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19. 愛の言霊

第三章 『古の海の魔物編』



「見つけましたよ、リリアナ女神様」


「?!」




私は突然、何者かによって口を塞がれ、身体を拘束されてしまった。




「大人しくしていて下さい。外にいる三人が死ぬところなど、貴女は見たくはないでしょう?」



(……この声は)




私の腕を掴んでいる "彼" の手はとてつもなく冷たかった。



「参りましょうか。我が主…… 貴女の、未来の夫となられる方の元へ」




……肝を冷やしたのは本日何度目だろう。



ほんの少しだけ、後方を振り返る。

私を捕らえていたのは、やはりノワル・セイレーンだった。



これは、私がシリスハムとナプティムウトに対面する、ほんの数十分前のことだ。






『リリアナ女神様!』



「ノワル、彼女を離しなさい」




そして、現在。



息遣いの荒いシリスハムと全身を小刻みに震わせているナプティムウトが、ノワルへと長剣を向けている。




「遅かったではないか、ノワルよ」


「申し訳ありません、閣下。何せ閣下の創られる異空間は複雑な場所ばかりなので」



ノワルはそう言葉にした後、私の腕を少し強く後方へと引いた。



「しかし、さてさて。

こちらにいらっしゃる方々は、少々心臓が弱ってしまった者と、海神の神力を直に受けた方、といったところでしょうか? なるほど、立っているのもやっとのようですね」




そして、私の耳元に顔を寄せ、こう妖しく囁いてくる。



「少し音楽でも奏でましょうか? その方が精神もリラックスしますし、身体も動きやすくなります」

 


「……それはあなたが歌で操るから、そう見えてるだけでしょう?」



私が顔をらすようにして少し身動みじろぐと、ノワルも耳元から唇を離した。



「歌わないで……! お願いだから」




先程から、シリスハムとナプティムウトの息が荒い。

私がここへ来る前に、二人はカリュブディスと交戦していたのだろうか。




「ふふ。本当に聡い女性だ。


でも、貴女の可愛らしいわがままを聞くのは僕の役目ではありませんので」


「ノワル……!」



「それに、あちら側にも少し苦戦している乙女がいるようなので。


リリアナ女神様には貴女を慕う従者が大勢おられますが、海魔は一人きりですからね。


少しは加勢しないと不公平でしょう?」




ノワルはそう言って、マクリルの館で奏でた様な、少し荒々しい音楽を口元から発していく。




ノワルのその魔声は、遺跡集落全体へと響き渡った。




------




「なっ、こ、これは」


「ノワルの歌だ!」


「くそっ、耳を防げ! 脳がイカれるぞ……!」




海魔に攻撃を与えていた騎兵団の者たちが、自身の戦闘鮫魚と共に次々と下降を始める。



「……っシェリ、やられちゃったね。一先ずは戦闘中断かな」


「ユーリ、騎兵団員たちの誘導を頼んでも良いか」


「え……?! こんな状態なのに、シェリはどこ行くつもり?」


「俺はノワルを探す」


「ちょっ、シェリ! 一人じゃ危ないって!」


「案ずるな。先に兄上やシリスハムと合流するつもりだ。ホメロス、頼んだぞ」



キュキュ!



