056 たった一つの起こし方
「……おいたわしゅう、おいたわしゅう御座います、お嬢様」
ハンナさんの言葉で顔を上げる。
あれから、長いクラリスとの攻防が続いていた。
もうクラリスの方から声もほとんど上がらない。
俺もさすがに限界近いのだろうか。
身体は疲れていないのだが、頭がわずかに朦朧としている。
思えば、あちらはただ横になって耐えてるようなものだ。
こちらの疲労が大きいのは間違いな……いや、さっきまでの反応を見るに、クラリスだってそれなりの負担か。
よほどくすぐったいのか、軽いエビ反りに近い状態になったりもしていたし。
……本当に負けず嫌いなお嬢様である。
「ユージア様は、本当にえげつないお方です」
ハンナさんはそう続け、わざとらしく目元を拭う仕草をした。
「……えげつないもなにも、頑なに起きようとしないのはお嬢様ですよ?」
いやもう、ほんとに疲れた。
これ以上は無理だ。
前の記憶忘却の件もある。
魔素が枯渇している訳ではないが、限界を試そうなどとは思えない。
「もうお嬢様の勝ちで良いです。毛布奪われた以上の疲労ですよ……その我慢強さには感服です」
俺の敗北宣言。
なのだが……反応がない。
「ユージア様。貴方は本当に鬼畜ですわ。人の所業とは思えません。下層族と言うのすら生ぬるい。崩落蠕虫にさえ劣るド畜生です!」
守護者様が他人事のように、好き放題言ってくる。
しかも心なしか声が弾んでいないか?
それよりもだ。
「ハンナさん……ちょっと、今クラリスどんな状態なんですか? 気を失ってるとか……ですかね?」
魔素視による強いネガポジ視界のため、魔素以外の視覚情報はほとんど分からない。
「ご自分でご確認なさってください。その自らの行いを余すことなくお受け止め下さい」
そんな、意味深な言い方を。
クラリスの守護者であるハンナさんが見ているのだ。
大事に至っているはずはないが。
俺は魔素視状態の目へ手を当てる。
クラリスとの攻防で、魔素操作も慣れて来た。
今なら、目から強制的に魔素を散らしてすぐさま通常視界を取り戻すこともできるだろう。
よし、視界正常!
「……!?」
クラリスは……それはヒドいありさまだった。
ぐっちゃぐっちゃの満身創痍である。
多少汗をかいているだろうとは思ったが、髪も服もびしょびしょに濡れている。
息も絶え絶え。白い肌なのもあり赤さがやけに目につく。
というか、ただでさえ薄い白ワンピが濡れてヤバイ。
先ほど見た神々しい姿とのあまりの差異に、冒涜感増しましである。
シルスで鍛えられていなかったら、理性が飛んでいてもおかしくない背徳的光景だった。
「ハ、ハンナさん! お嬢様のお召し替えを!」
「ご自分でなさってください」
簡易天幕を出ようとすると、ハンナさんに押し返された。
いやいやいやいや!
あんたクラリスのメイドだろうが!
というか、この状況でまだ横になって悠然と構える……いや、見た目いっぱいいっぱいなクラリスは一体何を考えているのか。
こんな意味も無い意地をいつまで張るつもりなんだ?
「お嬢様、負けず嫌いにも程がありますよ!?」
「……お嬢様は未だに御就寝中ですが?」
え?
「起きてるんじゃ?」
「起きていたなら、憤怒の形相でユージア様を怒鳴りつけているかと」
「あの、俺ずっと……途中から起きてるものだと」
「今さら言い逃れですか?」
いやいやいや!?
「ハンナさんはお嬢様の護衛者でしょう!? 分かってたなら途中で教えてくださいよ!」
というか、クラリスこんなんになってもまだ寝てるのか!?
「私は採点者です」
監督官ですらなくなってるよ!
落ち着け。
寝てるなら寝てるで構わない。
俺は起こすためにひたすら奮闘していただけなんだからな。
罪悪感なんて沸くわけが無いのだ。
ちらりと視界に入る事後のようなクラリスの姿。
……ダメだ。後でそれとなく伝えて謝ろう。うう、怖い。
「ハンナさん。ここまでして寝ているなんて異常ですよ? 何か特殊な起こし方あるんじゃないですか?」
「そうですね……ユージア様ならそれを見つけられると思ったのですが。残念です」
やっぱりか。
「教えて下さい」
「もう、降参ですか?」
その台詞はこうなる前にクラリスから聞きたかった。
自分で言うのもあれだが、
「これ以上クラリスをオモチャにするつもりですか?」
「オモチャとは心外ですね。私は護衛者として、お嬢様の為になることしかしていないつもりです」
これがか?
