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ゆり色の私たちは、またいつか。  作者: 碧アオ
第一章 〜ゆり色の絆〜
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13/20

#12「崩れる境界線」

※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。


↓カクヨムサイトはこちら↓

https://kakuyomu.jp/works/2912051600801871839

「待って、日菜!」


 背後から聞こえた美桜の叫び声を、日菜は完全に無視して走り出した。喉の奥がじわじわと熱くなる。それでも、日菜はただがむしゃらに足を動かした。


──どうして、あんなことを言っちゃったんだろう。


 走りながら、頭の中を数分前の光景がぐるぐると駆け巡る。

 ファミレスのボックス席。ドリンクバーのコップが小さく結露していくのを見つめながら、日菜は美桜に向かって、ずっと胸の奥に溜め込んでいたドス黒い感情をぶちまけてしまったのだ、


『やっぱり、言う通りだ。優しいね、美桜ちゃんは。最後まで『嫌い』って言ってくれないんだもん』


 その言葉を口にした瞬間、美桜の瞳が大きく揺れ、言葉を失って黙り込んだ。あのほんのわずかな『間』。それが、美桜の肯定を意味しているように思えて、日菜は耐えきれずに席を蹴って飛び出してきたのだった。


走るほどに、過去の記憶が脳裏に蘇る。


 いつも前を歩いて、優しく手を引いてくれた美桜ちゃん。

 転んで膝をすりむいたとき、真っ先に駆けつけて「痛いの痛いの飛んでけ」と笑ってくれた美桜ちゃん。

 日菜にとって、美桜はいつだって眩しい太陽のような存在だった。美桜の隣にいるときだけは、自分が特別な女の子になれたような気がしていた。


『ずっと一緒にいようね、日菜』


 いつか交わした約束の言葉が、今の自分の足音にかき消されていく。

 あんなに温かかった思い出が、今は冷たい刃となって日菜の胸を深く抉っていた。美桜の優しさに甘え、依存し、彼女の自由を奪っていたのは自分の方だったのだと、突きつけられた気がした。


「はぁ、はぁ、っ……!」


 肺が痛い。足がもつれて、今にも倒れそうになる。

 それでも日菜は走るのを止められなかった。止まってしまえば、美桜を傷つけたという最悪の現実と、彼女に拒絶されたという恐怖に完全に押しつぶされてしまうと分かっていたから。

 涙で視界が歪み、街の明かりが滲んでいく。

 自分の家へと続く見慣れた道を、日菜はただ絶望だけを抱えて、逃げるように駆け抜けていった。


 *


「聞いちゃったんだ。ひなっちから」


「うん。そうなの……」


 美桜は下を向いて足元を見つめる。


 ショッピングモールの中にあるフードコートで、美桜は結月に助けを求めていた。日菜に拒絶され、ショックを受けたばかりの美桜。そんな彼女がただ、頼ることができたのは結月しかいなかったからである。


「……本当は……思ってないのに……あたしが……言えなかったせいで……嫌われて……決めつけられて……」


 美桜はそこまで言うと、涙を堪えるように強く唇を噛んだ。

 結月は机に突っ伏して、震える親友の肩をただじっと見つめていた。


「嫌われてないよ。それはみおっちがよく分かってるでしょ?」


 結月の声は、驚くほど静かだった。


「ひなっちが怒ってるのは、みおっちにじゃない。……自分にだよ。重荷になってるって、本気で思い込んじゃってるんだから」


 ゆっくりと顔を上げた美桜を、困ったように、けれど可愛がるような目で結月は見る。


「でも……あたしが、黙っちゃったから。日菜を助けなきゃって思わなくて済んだ自分を……想像しちゃったから!」


 一番恐れていた告白。完璧でありたかった彼女が見せた、『醜い本音』だった。けれど、結月は動じず、美桜の冷え切った白くなった指先に自分の手を重ねる。


「みおっち、それは『罪』じゃないよ。ただの『疲れただけ』だよ」


 結月の手の温もりが、美桜の強張った体を少しだけ解いていく。


「ひなっちを支えることで、みおっちも支えられてた。でも、二人だけの世界って、ずっと全力で走ってなきゃ維持できない。……もしかしたら葵ちゃんは、その走る足を止めてあげたかったからなんじゃないかな」


 美桜はハッとして、結月を見つめた。


「今は、無理に笑わなくていいよ。……まずは、ここで深呼吸して」

 結月はそう言うと、持っていたハンカチを美桜の頬にそっと当てた。


「結月……」


「大丈夫だよ。隣にいてあげるから。みおっち。いや美桜ちゃんは一人じゃないよ」


「……うわああん!」


 美桜は声を上げて泣いた。今の彼女には、隣にいる結月の静かな鼓動だけが、唯一信じられる『居場所』だった。


 *


 日菜の家。


「……美桜ちゃん……美桜ちゃんに、ひどいこと言っちゃった……」


 ベッドに横たわる。気分が悪い。


「……美桜ちゃん……今頃、痛いの痛いのかな……」


 実は日菜も、ある程度自覚していた。

 本当は、美桜があんな顔をするところなんて見たくなかった。

 むしろ否定してほしかった。怒鳴るくらいの勢いで「そんなこと思ってない!」と言ってほしかった。そう信じていた。


 けれど、あの瞬間に美桜が見せた、ほんのわずかな『間』が、何よりも正当な答えに感じられてしまったのだ。


 天井を見つめると、視界がじわりと滲む。

 日菜は自分の両腕を自分自身の肩に回し、ぎゅっと抱きしめた。


── 思い出せない……。


 美桜に抱きしめられる時の体温を思い出そうとするけれど、今の自分を包んでいるのは、冷たく乾いた部屋の空気だけ。


「……隣にいても、美桜ちゃんは幸せになれないんだよ……」


 美桜という光が強ければ強いほど、その傍らにいる日菜自身の影は、濃く、深く、暗く、床に落ちる。


 ふと、枕元に置いてあったスマホが震えた。

 通知画面に浮かび上がったのは、『結月』の名前。


 その名前を見た瞬間、日菜は安堵できなかった。

 焼けつくような、ひどく醜い『嫉妬』と『疎外感』だった。


「……ほらね、日菜がいなくても、美桜ちゃんには結月ちゃんがいるんだよ」


 日菜はスマホを裏返し、布団の中に深く潜り込んだ。


「っ‼︎」


 暗闇の中で、再びあの夢を見る予感がした。

 誰もいない、光も届かない、冷たい奈落の底。

 甘い絶望に身を委ねながら、日菜は声を殺して泣いた。


「……やっぱり、日菜、いらない子なんだ」

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