嗅覚の優れるホメロスが、承知!と言わんばかりにその場で旋回する。



シェリは自身の耳穴を手掌しゅしょうで抑え込みながら、ホメロスと共に一度海魔の元を離れた。




ギィィィィィィィィ



己の背側に海魔の咆哮ほうこうが届く。


その声は、戦闘中に何度も聞いたものと変わりないはず。



しかし何故か、この時の一声はまるで女の叫び声のようにも感じられたのだ。


…… どこか "憎悪" を含む絶叫に。




------





「さて、こんなものでしょうか?」



魔声を奏で終わったノワルが、満足そうにこの遺構内を見渡した。




「……これが、ユーリの言っていた魔声」


『…………っ』



ナプティムウトとシリスハムがその場に膝を着き、未だ眉をひそめている。



私は唇を硬く結びながらも遺構の外へと眼を移した。


戦闘が行われていた遺構外には、騎兵団の人たちの姿は既になかった。

海魔も、いつの間にか姿を消している。




「……あの歌は、もしかして海魔にも有効的なの?」



私はノワルにそう問いかけた。


彼が歌い始めた後に、海魔の雄叫びがこの遺構内まで響いてきたが、それは戦闘時のものより遥かに大きく、思わず耳を塞ぎたくなるような声色だったのだ。



「ええ。海人族の皆さんが感じているような、脳を締め付けるような痛みは感じてはいないでしょうけれど。


どちらかと言えば、海魔にとっては興奮作用を施すメロディのようですね」



ノワルは淡々と、しかし口元には弧を描きつつ、そう答えた。




「……歌、か。そういえばテティスもよく歌っていたな」



カリュブディスがどこか懐かしがるようにそう呟く。



「あれは余のことを、陸に赴く最後の日まで小童こわっぱ扱いしておったからの」



そして子供らしい笑みで、くつくつと笑い出した。



「……閣下。テティス女神様は遠い昔に人間として生を閉じられましたが、此度の愛し子様はいかがされるでしょうか?」



「それはこの娘次第よの」




ニヤリと笑うカリュブディスの瞳が未だノワルに捕われている私へと向けられる。



(此度の愛し子って、それって私のことだよね……

私が人間としての生を閉じるってどういうこと?


そもそも私は海人族でも、神様でもない普通の人間なのに)




私が少し眉を寄せて、カリュブディスとノワルを見やっていると、



ギィィィィィィィィ



「?!」



「おや、来ましたか」



この近辺から耳慣れた海魔の雄叫びが聞こえてきた。



思わずに上方を見上げると、やはりこの遺構から数十メートル程上空に、九つの頭を持つ巨大な大海蛇がうねるように泳いでいる様子が見て取れた。




「な…… 海魔か!」



ナプティムウトがよろめきながらその場を立ち上がり、長剣を構えた。


しかし、先程のカリュブディスの神力とノワルの魔声を至近距離で喰らってしまったせいで、顔色はすこぶる悪く、顳顬からは滝のような汗が流れていた。


シリスハムは未だ肩で息をしていて地へと膝を付いたままだ。



「お二人とも、祝福を……!」


「それは困りますよ、リリアナ女神様」



「?! えっ…………」



祈りを唱えようとしたその瞬間に、ノワルの手が突如として離され、しかも背中を強く押し出されてしまったせいで、私は遺構外へと一人飛び出すことになってしまった。



咄嗟のことで受け身が取れなくて、私は投げ出されたその場で、足をもつれさせ転んでしまう。




(いたた…… あ、嫌な予感。これは足をくじいちゃってる)



私は所々にりむいた小傷を見やりながらも腕の力を使い、何とか上半身を起こした。




ギィィィィィィィィ



……だが。遺構の外へと出てしまったせいか、威嚇するように唸る海魔の声がとても近くに感じられた。



いや、感じられたのではなく、実際、ほんの数メートル先にまで、海魔は迫って来ていたのだ。



(……あ。私、このまま食べられちゃうのかも)



