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1. 三従士

第四章 『海女神の娘たち編』



母なる海女神かいにょしん・テティスよ。其方の愛し子である我の願いを聞き入れ給え。


親愛なる海をしずめよ。

我が子なる民を護り、生命に豊かな息吹を与えよ。


我は其方の愛し子なり。

其方の意思を紡ぐ者なり。






「おやおや、今日も精が出ますね。でももう、リリアナ女神様が毎日祈りを唱える必要はないのでは?


祝福もお出来になりませんし、海の浄化は日々、主が行っておられますし」



「気にしないで。私がやりたくてやってるだけだから」



「ほんに真面目な新妻よ。本城へ来てからしばし経つというに、未だ夫である余とは寝所も別にと駄々をこねよる」



「お言葉ですが、夫だの妻だの言ってるのはあなたたち二人だけです。結婚誓約書を作ったわけでもないですし」




陸を離れて海で過ごすようになってから、一年と五か月。

マーレデアム王国を去り、この "カリュブディスの本城" で住み始めてから、もう一月が過ぎようとしている今日この頃。



私はこの城で与えられた一室で、毎日のように愛し子のお祈りを唱えている。



そして今、その私に対し「やれやれ」といった表情を向けているのは、古の海の魔物一族、セイレーンの末裔ノワルと、この城の城主であり、この海をべる海男神かいなんしん・カリュブディス、もといアランフォルス・ポセイドンらだ。



彼らは一日に一、二回ほど私の部屋を訪れてはこうして様子を確めに来る。


別に逃げたりしないし、逃げた所で私には行く所などないのが分かっているはずなのに。




「相も変わらず、固いやつよのう」


「アランフォルス様も苦労されますね」




この会話も毎日のように繰り返されていて、もはやウンザリである。




「海人族たちは今のところは大人しくしていますね。


アランフォルス様が、あの王国にもちゃんと情けを送って下さっているからでしょうか」



「あの王国、とは随分と他人行儀な。ノワルは右大臣家の跡取りとなったのではなかったか?」



「いえいえ。マクリルの一族も、今はもう地位を剥奪されていますでしょうし、あの家での僕の役割なんて、もう何もありませんよ」




マクリル右大臣を巻き込んだのはノワルだというのに。


……それに。




「しかし、たった一年ほどの間に守護者が二人も失脚するなんて、マーレデアム王国も落ちぶれたものです。



女神の愛し子が絡んでくると、馬鹿な者たちは必ずボロを出し、醜態をさらしますからね」



ノワルがそう言って、私をちらりと見やる。




「……マクリル右大臣は、あなたに家族を殺すと脅されたからだし、バクナワ家は、」



「危うく、貴女をリヴァイアサンの餌にするところだったからでしょう?


シリスハムが」



「…………」




でも、シリスハムはその罪を心から謝罪し、今度は命をかけて私のことを守ってくれた。



海の泡となってしまった彼のことを想うと、涙がにじまない日などない。


彼は私がマーレデアム王国に戻ることを望んでくれていたのに、それを叶えることは出来なかった。


……シェリへの言伝ことづても、結局は伝えられなかった。




「まあ、リリアナがあの王子から手渡された指輪をあの場に置いて来たのは意外だったかの。未練がましくなく大変良いが」



「……アランフォルス様、ノワル。もうそろそろお帰りいただいてもいいでしょうか。お話し合いはこれくらいにして」




私は身体を反転させ、部屋から早く出て行ってほしい旨を、背中を通してお伝えする。




「ふふ。女性のお部屋に長居するのはいけませんでしたね。失礼いたしました」



「全く。リリアナも早くここに慣れよ。


短いとはいえ生涯を過ごすこの城に、馴染むに越したことはないぞ。



そのうち、他の側妃たちにも其方そちを紹介しよう」




パタン、と扉が閉められ、二人が部屋を出て行ったのを確認してから、私は大きくため息をつき、ベッドへと突っ伏す。




「……私の家はここじゃないんだから、そんなの無理だよ」




私は力無げにシーツを握りしめ、一人そう呟いた。



もう祝福が送れなくともやはり毎日お祈りを唱えてしまうし、大切な人たちが恋しくて、涙だって未だに頬を伝う。




"俺たちはずっと共に在ると誓っただろう"




