#3「夢と約束」
※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。
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授業が終わったとともに、教室と廊下は一日の中でも一番長い、昼休みを待ち望んでいた生徒たちによる声ですぐに満ちた。
「今日のお昼どこで食べる?」
「あ、そういえば今話題のこれ、知ってる?」
「あのさー、私の彼氏がさー」
いろんな話が飛び交う中、それとは別に、日菜と美桜の二人は、二人以外誰もいない、静かな屋上にてベンチに並んで座り、休み時間を楽しんでいた。
「じゃじゃーん♪ 今日のお昼ご飯はこれでーす!」
四限終了直後に購買で買った、『卵サンド』を日菜は両手で突き上げるかのように持った。美桜は白ご飯を箸で口の中に含むと、卵サンドを見た。
「サンドイッチ? 日菜がお弁当じゃないの珍しいね」
「えへへ、そうかな」
美桜の言葉に、日菜は少し照れたように笑ってサンドイッチの包装をペリペリと剥がした。
「今日は朝からちょっとバタバタしてたからお弁当作れなかったんだー。お金は使いたくなかったんだけど……。でも結月ちゃんから聞いたらさ、ここの卵サンド、すごく美味しいって評判なんだって。……あ、これもあるよ! 一緒に買って北ツナマヨサンド!」
日菜が美桜に『ツナマヨサンド』を差し出すと、美桜は口に唐揚げを含みながら、目を細めて微笑んだ。
「へえ、いいな。あたしも今度買ってみようかな」
「美桜ちゃん。今度じゃなくて、今食べてみない?」
「え〜いいよ。もうお弁当食べちゃってるんだから。これ以上食べたらあたし、お腹膨れちゃうよ」
「いいのいいの。はい! あーん!」
日菜は気に留める様子もなく、卵サンドを一口サイズに切って美桜の目の前に差し出した。
「あっ、ちょっと!」
パクッ。美桜は反射的に卵サンドを食べた。モグモグ……。
「……何これ、超絶ウルトラふわとろじゃん!」
「でしょでしょー! ここの卵サンドはね、半熟が決め手なんだってさ!」
得意げに胸を張って、日菜は自分のサンドイッチを頬張る。
「よし、あたしが今度から寝坊した日はこれに決まりね」
「あ、ずるい! その時は日菜の分も買ってきてよね?」
頬を膨らませる日菜に美桜はクスッと笑った。
「はいはい、お安い御用だよ〜。日菜はあたしと一緒じゃないとダメからね〜」
美桜は呆れたように笑いながらも、自分の弁当箱からピンポイントで、まだ手をつけていなかった一番大きな唐揚げを箸でつまみ上げた。
「じゃあ、お礼の唐揚げだよ。はい、あーん」
「わーい! 唐揚げ大好き!」
日菜は待ってましたとばかりに口を大きく開け、唐揚げを頬張った。カリッとした衣の食感と、じゅわりと広がる肉汁に、今度は日菜のほうが幸せそうに目を細める番だった。
(日菜って……子どもだね)
美桜はその箸を止めて、空を見上げる。雲一つない快晴の空が広がっていた。ただ青い。
「……空、綺麗だね」
「そうだね」
「あ、日菜。寒くない?」
「ううん。全然寒くないよ。朝と比べたらね」
「……そっか」
その際、屋上に吹いた爽やかな風が日菜と美桜の髪の先を少しだけ揺らした。
日菜は「はぁ……」とため息をつくと、ふと思い出したかのように今朝に見た『謎の夢』のことについて話題を変えた。
「ねえ美桜ちゃん。そういえば今日ね、変な夢を見たんだよね」
「……変な、夢?」
美桜は箸に口を咥えたまま、彼女の横顔を見ながら首を傾げた。日菜は視線を少し落として、卵サンドをみる。
「うん。なんだか、暗い空間でね、日菜一人でね……なんでか」
「暗い空間……なんだか意味深ね。どんなのか覚えてる?」
「覚えてるよ。詳しく」
「……どんなのかな?」
美桜は興味津々に日菜に質問してみる。
「詳しく話すとね ──」
