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後から練習室に入ってきた日向君たちは、唖然とした表情で私たちの演奏を聞いていたに違いない。
彼らが来る間、私は伊予ちゃんとデュエットしていた。フルートとの二重奏なんて初めてだけど、透き通った音色同士の美しい旋律が、練習室を華やかに彩っている。
W.A.モーツァルト作曲『3つの二重奏曲 K.156』。元々はフルート二重奏として作られた曲だ。15~6歳頃の若きモーツァルトが作曲しただけあって、明るく軽やかでフレッシュさに溢れるメロディが魅力的である。
彼の室内楽の中でも特に親しみやすく、伊予ちゃん曰く〝フルーティストの間でも人気が高い作品〟だそうだ。
伊予ちゃんのフルートの腕もなかなかだ。今回は私がフルートの第2パートを担当しているけど、初見で弾いているから彼女に付いていくだけで必死だった。でも「お願い和泉~」なんて可愛らしい顔でおねだりされては、断ることなんてできず。
ちなみに今朝まで彼女が口にしていた〝和泉様〟呼びは、ここまでの道のりで遠慮済み。
「……ん~っ、さっすが和泉! 完璧に弾けてるじゃない!!」
「えぇ、そうかなぁ? でも伊予ちゃんも、フルートすっごく上手だね」
第1番を弾き終わるなり、彼女は興奮して私に抱きついてきた。ここまで人懐っこくて遠慮がない女の子には今まで会ったことがなく、動揺半分・嬉しさ半分の気分だ。でも女の子同士って、やっぱり凄く楽しいな。
朝からキャッキャと騒いでいる私たちに、咳払いをして割り込んできたのは安芸君だった。
「おはよう和泉、随分と楽しそうだね。すっかり伊予と仲良くなってるようだけど……?」
「おはよう、皆! そうなのっ。伊予ちゃんが家まで迎えに来てくれて、一緒に来たんだよ~」
ねー! と顔を見合わせて笑えば、安芸君は苦笑いをして「そうなんだ……」と呟いた。日向君と近江君も小さく溜息を吐きつつ、三人は自分の席で楽器の準備を始めた。今日も楽団の練習前にカルテットの合わせをするのだ。
「ねぇ、和泉たち四重奏組んでるんでしょ? 私も入れて五重奏にしてよ」
再び上目遣いで懇願してくる伊予ちゃんに、私は言葉を詰まらせてしまう。
でも私が答える前に「ダメだ」という声が空気を裂いた。咥えていたクラリネットのリードを離し、伊予ちゃんを軽く睨むようにこちらを見る安芸君。
「申し訳ないけど、今回はこの曲でいくと決めてるんだ。それに君、コンサートは不参加だろう?」
「えぇ~ッ? 安芸のケチー。私だって早く皆と吹きたいのに……」
何だか泣きそうな顔で俯く彼女の様子に、私は慌てて取り繕った。
「じゃ、じゃあコンサートが終わったら、伊予ちゃんも入れて何かやろうよ! 折角同じ楽団に入ってくれたんだからさ。ねっ?」
そう言うと、伊予ちゃんは満面の笑顔で「やったー!」と叫び、対照的に安芸君が少し頬を膨らませて私を見つめた。
何だか安芸君、今日はいつになく不機嫌だな……。何かあったのかな?