「信じていらっしゃらないようですね」
「そりゃそうです。ハンナさんは少しふざけすぎかと思いますよ」
ハンナさんは両手で顔を覆った。
「私も……皆様と仲良く楽しく過ごせたらと……これでも一生懸命頑張っているんです……」
指の隙間からチラチラとこちらの様子を伺いながら言われても。
「説得力無いです」
「……そうは言われましても。私がお嬢様を第一に思って行動しているのは紛れも無い事実です」
「本当に?」
ハンナさんは口の端を上げて笑う。
「まあ、正確に言うなら自分が一番大切ですけどね。ユージア様とて同様かと思いますが?」
一応、俺には何があっても守りたいと思う人はいる。
「……随分と青臭い顔をしますね」
「子供ですから」
今まで天幕穴越しに覗き見ていたハンナさんが中へ入ってきた。
まあ、この人はコロコロ改宗しているくらいだ。
信仰心もペラッペラなら、忠誠心もフッワフワなのだろう。
ラール教の重要人物であるクラリスと言えど、崇拝の念は持ち合わせていないのだ。
大人のハンナさんが中に入ると、簡易天幕はいっぱいだ。
「自らを天秤にかけるには、付き合いが浅すぎますので」
そう言えばハンナさんはクラリスに仕え始めて数日なんだったか。
それなら、仕事だけの関係であるのは仕方ないのだろう。
「だから好き勝手すると?」
ハンナさんは苦笑する。
「申し上げていますように、私はお嬢様の為を思って行動しています。数日の付き合いとは言え……クラリス様のことは気に入っていますので。この方は、仕えるに値する内外の気高さ、美しさ、可愛さ、愉快さ、未成熟さを持ち合わせています」
後になるにつれ理由が不純になっているのは気のせいか。
ハンナさんはそっとクラリスの頬に手を当てる。
その姿は確かに慈しみに満ちているように見えた。
そして、そのままクラリスへ馬乗りになる。
え……ちょっと何してるんですかね?
「そんな目で見ないでくださいませ。ユージア様と一緒にされるのは不愉快極まりないです。私はお嬢様の経絡の具合を調べているだけですので」
言って、ハンナさんは馬乗りのままクラリスの両手首を掴んで目を閉じた。
魔素視で見るとなるほど、確かにクラリスから魔素を少量吸い上げている。
時が経つにつれ、ふざけた様子だったハンナさんの表情が硬く真剣なものになっていく。
しばらくして、ハンナさんは目を開けて俺を見た。
領主邸廊下で出会った時のような、得体の知れなさを伴う深い目だ。
「想像の遥か上です。正直驚き以外ありません」
そのままクラリスへと視線を戻し、
「これは……もしかするかもしれません」
そう呟いた。
どこか深刻そうな雰囲気だ。
「えっと、あの……何か問題が?」
「どうでしょう。これが問題になるか否か。判断つきかねます」
ハンナさんは立ち上がり、クラリスから離れた。
そんな表情で言われると、怖くなってくる。
確かに、この得体のしれない顔をずっとされているよりは、ふざけてくれた方がはるかにマシに思えた。
「……ハンナさん。とにかくお嬢様を起こして、着替えさせてあげて下さい。このままじゃ、風邪ひいてしまいます」
ただでさえ、あんなにも寝ている時の体温が低いのだ。
「面白い事を言いますね。シーブルグの巫女候補ですよ? ただの風邪がなんだと言うのです?」
確かにクラリスは人々の傷や病を治すという巫女候補らしいが。
もしかして、風邪をひいてもすぐ治せば良いと言いたいのか?
だからといって、体を大事にしない理由にはならないだろう。
それともアレか?
「……クラリスは、病気にかからないとでも言いたいんですか?」
「そうであれば、どんなに良いでしょうね。お嬢様も普通の人と同様、患います。でなければ共有治療術などできないでしょう」
さっきからハンナさんの表情に、どこかしら悪意を感じる。
「多少地位の高い侍従巫女へと思っていただけだったのに。これでは……」
ハンナさんは小さく首を振ると、髪飾りを手に取った。
夜中に、俺がクラリスから取り外したやつだ。
「普段ですと、この髪飾りがお嬢様を起こしてくれるのです」
まじか。
「……す、すみません。危ないと思って取り外してしまいました」
余計なことをしてしまった。
「知っています。ですが、ユージア様は魔素調律をなさっておいででした。そのままでしたら、きっとお嬢様を起こすことが出来たと思っていたのですが。この髪飾りは、宙光に反応し、蓄積した魔素を放出する機能があるのです」
つまり。
「頭へ魔素を流せばよかったってことですか?」
「そうなります」
それは初め俺も考えた。だが……。
「さすがに頭部へ魔素を流すのは危ない気がして……」
「衝撃を与えるほどでしたら、確かに危険です。ですので、私が見ていました。ユージア様の操作精度なら、弱く流せば何の問題もないでしょう」
そういう事だったか。
「とにかく、クラリスを起こして着替えさせてください」
「私はお嬢様の命でなければ、基本的には動きません」
最後まで責任を持てってか。
「分かりましたよ……俺が起こします」
「そうしてください」
言って、ハンナさんは出て行った。
眠るクラリスへ目を向ける。
ああ、朝から色々と気が重い……。




