より歩いてきたのは、たった今までアランフォルスの執務室で書類仕事を行なっていたであろうノワル。
「ふん、一族の塵虫が。わたくしたちに気安く話しかけないでちょうだい。
……でも。まあ、今ばかりはちょうど良かったわ。お前に言いたいことがあったのよ」
「あの醜い人間の小娘がアランフォルス様の元へ来るよう手引きしたのはお前だそうね。一体どういうつもりかしら?」
側妃たちの問いかけに、ノワルは眉をひそめていた。
「どういうつもりも何も、僕は我が主の命に従ったまでです。それに何か不都合なことでも?」
「……本当に生意気なガキね。男のくせにのうのうと生きてるんじゃないわよ……!
自分で人間も仕留められない、女に食わしてもらうだけのグズが」
「あんな魔力も神力も、何の力も持たないただの小娘、アランフォルス様には釣り合わなくてよ。
……そうだ。お前がたぶらかしなさいよ。
グズな能力じゃあ人間の脳を懐柔することは出来なくとも、色仕掛けくらいは出来るでしょう?
お前の見目だけは、わたくしたちと同じように美しいのだから」
側妃たちはニンマリと笑みながらノワルにそう言い放った。
「……残念ながら、それは出来そうにありませんね。リリアナ女神様はそんなものにはなびきませんから。
それに、仮にもあの方はアランフォルス様のご正妃です。侮辱するのは止めていただきたい」
だが、ノワルからの返答は実に冷ややかだった。
すると。
「ノワル。アランフォルス様の側近に上がってから随分と偉そうな口をきくようになったことね。
まあ、お前が寄越した "ご正妃" が死ねば、お前を側近にしたことも後悔して下さるかしら?」
あのリーダー格側妃が彼の前へと進み出た。
「……貴女方。リリアナ女神様に何をなさったのですか?」
「人聞きの悪いことを。中庭で仲良くピクニックをしていただけでしてよ」
側妃がそう言い終えた途端、ノワルは彼女たちの横を素早く通り過ぎ、この場を立ち去って行く。
「……人間の "男" は死ななかったけれど、ね?」
「あら、でも人間界はわたくしたちのセイレーン界と違って、確か "女" の方が、身体が弱く出来上がっていたのではなくて?」
「あら!そうでしたの? うふふ、知らなかったわ」
「ならあの女は、海蛇に首元を噛まれて死んだのでしょうねぇ。それとも大魚あたりかしら?」
「まあ何にせよ、海魔族たちもこれに懲りて、わたくしたちに歯向かうなんてことはしないでしょう」
側妃たちは再びニタリとした笑みを浮かべた。
「アランフォルス様を奪おうとする人間の女なんて、死んで当然よ」
やがてリーダー格の側妃がノワルに背を向け泳ぎ出すと、他の側妃たちもそれに続いていく。
「……あの女が主の御子を孕むなんて、わたくしは絶対に許さない」
側妃の唇には今もなお、リリィの血が滲んでいた。




