9. 陸王からの挑戦状
第三章 『古の海の魔物編』
「我ながらナイスタイミングだ!」
ギルは満足そうにそう言って、私のことを海から引き上げた。
そしていつものごとく、バルバロス号の客室へと招き入れてくれる。
「さて、何から話すか……
いや、しっかしよくもまあ、運良く海森まで逃げて来れたな、お前」
(運良く……)
「ラドシェリムはホメロスがパートナーじゃなかったのか?
とぼけた顔した白イルカに乗って、血相変えて入江に現れやがったぞ」
「えっ…… シェリとベルに会ったの?!」
「数時間前にな。あいつが俺に頼るなんざ珍しいこともあるもんだと思ったが、なるほどな」
ギルは再び目を細め、ノワルの爪痕が付いた私の肩を見やる。
「ラドシェリムから かいつまんで聞かされたが、騎兵団の新人だと思ってた男が、実は海の魔物・セイレーンだったとか何とか。
で、そいつがリリアナのことを狙ってるらしいじゃねえか」
ノワルは古の海の魔物の一人だった。しかも、彼の背後にはあのカリュブディスがいる。
私は眉を寄せ、両手をぎゅっと握りしめた。
「ところで。あのベルとかいう白イルカはお前のか?」
ギルは話題を変えるようにして、私の胸元にある獣笛を顎で指し示した。
「……うん。最近私のパートナーになってくれた子なの」
「ラドシェリムがホメロスに乗ってなかったのは、あの鮫が動けねえ理由があるからか」
私は唇を震わせながら、ギルの言葉に頷く。
「……何があった、リリアナ。話してみろ」
私が今にも泣き出しそうな表情をしていたのだろう。
ギルは私に視線を合わせるようにして、その場に片膝を着いてくれた。
「何だと?! お前それじゃあ、結局海底にいても危ねえんじゃねえか!」
私がこれまでの出来事を話し終えた途端、ギルは苛立たしそうにその場を立ち上がった。
先程の私への気遣いはすでになく。彼は仁王立ちになって、鬼の形相で私を見下ろしながら声を荒げている。
「……ほんと、ギルの言う通りだと思う。
まるで私の居場所は、大切な人たちのそばにはないんだって、そう言われてるみたいで……」
陸にいても海にいても、私は結局、大事な人たちを全然守れていない。
それどころか、今度は私のせいで、1000年前の海底戦争のような大規模な交戦を引き起こしてしまうのではないか。そんな想像さえしてしまう。
度重なる深刻な事態と事実を目の当たりにして、私はどうしても弱気にならざるを得なかった。
「……チッ」
目前に立っているギルが舌打ちをする。
しかし、次の瞬間には私の頭に自身の手のひらをポンと乗せた。
「ギル……?」
「ったく。そうじゃねえだろ? この国にとってもマーレデアム王国にとっても、リリアナが支柱なんだよ。
お前がいなきゃ、マーレデアム王国はずっと汚染まみれだ。グッセンスタシューン王国は、一生極貧国のままだ。
どこにいようがお前の居場所なんて有り余ってんだよ。なのに、なーに弱気なこと言ってやがる!」
ギルはそう言って、私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
彼は乱暴で破天荒なところもあるが、面倒見の良い兄貴肌で、グッセンスタシューンの民の人たちにも、元海賊の部下の人たちにも、それはそれは慕われている。
海に戻った私のことも、今もこうやって気遣ってくれる、本当は優しい人だ。
「……ありがとう、ギル。ギルと話してると、私も頑張らなきゃって思えるから不思議。
やっぱり一国を支える国王様の言葉は勇気がわくね」
「お、惚れてもいいぞ?」
「あ、それはないです」
「てめえ…… 相変わらずはっきり言うな」
ギルは苦笑しながらも、今度は自身の頭をガシガシと掻く。
「まあ、今回は俺が一肌脱いでやるか」
「へ……?」
