5. 約束の王都デート
第三章 『古の海の魔物編』
「わあ! 相変わらず王都はすごく賑わってるね」
「ピピピピ!」
「ふふっ。ベルは王都、初めてだもんね」
先日、私の愛獣となったこちらの白イルカ。
名前はベル。性別は女の子。
「随分と二人の息が合うようになってきたな。俺の指導が良かったか」
「……あんな乗獣特訓受けたら、誰でも上手く乗れるようになるんじゃない?」
私が恨めし気にそう話す相手というのは、もちろんシェリ。彼はベルに跨る私の隣に立ち、いつものようにニヤリと意地悪な笑みを浮かべている。
しかし。何はともあれ、今日は以前に彼と約束をしていた、"王都デート" の日だ。
今日のシェリはいつもの騎兵団の制服ではなく、またまた上半身裸の軽装でもなく、上下黒色の少しかっちりとした衣装を身に纏っている。
……何故彼はこうも、何を着ても、何をしても様になるのだろうか。
「なんだ、また惚れ直したか?」
「うん…… うん?!」
「奇遇だな、俺もだ」
シェリはそう言うと私の手を取り、その甲に自身の唇を押し当てる。
「……モテる人は言うこともやることも、やっぱり違うね…………」
初デートに浮かれている自分とは違い、彼の余裕ある態度が何だか憎らしくなって、私は少々唇を尖らせた。
そんな私を見て、シェリはほんの少し声を上げて笑う。
「その言葉、そのままリリィに返してやろう。
今日は民の目もあり、其方の手を引けない。決して逸れてくれるなよ」
名残惜しげに手を離したシェリはホメロスに跨り、私たちの少し前を進んで行く。
「……私たちも行こっか、ベル」
「ピピっ!」
今日は完全にシェリのプラン通りになりそうだなと思いつつも、大好きな恋人との初デートに期待を膨らませ、私はベルと共に二人の後を追った。
「愛し子様!この海フルーツ、良かったら食べてみて下さい!」
「殿下、この装飾品をリリアナ女神様にいかがです?」
「わ〜リリアナさま! 王都に遊びに来たの?!」
「ラドシェリムでんか、オレ、ボール投げるのすっごくうまくなったんだよー!」
私たちは王都に着くや否や、案の定王国民たちに囲まれてしまった。シェリに覚悟をしておけと言われてはいたが、まさかここまでとは思わなかった。
「み、みなさん、ありがとうございます!」
「皆の者、落ち着け。そんなに押し寄せては、リリアナ様が前へ進めんだろう」
シェリは苦笑しながらも、人々と穏やかに会話を交わしている。
「しかし殿下、愛し子様が王都へお顔を見せに来て下さるなんて、こんな嬉しいことはありませんよ!」
「いつも私たちのために海の浄化と祝福を行なって下さっているんですもの。今日くらい、リリアナ女神様におもてなしをさせて下さいな!」
「ねえ!リリアナさまとラドシェリムでんかは、今日はデート?」
「二人はついに、こいびとになったの?」
マーレデアム王国の人たちは優しいだけでなく、大人も子供も皆、本当にパワフルな人が多いように思う。
……そしてカイリ率いる子供たちはとても鋭い。
「デ、デートじゃないよ? 今日は王都の様子を見学しに来たの。ラドシェリム様は守人として付いてきてくれたんだよ」
私たちがお付き合いしていることは、一部の人以外公表していない。
シェリはさっさと声明を出したいようだが、国王初め、他の王族たちがそれを許さない。
守護者の人たちがその事実を知れば、またシリスハムの一件のようないざこざに私が巻き込まれる可能性があるからだそうだ。
「えーつまんなーい!」
「お似合いなのにー」
「こらっ、あんたたち。お二人を困らせるんじゃあないよ。
リリアナ女神様、私たちはあなたがこの王国にいて下さるだけで嬉しいんです。
女神の愛し子が、あなたのような優しい方で本当に良かった。これからもどうぞ私たちを導いて下さい」
私の手をぎゅっと握り、そう言葉をかけてくれたのは、カイリのお母さんだ。
「……こちらこそ、お役に立てて嬉しいです。
みなさまを見ていると、亡くなった家族のことを思い出します。……とても、温かくて。
だから、改めてお礼を言わせて下さい。
私のことを受け入れて下さって、本当にありがとうございます」
「リリアナ女神様……」
「……皆の者。この先も必ず、リリアナ様が我が王国をお導き下さる。愛し子様に恥じぬよう、我々も日々精進せねばな」
「はい、ラドシェリム殿下……!」
王国民たちの優しい人柄に触れ、私は胸がいっぱいになる。
「……リリアナ様。申し訳ありませんが本日は少々、民らにもお付き合い願えますか?
