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ゆり色の私たちは、またいつか。  作者: 碧アオ
第一章 〜ゆり色の絆〜
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9/20

#8「眩しさと決別、そしてトゲ」

※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。


↓カクヨムサイトはこちら↓

https://kakuyomu.jp/works/2912051600801871839

「〜〜♫ ……あ、あれは」


 日菜が鼻歌を止めて、何かに気づく。昼休みの後、移動教室のため、一人、理科の教科書を胸に抱えて歩いていた時のこと。図書室の前に葵がいるのを見つけた。


「葵ちゃん! 何してるの?」


 日菜は、胸に抱えた重い理科の教科書を少し持ち直しながら、いつも通りの元気な笑顔で声をかけた。


 ハーフアップに白いニットリボンを揺らした葵は、日菜の声に気づくと、いつも見せるような凛とした、けれどどこか優しい微笑みを浮かべて振り返った。


「あ、日菜。ううん、今はちょっと調べ物。日菜はこれから移動教室? ……理科か。大変だね」


 葵は教科書に視線を向けて言った。


「そうなの〜。教科書、地味に重いから……。あ、そうだ! 葵ちゃん、今日の放課後って忙しい? もしよかったら、美桜ちゃんと一緒に駅前でスイーツ食べに行かない?」


 日菜は、昼休みに美桜と話していた楽しかった時間の余韻のまま、葵の手を誘うように一歩歩み寄った。

 葵は一瞬、眩しい光を見るように目を細めた。


「……ありがとう、日菜。でも、今日の放課後はちょっとね。明日の委員会の準備しなくちゃいけないから」


 葵は、寂しさを隠すように、いつものように人差し指を口元に立てて、少しだけおどけたようにウインクしてみせた。


「また今度、誘ってくれる? 日菜のおすすめのスイーツ、今度教えてよ」


「そっかぁ、残念。じゃあ、また今度絶対に一緒に行こうね! 約束だよ!」


 日菜は、葵の言葉の奥にある小さな不安には気づかないまま、嬉しそうに何度も頷いた。


「じゃあ、遅れちゃうから理科室行ってくるね! 葵ちゃん、お仕事頑張ってね!」


 タッタッタ、と廊下に響くスリッパの音。日菜の小さな背中と、肩にかかるくらいではねた茶色の髪を、葵は図書室の前で一人静かに見つめていた。


── 今日の放課後、美桜は日菜を連れて絶対に来る。だからその時……。


 *


 放課後の生徒会室は、開け放たれた窓から入り込む風が、白紙の匂いを優しく撫でていた。


 パチン、パチン。


 静かな室内に、小気味よい金属音が響く。


 美桜に連れてこられた日菜は、長机の上に山積みになった資料と格闘していた。他の生徒会員たちは委員会の仕事で出払っており、この空間には、作業に没頭する彼女たちと、葵の三人しかいない。


「……ふぅ。疲れたよぉ。ねえ、美桜ちゃん。これ、あとどれくらいあるの?」


 日菜はホッチキスを握りしめたまま、隣でテキパキと資料を揃える美桜を仰ぎ見た。


 彼女が大きな長机に向かう姿は、どこか微笑ましい。


「あと少しだよ、日菜。ほら、手元が止まってる。がんばって」


 美桜は、単語帳で日菜を励ました時のように、優しく、けれどどこか楽しそうに微笑む。美桜にとって、こうやって日菜と過ごす時間は、何物にも代えがたい『居場所』だった。


「ふふ、お疲れさま。手伝ってもらって助かるよ。ひ……『美桜』」


 葵の声が室内に響く。その声には、結月と『恋バナ』をしていた時のような、柔らかい熱が含まれていた。


「葵! これくらい余裕だよ! あたしはやればできる子なんだから!」


 美桜は『ドヤ顔』を作ると、再びホッチキスを動かし始めた。


「……自分で言ったね……日菜の真似した?」


 横で日菜は小さく笑った。


 *


「んじゃ、今日はありがと。おかげで助かったよ」


「こちらこそ。また忙しくなったらあたしたちのこと呼んでね〜」


 お手伝いが終わり、二人が帰ろうとしていた時のこと。日菜は葵に呼び止められた。


「あ、日菜」


「ん? どうしたの、葵ちゃん」


「……今って空いてるかな?」


「……うん! どうしたの?」


「……これからのことで話したいことがあるの」


「……これからのこと?」


 日菜は人差し指を口元に当てて、首を傾げた。


── “このこと”だけは伝えておかないと……。


 葵はその一心で日菜を階段の踊り場へと連れていった。


 

