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僕が見つけたメストのアジトに和泉さんたちが乗り込んで、もう7時間くらいは経過しただろうか。夜も更けてきたというのに、未だ皆さんの安否に関する連絡は入っていない。
武蔵さんも援護に行くと言っていたけど、だから絶対に大丈夫という保証もないだろう。何かあったのか……? 祈って待つことしかできない自分に、ただただ憤るばかりだ。
そんな不安な心を誤魔化すように、僕は我が陸前家の防音室で、とある曲を弾いていた。常に指を動かしていなければならないこの曲は、目の前の鍵盤へ真剣に向き合わなければならず、雑念を一切忘れることができる。
これはピアノを弾くために視覚・聴覚・運動機能が脳の情報処理能力をフル稼働させるため、余所事を考える余裕が物理的になくなるからだ。
シャルル=ヴァランタン・アルカン作曲、演奏会用練習曲『騎士』。アルカンの作品の中でも、最も難しいと言われている曲のひとつである。そもそもアルカンの曲は指10本で弾けないような超絶技巧を必要とするものが多く、この『騎士』も高速での和音連打、低音から高音への跳躍、左手の使い方などが〝悪魔的に難しい〟といっても過言ではない。
ただ彼の曲は単に技術を見せびらかせるためのものではなく、きちんと音楽性も素晴らしく、その魅力に取り憑かれて必死に練習する者も少なくはないだろう。
無論、ピアニストの端くれである僕もその一人だ。
……最も、やりすぎると腱鞘炎になって勉学の支障となるから、注意が必要だけれど。
全力の『騎士』を弾き終えて、乱れた呼吸を整える。その時、ポケットに入れていたスマホから振動を感じ、慌てて取り出した。体に触れさせて振動を感じるほうが、着信音の知らせよりも分かりやすくて良い。
待ち望んだ人の名前が目に飛び込み、息を呑む。
震える指を伸ばし、ディスプレイをタップした。
『連絡が遅れてすみません。多少の負傷はありましたが、全員無事ですよ。安心してください』
言わずもがな、武蔵さんからのメッセージだ。〝全員無事〟の4文字で、張り詰めていた糸が緩むように、全身から力が抜けていくのを感じた。
良かった……、本当に良かった。
安堵の気持ちから、無機質なスマホをそっと胸に抱く。
流石に無傷というわけではないようだけど、〝安心して〟というくらいなのだから大したことではないのだろう。それが分かっただけでも十分だ。本当はもっと詳しい話を聞きたいけど……、武蔵さんだってきっと疲れてるに違いない。
夜も遅いことを配慮し、僕は『ありがとうございます、武蔵さんもゆっくり休んでください』とだけ返信して、そのまま布団に潜り込んだ。昨日は心配で全く眠れなかったから、今日は安眠できそうだ。
翌日。昨日とは打って変わり、気持ちの良い朝を迎えた。
睡眠ってやっぱり大事だな……と思いながらスマホのアラームを止めると、1時間ほど前に武蔵さんから画像付きのメッセージを受信していることに気がついた。
アジトで得た情報かな? と思い、何気なくそれを開く。
「……え」
まさかそれが、目覚めの爽やかな気分を全て吹き飛ばしてくれるとは、思いもしなかった。
◇
メストのアジトへ潜入してから、あっという間に5日が過ぎた。あれから敵の動きは特に見られず、思いがけず平和な日々を過ごしている。
でも油断は決してできない。指揮官の暗里を始め、日向君と一緒に対峙した宮だって生きているはずだし、まだ出会っていない五音衆も1人いる。今もどこかで息を潜め、反撃の機会を狙っているに違いない。そのことを忘れず身を引き締めながら、今日も音楽教室でヴァイオリンレッスンの仕事中だ。
「お疲れ様です、お先に失礼します」
「工藤ちゃん、今週もお疲れさん。気ぃつけて帰りーや」