「分かったら、そこどけ伊予。お前は後ろで聞いとけ」
「はいはい。どけばいいんでしょ、どけば」
背後から近江君に圧をかけられた伊予ちゃんは、渋々と私の左隣の席を譲った。……と、その時。
何かに躓いた伊予ちゃんが転倒しかけて、近江君の横に立っていた日向君へしがみついた。お陰で転ぶことはなかったけれど、必然的に二人は抱き合うような形になるわけで。
「――っ!?」
「あらぁ、ごめんなさい日向。わざとじゃないのよ?」
僅かに頬を赤く染める日向君に、伊予ちゃんは妖艶な笑みを浮かべて退いた。
……あれ、何だろう。このモヤモヤ感。
「じゃあ、昨日の続きから始めようか」
安芸君の声を聞き、私はよく分からない感情を払うように首を振り、カルテットに集中するのだった。
午前の練習が終わり、私たち四人は退室の準備を始めた。現在、日曜日の午後からは、カルテットの練習として早退させてもらうお願いをしている。それを知らなかった伊予ちゃんは寂しそうに俯いていた。
「ヒドい……、私も一緒に行きたい~」
「ダメだよ、伊予。君は楽団に入ったばかりなんだから、こっちの雰囲気に早く慣れてくれないと」
子供のように駄々こねる伊予ちゃんを安芸君が制する。すると伊予ちゃんは、安芸君に向かって〝イ~ッ!〟と歯を剥き出して威嚇の表情を見せた。この二人、やっぱり相性悪いのかも。
「ごめんね、伊予ちゃん。また今度ね」
そう言って手を振ると、彼女は椅子にペタンと座り込んで仏頂面で手を振り返してくれた。
あぁ、何だか心が痛い……。
練習室を出た瞬間、張り詰めた糸が切れたように深い溜息を吐いたのは安芸君だった。
「あぁ゙~……、すんごい疲れた」
「安芸、お前気を張りすぎ。もうちょい緩めてもいいと思うが? 俺たちもいることだし」
「そうだけど……」
心労を醸し出す安芸君を、心配そうに見つめる近江君。その間、日向君が練習室の近くに設置されている自販機で、缶コーヒーを4つ買って私たちに配ってくれた。ほろ苦いコーヒーに舌鼓を打ちつつ、穏やかな陽気の歩道を歩き、いつもの防音室を目指す。
「ねぇ、どうして皆は伊予ちゃんをそんなに警戒してるの? 彼女、すごくいい子だよ?」
私は勇気を振り絞って、皆の伊予ちゃんに対する態度について尋ねた。
安芸君の様子といい、一見すると彼女を受け入れているようで、まだ仲間と認めていないようにしか思えなかった。
「和泉に対してはそうかもだけど、僕たちにはどうしても彼女が伊予だと思えないんだよ。変化ができる以上、認めざるを得ないから余所者扱いにはできないけど」
「そんな……」
記憶がない私には、彼女が本物であるかの判断すらできない。安芸君たちの不安が理解できないのは、仕方ないと思っている。
だからこそ逆に私には伊予ちゃんが〝偽物〟と決めつける要素がなく、彼らの対応が腑に落ちないのだ。
「和泉、彼女とはもう少し距離を置いたほうがいい。仲良くするなとは言わないから、せめて二人きりになるのは避けてくれ」
安芸君の言葉に憤りを感じるも、私を心配してくれているのも分かっているから、戸惑いながら頷いた。
でも、そんなの良くない。
私は初めて、前を歩く三人との僅かな距離を感じ、胸の中心を押さえた――。
◇突発コーナー◇ 工藤和泉の『この曲聞いてみて!』
皆様こんにちは、工藤和泉です。物語が段々進展してきましたね……!
今回は新メンバーの伊予ちゃんが私と演奏したいと言ってくれた、こちらの曲です。
※動画の方々と筆者・貴良一葉は一切関係ございませんので、くれぐれもご迷惑となる行為をなさらぬようお願い申し上げます。あくまで参考としてご覧ください。
※別サイト(Youtube)が開きます、ご注意ください。
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W.A.モーツァルト『3つの二重奏曲 K.156 第1番』
https://www.youtube.com/watch?v=d3J_aYbTaEE&list=RDd3J_aYbTaEE&start_radio=1
原曲はフルート二重奏の作品です。それをフルートとヴァイオリンの二重奏に編曲したものですが、動画に原曲の詳細情報が載っていなかったので、特定するのに苦労したようで……。見つけた以上は、意地でも探してもらわないとですね。
フルートとヴァイオリンってこんなに相性がいいのか! と気づかせてくれる素敵な演奏です。若き日のモーツァルトが作ったとあって、彼のフレッシュさがにじみ出ているように思います。