何やら貴方様に色々と世話を焼きたいようですので」
民の人たちを見渡しながら、シェリが私にそう告げた。
「……ふふっ、もちろんです。楽しみにしていますね」
私がそう返事をすると、その場にわっと歓声が上がり、あっという間に王国民たちに取り囲まれてしまったのだった。
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「やれやれ。せっかくの初デートだというのに、またリリィを他の者に奪われてしまったな」
シェリは苦笑しながらも、民たちの中心にいるリリィのことを優しい眼で見つめる。
「殿下もどうぞこちらへ!」
「ああ、ありがとう」
二人の初デートは、マーレデアム王国民たちによる大歓迎から始まった。
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「すっかり夕方になってしまった」
「ほんとだね。でも、すっごく楽しかった!」
結局私とシェリは終始、皆でぞろぞろと大行進のような状況となり、もはやデートどころではなくなった。
二人きりこそなかったが、念願のウィンドウショッピングも出来たし、王宮や女神の間の食卓には並ばないような、一般家庭の料理も色々と試食させてもらえたりして、とても充実した一日となった。
「それにしても、其方は相変わらず民たちに慕われているな」
「慕われてるのはシェリじゃない。ほんと、みんな気さくで良い人たちだよね」
王都デートを無事に終え、今はホメロスとベルと共に二人で帰路についている。
「さて。王都では其方を民らに取られてしまったからな。これから少しだけ、二人で海森に寄って行かないか?」
「! 行く!!」
「良い返事だ」
シェリはくつくつと笑い、ホメロスに跨りながら少し体を逸らして私の頭を撫でた。
王都広場の外門から王宮に続く道を進んで行くと、"海森" と呼ばれる海底の森のような場所に出る。その中心部にはとても美しい空間が広がっているのだ。
空気が澄んでいて、色とりどりの海水魚や珊瑚礁が一面に観覧できる、まるで海の美術館のような所だ。
私はこの場所がとてもお気に入りで、シェリとも一緒に度々訪れている。
「リリィ、今日は楽しめたか?」
「うん、すごく!今日は王都に連れて行ってくれてありがとう、シェリ」
「こちらこそ。民たちの件も、礼を言う」
ホメロスとベルが、楽しそうに海森の上方を遊泳している。私たちはその様子を眺めつつ、ゆっくりと腰を下ろした。
賑やかなデートも楽しかったが、シェリとこんな風に二人でのんびり過ごすのも、私は好きだ。
そんなことを思っていると、
「……リリィ。海森に誘ったのは、もう少し二人だけの時間が欲しかったのもあるが、其方に伝えねばならないことがあるからだ」
シェリからそう言葉をかけられた。私は視線を彼へと戻す。
「俺とリリィは近い将来に婚姻を結ぶ。だから其方にも、我が王家のことを話しておきたい」
「王家のこと?」
「ああ」
シェリはこちらに向き直ると、私の両手を自身のもので包み込んだ。
彼は一度大きく、深呼吸をした。
そして。
「――リリィ。ポセイドン家は、俺が継ぐことになっている」
「……え?」
私は目を瞬いた。
「王位を継ぎ、そう遠くない未来に国王の座に就かねばならん。
……俺と婚姻を結べば、いずれリリィも王妃となる。
其方は愛し子としての立場やグッセンスタシューン国王の後見人という役割もある。
それでも、王妃となり、我が民の国母となり、俺の隣にいて欲しい」
シェリがそう話し出した。
私は、まさかそんな話を聞くことになるとは思っていなかったため、思わずゴクリと息を呑んでしまった。
「そうなの……? だって、トリンティア様やナプティムウト様は?」
「姉上たちは王位継承権をすでに放棄されている」
「……どうして」
「近々、二人に面会を求める。俺ですら、まだ知らない事実があるようだから」
シェリの手に力がこもる。
……王位。そんなことは全然考えたことがなかった。
もちろん、シェリがマーレデアム王国の未来や王国民たちを心から大切に想っていることは分かっている。
しかし、どうしてトリンティアとナプティムウトは王位継承権を放棄したのか。
シェリはいつから、その事実を受け止めていたのだろうか。
「……リリィ、戸惑わせてすまん。情けない話だが、其方に婚姻を申し込む時にこの事実を話すことが出来なかった。
こんな重責を知れば断られるかもしれないと、心の隅で思っていたのかもしれん。
だからわざと、意地の悪いことを言って誤魔化した。俺は卑怯で、臆病な男だ」
シェリはそう言って、少し瞼を落とした。
「私が、この国の王妃……? 王族の皆さんはそれを知った上で私たちの交際や婚約のことを祝ってくれてたの……?