私は喉から間抜けな声を漏らしたが、ギルは何か考えがあるのか、不敵な笑みを浮かべていた。
「わぁ…… グッセンスタシューン城の中って、ものすごく豪華なんだね」
静寂な城の中で、私とギルの足音が響く。
ギルはあの後、彼の現住居であるグッセンスタシューン城へと私を案内してくれた。
もちろん、今回私がこの王国を訪れていることは民たちには秘密。
そのため、港町の入江から内陸部に位置するお城までに、私は三回も変装することになってしまった。
話はお城の装飾に戻って……
「こんなゴテゴテした城、正直全っ然肌に合わねえんだけどな」
ギルは足を進めながらも、少しゲンナリとした様子で辺りを見渡す。
うん、なるほど。グッセンスタシューン城はどちらかと言うと、女性が好みそうなお城だ。
ロマネスク洋式で、昔のお伽噺によくある、物腰の柔らかい素敵な王子様と、舞踏会で運命的な出会いが出来そうな……
しかし隣にいたのは、色黒でザ・海の男といったようなワイルド系の男性。
私が生暖かい目でギルを見やっていると、それに気付いた彼が少し首を傾げつつも言葉を紡ぐ。
「お前をしばらくの間預かってくれと、ラドシェリムから言われてる。
全く、この短期間で俺も随分と信頼されたもんだぜ」
ギルは心外、とばかりにポーカーフェイスを装ってはいるが、心なしか少し嬉しそうだ。
いつの間にか、曇っていた心が少し晴れていることに気付く。
私はほんの少し、口角を上げた。
「城には最低限の人間しかいねえ。しかも俺が信頼してる奴らばかりだから安心しろ。
で、ここでのリリアナの侍女なんだが、本当ならテキパキ仕事のこなせる初老当たりの女をお前に付けたかった。
……付けたかったんだが、俺とラドシェリムの会話を盗み聞きしてた跳ねっ返りがいて、そいつがどうしても自分をリリアナのそばに付けろって言ってうるせえんだ」
ぬ、盗み聞き……?
ギルに違わず、そんな大胆な女の子がグッセンスタシューンにいたなんて。
「元海賊の部下以外に海人族のことを知られちまったのは俺の落ち度だ。そのことはすまねえ。
もちろん、口止めはしてある。侍女の仕事もそいつにしっかりやらせっから」
そもそも、突然お世話になるのはこちら側なのに、お付きの人を付けてもらうこと自体気が引ける。
一応陸王の後見人という肩書きが私にあるためだろうが、大変申し訳ないとさえ思う。
……その、私の侍女に立候補をしてくれたという女性と仲良くなれれば良いのだけれど。
そんなことをもんもんと考えているうちに、私はいつの間にか、ギルにとある部屋の前
へと案内されていた。
「城に滞在する間はこの部屋を使え。丁度例の侍女に、ここの掃除を頼んである」
ギルが一言、入るぞと言って部屋のドアを勢いよく開けた。
すると中には……
「わーっ、いらっしゃい! リリアスお兄ちゃん待ってたよーっ!」
「?! エマ…………?!」
部屋の中には、かつて "死に損ないの地" と呼ばれる場所で生活をしていた、あの孤児の少女、エマの姿が。
「久しぶりだねエマ! 元気だった?」
「うんっ! 他のみんなも元気にしてるよ!」
飛び切りの可愛い笑顔を浮かべながら、エマは私へと駆け寄り、抱き付いてきてくれる。
「まさか、エマが私の侍女になってくれる子?」
「うん、そうだよ!」
なんと、立候補してくれたのは幼い彼女だった。
「リリアスお兄ちゃんが作ってくれた教科書で、毎日ちゃんとお勉強も頑張ってるんだ〜!」
「わあ!エマ、えらいっ」
「えへへ。それに、"はなよめしゅぎょう" も
頑張ってるよ」
「ふふっ。エマはギルの、未来のお嫁さん候補だもんね」
「うんっ!!」
エマはもともとしっかりした性格の女の子だったが、ギルが国王になってからはそのしっかり者さに、さらに磨きがかかっているように思える。
