◇番外◇ legatissimo ~日向と安芸、近江 古の友情 Ⅱ.Adagio
※最後に本番外の表紙イメージ絵があります。
翌休日。早朝ジョギングから帰宅した俺は、スマホへ届けられたメッセージに気づいた。それは聞き覚えのある企業からだった。
滝のように流れる汗を拭きつつ内容を確認すると、相手は昨日参加したコンクールの主催者のようだ。
『貴方の受賞を祝いたいので連絡先が知りたいと、滋賀の高校生という人物から問い合わせがきています。いかがいたしますか?』
読んだ瞬間、俺は怪訝に眉を潜めた。
昨日のコンクールは最優秀賞を受賞した。結果はネット上でも公開されているから、相手はそれを確認して連絡を寄越したのだろう。
滋賀に知り合いなんていやしない。……と言いたいところだが、思い当たる人物が一人だけいる。
国守護楽団、近江――安芸を探している時に、同時に探していた人物。どうやら向こうも俺を探しているらしい。
安芸に次いで、ついに近江とも繋がりができようとしている。自分の意思とは裏腹に、ブリッランテとして活動する準備が着々と進んでいて、恐怖心を抱いた。まるで前世の思惑どおりといわんばかりに。
無意識に飲み干したスポーツドリンクのペットボトルを握りつぶすと、気乗りはしないが返信のメッセージを打ち込んだ。
『分かりました。こちらから連絡します、連絡先を教えてください』
〝送信済〟の表示に期待と動揺を感じながら、誰もいないリビングを通過し、風呂場へと向かった。
その日のうちに団体から相手の連絡先が届いた。『和田近江』と名前も分かり、推測が確信へと変わる。
そして貰った連絡先を画面に表示させ、俺は今、自室でスマホとにらめっこしていた。
通話ボタンを押すか、否か。思い悩んで早30分だ。安芸の時は向こうから連絡が来て、アイツのコミュ力に圧倒されるばかりだった。っつか安芸とはメールからだったのに、何でコイツ電話なんだよ。
あぁクソッ! と決断できない自分にも腹が立ち、画面を一度閉じようとスライドした……つもりが、誤って〝通話〟をタップしてしまい、衝撃が走る俺。
慌てて切ろうと思ったが、無常にも画面には『通話中』の文字が映し出されていた。オイ、出るの早ぇだろ。
「もしもし……」
恐る恐る声をかけてみるが、スマホの向こうからは何の返事もなかった。
番号を間違えたか? 不安にかられながら、もう一度呼びかける。
「おい、聞こえてるか? お前あの近江なんだよな?」
すると数刻の沈黙後にようやく聞こえたのは、『フン』という人を小馬鹿にしたような鼻息だった。
『受賞したなら、もう少し嬉しそうな顔すれば? ひゅーがクン』
……は。
はぁあああッ!?!?
思いもよらない第一声である。一応確認だが、コイツとは前世での繋がりがあるといえ、俺自身は初対面だ。
どいつもこいつも、何でこう知ったような口振りで接してきやがるのか。いや、知ってる奴ではあるんだが。
あぁもう! このややこしすぎる関係、どーにかしてくれッ。
「テンメェ、そりゃどーゆー意味だよ」
『そのまんまの意味だが? お前、表彰式1ミリも笑ってないから』
「ウルセェ。んなくだらねぇこと言うために連絡してきたのか? なら切るぞ」
確かにネット上の公開情報には表彰式の様子も載っているはずだが、最初の会話がコレとは失礼な話である。近江の調子に乗せられて俺も強気な応答をすると、奴はクツクツと笑って『待てよ』と言った。
『これくらいで怒るなよ、相変わらず短気だな。こっちは必死にお前の情報探したっていうのに』
「前世と一緒にすんな、俺だって探してたっつの。お前ファゴットちゃんとやってんのか? 何の情報も見かけねぇんだが」
俺の質問に近江は『バカにするな』と答えた。どうやら楽器はやっているが、俺のようにコンクールなどには出場していないらしい。
あんなに電話するのを躊躇していたはずなのに、気づけば俺は近江と普通に話していた。安芸の時も思ったが、スマホの向こうから聞こえてくる近江の声は、どこか懐かしく心地が良かった。
『不思議だな。実際見つけるまで、ずっと騙されてるんじゃないかと疑っていた。腐れ縁なんてクソ喰らえとも思ったが、今こうしてお前と喋ってると、それも悪いもんじゃないと思えてくる』
「……そうかもな。安芸に連絡してやれよ。泣いて喜ぶぜ、アイツ」
『何だ、安芸とはもう連絡取ってるのか』
そうして俺たちは簡単な会話を済ませ、電話を切った。
