#7「放課後の誘い」
※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。
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放課後。柔らかな日差しが差し込む中、廊下には多目的室からは合唱部の歌声や、音楽室からは聞こえる吹奏楽部による演奏さえも聞こえてくる。美桜は資料を渡すために、少し緊張しながらも生徒会の少しだけ開いた引き戸をノックした。そしてゆっくりと開ける。その瞬間、生徒会室特有の印刷機、書類のインクが混ざった匂いが美桜の鼻を掠めた。
すると中にいた一年の生徒(=後輩)がこちらの方へと駆け寄ってきた。
「ごめん、神沢さんっているかな。渡したいものがあってね……」
「神沢……。おーい、葵!」
彼女が、窓際で作業をいていた葵の名前を大きな声で呼ぶ。
「はーい。ちょっと待って」
明るい声で返事が聞こえてくる。しばらくしてスリッパの音を響かせながら、彼女が小走りでやってきた。
「あら、美桜。あ、もしかして学級委員の?」
「うん。はい、十月のクラスの報告書持ってきたよ」
美桜は微笑み、抱えていたファイルから書類を取り出した。定規で整えられた美しい表紙が、彼女の几帳面さを物語っている。
「はいはーい。もらっとくね」
「ありがとー」
美桜は軽やかに頭を下げると、「はあ」と安堵の息を漏らした。
そして帰ろうとした時。
「あ、美桜? このあと時間って空いてる?」
「え、別に……空いてるけど……。どうしたの?」
突然のお誘い。美桜は首を傾げたまま、葵の顔を見つめた。
「詳しいことは後で話すから。とりま校門前で待っててくれるかな?」
「……え?」
「── と言われて待ってるけどさ。葵のやつ遅いな」
ちょうど黄昏時。空はオレンジから藍色に染まり、風がスカートと紐リボンを小さく揺らす。
「……暇だ」
美桜はスマホを取り出し、何か見ようとする。「17:15」と言う文字が浮かび上がると、未亜はもう一度、空を見上げた。
そういえば、もう二十分くらい待っていた。忙しいのだろうか、葵は遅い。誰かと話しているのかと色々と考えてみながら、レンガの壁にもたれる。
その時だった。
「お待たせ~」
コツコツと、ローファーの音を響かせながら、小走りでやってくる。
「美桜、待ったかな」
「あ、来た来た~。遅いよ~もう~」
「ごめんよ。ちょっと長引いちゃってさ。はは」
しかしその『嘘』はすぐにバレた。
「ふーん。……ってあれ。なんか口にクリームついてるけど」
「え……」
葵は口元を触る。指で擦って見てみると、白いホイップが小さくついているのが分かった。
「ななっ! ああこれは……その……」
葵は美桜から視線を逸らす。
「あら、遊んでいたので? もしかしてあたしのこと忘れて?」
「そんなことない! ……ああ、ほら、先輩がおやつ差し出してくれたんだからさ。食べろ食べろってうるさくてさ。……だから何も悪くないよ」
美桜が去ってから何していたんだ。いや、その先輩も先輩で、後輩の仕事を妨げたらダメですよ?
葵は顔を赤らめながら、指についたホイップをぺろっと舐めた。
「んでさ、葵。さっきあたしに用って言ってたけど。何かな?」
「ん、用はね……。美桜と一緒に寄り道しよって」
「……え? 寄り道ってどこへ?」
*
「寄り道って、『一緒に帰ろ』ってことだったんだね」
美桜がそう言うと、電柱に設置された街灯がピカッと光る。
車が行き交う大通りの脇の広い歩道を二人は太陽の沈んだ方向(=西)へと歩いていた。
「いつも、帰るときは一人だから」
葵が自分の髪を指でクルクルしながら言った。
「へえ、葵っていつも一人で帰るんだ。以外」
「以外ってそんな。生徒会は他の部活に比べたら、毎日遅い方なんだから。まあその代わり、土日はないけど」
「……執行部だったっけ。どんな感じなの? ほらぁ雰囲気とかさ」
「そうだね。んー。……一言で言うんだったら、『自由』……かな?」
その瞬間、美桜の足は止まる。『遅い』のに『自由』ってどういうことだ?
つまりは遊んでるってこと?