最愛の人を思い出させるものは、何も持っては来なかった。


そんなことをすれば、私は彼を想って毎日

ただ泣いて過ごすことになってしまうかもしれないと、そう思ったから。



……でも、それでは駄目なのだ。

一緒にいれなくても、私は彼のことを支えたい。



「しっかりしなきゃ。今日の私は、今日出来ることをするんでしょ……!」




私は頬をぺチッと叩いて気合を入れ、ベッドから起き上がると、ドアの方へと向かった。

そして到着後、そっとその扉を開ける。




『オハヨウ、メガミ。アサゴハン モッテキテ ヨイ?』



「……おはようございます。はい、よろしくお願いします。毎日ありがとう」




部屋の外では、いつも三人の海魔族の人たちが見張り番をしている。



『メガミ ゴハンオワッタラ サンポ。

チャントカラダウゴカセ アルジ イッテタ』



「は、はい……」




そして、なかなかに世話を焼いてくれる人たちなのだ。


彼らが持ってきてくれた朝食を食べ終えると、散歩に行ってこい、と言わんばかりに部屋を追い出されるのも日課だ。



彼らは、私が散歩に出かけている間に部屋の掃除をしたり、次の食事の準備をしてくれていたりする。



もちろん、私はこの本城でも決して一人にはならないように徹底されているので、必ず誰か一人は散歩に付き合ってくれる。



が、いつも会話はない。


と言うか、話しかけてみても気まずそうにされるだけで、返事がないことが多い。



アランフォルスに、私と必要以上に話すなとでも言いつけられているのだろうか。 



でも、私は負けじと、今日も彼らとのコミュニケーションを試みる。




「あの、散歩。良かったらたまには四人で行きませんか?」



『……ソレハ ムリ。ソウジ デキナクナル。ソウナッタラ メガミ オコル』



「えっ?! 私から誘っておいて、さすがにそれはないですよ! 第一、そんなことで怒ったりしません」



『メガミ、タシカニ オコラナイ』


『オレガ メシ コボシテモ イツモ ナグラナイ…… ドウシテ?』




(ええっ。ど、どうしてって言われても……


私、そんな怒りっぽく見えてたのかな。無意識にずっと怖い顔してたとか?



あと、今 "殴る" って言った? 

私ってば、な、殴りそうなくらいおっかない表情をしてたとか……?!)




さすがに申し訳なくて、少々青ざめながら自身の顔をペタペタと触って確かめてみる。



確かに、ここに来た最初の頃は、彼らには泣きべそ顔ばかり見られていたかもしれない。口角も下がりっぱなしだった自覚もある。



「ごめんなさい…… 私が暗い顔ばっかり見せてしまってたからですよね」




私がしょんぼりしながらそう言うと、目を丸くしながら、三人は顔を見合わせている。



『……メガミ アノヒトタチト ヤッパリチガウ。ハナスコト ユルシテクレル。


……ヤサシイ』



「え……?」



『メガミ、サンポ。ミンナデ デカケル』



「! はい、是非! みんなで行きましょう。


私、泳げないので歩きになってしまうんですけど、いいですか?」



『シッテル。メガミ、ゼンゼンオヨゲナイカラ オレガ オブッテヤル』



「え?! い、いやそれは、」



『メガミ、ワタシガ ダッコシテアゲル』



『……ジャア、ボク カタグルマシテ アゲル』



「ええっ……」




何故かいつの間にか、私をどう運ぶかの話し合いになってしまっている。



海魔族の人たちに自我はないって聞いていたけれど、彼らを見る限りではそんなことは全然ない気がする。



『メガミ、シタクシテ シュッパツスル』


「あ、はい! すぐに着替えますね。少し待ってて下さい」




私がそう返事をすると、三人はコクリと頷ずいて、扉の外へと出て行った。



(今まで私が話しかけてもひたすらにだんまりだったのって、話すと私が怒るとでも思ってたからなのかな?


それに、ここに来た時も言われたけど、"あの人たち" って一体誰のことなんだろう)




『メガミ、ヨウイデキタカ』


「ご、ごめんなさい。すぐ着替えます!」




私は慌てて動きやすいパンツスタイルに着替えると、扉の外にいる彼らの元へと急いだ。







「わぁ…… ここも随分と綺麗になりましたね。海水も澄んでいて、空気も美味しい」




今日三人で出かけた場所は、いつもの散歩コースではなく、少し遠出をした先。


少しゴツゴツとした大きめの岩たちが転がってはいるが、マーレデアム王国の海森にどことなく似ている。



『アルジノ ジョウカノ オカゲ』


『アルジ マイニチ カカサズ オシゴト シテル』




(……そっか。この辺りもアランフォルス様の神力でどんどん浄化されてきてるんだ。



彼はちゃんと、海神としての仕事をしてる。

……なのに、私の方がいつまでも未練がましくて嫌になっちゃう)