日菜は今朝に見た鮮明に覚えている謎の夢について、話し始めた。
※
「── ということなの」
「ふうん。ていうことはそこには日菜一人だけで、他には誰もいなかったってこと?」
「……うん。そうだったみたい」
こくりと頷く日菜。
「だから日菜、泣いちゃったの。なんで美桜ちゃんも誰もいないんだろうって。しかも暗闇で一人で……なんでこんな場所にいるんだって……自分を問い詰めるかのように」
「……そうなの。寂しかった?」
「……うん。日菜、もうあんな夢見たくないよ……」
そして日菜は黙り込んでしまった。さっきまでの元気がまるで嘘かのように、卵サンドを手に持ったまま、顔を下に向けて元気のない日菜を見て、美桜はそっと日菜の背中に手を置くと、ゆっくりと摩った。
「ねえ、日菜」
「……何、美桜ちゃん」
日菜は少しだけ顔を上げて、美桜の顔を見る。
「思い出すと、……怖いよね……あたしも分かるよ。あたしだってそんなとこにいたら嫌だもの。それが夢だって分かったら、今すぐにでも目を開けたいくらいだもん」
「……そうだよね。でも……日菜、現実だと思っちゃったんだもん」
日菜はあまりにもリアルすぎてか、その夢を『現実』だと捉えてしまった。すると美桜は日菜の顔を覗き込んで、聞いてみる。
「……そういえば日菜って……最近何か寂しいって思うことでもあった?」
摩る手を止める。美桜には日菜が怖い夢を見ていた理由が分かった気がした。
「ううん。何も」
「そう。でもひとつだけ思ったことがあるんだけどさ、言っていい?」
「何?」
日菜は再び下げていた顔を上げて再び美桜の横顔を見た。
「もし……、いや。『日菜にはあたしがそばにいる』って思い込めば、そんな夢、見なくなるってあたしは思うな」
「……そう……かな。本当かな……」
だけど日菜は未だ信じられないままだった。そこで美桜はそこからバッと立ち上がって、日菜の顔を指差してポーズを決めて言った。
「……よし、だったら! あたしが日菜のそばについてあげるよ!」
それに対して、日菜は──。
「……え?」
突然のことに、首を傾げた。
「ほら、あたしが『そばにいる』って言えば、日菜は安心するでしょ? ほらほら、日菜はいつも1人じゃないんだから。学校に行けば、大好きな友達がここにいるんだよ」
すると美桜はその場でしゃがむと、日菜の頭を軽く撫でた。彼女の髪の先と結び目につけられた紐リボンがひらりと揺れる。
「……美桜ちゃん?」
「よし、じゃあ言っちゃうよ? あたしが日菜を全力でサポートしてあげる! そうすれば、現実にも夢の中にもあたしが出てきて安心するでしょ!」
「……美桜ちゃん!」
その時、日菜は少しだけ、自分に勇気を持てた気がしたのだった。
「ふふ。じゃあ話は早いわね! それじゃあ今日の放課後、図書室で勉強するわよ!」
「ええ〜勉強? 遊ぼうよ〜。他に日菜をサポートする方法ないの?」
実のところ、日菜は勉強が苦手である。
「ダメダメ! 日菜はこの前『美桜ちゃんと勉強したい〜』って言ってたじゃない。忘れたの?」
でも日菜は過去に、勉強したい意欲があったそうなのである。
「……え、そうだっけ。日菜、そんなこと言ってたっけ、あれれ?」
日菜は美桜から視線を逸らし、顎に手をあてて首を傾げてごまかしてみる。でもそのごまかしは、美桜には見破られていた。
「はい忘れてるー。日菜って忘れん坊さんだねぇ。あたしはちゃんと覚えてるんだから、事実だからね!」
「もう〜! 勉強やだ〜!」
*
時間が経ち、放課後。図書室。
窓から差し込む西日が、埃のダンスを黄金色に染め上げていた時のこと。
日菜は机に突っ伏して、命を刈り取られたかのような声で言った。
「……もう無理。脳みそパンパンのパツパツ……」
「はいはい、死なない死なない。次は数学の予習でしょ?」
美桜が、使い古された単語帳で日菜の頭をポンと叩く。