教室のある楽器店を後にし、薄暗い歩道を警戒しながら歩く。
明日は土曜日。旅館から帰って以来、久しぶりに日向君たちと会う楽団の練習日だ。
あの日、旅館を出た私たちは、武蔵さんにレンタカーで各自の目的地に送り届けてもらった。最初は近江君の職場、次に私の家、それから日向君と安芸君の大学への大移動だ。支払いとかで出発が遅くなってかなり急いでいたから、それはもう慌ただしい別れだった。
……家に帰った後、お母さんに詰められて、私も出社時間ギリギリだったなぁ。ちなみに武蔵さんと純君、越後さんがその後どうしたかは聞いていない。
越後さんとは、上手くやっていけるだろうか。私を信じ、躊躇わず自分の過去を話してくれた武蔵さんとは違い、越後さんと信頼を築くにはまだ時間が必要だ。これは焦ってどうにかなるものじゃない。
武蔵さんの過去は想像以上に壮絶だったけど、〝仲間を誰一人死なせない〟という強い信念を抱いた理由がよく分かるものだった。同じように他の皆にも、前世があることによって背負わされた辛い経験があるのだ。
『皆が味わってきた痛みを知らないこと』が私に与えられた痛みだとするなら、総長としてこの試練を真正面から受け止めなければならない。何ができる、というわけではないけど、皆が好きだからこそ悲しみを少しでも分かち合いたい。
……不思議。いつの間に皆の存在が、こんなに大きくなったんだろう。出会ってからまだ1ヶ月くらいしか経っていないのに。
私の中に眠る〝和泉さん〟の影響なのかな。もうずっと昔から皆のことを知っていた気がする。本当に心から大好きなんだ……、勿論〝仲間〟として。
〝それとも、僕を誘惑しているのですか?〟
〝和泉……、僕だって男だよ?〟
……ち、違う違う! 確かにあの二人にはドキドキさせられたけど、そういう好きじゃないから! 二人も私をからかってただけだし!
もう。好きでもない女の子に、あんなことしちゃダメだよ。特に私みたいな凡人はすぐ勘違いしちゃうんだから、悪ふざけも大概にしてもらわないと。
分かってる。彼らは仲間だから一緒にいるだけ。私が総長だから、守っているだけ。
この戦いが終わったら、皆は自分の道を進んでいくんだから。特別扱いは今のうちだって思わなくちゃね。
……あぁ、でも。
あの時、私。
〝お前は大事な総長だからだよ〟
――彼にだけはそれを言われたくなかったと、何故かショックを感じたんだ。
◇突発コーナー◇ 工藤和泉の『この曲聞いてみて!』
皆様こんにちは、工藤和泉です! お久しぶりのこのコーナーがやってまいりました!
今回は、私たちの無事を祈る和矢君が、気を紛らわせるために弾いたこちらの曲です。
※動画の方々と筆者・貴良一葉は一切関係ございませんので、くれぐれもご迷惑となる行為をなさらぬようお願い申し上げます。あくまで参考としてご覧ください。
※別サイト(Youtube)が開きます、ご注意ください。
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シャルル=ヴァランタン・アルカン 演奏会用練習曲『騎士』作品17
https://www.youtube.com/watch?v=6RAkAXlz1SQ&list=RD6RAkAXlz1SQ&start_radio=1
初めて聞くかたは、きっと度肝を抜かれることでしょう。指10本では足りないと言わしめるだけあって、弾く人を絶望に追いやるのではと心配になるほど、曲調も速く技術が問われる作品。
でも決してめちゃくちゃに弾いているわけではなく、騎士が勇敢に歩き、戦いに臨まんとする姿が浮かびます。
この曲に驚いたなら、是非アルカンの『鉄道』という曲も聞いてみてください。こちらも聞く人の心を躍らせる、超絶技巧の難解曲です(筆者もどっちにするか迷った模様)。