海の浄化は、やはり生まれながらの海男神・アランフォルスが行なっていくのが一番良いのかもしれない。



女神の愛し子といえど、私の神力ではこの本城のある地にまで祝福を飛ばすことは叶わなかったのだから。



だから、私が彼に愛し子の神力を渡したことは、決して後悔してはいない。


この海の全生命が守られるのなら、そしてそれが陸上国をも守ることに繋がるのなら、なおさらだ。



『メガミ、カナシイ カオ ドウシタノ』


『メガミ、ツカレタナラ オレガ オブッテヤル』




私はハッとなって、慌てて笑顔を皆へと向けた。

……きっとまた、気難しい表情をしていたに違いない。



「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。


海が浄化されて、どんどん綺麗になっていくのが嬉しいなって思ってただけですから」



『……ホントウ?』


「はい!」



私がそう言うと、三人はホッとしたように私の手をくいくいと引き、少し場の開けた場所まで案内してくれる。



『メガミ、スコシ オヤツ クスネテキタ。

タベルト ゲンキデル』




そう話す海魔族の人の手には、小さくて丸く、色とりどりの、砂糖菓子のようなものが乗せられていた。



『メガミ、コレ ワタシ ツクッタ。タベテ』


「わあ、ありがとう。いただきます」




私は薄いピンク色をしたそのお菓子を一つ取って口へと入れる。

甘くて、口の中でホロリと溶ける。



どこか懐かしくて、ほっとするような味わいだ。曾祖母が好んで食していた外国のお菓子、"ラクガン" に似ている気がする。



『メガミ、 オイシイ? オイシイ?』


「はい、とっても美味しいです。あなたが作って下さったんですか?」


『ソウ』


「お料理上手なんですね。もしかして、私のご飯作って下さってるのってあなただったりします?』


『ソウ!』




私付きの海魔族の人たちと、こんなに会話がはずんでいるのは今日が初めてだ。

ふと、どこか心が軽くなった。



海魔族の人たち三人も、それぞれにその砂糖菓子を口にしている。


くすねてきたと言っていたから、こうやって、時々こっそりおやつを作っては皆で食べていたのだろうか。何だか微笑ましい。



「ご馳走様でした。

そろそろ戻りましょうか。あんまり遅くなると、ノワルが探しに来ちゃいますから。


散歩、良かったらまたみんなで一緒に行きませんか?」



私がそう伝えると、



『マタイコウ マタイコウ』


『……ボクモ メガミト イキタイ』




そんな嬉しい答えが返ってきた。



「……ふふ、是非是非。


あ、ところでみなさんのお名前も教えていただけませんか? 今さらですけど、ずっと聞けてなかったから」



私はこの機会を逃さない、とばかりに皆の名前を尋ねてみた。仲良くなるチャンスだ。



『ワスレタ』


『ナマエナイ』


『……ウン。ナイ』




……もしかして、海魔族の完全体になると自我をなくすってこういうこと?


感情がない、というわけではなく、以前の自分が誰だか分からなくなる、ということだろうか。


……それならば。



「じゃあ、私と一緒に名前を考えませんか?


名前がないと、呼び方がみんな「あなた」になっちゃって分かりづらいし」



『! ナマエ ホシイ』


『メガミ ツケテ』


『……メガミガ ヨブナラ ボクモ ホシイ』



「決まりですね。じゃあ帰り道にみんなで考えましょう!」




というわけで。

私たち四人が本城へと戻る道中は、海魔族三従士、もとい彼らの名前を考える時間となった。



「うーん、名前、名前……

男性でも女性でもどちらでも通用しそうな名前が良いかな?


みなさんは何かお名前の候補とかあります?


例えば好きな食べ物から連想したり、好きな色とか……」



『……エメラルド』


「エメラルド? 緑色がお好きなんですか?」



『……チガウ。メガミノ メノイロ キレイ』




……ああ、そうか。私の翠緑色の瞳のことを言ってくれていたのだ。



「ありがとう。嬉しいです。


あ! じゃあ良ければみなさんのお名前、宝石の名前からにしてみませんか?」



『ホウセキ イイ』


『ホウセキ キレイ キレイ』



(わ、食いつきがいい!)




私は瞬時にあれやこれやと思考を巡らせた。



「えっと、ではこんなお名前はいかがでしょう?」――――








『ワタシガ ルビ』


『オレ パル』


『…… ボクハ メノウ』




沢山の宝石から名前候補を提案してみた結果、


ルビーをもじって、"ルビ"

パールをもじって、"パル"

そしてそのまま、"メノウ"



という、男女どちらの性別でも違和感なく、そして呼びやすい名前に各自決まった。



(気に入ってくれたかな?)




三人の様子を伺ってみると、互いに何度も名前を確認し合ってる様子が見て取れるので、きっと悪い気分にはなっていないはず。



「これでみんな迷いませんね」




良かった、と私も顔をほころばせていると、"ルビ" が何かに気付いたように、私の方をじっと見やった。



『メガミ ナマエ アリガト。


デモ ソノハナシカタ ダメ。アルジニ オコラレル』




話し方?