王国の人たちも、シェリが王位を継ぐことを知ってるの?」
「まだ知らされていないはずだが、薄々気が付いている者たちもいるようだ。
おそらくは、リリィが王妃になることも望まれている。
其方は確かに、テティス海女神の愛し子。
だが、民らにとっても、もうそれだけではないのだ」
シェリは私の手甲にそっと口付けた。
「今日、王都での様子を見ていて改めて確信した。リリィは本当に、民たちに心から慕われている。
どんな身分の者にも分け隔てなく接し、全民に正しくあろうとする真意な姿も、
リヴァイアサンでの一件のような、身を挺して海人族の子を守ろうとする勇気を持っていることも、…… 類い稀なる慈悲深さを備えていることも、もうマーレデアム王国の民たちは知っているのだ」
私の脳裏に、王国民たちの笑顔が過ぎる。
明るくパワフルで、それでいてとても温かくて……
故郷を離れ、家族のいない私にとって、彼らが私を必要としてくれることが、どれほど心強いか。どれほど有難いことか。
まだマーレデアム王国に来て一年しか経っていないというのに、まるでもう何年もここで過ごしてきたような充実さだ。
私は自身に重ねられたシェリの手を見つめる。彼の手は大きくて、本当に安心できるものだ。でも。
「……シェリ。あなたは強くて優しくて、みんなにとっても頼りにされているけど、時々すごく、無茶をするよね。
だから、シェリが寄り掛かりたいって思った時は、私を頼ってほしい。
だって、前からずっと言ってたでしょう? 私はシェリの支えになりたいって」
王族である彼だって、一人の人だ。不安に思うことがないなんてこと、あるはずがないのだ。
「シェリと一緒に、みんなが心地良く暮らせるような、そんな海にしたい。
私も、大事な "家族たち" を守りたい」
シェリの瞼にキスを落とすと、彼は私の肩へと額を預ける。
「……リリィ、愛している。其方と出会えて、本当に良かった」
シェリの、ほんの少し震える声を安心させるように、私は彼の頭を両腕で包み込む。
己に課せられる、さらなる重責が怖くないわけではない。事実17年間、私は王政を知らず共和国で暮らしてきたのだ。
それでも、シェリの支えになれるのなら、この王国の人たちの役に立てるなら、私はそれを選びたいと思う。
彼と一緒に、この王国の未来を見てみたいのだ。
今は心から、そう思える。
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「……そうか。昨日の王都見学の後、リリアナ様とちゃんと話せたんだね」
騎兵団本拠地の書類仕事部屋にて、ナプティムウトがシェリにそう言葉をかけた。
「はい。もちろん、初めは戸惑っていましたが、最後は俺の情けなさを見抜き、自分に頼れとまで言ってくれました。
……リリィには敵いません」
「あはは。さすがは我らの愛し子様だ。私も、あの方以上の国母はいないと思っているよ」
「それで、兄上と姉上に相談がありまして」
「王家御用達の宝石職人に連絡しておくよ。婚約指輪の依頼だろう?」
「はい。本当は今日にでも渡したかったのですが」
「王国民の場合はプロポーズの言葉と共に指輪を差し出すっていうのがベストだろうね。
でも我々王族は相手の地位承諾を得てからでないと婚約指輪の制作依頼が出来ないからね。
近々姉上と三人で、デザインや使う石についてを話し合おうか。
我が家が代々お世話になっている職人たちがきっと素敵に仕上げてくれるよ」
「……確か、兄上のそのブレスレットもその職人たちが作ったものだとか」
「……そうだったね」
「兄上。詮索はすまいと思っていましたが、兄上が王位を継げない理由は、そのブレスレットと関係がありますか?」
「……未来の国王は流石に鋭いね」
「それは、人毛で作られたものですね? しかも、海人族のそれではない」
シェリはナプティムウトの腕に付けられたブレスレットを見つめる。
「どうかリリィにも、何故兄上と姉上が王位を継げないのか、話していただけませんか?」
「……もちろん、そのつもりだよ。
私たちは若い二人に、王国の未来を押し付けてしまったんだから」
「兄上、それは、」
「でも。このブレスレットのことがなくとも、私はシェリこそが、このマーレデアム王国の次王に相応しいと思ってる。
君が王国を想う心は誰よりも強く、尊いものだから」
「兄上……」
「あー!いたいた宰相様! もう、すっごく探したんですよー!」
しかし、少ししんみりとした空気の中に、突然明るい声が降ってきた。
「あれ? ていうか、何でシェリがここにいるの? 君は今日、リリィと王都見学のはずでしょ?」
「ユーリ…… お前はもう少し、静かに入ってこれんのか。それに、王都見学は昨日に終えたぞ。
ユーリこそ何故一人なのだ。リリィの護衛はどうした?」
「はあ? ちょっとシェリ、それ本気で言ってる?