ふわりとした風が吹き抜け、歩道橋の上の街路樹がざわめく。きょとんとした顔で葵を見つめ、少し離れていた距離を詰めた。
「ん? どうしたの美桜。きょとんとしちゃって」
「じ、自由⁉︎ え、ええ⁉︎ ほらほら、『執行部』ってさ、勉強好きが集まるところじゃないの⁉︎ なんでフリーダムなのよ! 遊びの空間でいいの⁉︎」
美桜は葵に問い詰める。自分のイメージしていたのとは全くの正反対だったからだ。だが──。
「……美桜。あんた、勘違いしてない?」
「え? 勘違い? 何を?」
葵は呆れたような、けれどどこか楽しげな笑みを浮かべて、スクールバックを肩に掛け直す。
「それ、生徒会のことじゃない? 私が入っているのは生徒会『執行部』!」
それでも美桜は、きょとんと納得がいかない様子で首を傾げた。
「……えーっ。でも同じなんでしょ? お堅いイメージしかないんだけど」
「確かに書類は山ほどあるけどね。でも実際は違うよ。やるべきことさえ終わらせていれば、あとの使い方は個人の自由。お菓子を食べながら作業をしてもいいし、休憩は友達と一緒に話してもいい。音楽聴きながらアイデア出しても誰も文句は言わないよ」
「うそ、天国じゃん。ホワイト企業じゃん」
美桜のその呟きに、今度は葵が小さく吹き出した。
オレンジ色の街灯の下、二人の影がアスファルトの上で長く伸びる。ふと、葵は脇に並ぶ花壇に目をやった。
「だからこそ、それぞれの自分のペースで動けるんだよ。だから帰る時間も日によってバラバラだしね。ほら、さっきの一年だって……ね?」
「そっかぁ……。全員で集まって真面目に話し合ってるのかと思ってたよ」
「まあ、みんな基本、真面目だけどね。でも、普段の放課後は今話した通り。たまには顔出してみたら? どう? 美桜」
葵からの思いがけない提案に、美桜は少しだけ目を丸くした。それから、元気よく笑顔を見せて頷いた。
「うん、今度遊びに行ってもいいかな?」
「もちろん。歓迎するよ」
二人は再び歩き出し、家へと続く歩道に笑い声を響かせた。でも──。
「じゃあさじゃあさ、日菜も連れてっていい?」
美桜は一人だと嫌なのか、大切な親友である日菜も連れてっていいかと聞いてみる。すると葵は──。
「え……ひ、日菜?」
だが葵はなぜか動揺した。
「えー、いいでしょ別に」
「え? ああ、うん。大丈夫。別に……いいよ」
「……やったー! 日菜と一緒に、お手伝い~お手伝い~」
美桜は家へと続く歩道に声を響かせた。
*
美桜と別れ、すっかり夜の帳が下りた帰り道を、葵は一人で歩いていた。街灯が寂しげに足元を照らす中、ふと前方から歩いてくる人影に気づく。
「……あ、葵ちゃん」
そこにいたのは、結月だった。少し疲れたような、けれどどこか憑き物が落ちたような複雑な表情を浮かべている。
「結月? こんな時間にどうしたの? もしかして今帰り?」
葵が足を止めると、結月は躊躇うように視線を彷徨わせた後、ぽつりと呟いた。
「うん。委員会のアレでちょっと時間かかっちゃってね。あ、あのね……今日の昼休みにね、日菜ちゃんに会ったんだ。それで……葵ちゃんと同じように話を聞いてもらって……」
「……日菜に?」
胸の奥が、チクリと痛んだ。
「うん。日菜ちゃんに言われたの。『自分の中に、誰にも踏み込ませない聖域を持っていいんだよ』って……」
結月の言葉が、葵の鼓動を冷たく跳ね上げる。
「……そう。日菜も日菜で、いいこと言うじゃん」
しかし葵の声は、自分でも驚くほど低く、冷たいものになっていた。
結月が悩んでいたことは知っていた。力になりたいとも思っていた。それなのに、結月が頼ったのは自分ではなく、日菜だった。その事実が、葵の心に黒い澱のような感情を湧き上がらせる。
── 私じゃ、ダメだったんだ。結月は、私を頼ってくれなかった……。
こんなことでがっかりするのは稀である、だが葵にとってはそれが衝撃的すぎたのだった。ぐるぐると渦巻く思考の中で、葵の胸に去来したのは、日菜に対する強烈な拒絶感だった。
── 昔からだけど、日菜は、いつもそう。何でも見透かしたような顔をして、誰にでも良い言葉をかける。それがどうしても気に入らないのよね。
この前、日菜と一緒に帰ったときのことを思い出す。実は赤信号を待つ間、並んで見た景色の息苦しさ。あの時からずっと、葵の心には日菜に対する小さなが嫌気が燻っていた。
── あの無邪気な性格、私には……。
それが今、結月の言葉をきっかけに、決定的な歪みへと変わっていく。
── 正直……日菜が、嫌いだ。
明確な敵意が、葵の中で形を成した。
「ど、どうしたの……? 葵ちゃん」
「……結月、その話、ちょっと詳しく聞かせてくれない?」
「……?」
「日菜のこと、詳しく知りたいから」
葵は暗がりの中で、そっと歪んだ笑みを浮かべた。結月の言葉を、そのまま日菜に伝えるつもりはなかった。少しだけ事実を捻じ曲げ、都合のいい『嘘』へと仕立て上げる。そうすれば、日菜を追い詰めることができるかもしれない。
*
「ごめんね、結月。……でも、こうするしかないの」
家に帰った葵は、明かりもつけずにベッドに腰掛け、暗闇の中で小さく呟いた。
日菜への嫌悪感と、選ばれなかった焦燥感。それらが葵を突き動かし、静かな夜の底で、一つの企みが動き出そうとしていた。
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