13-7
僕たちルミナス・カルテットは有終の美を飾り、演奏会は15分の休憩時間に突入している。
演奏の余韻にすっかり浸っている僕も、この合間にお手洗いへと足を運んでいた。
あぁ……、めちゃくちゃ楽しい演奏だったな。僕のクラリネットはもちろんだけど、和泉のヴァイオリンの音色、すごく輝いていた。日向のチェロと近江のファゴットも良かったけどね。僕たちのファン、益々増えちゃうんじゃないかな。
何より、今日の和泉がまた一段と綺麗で可愛いんだよ。目のやり場に困るというか、最初に見た瞬間は思わず動揺しちゃったし。日向と一緒にってところは気に食わなかったけれど。
一人で浮かれに浮かれまくっていると、ガラス張りの内壁から外を見上げる、とある人物を見つけた。
……伊予だ、また裏方に来てる。そういえば今回の四重奏が終わったら、彼女を加えて五重奏にしたいって和泉が言ってたっけ。正直、絶っっっっ対に嫌なんだけど、和泉の願いは何でも叶えてあげたいし~~あぁあッ、僕は一体どうしたらいいんだ!?
……じゃなくて。
「そこで何してるんだ、伊予」
僕に声をかけられた伊予は、僅かに肩を跳ね上げてこちらを振り返った。一瞬だけ瞳の色が普段と違うように見えたのは、外からの光加減か……?
彼女はそれ以上慌てる様子もなく、妖艶な笑みを浮かべ「あら安芸」と答えた。
「天気が良くて空が綺麗だから、お出かけ日和ねぇと思って見てただけよ。悪い?」
「いや悪くはないけど……。君にもそんな感性はあるんだね、意外だよ」
「失礼ね、私を何だと思ってるのよ」
いつものようにプイと顔を背ける伊予。その幼さが可愛いといえば可愛いけど、やっぱり僕はどうも彼女を信用できない。
でもこうして二人で話せるなんて絶好のチャンスだ。ここはひとつ〝和泉を困らせるようなことはするな〟とだけでも忠告しておこう。
そう思って口を開いた矢先、楽屋のほうから誰かが助けを呼ぶ声が聞こえた。
急いで僕と伊予が駆けつけると、そこでは想定外の出来事が起こっていた――。
◇
第二部が開演した。第一部の幕開けと違い、休憩後の眠りから観客を優しく覚ますべく、ある組曲より人気の高い2曲をお届けする。
エドヴァルド・グリーグの代表曲である<組曲ペール・ギュント>より、最初は『朝』だ。この曲もきっと、どこかで聞いたことがある人は多いだろう。
『朝』というタイトルに相応しき、夜明けのような柔らかな音から始まり、雄大な弦楽の旋律に引き継がれていくこの曲。大切な出だしのフルートのメロディを堂々と奏でるのは、なんと見学のはずだった伊予ちゃんだ。……この成り行きの経緯は、今は割愛させてもらうとして。
続いて『山の魔王の宮殿にて』。こちらもかなり有名な一曲で、先ほどの『朝』と違い段々とアップテンポになっていき、聞く人をワクワクさせるような曲調だ。
団長もニヤニヤと笑みを浮かべながら楽しそうにタクトを振っている。こういう曲って、弾いてるこっちも笑顔になっちゃうんだよね。
ここでまた団長の面白トークタイムが始まり、ひと笑い。
その後は、若い世代にもきっと刺さるであろう2曲が披露された。
まずはジェイムズ・バーンズ作曲『アルヴァマー序曲』。今回はオーケストラ版にアレンジされたものを演奏しているけれど、元々は吹奏楽曲である。吹奏楽部員なら一度は耳にしたことがあるであろう、超人気曲だ。
今回この曲を採用したのも、楽団内の元吹奏楽部員たちから根強い希望があったから。まるで冒険モノのRPGを連想するような勇ましい旋律と、打楽器の小刻みで軽快なリズムが、若い世代の心をくすぐるのではないだろうか。
続いての曲は、有名なアニメからテーマ曲を拝借。
老若男女問わず、長年ずっと親しまれているアニメの曲をオーケストラ版で披露した。これもまた、若い世代の心を掴む選曲だ。
5曲目、いよいよ定期演奏会も終盤に差し掛かる。本日の目玉に向けて観客の熱量を上げるべく演奏するのは、ピョートル・チャイコフスキー作曲『スラヴ行進曲』だ。
〝行進曲〟というからには目の覚めるような金管の音色が飛び交うと思いきや、キリスト教徒が殺害された痛ましい事件を哀悼する葬送行進曲として作られたため、悲しげな旋律から始まる。
中盤に入ると曲調は一転、民謡の軽快なメロディが流れ、続いて壮大で堂々とした曲調へと変化していく。そして終曲に向けて曲は更に盛り上がり、会場の空気を最高潮まで押し上げる力強い演奏で締めくくった。
盛大な拍手に団長が深々と頭を下げる。
そして彼が再び振り返り引き締まった表情を見せると、いよいよ本日の大トリであり、最大の目玉となる曲のお披露目時間がやってきた。
アントニン・ドヴォルザーク作曲。
交響曲第9番ホ短調、作品95『新世界より』。
全4楽章に及ぶこの曲は約45分ほどの演奏時間を要し、ベートーヴェンの『運命』、シューベルトの『未完成』に並び〝三大交響曲〟と称されることもある名曲中の名曲だ。
舞台上に一筋の緊張感が走る。それを和ませるような団長にニカッとした笑顔が、団員たちの心に安堵を滲ませた。今日のために練習を積んできたんだもの、絶対に成功できるはず。
タクトに合わせた、皆の呼吸が聞こえる。
そして45分の私たちの挑戦が始まった。
この演奏の裏で、会場の外では別の白熱とした戦いが繰り広げられているなど、知る由もなく。
◇
「すみません、僕ちょっとトイレに行ってきます」
「はぁあ? さっきの休憩で行っとけや、あっぱったれ」
越後君と小声で会話を交わし、僕は席を立ち上がりました。途中退場は心苦しいですが、トランペッターとしてアルヴァマー序曲が聞けただけでも満足です。アニメ曲が終わり次の曲が始まる間に、会場を後にしました。
オーケストラ版のアルヴァマー序曲も悪くないですね。いつか彼らを交えて演奏したいものですが、純君は夢の中でしたし、越後君にはまず楽器を吹けるようになっていただかないとですし、道のりは長いですねぇ。
越後君には怪訝な表情を浮かべられましたが、生憎トイレなんて真っ赤な嘘。
外へ出た僕は、漆黒のマントを風に靡かせて佇む影を、静かに見上げるのでした。




