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彼らの予定と私の出勤時間まで余裕があったので、お昼をまたご馳走になってしまった。意気消沈気味の安芸君が作ってくれたのは、ミルクにチーズの濃厚さが際立つ絶品クリームシチューだった。本当、安芸君って何でも作れるなぁ。
「ところで、皆の予定って何なの?」
食後のレモンティーを飲みながら尋ねると、三人は目に見えて嫌そうな顔をした。
……え、もしかして聞いちゃダメだった?
「いや、それが――」
安芸君が何かを言いかけたところで、シェアハウスのチャイムが高らかに鳴り響いた。でも何故か彼らは呼び出しに応えることなく、席から立ち上がろうともしない。チャイムはしつこいくらいに何度も押され、彼らの応答を明らかに求めているのに。
1~2分ほどの攻防が続くと、近江君に目配せされた安芸君が溜息を吐いて重い腰を上げ、玄関の扉を開いた。……瞬間。
「あっぱったれッ! 何回ピンポンさすんじゃクソガキどもが、とっとと出ろらァ!?」
「あぁ、すみません。全然聞こえませんでして」
怒鳴り込んできたオレンジメッシュの金髪の男性に、安芸君が涼しい顔で大嘘を吐き、私は耳を疑った。
いやいや、盛大にしっかり聞こえてましたけども!?
「え、越後さん?」
「何だ、総長サマもいたんかよ。お楽しみのとこ悪ぃけど、コイツら借りてくっけさ」
長い楽器ケースを背負った越後さんは、怒鳴っていた割りにはどこか楽しそうな雰囲気だ。楽器を持ってるってことは、皆とどこかで演奏でもするのだろうか。そういえば、越後さんの楽器って初めて見る気がする。
「越後さん、トロンボーンだったんですね」
そう指摘すると、彼は表情を一転させ気まずそうに口をこもらせた。
「あ? いや、まぁ……お、オラ! グズグズしてねぇで行くっけさ、ガキども!」
越後さんに催促されて、三人は渋々と出かける準備を始めた。とてもじゃないけど楽器演奏って雰囲気ではない。トレーニングウェアを着ているってことは、もしかして鍛錬? 私が皆に言ったことだし、自分も体を鍛えなきゃいけないなぁ。
「あの、鍛錬なら私も――」
「和泉は絶対来ちゃダメ。……これから仕事でしょう? 気をつけてね」
即答で安芸君に断られ、私は頷くことしかできなかった。玄関先で暗い顔の三人と上機嫌な越後さんに別れを告げ、最後に日向君を呼び止めた。
「えっと、また連絡するね?」
彼は一瞬振り返って軽く微笑むと、先に歩き出した三人を追いかけた。
楽器店に出勤して早速、私は先輩たちにデュエットの参加を承諾。すると彼女たちは涙を流す勢いで喜んでくれた。
そして間髪入れず「ほんならコレ」と差し出された紙を、何気なく受け取る。
それは、ヴァイオリンとチェロのパート譜だった。
「え……、曲決まってるんですか?」
「モチロンや、パンフレットにも載せてもうてるしなぁ。ほなっ、期待してんで工藤ちゃん!」
バン! と背中を思いっきり叩かれた私は苦笑いしながら頷き、渡された楽譜へ目を通す。でもタイトルを見た瞬間、大きく息を飲み込んで、開いた口が塞がらなかった。
「うそ、これって……」
この曲を、日向君と演奏するんです、か……!?
プレッシャーと恥ずかしさで、私の顔には謎の汗が浮かび上がった。
◇
予想に反することなく、武蔵の鍛錬メニューはハンパじゃねぇほどキツかった。
まず5キロの重りをベルトで取り付け、学校の校庭ぐらいありそうな倉庫内を5周も走らされる。間髪入れず腕立て・スクワットを各500回。その後は50メートルの短距離ダッシュ10本を、30秒の休憩を挟んで2セットだ。
武蔵が急に「折角大阪にいるので、君たちにも僕の鍛錬メニューをやってもらいます」とか言い出しやがって、越後に駆り出され今に至るわけだが……。コレ、人間がやっていい鍛錬じゃねぇだろ、絶対。
ある程度覚悟はしていたが、体力面で自信のある俺と近江ですら吐きそうになるレベルだ。だから最近ようやく基礎体力が上がってきた安芸には、相当辛いだろう。
だが振り返った先で見たのは、時折咽ながらも遅れを取らないよう、我武者羅に食らいつくアイツの姿だった。まるで何かから逃れたいと、必死に足掻いてるみてぇで。
地獄のトレーニングメニューを終えると、暫しの水分休憩が与えられた。カラッカラに干上がった体へ命の水が染み渡り、生き返った気分になる。
安芸は俺たちの隣で、滝のように汗を流しながら、乱れた呼吸を整えていた。心配した近江が声をかけるも、アイツは〝大丈夫だ〟と言い張って鍛錬をやめようとしなかった。
……安芸がここまで躍起になってる理由はアレしかねぇ。
まぁ簡単に言うと、俺のせいってやつだな。
「よし。そろそろ立て、ガキども。次は実践トレーニングっけさ」
越後に声をかけられ、渋々と立ち上がる。
奴はご自慢の槍を片手に、得意げな顔で俺たちを見下ろした。
「トレーニングの前に、まずは小手調べら。お前らの力、見させてもらうっけさ。三人まとめてかかってこいや!」
俺たちを指で煽りながら平然と言ってのける越後に対し、俺と近江の眉がピクリと動く。越後の腕は商戦で見たとおり確かだと思うが、三人相手とは小馬鹿にされたものである。それ以前に、今の今まで鬼のような筋トレをさせといて、全力なんか出せるわけねぇ。
何より気にかかるのは安芸だ。週末はコンサートだっつーのに、無理して怪我でもされたら厄介だ。
「オイ安芸、マジで大丈夫か? もう少し休んでたほうがいいって」
本気で心配する近江が安芸の肩を引く。
でもアイツは近江の手を払い、変わらず首を横に振った。
「だから、大丈夫だって――」
「あんだぁ? 安芸。もうヘバってんら? この程度でそれじゃ、大事な和泉サマに笑われっぞ~」
安芸の言葉を遮り、越後は不敵の笑みを浮かべてケタケタと嘲笑った。
瞬間、安芸の表情へ黒い影が落ちる。
――阿呆か、越後。今、その名前は禁句だっつの。
「近江、……日向」
聞いたこともない低い声で、俺たちを呼ぶ安芸。
反射的に俺と近江は肩をビクつかせて、アイツを振り返った。
「な、何だ……?」
「――アイツ、殺る」
安芸らしからぬ狂気の台詞に、俺と近江は顔を見合わせて盛大に溜息を吐いた。
……あーあ。だから言わんこっちゃねぇ。