 静まり返った階段の踊り場。


 この後、葵は噛みしめるように日菜の名を呼ぶ。


「……ねえ日菜」


「なーにー? 葵ちゃん」


 日菜はいつものように、葵に向かって元気な声を向けた。


「日菜ってさ、いつも笑顔だよね」


「うん! 日菜はいつも元気だよ!」


 誰にも負けないような笑顔を日菜は見せた。


「ふん」


 鼻で笑うような、冷ややかな吐息。だが葵の瞳には、かつての親愛の欠片も残っていなかった。


「? 葵ちゃん。どうしたの? 元気ないけど──」


 葵は日菜の言うことを遮るかのように話し始めた。


「ねえ。日菜は知ってる? 結月が付き合ってること」


「う、うん」


「結月、昨日の昼休み、日菜に聞いたらしいね。そのことを私に言ってきたの。日菜も知ってるでしょ?」


「……う、うん! 結月ちゃん、すっごく嬉しそうだったよ!」


 日菜の記憶の中にある結月は、幸せそうに微笑んでいた。


「……『昨日』はね。でも『今日』。本当はこう言ってきたの」


「……え。なんて言ったの?」



「『昨日、日菜と話してから自分に自信を持てなくなった』ってね」



 葵の言葉が、鋭いナイフのように踊り場の空気を切り裂いた。


「え? それって──」


 日菜の顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。


「ねえ日菜。『今日』、結月とは話した?」


「……え……今日はまだ……話して……ない」


 葵は呆れた顔で日菜のことを見る。


「……やっぱりね。『昨日』、日菜には嬉しい顔を見せただけで、見えないところで泣いてたんだから」


 葵の追求。でもそれは捏造された嘘。

 一方で信じていた絆が足元から崩れ去っていく音を、日菜は聞いたような気がした。


「ちょっと待って! だからといって、葵ちゃんは嫌な思いをしてないよね⁉︎」


「してるよ」


 即答だった。


「……え? 嘘でしょ?」


 日菜が『仲良し』だと思い込んでいたその裏側で、葵の心は真っ黒な感情に侵食されていた。


「え。ちょっと待って、葵ちゃん! 思ってたんだけど今日はなんだか元気がないよ! 何か悩んでるんでしょ⁉︎ 日菜じゃ頼りにならないかもしれないけど、でも──」


「いつまでそうやっているつもり? ていうか、日菜に頼りなんかされたくないんだけど」


「え……?」


 葵は突き放すような掠れた声を絞り出した。それに対し、日菜は動揺を隠せない。


「……そうね、結月には話したわ。でも、日菜には言うつもりなんてなかった。なんだかね、自分に全然自信が持てないの。やる気が起きない。……いいえ、正直、あんたを相手にする気力が、もう一ミリも湧いてこないのよ」


「え……?」


 日菜の体が、冷水を浴びせられたかのように小さく震えた。葵はさらに──。


「結月といる時は、まだいいの。私の痛みを放っておいてくれるから。美桜は優しいから、本当のことは言わないだけだし、日菜が美桜の足を引っ張ってること、あんたが一番よく分かってるはず。でも、日菜。無邪気でそれらを解決するの。今の私にはただの苦痛でしかないし、鬱陶しいのよ」


「う、うっとうしい……? 日菜は、ただ、葵ちゃんと一緒に──」


 日菜は必死に否定しようとする。けれども──。


「一緒にいて、どうするの? 逆に自分の惨めさが目立つだけ。あんただけのために笑う『やる気』すら起きない。……ねえ、私があんたを拒絶している本当の理由、分かった?」


「ねえ……さっきから何言ってるの……嘘……嘘でしょ?」


 日菜は首を横に強く振る。でも葵の眼差しは鏡のように彼女の動揺を映し出すだけだ。


「なるほど。知らないってことね。じゃあ言っとくね」


「え?」


 葵は一歩、日菜に歩み寄った。そして誰にも聞こえないように葵は口元を日菜の耳元に近づけ、囁くように言った。


「日菜のことが大っ嫌い」


「…………なんで…………日菜、心が痛いの痛いだよ。……友達なのに、なんでそんなこと言うの……?」


 胸を押さえ、日菜は喘ぐように声を漏らした。


「分からないの? 顔も声も、この世で一番大っ嫌いだからってこと」


「……葵……ちゃん」


「じゃあ。さよなら」


 葵はもう、振り返ることさえしなかった。乾いたスリッパの音だけを残して、階段を下りていく。


「あ、葵ちゃん! 待って!」


 必死に伸ばした手は空を切り、日菜はその場に崩れ落ちた。冷たい床の感触が、自分が独りきりになったことを痛烈に突きつける。


「……ひどいよ……なんであんなこと言うの……日菜が何したっていうの……?」


 日菜の頬を、涙が伝い落ちる。踊り場に響く彼女の泣き声は、夕闇に溶けて消えていった。


 *


 コツ、コツ。

 家と家の間にある狭い路地に、ローファーの音が響く。葵は下を見つめたまま、ゆっくりと歩いていた。通る人なんか滅多にいないであろうこの路地。静かだ。


「……言えたけど……ちょっと言いすぎたかな……」


 葵は一旦立ち止まって空を見上げる。屋根と屋根の隙間からは、夕焼けという名のグラデーションがかかっていて、『偽りのない美しい色』が瞳に入るのが分かった。


「……でも、何より『私の安全』のためにも」

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