エマと私がクスクスと笑い合う中、呆れるようにその様子を見ている男が一人。
「うおーい。盛り上がってるとこ悪いが今後の予定を話し合うぞ。
エマ、挨拶が済んだのならお前は学校だ」
「ええ〜!あたしももう少しリリアスお兄ちゃんとお話ししたい!」
「リリアス兄ちゃんじゃねえ。今後はお前の主人、リリアナ様だ」
ぷくりと頬を膨らませるエマに対し、ギルはビシリと言い放つ。
「い、いいよ、ギル。そんな、呼び方なんて」
ちょっと喧嘩モードの二人にあたふたしながらも、私は思わずエマを背に庇う。
「だめだ。まだガキだろうが、それは徹底する。分かったな、エマ」
「……はぁい」
エマは少し唇を尖らせながら、しょんぼりとしている。
「……えっと、エマ。学校が終わったらまた一緒におしゃべりしようよ。あ、もちろん宿題がちゃんと終わってからね」
私はそう言って、エマの頭をゆっくりと撫でた。すると、エマは曇っていた表情を瞬時に輝かせた。
そうして、彼女は何度も私にゆびきりげんまんをした後、元気に学校へと出かけて行ったのだった。
「ったくあいつは……」
「ふふ、エマは素直で可愛いね」
「素直だが頑固すぎて将来心配だ」
「あはは。なるほど」
ギルとエマが今後どのような関係を築くのかも楽しみになってきた。
「元気出たみてえだな」
「……うん」
戦闘鮫魚たちのことは思い出すだけでも心が痛くてたまらないし、マクリルの屋敷に残してきたユーリたちのことだって気がかりだ。
……それに私の安全を第一に考えて、陸へと避難させる手筈を整えてくれたシェリ。
彼は私の婚約者という立場だけではなく、次期国王としての判断や、海人騎兵団団長としての責任もある。
きっと、水面下ではたくさんの事案を抱えているだろうに。
(シェリを支えるって誓ったばかりなのにな……
私がノワルから得た情報が、少しでもマーレデアム王国の役に立つと良いけれど)
「おいっ。元気出たんじゃねえの、か、よっと!」
「?!」
私がまた一人歩きをし始めたのを見たギルが、今度は説教ではなく、デコピンを食らわせてくる。
「ちょ、ちょっと、痛いよギル!」
「痛くしてんだよ。これ以上余計なこと考えねえようにな」
額を抑えつつ文句言いたげに (言ったけど)ギルを見上げると、ギルはふんっと大袈裟に鼻を鳴らす。
「さて。今後だが、また定期的にラドシェリムから連絡が入るはずだ」
「でもギル。シェリは私がグッセンスタシューン王国にいることを、まだ知らないはずだよ。
私を海森に連れて来たの、シェリたちじゃないもの」
「……あ? どういうことだ? リリアナお前、ユリウスと一緒だったんじゃねえのか?」
私はギルに、シリスハムのことを話した。
彼が元・宰相一家の嫡男で、海人騎兵団の部隊長だったことや、リヴァイアサンの一件で王国を追放されたこと。
そして、今は海魔族としてノワルに従っていることも。
「ノワルに付いてるシリスハム様が、どうして私を海森に連れてきたのかは分からないの。
……その上、私が彼のそばを離れて行っても焦らなかったし、追いかけても来なかったし……」
キレの悪い言葉しか出ないのが、何とも歯がゆい。
「……わざわざ海森にねえ。
なあ。その男、ほんっとにリリアナのこと覚えてねえのか?」
「多分……」
「何だ、はっきりしねぇなあ」
「う、ごめん」
「まあいい。お前が俺の所に避難してるってことを、今からラドシェリムに伝えればいいだけの話だ」
「えっ? ホメロスがいないのにどうやって……」
「おいおい。お前の首にかかってるそれはただのオモチャか?」
「!そっか、ベル……!」
私は自身の獣笛をギュッと握りしめる。
「後でもっかい入江に連れてってやるから、それを使ってあの白イルカを呼べ」
「ギル…… 頼りになります」
「惚れてもいいぞ」