わざわざ僕の所に早魚まで飛ばしてきてさ。王都見学に行くから今日の護衛自分と代われーって言ってきたの、そっちじゃないか」
「早魚……?」
「……ねえ、待って。これってシェリからで間違いないよね?」
ユーリは自身の懐から、一枚の手紙を取り出した。
「……なんだ、これは…………」
シェリの顳顬に汗が伝い出す。
己の手には、出した覚えのない "自身からの手紙" が握られていた。
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「ベル、ごめんね。せっかくセラチモルファ・ドムスから来てくれたのに。
お仕事、なしになっちゃったんだって」
女神の間のテラスで、私はベルの頬を撫でつつ彼女にそう伝える。
というのもつい先程、私の元にシェリからの手紙が届いたのだ。
内容は、騎兵団で緊急会議を開くことになったから今日の書類仕事が出来なくなってしまった、というもの。
早魚を使うくらいだから、本当に急ぎの案件だったに違いない。
「会議って、カリュブディスに関することかな……
一人で出歩くと怒られちゃうから、散歩にも行けなくてごめんね、ベル」
「ピピピ……」
お散歩がてらの出勤に付いて行けず、少ししょんぼりとしているベルを、しばらくの間撫でていると……
♪ ♪
「……あれ、歌声……?」
突然に、美しい歌声がどこからともなく聞こえ出した。
男性のような女性のような、どちらともとらえることが出来るような美しい声が、このテラスに響く。
「すごく綺麗な歌声だね。誰が歌ってるのかな」
思わず手を止め、この心地良い歌声に耳を傾けていると……
「本当に美しいわ……」
「この世のものとは思えないくらいに……」
部屋で仕事をしていたモネとルルもテラスへと出て来た。
「モネ、ルル、お仕事お疲れ様。
ねえ、この歌ってマーレデアム王国で流行ってるもの? すごく綺麗だね!」
「本当に美しいわ……」
「この世のものとは思えないくらいに……」
「……モネ、ルル? 二人ともどうしたの……? 」
しかし私の声が聞こえていないのか、二人はただ前だけを見据えテラスを歩いて行く。
心なしか目も虚で、まるで何かに取り憑かれているかのようだ。
「モネ、ル……」
ギィィィィィィィィ!!
「?! な、なに……?!」
再び二人に呼びかけようとしたが、それを今度は、耳がキンと痛くなるような、悲鳴のような甲高い声にかき消されてしまった。
「……ちょっと待って。 まさかあれって、怪魚…………?」
私たちの目前、女神の間前方に現れたのは、巨大なエイの姿をした怪魚。
「モネ! ルル……!!」
私は背中に汗を伝わせながらも侍女たちの元へ駆け寄った。そして、階段を降りかけていた二人の腕を掴み、すぐさまテラスへと引き戻させる。
(どうしてここに怪魚がいるの? この近辺は騎兵団の人たちが見回りをしているはずだし、みなさんなら絶対にすぐに気が付くはずのに……!)
私はモネとルルの肩をぎゅっと抱きながら、再び怪魚へと視線を移す。
(……でも、あの怪魚、何だか様子が変じゃない……?)