「うぅ~」と唸りながら、日菜は亀のような動作でゆっくりと顔を上げた。
「だってぇ! 美桜ちゃんはいいよね! 英語も数学もサクサク解いちゃって。日菜の頭は、国語しかできないんだから!」
「だからといって拒むんじゃないよ……」
「いーや、よくよく考えてみて。英語は文法がムズイ! 数学は式と図形が複雑すぎる! 化学と物理はハテナ! 社会は……。まあこんなに頑張ってるけど将来大人になってどう? 学んだことの八割は使わないんだよ! 残り2割は何って? 国語に決まってるじゃん! 読む力、聞く力、書く力、話す力。これだけで、中学履修できるのでは⁉︎ なーんてね!」
日菜は一人勝手に、論理的思考を働かせて、論じてみる。
「それって、国語以外嫌いからといって、意地貼ってるだけじゃん……ていうか、この学校に入学した意味、忘れたの?」
事実、彼女たちが通う『飛鳥女子中学校』は、進学校であることを、日菜は忘れていた。美桜は苦笑しながら、シャープペンシルを回してみる。
そして日菜がいろいろと駄々をこねる中、『英語の敗北』を挽回するための特訓が今、始まった。
「いい? 日菜。もう一度言うけど、『have to』はセットで覚える。今日先生に言われたこと、もう忘れたの?」
「忘れてないよ! 『しなければならない』でしょ! 日菜は今、勉強を『しなければならない』の!」
大げさに天を仰ぐ日菜に、美桜は呆れを通り越して感心してしまう。
普段は可愛らしく「勉強は嫌い」と主張する日菜だが、こういう時の集中力(あるいは現実逃避力)は目を見張るものがある。ていうか実は……。
「……あ、ここ、昨日の予習でやったところだ」
日菜がふと指を止めたのは、関数のグラフが並ぶページだった。
少しだけ真剣な目つきになる。西日に照らされた彼女の茶色の髪が、さらりと肩に流れた。
「ねえ。ここ、こうやって解くんだよね?」
「……正解。やるじゃん」
美桜が驚いて顔を覗き込むと、日菜は昼間のサンドイッチを見せた時のような、自信満々のドヤ顔を作ってみせた。
「ふふーん! やれば『できる子』なんだから! 明日の授業は、あてられても『フッ、余裕ですね先生』って言ってやるんだから!」
「あれ、『できる子』って言ったね。さっきは嫌いと仰ってたのに?」
「ななっ⁉︎ じゃあ今の発言は撤回ということで──」
「できませーん……。まあいいや。じゃあ、これが終わったらあたしの家に行こ。お母さんが買ってくれたケーキあるから」
「ケーキ⁉︎ 行く! 今すぐ行く!」
さっきまでの衰弱ぶりはどこへ行ったのか、日菜は猛烈な勢いで参考書をバッグに詰め込み始めた。
(日菜、やればできる子じゃん。勉強嫌いって言ってたのは嘘かな?)
美桜は自分の荷物をまとめて、日菜と一緒に図書室を出た。
*
「はあ……疲れたぁ」
美桜の家。彼女の部屋のふかふかなカーペットに、日菜は「大」の字になって沈み込んだ。
ガチャリ。
「あれ、日菜。思いっきり大の字で寝転んで」
日菜は沈み込んだまま顔だけを美桜の方に向けた。
「だって〜、頭を休める暇なんかさっきはなかったからだよぉ〜」
頭を使った=勉強した(=いつもよりも)。そもそも日菜は普段学校から帰ってきたら、ベッドで寝転んで1日使った脳を休めている。それに慣れてるせいか、今日は『猛特訓』をしたので脳をフル回転させた代償として、彼女のエネルギー残量はすでに赤信号だった。
「ほら、日菜の大好きなリンゴジュース。それにはい。言ってたケーキ」
美桜は、イチゴの載ったショートケーキ二個とジュースの入ったガラスコップ二杯をお盆にのせて持ってきた。カランとガラスコップが音を立てながら、机の上にゆっくりと置く。
「あぁ……! 美桜ちゃんは女神か何か?」
日菜は這い上がるようにして体を起こすと、差し出されたコップを両手で受け取った。
「何よ、その言い方。大げさね」
日菜がリンゴジュースを飲んでいる間、少しだけ沈黙が続く。