「良い友達を持ったなって思います」
「は!そうきたか」
ギルはそう言ってケラケラと笑い、私の頭をくしゃりと撫でた。
「俺は今から朝の謁見だ。その間、リリアナはここで朝飯でも食っとけ。持って来させる。
あと、飯食った後は少し寝ろ。謁見終わったら起こしてやっから」
……そうだった。昨夜にノワルの襲撃を受けてから、確かに一睡もしていない。
「ありがとう、ギル」
「おう、じゃあな」
ギルは私にひらひらと手を振りながら部屋から出て行った。
シェリも私も、良い友に巡り会えた。
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ピィィィ
グッセンスタシューン王国の最南に位置する港町の入江に、私の獣笛が響き渡る。
「……相変わらず、俺には何っも聞こえねえ」
獣笛を鳴らす私の隣で、ギルはバルバロス号の船側に肘を付く。
グッセンスタシューン城を訪れてから数時間が経過した後、私たちは再び港町付近の入江へと足を運んでいた。
「鮫笛と獣笛は、パートナー同士しか聞き取れないように訓練してるから」
「いやいや、お前はパートナーじゃねえ他の鮫笛も聞こえてただろ」
「ちなみに怪魚にしか聞こえない魔笛も聞こえる……」
「……愛し子ってのも厄介だな」
ギルはちょっと同情するような眼差しを私へと向けたが、すぐにその目を再び海面の方へと移す。
「お、来たぞ。白い塊がふよふよ浮いて来やがった」
「! 」
海上に現れたのは私の愛鮫、白イルカのベルだ。
彼女は海面から顔を出し私の姿を確認すると、再び海中に潜って一目散にこちらへと向かって来る。
私は入江に腰を落とし、両手を広げた。
ベルは入江に到着すると、海面から器用に這い出て私の腕中にその大きな身体をぎゅっと収めようとしてくる。
「ベル、突然いなくなっちゃってごめんね。不安にさせたよね……!」
「ピピピピ〜ッ!ピピ!!」
「……もしかして、ホメロスからの信号を受け取ったのってベルだったりする? あなたがシェリたちに知らせてくれたの?」
「ピピピッ!ピピー!」
「そうだったの…… ありがとう、ベル……!
ホメロスの具合はどう? モネとルルや、王国の人たちはみんな無事?」
「……やっぱすげえわ、リリアナ。お前はイルカ語も分かんのかよ」
私たちが見事に会話をしているように見えたためか、ギルが目を大きく見開きそのように言った。
イルカ語が分かるわけではないが、ベルとは初めから気が合っていたせいか、普段もちゃんと意思の疎通が取れている。
私はベルを抱きしめながら、ゆっくりと彼女に向けて言葉を紡ぐ。
「ベル、見ての通り私は無事だよ。あなたに一つ頼みたいことがあるんだけど、いい?」
「ピピッ!」
「あのね、シェリに私がグッセンスタシューン王国にいることを伝えて欲しいの。
……きっと、心配してると思うから。お願い出来る?」
「ピピッッ!」
ベルは了解!とでもいうように、私の頬へとキスをする。
「……ありがとう、ベル。
そうだ、これをシェリに渡してくれる?」
私は自身の腕から、曾祖母の形見である腕輪を外し、ベルへと手渡す。すると、ベルはそれを器用に自身の歯へと引っ掛けた。
「シェリやみんなに、私のことは心配しないでって伝えて。……必ず帰るからって」
私はそう言って笑顔を作った。
彼女は私の言葉に応えるように海面付近を何度か旋回した後、再び海中へと戻って行った。
「お前はほんと、何にでも懐かれるやつだな」
ベルが降り立った海面を見つめながら、ギルがそう言葉を放つ。
「ベル、可愛いでしょ?」
「白イルカは置いといて、海の魔物の親玉とかな」
「……カリュブディスとは会ったこともないし、懐かれてもいないんだけど」