怪魚はその巨体をバタつかせながらこちらへと向かっては来るが、何故かテラスの中に入って来ようとはしないのだ。
(もしかして、"入って来れない" ってこと?)
この女神の間は、テティスの娘だった初代愛し子が建てた離宮。
私の首にかかるこの女神の秘宝だって、その愛し子が作りだした逸品だ。
テティスの力を一番色濃く受け継いだであろう彼女が、ここに結界の一つや二つ残していてもおかしくはない。
……しかし、今はそんなことより現状をどうにかしなければ。
怪魚は未だ女神の間付近を浮遊している。まるで私たちが、結界の外に出てくるのを待っているかのようだ。
「……リリアナ様? わたくしたちは、一体何を……って、あ、あれは怪魚……?」
「ひっ……! ど、どうして怪魚がここに……!」
すると、抱き寄せているモネとルルが、今度は身体をぶるぶると震わせ始めた。
……やはり。今の今まで、目前にいる怪魚の姿が侍女たちには見えていなかったらしい。
私は震える二人を抱きしめながら、その背をゆっくりと撫でる。
「大丈夫だよ、二人とも。あの怪魚、ここのテラスには入って来れないみたいなの」
私は二人を安心させるため、敢えて笑顔を作った。
モネもルルも腰が抜けてしまったようだが、当然だ。私だって、巨大チョウチンアンコウを初めて見た時は身動きが取れなかったのだから。
それにしても、どうして二人は今の今まで、あの巨大な怪魚に気が付かなかったのか。
……いや、二人の様子がどこか異様だったのは、あの歌声が聞こえてきた時からだ。
(まさか、あの歌が二人を操っていたの……?)
海人族ではなく人間のためか、それとも愛し子としての力のおかげか。
この中では私だけが、あの歌声に惑わされなかったようだ。
「……モネ、ルル。二人は先に女神の間に入ってて。ちょっと試したいことがあるから」
「リ、リリアナ様?! 何をなさるおつもりですか?!」
「貴方様お一人をここに残して行くなんて、出来るはずがございませんでしょう!」
侍女たちは顔面蒼白になりながら、私へと抗議する。
「二人とも、お願いだから」
「「絶対になりません!!」」
(またあの歌声が聞こえてきたら、今度こそ二人が危険な目に合う。
……なら、ここは一つ)
「ベル!」
「ピ……?! 〜〜っ、ピピっっ!!」
私の意図を分かってくれたように、ベルが二人を攫うようにして背に乗せ、そのまま部屋へと向かった。
「ベル、ありがとう! 二人のことお願いね」
三人が完全に部屋の中へと入ったのを確認した後、私はその場で膝を着き、胸前で指を交差させた。
愛し子のお祈りを唱えるためだ。
「母なる海女神・テティスよ。其方の愛し子である我の願いを聞き入れ給え。
親愛なる海を鎮めよ。
我が子なる民を護り、生命に豊かな息吹を与えよ。
我は其方の愛し子なり。
其方の意思を紡ぐ者なり」
頸にある女神の紋章と、首にかけられた女神の秘宝が光を放ち、それはやがて怪魚へと降り注がれた。
ギ、ギギィィィィ……!
(……うん、思った通り)
お祈りを唱え浄化を行うと、私の読み通り、その怪魚は段々と小さくなっていく。
恐ろしい怪魚を目前に、もちろん心臓は何度も口からまろび出そうになったが、ここまで冷静に対応出来たのは、リヴァイアサンでの一件があったからだ。
あれは本当に恐ろしい体験だったので出来れば思い出したくはないのだが、今はその経験が活かされている。
(あの時はお祈りの言葉も覚えていなかったけど、怪魚の浄化が少しだけ出来た。
でも、今はちゃんと間違えずに唱えられるし、エイ型の怪魚がテラスに入れないことも分かってる。
……だから大丈夫、頑張れる!)
私はそう自身へと言い聞かせ、震える両手に力を込める。
気を引き締め、もう一度浄化を行おうとお祈りを唱え始めたその時。
ドゴォォォ!