それをもう飲み干した日菜は、美桜の部屋を見回した。
「ぷはぁ……。それにしても、美桜ちゃんの部屋って相変わらず片付いてるよねぇ」
美桜の部屋は無駄なものがなく、それでいて棚の上には、女子中学生らしい可愛らしい小物がセンス良く並んでいる。一言で言うのなら、『お洒落な雑貨屋さんのバックヤード』である。
「日菜が散らかしすぎるだけ、これが普通。……あ、ちょっと! ケーキ、一気に食べすぎ」
「ふがふが(美味しいんだもん)!」
リスのように頬を膨らませる日菜を見て、美桜は呆れ顔で自分のベッドの端に腰を下ろす。
「ふふ。それだけ勢いよく食べられるんだったら、もう大丈夫そうね」
美桜は自分の分のショートケーキにフォークを入れながら、ふと表情を和らげた。そして、日菜の顔をじっと見つめる。
「ねえ、日菜」
「ん〜?」
フォークをくわえたまま、日菜は動きを止めた。
「……少しは、元気出た?」
「ん〜?」
美桜の問いかけの意図を察して、あどけない瞳がパチパチと瞬く。
「ほら、昼休みに言ってたじゃない。変な夢を見て、寂しくて怖かったって」
美桜はケーキを一口運ぶと、どこか愛おしそうな、それでいて少し真剣な眼差しを日菜に向けた。
「本当のこと言うのなら、さっきあんなに無理やり勉強に付き合わせてたのも、少しだけ日菜には怖い夢のこと忘れさせたげたかったのよね。……頭の中いっぱいにすればさ、ほら。余計なこと考えなくて済むでしょ?」
「美桜ちゃん……」
日菜の胸の奥に、じんわりと温かいものが広がっていく。
ただのスパルタだと思っていた放課後の特訓は、美桜なりの不器用で優しい『寄り添い方』だったのである。
「うん! もう全然平気! 脳みそはパンパンだけど、寂しいのなんてどこかに行っちゃった!」
日菜は満面の笑みを浮かべ、今度は自分の意思で、美桜の隣へと近づいてベッドの端に腰掛けた。そして、そっと美桜の肩に自分の頭を預ける。
「やっぱり、美桜ちゃんがそばにいてくれる現実が一番だね」
すると美桜は、照れ隠しに少し肩をすくめたけれど、日菜を突き放すようなことはしなかった。
「ちょっと、急にくっつかないでよ。食べにくいじゃん。ほらこの『白いお皿の汚れ』、あんたの制服についたらおしまいだよ?」
「あはは、……ん?」
『白いお皿の汚れ』という言葉に、日菜の頭の中に、ふと今朝の自分の姿がフラッシュバックした。
朝、スズメに見とれてのんびりしたあと。
時計を見て「やばい遅刻する!」と叫び、トーストを口に放り込み、牛乳を流し込み、そのまま玄関へ猛ダッシュした記憶。そして、その時に使ったお皿とコップが、今どこにあるかという恐ろしい事実。
「……あ」
日菜のフォークがピタリと止まった。
「どうしたの? そんなに美味しい?」
「わわっ! 思い出した! 朝のお皿とコップ洗ってなーい!」
「え、それって……やばいんじゃ。ていうか、汚れとれんの?」
美桜の仰る通りである。
「わわ……。美桜ちゃんごめん! 急だけど、お皿のためにも帰るね!」
日菜はその場を立ち上がる。ドンドンと日菜の大きな足音で、床が一瞬揺れた。美桜のリンゴジュースもこぼれそうになる。
「あーあー、走らないでー。あたしのジュースこぼれちゃう!」
朝、お皿とコップをシンクにつけたまま忘れていた日菜は、スクールバックを肩にかけると、全速力で家を飛び出した。
「また明日ねー!」
追いついた美桜は、外で小さくなっていく日菜の背中を見ながらバイバイと手を振った。そして──。
「ったく日菜ったら。今頃お皿カピカピ……いやベタベタだろうね……」
小さな声で呟いた。でも──。
「でも、今日はいつもより、日菜に寄り添うことができた気がする。よかった」
そう呟きながら、美桜は少しだけ微笑んだのだった。
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