「まあ何にせよ、その海の魔物とは戦うしかねぇだろ。リリアナが陸にいるのだって、一時 凌ぎに過ぎねえ。
お前が海底に不在なら不在で、マーレデアム王国と魔物側で戦争をおっ始めるだろうからな」
「…………」
戦争なんて起きてほしくない。
もし、また1000年前の海底戦争のような争いが起こってしまったら、今度こそマーレデアム王国が危ない。
「……一度会って話し合うべきなのかな」
「甘いな。話し合いで済むなら最初から誰も死んでねぇ」
「……分かってる。でも、やってみる価値はある。
戦争なんかしても、何も残らない。でも言葉の交換なら、相手の心に少しでも跡を残せるかもしれない」
たった18年しか生きていない私に何が分かると笑われるだろうか。
単なる思い付きで政に口を出すなと罵られるだろうか。
「……お前の度胸は買ってるがな。世の中そんなにうまくいくことばっかじゃねえ。力ずくでなきゃ終わらねえものだってあるんだ。
同盟国からお前を預かってる俺が、簡単に良いだの悪いだの言えることじゃねえが、俺はその考えには反対だ。
いいか、絶対に一人で突っ走るなよ。まずはちゃんとラドシェリムたちにも相談しろ」
「……うん」
ギルの言う通りかもしれない。
……でも、戦わない方法は話し合いしかないのだ。
本来なら、双方の第一指導者であるポセイドン国王とカリュブディスの会談が一番だ。
ただ、国王は病を患っていることもあり、長時間の対話は難しいだろう。
それならば、次王のシェリ、あるいは宰相であるナプティムウトが適任だ。
しかし、カリュブディスと私の婚姻が絡んでくるとすれば、今の彼らでは必ず意見が対立してしまう。
「……私が、会いに行くのはどうかな」
もちろん、私では役不足なのは百も承知だ。
政治の知識などほとんど持ち合わせていない上、マーレデアム王国に住むようになってからも、まだ一年ほどしか経っていない。
それでも。
短い年月の中でも、私には得るものが沢山あった。
大切な人たちが教えてくれた温もりは、私にとっては一生の宝物だ。
「戦争は憎しみの連鎖に繋がるだけだもの。
次に海底戦争が起きれば、海に生きるもの全てが何らかの犠牲を強いられる。
海中の生態が崩れれば、陸上にも必ず影響が出てくる」
私は顔を上げ、目前に広がる広大な海を見つめた。
「役不足なのは百も承知なの。でもそれが、私の諦める理由になって良いはずがないとも思う」
「リリアナ、お前……」
カリュブディスに会って話がしたい。
1000年前と同様の海底戦争を繰り返すことには、双方にとって何も益がないということ。
海魔のこと。海魔族たちのこと。
カリュブディスと女神の愛し子との婚姻も、両国間の溝をさらに深める原因となり得ることを。
「ギル、お願いがあるの」
「……何だ、言ってみろ」
「私を国立図書館に連れて行って欲しい。
図書館の古書に、もっと詳しくカリュブディスについて残されている記述がないか調べたいの。
マーレデアム王国で私が文書にまとめた資料は本当に上澄みだけなんだと思う。
カリュブディスの伝承とか、巨大な渦を作って船を襲う、とか。
テティス女神様の元婚約者だとか、実は海神ポセイドンの子だとか、それって全部、ノワルに聞いたことだったから」
「なるほどな。マーレデアム王国にとって都合の良くねえものは、相変わらずお前の職場には置いてねえってことか」
「ギル、その言い方は、」
「まあ、王宮にはそれが記録されてる古書があるかもしれねぇけどな。
ボルドガンフル国王あたりなら何か知ってそうだ」
ギルは、お前は今 陸上にいるから海底にある書物はどっちみち読めねえか、と付け加えた後、
「いいぜ。国立図書館に連れてってやる。
ただし、明日だ。今日はもう城に帰るぞ。そんでもって何もせずに部屋でくつろいでろ。
お前、結局今朝もあんま寝れてねえんだろ?