雄叫びを上げ、大口を開けながら襲ってくる怪魚や海魔との遭遇を、私は一体何度経験したことだろうか。




「……ノワルよ。仮にも余の正妃となるテティスの娘に、この仕打ちは酷いのではないか?」



「いいえ、閣下。僕は最後の見せ場を作って差し上げただけですよ。


彼の」




遺構の中ではカリュブディスとノワルが何やら会話をしていたようだが、海魔の咆哮にかき消され、私にはよく聞こえなかった。





『リリアナ女神様!!』



代わりに確認出来たのは、こちらへと駆け出してくるシリスハムの姿だった。



------




海魔戦が行われていた地区の遺構内では、騎兵団の各部隊がさらに少人数ずつに部隊を分け、待機していた。




「副団長、ノワルの歌が止んだようです。いかがいたしましょう」



「今は海魔も姿をくらましてるからね。このままもう少し様子を見るよ」



「御意」




ユーリの前に跪くのは、かつて同じ部隊長として肩を並べたオルフェス始め、ヒューマ、エルゴ。


それに、自身の後を継いで副隊長から隊長へと昇格した、第1部隊と第3部隊の部隊長たちである。




「ユーリ、団長はまだ戻らねえのか?」



「ヒューマ。戦闘に紛れてカリュブディスもノワルも姿を消しちゃったからね。探し当てるまでもうしばらくかかると思う」



「団長お一人だと危険なのでは……」



「宰相様たちと先に落ち合うつもりみたいだから心配いらないよ、エルゴ。


それに、万が一やつらと鉢合わせしても、何かしら僕たちにサインをくれるよ。団長は抜かりないから」



「確かに…… って、おい。あれって」



ヒューマの指差す先へと、ユーリも視線を移した。



「ユリウス副団長……!」




しかし、戦闘鮫魚と共にこちらへと走り泳いで来るのは、



「ネレオ、それにマルフェス……?」




リリィの護衛を請け負っていた、書類仕事組の二人だった。



「マルフェス、ネレオ。お前たち、どうしてここへ…… リリアナ様はどうされたんだ」



「……っオルフェス兄さん! リリアナ様が、リリアナ様がノワルに連れて行かれた……!」



マルフェスが、兄であるオルフェスの両肩を掴み、そう叫んだ。



「私たちが付いていながら申し訳ございません……! リリアナ女神様がおられた遺構内に、ノワルが侵入したようです。


彼の歌を聞き、情けないことに私たちはその場で気を失っていたようで……」



ネレオは青ざめながら唇を噛み締めていた。




「……前言撤回。少数部隊でリリアナ様の捜索に向かうよ。


長剣部隊と長槍部隊のそろう第5部隊と僕、後は……」



「ユリウス副団長! 我々も参ります」



「……分かった。マルフェスとネレオも一緒に付いてきて。移動しながら当時の状況説明をお願い。


残りの部隊は基本待機で。でも臨機応変にね。


この後はヒューマに指揮を任せるから、エルゴは彼の補佐をしてあげて」



「おっけ」

「御意」





ユーリは各部隊長らに指示した後、シェリがホメロスと共に去って行った方角を見やった。



「急げシェリ。あんなやつらに、絶対にあの子を取られるなよ……!」




------




「ホメロス、オリオンや兄上たちの居所は分かりそうか?」



上方だと敵側に感知されやすくなるため、シェリはホメロスと共に地上付近を進んでいた。



戦闘の喧騒に紛れ、いつの間にか姿を消した

カリュブディスのことも気になるが、ノワルに至ってはあの魔声の攻撃が非常に厄介だ。



「リリィたちとも落ち合えればいいが」



カリュブディスとノワルの行方が分からぬ今は、ネレオやマルフェスが付いてくれているとはいえ、彼女のことが気がかりだ。




キュ……キュ……?



「ホメロス? どうした、何か見つけたか」



自身を乗せるホメロスが、何かを感知したかのように進行方向を変え、スピードを上げ始めた。



キュ、キュキュ……!



ホメロスの移動速度がどんどんと上がるため、水圧を遮るようにして少し瞼を落とした矢先、自身たちの向かう先から白くて大きな塊がこちらへと向かい泳いでくる様子が見て取れた。



「ベル……?」


「ピピピピ〜っ!」


「……ベル、リリィたちと一緒ではないのか? ネレオやマルフェスはどうした」



落ち合うや否や、ホメロスに跨る己の周りをぐるぐると何周も旋回するベルの様子に違和感を感じ、シェリはホメロスを通じ、超音波で会話を試みる。



キュキュ! キュキュ……!



「…………何だと」




(リリアナ様 サラワレタ。女神ノ間ヲ コウゲキシタ オトコ。


ユーリ様ニハ ネレオ様ト マルフェス様ガ ツタエテル)




「……ホメロス。悪いが、目的を変更する。今からはリリィの匂いをたどれ。


ベル。其方にはユーリへの言伝ことづてを頼みたい。恐らく皆も奴らに気付かれんよう、少数部隊でリリィ捜索へと繰り出したと思うが、先に兄上たちと合流してほしいと 伝えてくれ。


