其の八十五「満員電車のひと席」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
もっぱら車での移動が多い私なのですが、公共交通機関を使っての移動も大好きです。
その中でも特に電車での移動が好きで、電車に乗るときは事前にスマートフォンのアプリで
ルート検索をします。
この旅行の計画をしている気分になれる時間がとても好きです。
それはそれとして。
これは私が「不思議だな」と思ったことを友人に話したときに聞いた、
知ってしまうと背筋がゾゾゾとするような体験談です。
◇◆◇
それは昨年の梅雨時。
私は、当時書いていた短編小説の取材のため、
電車に乗って名古屋市に向かっていました。
平日の午前。通勤ラッシュを避けるため時間を少し遅らせて乗車したのですが、
それにしてもこの日は“妙に”混んでいました。
“妙に”混んでいる車内で、私は「あれ?」と“妙なこと”に気付きました。
混雑した車内。席は埋まり、立っている人も多い。
そんな中、私の対面側の席――一人分だけ空いている席に、誰も座ろうとしないのです。
席が空いているのに、どうして誰も座らないのだろう?
両脇の人が怖そうな人でもなく、怪しげな雰囲気もない。
それなのに、その席だけが不自然に空いたまま。
あの空いている席に、どうして誰も座らなかったのだろう?
そんな釈然としない疑問を抱えたまま、私は目的地の大曽根駅で電車を降りました。
◇◆◇
「咲良。それね、その席には“見えない誰かが座っている”らしいよ」
それからしばらくした夏の日。
喫茶店で涼みながら友人にこの話をしたとき、
友人は囁くようにそう言いました。
「なにそれ? じゃああのとき、あの車両にいた人は皆、そこにいる“見えない誰か”が見えていて、私だけ見えていなかったってこと?」
「そうじゃなくて、見えていないんだけど“なんとなく座ってはいけない”って感じることがあるんだって。
この間見たテレビで言ってた。ほら、怖い話の番組で――」
誰にも見えていないのに、“ここには誰かが座っている”と感じられる存在。
それを想像した瞬間、私は背筋がゾゾゾとしました。
私は電車に乗っている間、その“見えない何か”の正面に座っていた。
空いている席を不思議に思い、何度も視線を向けてしまっていた。
私は――見えない存在に、何度も視線を送っていた?
「私、おかしいなと思って、そこを何度も見ちゃっていたのだけど……」
「それじゃあ、見えない何かは“この人、妙にこっちを見るなぁ”って思ってたかもしれないね」
「ちょっとやめてよ、怖いじゃない。それはそれとして――」
これ以上話すと、もっと怖い話が掘り起こされそうな気がした私は、
話題を別の方向に変えて、半ば強制的にこの話を終わらせました。
◇◆◇
後日、私は友人が見ただろう番組を偶然見ることになりました。
怪談好きな私が、その番組を仕事中に聞き流していた中で耳に入ってきたその話は――
「満員電車の中に一つだけ誰も座らない席があったら、そこには“霊”が座っている」
私は、即座に再生を停止しました。
これは、私の体験談。この話、本当なんです。