クマがすごいことになってんぞ」
ギルは私の顔を覗き込んでそう言った。
「……分かった。今日は部屋で休ませてもらうね。
明日はごめんね? ギルも国王としてのお仕事がいっぱいあって忙しいのに」
「お前には世話になってるからな。
……それと。ちょっとリリアナに賭けてみたくもなった」
「え? 何?」
「いんや?俺の方も何か良いモノ仕入れたら知らせてやるよ。
最近取引を始めた外国の商人の話なんか情報の宝庫だからな」
「ほんとに、色々ありがとう、ギル」
ギルはその言葉に応えるように、私の背中をポンと叩く。
こうしてギルと私は入江を後にし、グッセンスタシューン城に続く道を、再び二人で歩き出した。
城に戻った後、私はお風呂を使わせてもらい、その後また数時間ほど眠りについた。
目が覚めた後は、せっかくグッセンスタシューンにいるということで、この王国の子供たちのための学習資料作りに励むことにした。
ギルには今日は何もするなと言われていたが、やはり私のために動いてくれている人たちのことを思うと、何かせずにはいられなかったのだ。
(……みんな、心配してるだろうな。
シェリ、会いたい…………)
心の中で、思わず溢してしまった本音をかき消すように、私は首を左右にぶんぶんと振る。
(……よし。今日の私は、今日出来ることをしよう。子供たちのために、絵本を作るのもいいな)
ここでの侍女になってくれたエマも、もうすぐ学校から帰ってくる。
朝に彼女と交わした約束を思い出しながら、私は女の子たちが大好きな、人魚のお姫様が主人公の絵本を作ることにした。
気合いを入れるため、ハッピーエンドバージョンで。
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その頃。
ギルは供も付けずに一人、城の地下へと続く階段を降りていた。
グッセンスタシューン城の地下はマーレデアム王宮のそれよりも遥かに広い造りになっている。
ギルは左右に入り組んだ階段を迷わず進んでいく。
自身が海賊時代に、散々捕まっては逃げてを繰り返していた地下だけあって、もはや己の庭と言っても良いかもしれない。
そんなギルが、一際頑丈な鉄格子の前で足を止めた。
「…………さて。大罪人のてめえと "ハンドレ" をしに来たぜ」
ギルは片手で鉄格子の柵を掴みながら、奥角に怯え佇む一人の男へと声をかける。
「お前にやってもらいてえことがあるんだが。
"元・女神の愛し子サマ" よ」
ギルの言葉にビクリと肩を震わせたのは、あのグッセンスタシューン王国の前国王。
白肌白髪の面影はなく、彼はすっかりギルと同じ少し薄褐色目の肌に黒毛という、本来の見目に戻っている。
「最近港町に出入りしてる他国商人らから、カリュブディスとセイレーンの情報を聞き出せ。
で、どんな些細なことでも逃さず記憶しておけ。
もし、"同盟国" にとって有益な情報を得たら、この牢獄から解放してやってもいい」
ギルは、聞き込み調査の間はてめえが逃げねえように俺の部下を付けるがな、とも付け加える。
「出ろ、"カリギュラ"。
お得意の奇術話術で、商人たちの情報をかっぱらってこい!」




