13-1
新しいアジトの勝手にもようやく慣れ、我々は次なる手の準備を取り進めていた。
最も、既に奴らを貶める作戦は進行中であるが、そろそろ表立って襲撃しなければ、逆に怪しまれるというもので。
「おや、チーちゃん。奴の寝かしつけは済んだのかな?」
飼い犬の世話を託された徴が、満身創痍の表情で広間へ現れた。
彼女をここまで疲弊させるとは、犬のくせに対した奴だ。
「あぁ。まったく、いい加減諦めれば良いものを。暗里様も意地悪だ、アイツの世話を私に押し付けるだなんて」
「そう文句を言ってやるな。奴には死なれたら困るのだから、お前の管理能力を認めてのことだろう」
「あのなッ!? 毎回手を焼かされる私の身にもなってみろ、宮! さっさと力を全部奪って、身動きを封じればいいのさ」
そう言って〝手を焼かされた〟であろう箇所を、徴は不機嫌そうに押さえた。良く見れば彼女の手首には強く噛みついた跡があり、黒い鮮血が滲み出ていた。
瞬間、私の脳天に全身の血液が上り詰め、体が熱くなるのを感じた。こうなるともう、いつもの冷静な自分ではいられなくなる。徴へ詰め寄ると痛がる彼女に構うことなく、私は傷ついたその腕を掴み上げて壁際へ追い詰めた。
「ちょ、宮、何をす――ッ」
「奴にやられたのか!? 他には……他には何をされた!?」
鬼の剣幕で迫る私を、徴は臙脂色の前髪から覗く片目に困惑を宿して見上げた。だが何も言わない彼女に業を煮やし、掴んでいた腕の傷に舌を這わせると、頭上から小さな呻き声が聞こえて興奮を覚えた。普通の女であれば、この時点で音を上げるはずである。
ただ私は、時折彼女が普通の女ではないことを忘れる、悪い癖を持っており――。
「っこんの……、陰湿エロ男がぁああッ! いい加減にしやがれ!!」
「ッ、ゴフゥッ……!」
私は徴からの強烈な膝蹴りを食らい、我に返ってその場に倒れ込んだ。更に間髪入れず背中から踵落としも入れられ、完全にノックアウトされる始末。……今の一撃は良かったな。
「何もされてねぇよッ! いいからお前はさっさと巡回に行けっ、この糞!」
「……リョー、カイ」
長い自慢の髪を振り乱し、彼女は憤慨しながら広間から出ていった。その時、チラリと見えた頬がほんの少しだけ赤く染まっていて、私はそれだけで満足だった。
しかし巡回に行けと言われても……、正直かなり痛いのだが。
◇
次の日の朝。
講師を務めている楽器店へ出勤すると、先輩二人が頭を抱えて落ち込んでいる場に遭遇した。
でも二人は私の顔を見るなり「工藤ちゃんがおるやん!」と表情を一転させたので、状況が飲み込めていない私は頭の上に?マークを沢山並べた。
「えーっと、何かあったんですか?」
「何もかもあらへんわ、聞いてぇな工藤ちゃん! 来月にウチの楽器店主催で、演奏会を開くことになっててんけど……参加予定のヴァイオリンとチェロのデュオ組が、急遽出演できひんことになってしもたんや」
そうなんだ……と軽い気持ちで聞いていた私は、次第に嫌な予感がしてきた。
ヴァイオリンと、チェロ……?
「けど、ウチには工藤和泉っちゅースペシャルヴァイオリニストがおるやんな! なぁ工藤ちゃ~ん、代わりに出てくれへん~?」
「えっ? えぇっ!?」
「ホラ、こないだ友達連れて来てくれはった時、チェロ持ってた子おったやろ? その子とデュオ、頼むわ~!」
左右から泣きつかれて逃げ場などあるはずもない。しかも私はその先日に、ここで大量の楽器と部屋まで借りた恩がある。
かろうじて〝チェロ〟の意思を聞かなければいけない、という思考だけが働き、私は一旦返事を保留にさせてもらった。
でも、チェロを弾くことが好きではないと言っている〝彼〟が、私とのデュオを引き受けてくれるとは到底思えないのですが。
「――デュオ!? い、和泉と日向、で……?」
「う、うん。どどど、どうかな日向君。いっ、嫌なら断ってくれて全然構わないからっ!」
翌日。日向君に相談があると昨晩に連絡したところ、次の日の午前中なら予定がないというので、私は彼らのシェアハウスにお邪魔していた。私も講師の仕事は午後からで、午前中はお店の手伝いをしているだけだから、その時間だけお休みをもらったのだ。
すると家には何故か安芸君と近江君もいて、どうやら午後から皆で出かける予定があるとのことだった。男性陣三人で珍しいな、とは思ったけど、彼らにだって付き合いはあるだろう。それに何だかんだ喧嘩するほど仲が良いみたいだし。
そこで早速、楽器店での話をしてみれば、日向君の前に安芸君が怪訝そうな顔で反応を示した。
「和泉、ただでさえ忙しいのに大丈夫なの? 仕事やコンサート、メストのことだってあるのに。君の身体が一番心配だよ」
「え? わ、私は大丈夫だけど……いい嫌だよねっ、日向君!? 大丈夫、断るから!」
相変わらず安芸君は、私の身体を心配してくれているようだ。
不安にさせてるのも申し訳ないから、ここはもう潔く断ろう。日向君ずっと無反応だし……と思った直後、ようやくこちらを見た彼と目が合い、心臓が跳ね上がった。
「……別にいいぜ」
「ッ、んへ?」
「いいって……、日向ッ。君も忙しい身だろ!?」
予想外の返事に、思わず私は変な声を出してしまった。でも私以上に、何故か安芸君のほうが慌てていた。
「いや? 何かあることを予期して、大学の単位は余裕を見て取ってるし。店の人たちが困ってんなら、助けてやったほうが和泉のためだろ。それにコンサートは今週末で終わるんだ、どうってことねぇよ」
「うっ、そうかもだけどッ」
狼狽えている安芸君に近づき、近江君が彼の肩を軽く叩いて部屋へ去っていく。
安芸君がそこまで必死な理由はよく分からなかったけど、近江君の圧力もあってか彼は肩を落として渋々了解した。っていうか、どうして安芸君の了解が必要になってるんだろう?
「……分かったよ。でも和泉、無理だけはしないでね」
「う、うん。ありがとう、皆」
よく分からないまま、私は彼らへのお礼を口にした。
――日向君とデュエットかぁ。チェロとのデュエット自体も初めてだけど、どんな感じになるんだろう。
私は緊張と期待に高鳴る鼓動を感じながら、スマホをいじり始めた彼の横顔を見つめた。