兄上とシリスハムは、リリィが捕らえられたことをまだ知らぬはずだ」




ベルを送り出した後、シェリは手中に長槍を創り出し、ホメロスが向かう先を鋭い目付きで見据える。



「……海神かいしん殺しになろうが構わん。そもそも、我々や人間を脅かしている時点で神などではない。



リリィを取り戻すためなら手段は選ばん。覚悟しておけ、カリュブディス……!」




シェリの、獲物を握る拳には色のない血管が幾筋も走っていた。




------




『リリアナ女神様!!』



こちらへと走り泳いだシリスハムが私を腕に抱きながら、地を転がるようにして海魔の攻撃を回避した。



彼の息遣いは先程よりもさらに荒く、肩で呼吸を繰り返している。



それに……



「シ、シリスハム様! 傷が……!」




彼の身体は、海魔の歯牙しがに裂傷を幾つか負っていた。


肉がえぐれ、その皮膚からは鮮血ではない黒くドロドロとした体液が流れ出ている。



「ふふ。貴方は本当に馬鹿な男ですよね、シリスハム。


女のためなら自身が忌み嫌っている海魔族にでもなり、さらにその命が尽きようとしている今でさえ、彼女の盾になろうとするなんて」




ノワルのその言葉に、冷やりとした嫌な汗が私の背中を伝う。



「命が、尽きる……?」


「彼の寿命が来た、ということですよ、リリアナ女神様」




寿命……? どうして?


シリスハムはまだよわい350になったばかりだと言っていた。シェリやユーリと同じ年頃なのだと。



海魔族になれば、極端に寿命が減るとでもいうのか。


いや、シリスハムを含む最近に海魔族となった者たちを除けば、彼らは皆、1000年前の海底戦争を経験している者ばかりだと聞いたはずだ。




「その男は海魔族となる際に、カリュブディス閣下に、あろうことか取引きを持ちかけたのです」


「取引き……?」


「ええ、そうです」




コツリ、コツリと足音を立ててこちらへと歩いてくるノワルに気付き、シリスハムは私を抱く腕にさらに力を込める。



「 完全体になると記憶を無くす、自我を失うと知った彼は、海魔族になることに異論はないが、絶対に忘れてはいけない人がいるので記憶だけは無くしたくない、無くさないために何か方法がないか、と閣下にままを言いましてね」