突然目の前で雷が轟くような音が聞こえた。
さらにその雷鳴音と共に、青白い光が当たり一面に広がったため、私は思わず目を瞑ってしまう。
「……リィ!」
しかし同時に、誰かにきつく抱きしめられるような感覚に見舞われた。
「リリィ!」
「……え、シェリ………?」
恐る恐る眼を開けてみると、目前にいたのはあの怪魚ではなく、最愛の恋人だった。
「リリィ、どこか怪我は?! 何という無茶を……!」
苦しげに眉を寄せ、顳顬に幾筋もの汗を伝わせているシェリが、私の頬を両の手で包む。
「シェリ、どうしてここに…… 確か緊急会議が開かれてたんじゃ……」
「リリィっ、大丈夫?!」
「リリアナ様、お怪我は?!」
「……ユーリ、それにナプティムウト様まで……
って、か、怪魚は……?!」
「問題ない。其方の祈りでかなり弱体化していたからか、ほんの一突きで邪気がすべて浄化されたようだ」
シェリの視線の先をたどると、先程の巨大な怪魚の姿はどこにもなく、代わりに、手のひらサイズほどの可愛らしいエイがテラスの外を浮遊していた。
「リリアナ様っ……!」
シェリたちの登場と急激に縮小化した怪魚に驚いていると、今度は女神の間から勢いよく、侍女の二人が飛び出してきた。
彼女たちは男性陣たちを押し除けるようにして、私へと思い切り抱きついてくる。
「リリアナ様は、本当に、本当にどうしてっ……!」
「わたくしたちは貴方様の侍女なのですよ?! 主に守っていただく家臣など、どこにいますか……!」
可愛い二人の顔が、涙でぐちゃぐちゃになっている。
「ごめんね、二人とも心配かけて……
私がお祈りを唱えれば、怪魚の浄化が出来るはずだって思ったから」
私はそう言って侍女二人の背を抱きながら、恐る恐る男性陣三人に視線を投げた。
……案の定、シェリは眉間に深く深く皺を寄せ、ユーリは顔面蒼白気味、ナプティムウトは眉をこれでもかという程に下げている。
皆の顔には、「また一人でどうにかしようとしたな?」と書かれている。
「……でも、許せないよ。リリィたちをこんな目に合わせて」
「本当にね。でも、おかしいと思わないかい?こんな、浄化がどこよりも進んでいる女神の間付近に怪魚が現れるなんて」
ユーリとナプティムウトが思考を切り替えるようにそう話し出したので、私も当時の状況を説明しようと口を開く。
「実は、怪魚が現れる前、どこからか綺麗な歌声が聞こえてきたんです。
ね? モネ、ルル」
「歌声、でございますか?」
「わたくしには何も」
「……え? だって二人はそれで……」
「……歌声、だと? リリィにはそれが聞こえたのか?」
そう話す私たちに、シェリがさらに訝しげな表情を向けてきた。
「うん…… でも、その声が聞こえてる間、二人の様子は何だか変だった。
目が虚だったし、自分から怪魚の方に行こうとしてたし……」
「……其方は何ともなかったのか?」
「う、ん…… 綺麗な歌声だなとは思ったけど」
「……ねぇリリィ。その歌声って男? それとも女の声だった?」
すると、今度はユーリがそんな質問をしてきた。
「うーん、どうだろう…… どっちとも取れるような感じだった。でも、ほんとにすごく綺麗だったの」
私がそう答えると、ユーリはしばらくの間、眉を寄せて自身の顎を撫でていた。そして。
「ちょっと僕、今から一旦エーギル家に戻るよ。おいで、イシス!」
彼は鮫笛を使い、愛鮫であるイシスを呼び寄せる。
「……ユーリ、何か思い当たることでもあるの?」
「ん。うちの書庫にね、海の魔物について書かれた文献があるんだけど、そこに確か、"歌を武器" にする奴がいた気がするんだよね」
ユーリの言葉に、シェリとナプティムウトの眉がピクリと上がった。
「それと、例の "新人" の件だけど、もしかすると僕の "もう一つの読み" が当たっているかもしれない」
「……なるほど、我々も舐められたものだ」
いつの間にかシェリの額には幾重にも青筋が浮かび上がっていた。
彼は、何か手紙のような物を懐から取り出すと、それをグシャリと握り潰した。
「我らの愛し子をこのような目に合わせるとは、実に良い度胸をしている。
この落とし前はどうつけてもらうとしようか」
そして、シェリのその激しい金色の眼光は、何故か海人騎兵団本拠地の方へと投げられていた。




