其の壱十弐「暗黙を囁く声」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これは、ある会社員(仮にAさん(男性))から聞いた、耳を2度疑うようなお話です。
当時30歳のAさんは、とある会社に中途で採用されます。
そこはとあるプラント設備で、ここの維持管理業務がAさんの新しい仕事。
期待と不安の初出勤。彼は教育担当の40代の社員から施設内の説明と、新人研修ということで入構教育、安全衛生教育を受けることになりました。
物腰柔らかで、要所要所にユーモアを交える。眠くなりがちな研修に緩急をつける工夫をする教育担当(以降Iさんとします)の話は、とても頭に入りやすいものだったとAさんは言います。
1日目終了。定時になるとIさんは「お疲れ様。明日は安全衛生教育の続きを午前、午後から工場内を案内するからよろしく」と話し、Aさんはこの日帰宅することになりました。
今日一日のことを振り返り、AさんはIさんの終始穏やかで丁寧な対応もあって、期待と不安の初出勤は“期待の初出勤”だったと感じたそうです。
ここなら前職のような「理不尽やパワハラ」の標的にされるようなこともないはずだ、と。
そんなことを思いながらAさんは、工場の社員出入り口に行き、扉を開けようとノブに手をかけた――そのときです。
『Aくん。』
不意に後ろから、小さな声でそう呼びかけられた気がしたAさんは、思わずバッと振り返りました。
しかし、後ろには誰もいません。気のせいかと思い息を吐いたAさんは、前を向き直し再び出入り口扉のノブに手をかけようとすると――
『君、たいへんなところに来ちゃったね。ここはやめておいたほうがいいよ』
ぼそぼそと小さな声だが、明らかに語りかけるような声がAさんには聞こえていました。
それはさっきと同じ、背後からなのですが、やはり振り返るとそこには誰もいません。
『ここ半年で5人目の入退社と言えば想像できると思うけど、ここはねぇ……』
そう囁きかけてくる言葉を最後まで聞いたAさんは、翌日に退職を申し出たのでした――
◇◆◇
Aさんは、何を聞いたのか。
ぼそぼそと聞こえてきたその声は、この会社の暗黙のルールをAさんに語りかけてきたといいます。
・仕事が片付いていても工場長より早く帰ってはいけない
・工場長の言うことは絶対で、対案を出すと人事評価を下げられる
・一字一句、工場長が気に入るとおりの発言をしなければならない
・どれだけ仕事が忙しくても工場長の雑談には必ず付き合わなければ人事評価を下げられる
・工場長が気に入れば、仕事の能力がなくても役職が与えられる
・その他多数――工場長の発言がすべて正しいとされ、工場長の気に入るようにしていなければならない
・これらのことを知っている本社はそれを黙認している
Aさんが聞いたその囁きの内容に、私は思わず「真っ黒な独裁組織ですね」と苦笑いするしかありませんでしたが、Aさんの話の続きを聞き、私は「ゾ!」っとしました。
その囁き声――あれは間違いなく、教育担当のIさんの声だったと――
◇◆◇
Aさんは現在、フリーランスの仕事をしているそうです。
パワハラで前の職場を退職し、新しい職場で心機一転の再出発と意気込んでいた矢先に起きた、どこか不可解な話。
もしかすると、あの囁き声は、教育担当Iさんの生霊の声だったのかもしれません。
それにしても、私はこの話を聞いて2度耳を疑いました。
それは、今の時代にこんな会社組織がまだあるのだということ。
そして、生霊飛ばしは本当に存在するのかもしれないということ――
この話、本当なんです――




