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楽屋へ戻り急いでおにぎりを頬張った私は、喉に詰まらせかけて焦っていた。
幸い、近くにいた楽団の先輩に背中を擦ってもらい、大事には至らなかったけど。
お茶で一服する間もなく、レースとシフォンの黒いワンピースに着替える。軽くお化粧もしてドレスアップすれば、心地よい緊張感で身が引き締まるから不思議だ。
楽屋を出ると丁度日向君たちも準備を終えたようで、扉の前でバッタリ会った。タキシード姿でクールに決め込んだ三人は、いつもの倍以上にキラキラとして見え、何だか急に顔が熱く感じた。やっぱりオーケストラの演奏会と野外ステージでは、身なりの格も違うよね。
――このイケメン三人組に囲まれて演奏する、私の身にもなってほしいのですが。
「ににに似合ってるねっ、和泉。じゃ、じゃあ行こうかッ!」
視線に困っていると、普段と違い前髪をオールバックにした安芸君の声に、恐る恐る顔を上げた。
すると何故か彼の視線も泳いでいて、心なしか頬が赤いように見える。そんな安芸君の様子を見た日向君が、慌てたように彼と肩を組んで絡み始めた。
「バ、バーカ! 緊張してんじゃねぇぞ、安芸」
「バ……!? き、君だって同じだろッ日向!」
「ッはァ!? ふっざけんな、俺のどこがっ!?」
二人とも完全に声が裏がっている。
緊張……? あそっか、流石に本番前だもん。彼らだって緊張するよね。
納得した私は照れも何処へやら、二人の肩に手を置くと、先輩風を吹かせて「皆なら大丈夫!」と声をかけた。すると二人はポカンとした表情を浮かべ、小さく溜息を吐いた後に苦笑した。……と。
「――ッ!?」
「ッ、イッテ!!」
急に悲鳴を上げる二人。
振り返った彼らの視線の先にいたのは、大層な呆れ顔を浮かべた近江君だった。どうやら二人は彼に後頭部を思いっきり叩かれたようで。
「呆けてる場合か、遅れるぞ」
彼の言うとおり他の皆はすっかり舞台袖へと向かい、気づけば周りには誰もいなかったという。
『ご来場の皆様に、ご案内申し上げます。まもなく、和泉フィルハーモニー音楽団の定期演奏会を、開演いたします。どうぞ、最後までごゆっくりと、お楽しみください』
開演を知らせるアナウンスがホールへと響き、胸の高鳴りがピークに達する。
舞台袖に集まった皆と自然と目が合い、微笑み合う。〝今日もいい演奏会にしよう〟――言葉にはしなくとも、誰からもその意が感じ取れた。
開演のブザーが鳴り、一斉に舞台上へとその一歩を踏み出す。
スピーディーに譜面を用意し、コンサートミストレスである私の音を基準に、皆がチューニングを開始。途中で三人と目が合えば、彼らは自信に溢れる笑みを返してくれて、またそれが嬉しかった。静かになったところを見計らい、着席する。
チューニングの残響も静まり返った舞台へ、指揮者である団長が登場。舞台の反対側まで満員となった客席から、温かい拍手が届けられた。
小太りの団長も燕尾服で身を包んでいる。でも毎度、首元の小さな白い蝶ネクタイが居心地悪そうに見えてしまうのは……秘密で。
団員の皆を見渡した団長がタクトを構えて満面の笑みを浮かべ、布の擦れる音と共に出だしの奏者たちが楽器を構える。
大きく息を吸う団長。
振り下ろされるタクト。
さあ、誘おう。
私たちが奏でる、最高の音楽の世界へ――。
第一部のオープニングは、ジャン・シリベウス作曲、交響詩『フィンランディア』。演奏会の幕開けに相応しき、ファンファーレのような厳かな音色が会場へ高らかと響き渡った。
重苦しい金管の演奏に始まり、木管の柔らかな音色へ引き継ぎ、弦楽器の壮大な音楽へと発展していくシリベウスのこの名曲。中盤へ進むにつれ旋律は高揚感を増し、最後には強い〝勝利感〟を味わうことができると有名である。
これで観客たちの心を一気に引きつけ、ひとときの異空間へ招待することができただろう。
一呼吸おき2曲目。重厚なメロディで歓迎した次は、まるで満開の花が包んだような華やかさで彩る、モーツァルト作曲の歌劇『フィガロの結婚』序曲だ。
先ほどとは真逆の曲調に会場の雰囲気が一変する。観客は最初の重い空気から安心感に解き放たれるはず。
2曲目を終え、ここで団長の挨拶と曲紹介タイムが挟まる。
彼の関西人丸出しなおしゃべりを楽しみに来る人も、少なからずはいるとのこと。
しっかりと会場の笑いを取り、満足そうに団長が振り返ったところで3曲目。歌劇イーゴリ公より『ダッタン人の踊り』、作曲はアレクサンドル・ボロディンである。
テレビCMなどにも採用されているから、耳にしたことのある人も多いのではないだろうか。こういう日常に溢れている曲をレパートリーに取り入れるのも、観客を飽きさせない工夫のひとつだ。2曲目のように華やかな曲ではあるけれど、こちらはどこかエキゾチックな雰囲気に溢れているのも魅力的だ。
4曲目はガブリエル・フォーレ作曲、ペレアスとメリザンドより『シシリエンヌ』。冒頭でパワーを発揮した金管の皆さんには少しお休みしてもらい、ハープの和音に乗せた弦楽器と木管の美しい主旋律が際立つ、第二部へと引き継ぐ4分ほどの曲だ。……ちなみにホルンだけは木管の仲間として参加。
この曲も多くの人に聞き馴染みのあるメロディから始まる。終盤にはカルテットを先行して、安芸君の優雅なクラリネットソロをつまみ食いできてしまったり。
拍手喝采を浴び、第一部が無事に終了した。
でも、今回の前半はこれだけで終わりではない。
「ほな、ここでウチらはいったん下がらせてもらいますけど、皆には今ウチの楽団でいっちゃん勢いあるニュースター〝ルミナス・カルテット〟の演奏を、たっぷり堪能してもらうでぇ!」
団長の掛け声で会場が湧く中を、私たち四人を残して他のメンバーが舞台袖へと捌けていった。
すっかり周りは淋しくなってしまったけれど、不思議と彼らと顔を合わせているほうが、皆での演奏よりも大きな安心と自信に満ち溢れる気がする。
いつものように軽い安芸君の挨拶を終え。
曲はもちろん、クルーセルの『クラリネット・ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロのための四重奏』。
私たちが満を持して披露する美しい調べに、観客たちはしばし酔いしれるのだった。
※今回演奏した曲の紹介動画は、本編の演奏会が終了した後にまとめて掲載いたします。どうぞお楽しみに!