何だか電話をかける前よりも、俺の心は晴れやかだった。
ところがその夜、安芸から驚きのメールが届く。
〝大阪で三人一緒に住まないか? 住居をアジトとして拠点にすれば都合がいいと思う〟……って、急展開すぎるだろ。
一体どんな話してんだよ、アイツら。楽しそうにしやがって。
大体、俺はまだ大阪に移住するなんて一言も――。
すると突然目の前が暗転し、俺はまるで恐怖から逃れるように頭を抱えた。脳裏に浮かぶのは、腫れ物を見るような表情で俺を見下す両親の姿だった。奴らは言う、「お前のような欠陥品に、誰がここまで食わせてやったと思ってんだ」と。
何でそんなこと言うんだ。俺はずっとお前らのために頑張ってるのに。
チェロだって、やりたくてやってるワケじゃない。
これは仕方ない。仕方がないことなんだ。
もう変なことやワガママ言わないから、俺を見捨てないで……、父さん! 母さん!!
〝日向……っ!〟
「ッ――――!!」
暗闇をかき消すように、ガヴォットの気高き旋律と純白な声が、俺を現実に引き戻した。
その時、スマホが激しく振動していることに気がついた。暗闇に浮かぶ呼び出し主の表示は〝安芸〟だった。
ただ一見した後、そのままスマホをベッドの上へ投げ捨てた。
ところが、アイツからの着信は10分置きぐらいにしつこく入った。着信履歴が『安芸』でいっぱいになった頃、根負けした俺はついに通話ボタンをタップした。
『やっと繋がったッ! 大丈夫なのか、日向!?』
「……しつけぇよ。何の用だ」
『君が心配だったから電話したんじゃないか!』
安芸の言葉に思考が停止する。俺はまだ安芸のメールに何も返信してねぇし、助けてくれと懇願した覚えもねぇ。家のことだってコイツは何も知らないはずだ。第一、何でこんなタイミング良く電話なんて。
『虫の知らせだよ』
俺の気持ちを悟ったかのように、安芸はそう言った。
『君が苦しんでるって、そんな気がしたんだ。それで』
「……余計なお世話だ、お前だって苦労してんだろうが。人の心配するより、自分の心配しろ」
心の中で温かい何かが広がっていくのを感じるのに、俺は安芸を突き放した。
コイツに甘えちまったら、きっともう――。
『僕は大丈夫だよ。言っただろ? 君と近江、そして和泉がいるからって』
「あのな、俺たちにはお前の問題なんて解決できねぇぞ!?」
『分かってる。ただ、いつか君たちと過ごす未来があると信じてるから、今は何があっても耐えられるだけさ。どれだけ明日が辛かろうが、乗り越えてみせるよ』
温かい何かは意思とは裏腹にどんどん広がってきて、込み上げるものを抑えるのに必死で。
心は貪欲なのに、耳を塞ぎたくなる矛盾に喘ぐ。
「……俺は、お前らみてぇに強くねぇよ」
『僕だって強くないよ。それに近江だって……ッ兎に角! 一人ひとりは弱くたっていいじゃないか! 前世の僕らは、そのために三人で転生の道を選んだんだ』
そして安芸は、凪を感じさせる穏やかな声でこう言った。
『三人だから、強くなれる。それを忘れないでくれよ、日向』
アイツの光が眩しすぎて、俺は耐えきれずに通話を切った。
それから10日以上が経過したが、安芸はもちろん近江からも連絡が途絶えていた。あんな態度を取ったのだから、嫌われても仕方がない。静かな日常は戻ったが、何か大切なものを失ったように、胸ん中にデカい穴が空いたみてぇだった。
でもアイツらがいなくとも、俺には心配してくれるセンコーがいた。奴はいつも〝自分が正しい思う道ば、行きゃよかとよ〟と口癖のように言っていた。だからこれが俺の正しいと思う道だと、自分に言い聞かせた。
適度にチェロを弾き、適度に鍛錬をし、適度にメストから襲撃される日々が過ぎたある日。
――センコーが、不慮の事故で亡くなった。
突然に唯一の味方を失った。発狂するぐらい、誰もいない家の中で、一人で泣いた。
散々叫びまくって虚無に陥り、暗闇の中で呆然と天井を見つめていた時、蘇るのはやはりヴァイオリンの音色と彼女の声で。
お前のために生きることが、抗えない使命なんだろうか。全てを犠牲にしてでも、ブリッランテとして。
なぁ、教えてくれよ……和泉。
〝腐れ縁なんてクソ喰らえとも思ったが、それも悪いもんじゃない〟
〝三人だから、強くなれる。それを忘れないでくれよ、日向〟
〝自分が正しい思う道ば、行きゃよかとよ〟
~~~~~~、あぁああああ! クソッ!!