「だから余はその提案を受け入れたのだ。

脳の変化へんげを止める方法ならばある、とな。


しかしそれは自然のことわりからは外された行為。代償はつきものだとも。


生命軸の進行、即ち脳の老朽化を無理やり止めるに当たって、"もう一つの生命軸" の変化へんげが急速に進む。



つまり、"心の臓" の老朽化が早急に進められることになる。

自身の持つ生命時間を大幅に削ることになるぞ、と」




カリュブディスは遺構内から私たちを見やると、さらに言葉を続けていく。



「しかしそやつはそれを受け入れた。


ただの一目会い、懺悔ざんげを述べ、想いびとが未来へと進むための一つの踏み台となれるなら、と。



……難儀な男よの、シリスハム。


まこと、女神の愛し子とは罪な女よ」





身体が震えているのは、私を抱きしめているシリスハムか。


それとも、私自身のものか。



『……リリアナ女神様。これは私自身の問題ですのでどうかお気になさらず。


貴方様のことは必ず、私がお守りいたします』




私からゆっくりと手を離したシリスハムが、

手中に再び長剣を創り上げ、上方を舞う海魔を睨める。



ギィィィィィィィィ



無数の大海蛇の頭たちが、シリスハムに向けて一斉に牙を向けた。



「……っ、シリスハム様!」




彼はさらなる裂傷を受け続け、傷口から噴き出る生血せいけつが止まることはなかった。



『海魔族となったからとて、見くびってもらっては困る……!』



海魔に向けてそう言葉を放ったシリスハムは、狙いを定めたかのように一つの首へと斬撃を与えた。




『リリアナ女神様、こちらへ!』



シリスハムのその一撃が効いたのか、海魔がよろめくように上方へと戻った隙に、シリスハムは私を抱きかかえ、この場から離れるようにして走り泳いだ。






「火事場の馬鹿力、とはこういったことを言うのでしょうか?」


「やはり惜しい男だったやもしれんな」



シリスハムに抱えられながらもカリュブディスとノワルへと視線を向けたが、彼らは追いかけては来なかった。





カリュブディスたちのいた場所から随分と離れたとある遺構で、私はシリスハムにその身体を降ろされた。



『リリアナ女神様、足をくじかれていますね。お待ち下さい、今、応急処置を、』



「……シリスハム様、私じゃなくて自分の心配をして下さい! すぐに祝福を送りますから!」



私はシリスハムの前で膝を着き、その場でお祈りを唱え続ける。



涙がこぼれそうで、私は祝福を送る間、ずっと眼を閉じたままでいた。



彼の、相変わらず苦しそうな呼吸音が私の耳奥へと鳴り響く。



『……リリアナ女神様、目を開けて下さい。貴方様の瞳を、どうかもう一度見せて下さい』




涙が落ちるのを必死に我慢しながら、私はシリスハムの言う通り、両眼を開いた。



『……ああ、やはり美しいですね』



力無げに微笑み、そう呟いた彼の身体がグラリと傾く。



「……っシリスハム様!」




私の腕では支えきれなかった彼の身体が、ゆっくりと私の膝下へと倒れ込んだ。



「どうして……! 祝福が効いていないの?!」


『……リリアナ女神様、落ち着いて下さい。


大丈夫、祝福はいただいています。痛みが、和らいでいるので』



(嘘……! だって傷口が全然塞がらないもの……!)



私の祝福には治癒の力があるわけではない。でも、傷の進行や出血を止める効果はあるはずだ。



なのに。

何度お祈りを唱えても、シリスハムのドロリとした黒い血液は私の手のひらをすり抜け、地へとこぼれ落ちていく。



『リリアナ女神様、私は大丈夫ですから。それよりも、団長たちに伝えていただきたいことがあります』



シリスハムは私を落ち着かせるように優しい声色でそう話す。



「シェリたちへ……?」



『はい。"ヒュドラー " との戦闘について。海魔の攻撃ですが、どうやら一貫性があるようです。


九つある首のうち、ある一つの "かしら" を守護するようにして、他の首たちが我々の攻撃を防いでいるように思います。



恐らくは中心に位置する首が主軸。

先程、私が斬撃を与えた首です。その首を滅することが、海魔討伐のかなめとなるはず。


あの首だけは他の八つのそれとは違い、どこか戦闘に "怯えている" ように感じました』



「怯え……?」



『はい、定かではありませんが。


首が九つもあるため、騎兵団の者たちが先程に行っていたように、各部隊で結集して戦闘するのは勿論です。


しかし海魔は身体が巨体な分、旋回に時間を要するのです。


そのため、前方と後方を時間差で攻撃するよりも、前方後方の両側から、同時に一斉攻撃を仕掛けるのが良いかと。



私は海魔との集団戦闘に参加していませんでしたので、あくまで第三者からの見解ですが』



「……シリスハム様」




……この人はまぎれもなく、海人騎兵団の元部隊長だ。


戦闘に参加していなかった時でさえ、勝機へと導くための軍略を考えていたのだから。



『このことを団長たちへお伝え下さい。


そして、貴方様も必ず、マーレデアム王国へとお帰り下さい。


海底戦争より民を救えるのは、浄化と祝福の神力を持つ貴方様だけです』





" 私は民を守りたくて海人騎兵団に入ったのではありません。


女神の愛し子様に一番近付きやすい職務として選んだまでです"




もう随分と昔に感じる日に、シリスハムが私へと放った言葉を思い出してしまった。




(……シリスハム様の嘘つき)



私の両眼からは涙があふれ、留まらない。



「……シリスハム様。シェリたちにはどうか、ご自身の口から伝えて下さい。


みんなで一緒に、マーレデアム王国へ帰りましょう」




シリスハムは穏やかな笑みを浮かべながら、自身の指を私の目元へと添えた。



『貴方様が私のために泣いて下さった。それだけで十分です』



「私はまだ、あなたに約束の手料理を振る舞っていません……!」



『そうですね、それが心残りです。叶うなら、貴方様のことをもっともっと知りたかった』



そして、私の髪を一房 すくうと、そっと目を閉じ、口付けてくる。



『私は罪人です。その事実が消えることはありません。


それでも、マーレデアム王国民の一人として旅立つことをお許し下さいますか?』




再び開かれたシリスハムの眼は、もう金瞳ではなくなっていた。それは、くぐもった黄土の色へと変化していた。



彼の土色に染まった手がもう一度私へと伸ばされる。

だがそれも、私の頬をなぞることはもうなかった。





彼の指先が、身体が。

光を帯びた水泡みずあわへと変わっていく。



そしてその立ち上がった泡々はポコ、ポコ、と虚しく音を立てながら、私の涙と共にどんどん海中へと溶け込んでいくのだ。




『……リリアナ。あなたが女神の愛し子だからではなく、一人の女性として心からお慕いしていました。



あなたの未来に、どうか多くの幸が在らんことを』





シリスハムが、私の元から消えていく。



悲しくも美しい、愛の言霊ことだまだけを残して。





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