もしかして、敬語を使わないようにということだろうか?



「ええっと、じゃあ。


ルビ、パル、メノウ。改めてよろしくね」



『『『ウン。メガミ ヨロシク』』』




(うん、前進前進!今日一日で、三人とは大分仲良くなれた気がする。


本当は私のことも名前で呼んでほしいけど、アランフォルス様が絶対そうは呼ばせないんだよね。



あくまで私が "女神の愛し子" だってことを、

ちゃんとみんなが認識しておくためにってことらしいけど)



『メガミ ハヤク キテ』


『オソクナッタ ノワルサマ クルカモ』


『……カモ』




少し寂しさを感じながらも、私たち四人はノワルが迎えに来ていないかをキョロキョロと確かめながら本城へと急いだ。







「随分とお帰りが遅かったですね、リリアナ女神様」




案の定、城外ではノワルが腕を組み、私たち四人を待ち構えていた。



「そ、そんなに遅くはなってないはずだよ」


「それはそれは。お口元に白粉しろこが付いておりますが、何か食されましたか?」




ギクリ、となって私たち四人はノワルから目をらす。



すると、ノワルはとても分かりやすく、はあ、と大きなため息をついて、どういうわけか私の唇を自身の指の腹でなぞった。



「ちょ、ちょっと……?!」


「そんなお顔でアランフォルス様に会われるつもりでしたか?


全く。貴女には海神の正妃という自覚が本当に足りませんね」




呆れ声でそう言いながら、ノワルは海魔族の人たちにも視線を移す。



「お前たちの新しい主は、とてもそそっかしい方のようです。身なりをちゃんと整えて差し上げることも、仕事の内ですよ」



『『『……ギョイ』』』




「ご、ごめんね、三人とも…… 私がもっと気を付けるね」


『メガミ ソソッカシイ。ヘヤマデ オブッテヤル』


「え?! だ、大丈夫だよ、パル。もうお城に戻って来てるし」


『パル、メノウ。メガミ タノム。ワタシ ショクジ ジュンビ』


『……マカセテ ルビ』




ええっ…… と私があたふたとしている間に、ひょい、とパルに背負われ、後ろにはメノウが付く。



『……ハイゴカラモ メガミ マモル。ナグラレナイ ヨウニ』




は、背後を守る? 殴られないように?


ちょっと物騒な単語が飛び出してはいるが、それを問う暇もなく、私はパルとメノウに半ば強制的に部屋がある方と運ばれて行く。



『メガミ ゴハン タノシミ シテテ』


「う、うん。ありがとう、ルビ」




背負われた状態から少し振り返ってルビに手を振ると、ルビは少し遠慮がちに、手の平をひらり、と振り返してくれたのだった。




------



「…………お前たちはリリアナ女神様に、名をいただいたのですか?」




この場を去っていくリリィたちを見やりながら、ノワルは一人残ったルビへとそう話しかけた。



『メガミ ナマエ ツケテクレタ。


メガミ ワタシタチニモ スゴク ヤサシイ』



「……そうですか」




ノワルは、従者に背負われるリリィの後ろ姿を黙って見つめた。


……だがやがて。何かに気が付いたように目線だけで自身の背後を見やる。




「……やはり、そんなお人好しではここでも厄介事に巻き込まれてしまいますよ、リリアナ女神様」




この時、ノワルの声色はすごぶる鋭く、いつもの妖艶さなど皆無だった。





------




「なあに、あれ。あんな気味の悪い海魔族たちと仲良くつるんじゃって」


「あらあ、それはあの子自身も変わった見た目をしているからじゃない? 茶色の髪に緑の目なんて、全然美しくないわ」


「でも、あの女でしょう? アランフォルス様が連れ帰ってきた "女神の愛し子" って」


「正妃だなんて、冗談じゃないわ。わたくしたちが今までどんな思いであの方に仕えてきたと思ってるの……?!」





「皆 落ち着きなさいな。


あの娘を見て。海魔族相手にもあんなヘラヘラと笑って。話し相手も選べないのかしらね。


それに子供みたいに背負われて、色気がこれっぽっちもないったら。


だから心配しなくても、あのお方はあんな小娘になびいたりしないわよ。




……でもまあ、少し痛い目を見させるのも悪くはないわね。


だって、女神の愛し子というだけで別に何の力もない子なのでしょう?


どうしてあの娘を連れ帰ってきたのかは疑問だけど、ここに置いても何の役にも立たないのなら、別にいなくとも良いってことよね?




"セイレーンの女" は嫉妬深いってことを、ちゃあんと分からせてあげなくてはね」





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