気がつくと、俺は安芸に電話をかけていた。深夜にも関わらず2コールぐらいでアイツは出てくれた。
『もしもしっ! 待ってたよ、日向。近江としんぱ――』
「決めた、俺も大阪の大学を受ける。例え親と決別することになってもな!」
何の前振りもない唐突な宣言に、アイツはさぞかし戸惑ったことだろう。
だが何かを悟ったのか、安芸は何も聞き出すことなく『うん、分かった』と一言。
『なら、早いうちに部屋を探さないとね。日向はどんな部屋がいい? あ、でも近江の意見も聞かないと』
「お前……、俺らまだ高1だぞ。気が早すぎるっつの」
二人の存在が、凍りかかっていた心を、ゆっくりと溶かしていく。
まだ少し先の計画を嬉しそうに語る安芸の様子に、俺は呆れながらも自然と笑みを溢した。
俺はまだブリッランテとして行動することに疑念がある。けど、抗えないなら立ち向かうしかない。
いいだろう、進んでやるよ。ただ全てを前世の思いになんてさせやしねぇ。
現世の俺たちは、〝俺たちの道〟を行く。
自信はないが、希望はある。
俺には同じ境遇で苦しみ、必死に抗って生きる、古くからの腐れ縁で結ばれた友がいるのだから。
◇
――で、今。
「おい近江、起きろ! 早くしねぇと武蔵たちが来ちまうだろうが!」
例によって姿を見せない近江の部屋の扉を叩き、俺は奴を叩き起こしていた。
安芸によれば、今日は武蔵たちが打ち合わせにやってくるらしい。
「日向。頼むから壊さないでくれよ、修理代高くつくんだから」
「わぁってるよ、なら……」
キッチンに立つ安芸の忠告を適当に流し、俺は大きく息を吸って、わざとらしい大声を張り上げた。
「おぉお~! 今日の安芸の朝食は豚汁かぁー! 旨そうだから残りは俺が全部食うかなぁー!?」
……と。
ドタドタドタ、バンッ!! という騒々しい音がしたの後、部屋の扉が勢い良く開いた。現れた近江は目をギンギンと開き、扉の前に立っていた俺をキツく睨みつけている。
「日向、お前ッ! 俺の分まで食うなよ、殺すぞ!」
「……食わねぇよ、バーカ。とっとと顔洗ってこい」
顔面にタオルを投げつけると、近江は渋々洗面所へ向かった。それを呆れて見送る俺と、クスクスと笑い声を上げながら見届ける安芸。
暮らし始めは生活環境の違いに大喧嘩することも多々あったが、今はそこそこ楽しくやっている。
宮崎に残してきた両親はどうしているか知らない。家を出ると告げた時、俺は二人から勘当されちまった。
それでももう構わねぇ。俺の居場所はここにちゃんとあるから。
「よーし、朝メシだ。安芸、俺の豚汁くれ」
「君の朝食はプロテインだろ。豚汁は僕の分しかないよ」
「はぁあ!? ちゃんと早起きしたんだから分けてくれよ!」
「ガキかテメェは。いいから黙って自分の食え!」
クソ面倒で鬱陶しくて、ムサ苦しいほど情に厚い、この食い意地の張った筋肉バカと、可愛らしい顔のお節介と共に――な。




