其の煮「執筆中、怖いことはありましたか?」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
この創作怪談を書き終えようという頃、私は読者様からこんな質問を頂きました。
「執筆中、怖いことはありましたか?」
とても長文なお便りの中にあった、短い一言。
これは「怖い話を書いたり話したりしている場所に幽霊は寄ってくる」という迷信?噂?そういった話からの質問なのだろうと受け止め、この話を書いている間にそういったことがあったかを、じっくりと思い返してみました。
……結論、執筆中には怖いことは何もなかった――と思っています。
それは、書くことに一点集中している中なので、何かがあっても気づいていないという……
もし執筆中、近くで幽霊さんが「風間さぁ~ん、咲良さぁ~ん」と呼び掛けていたとしても、ガン無視状態だったと思います。(もし本当にそんなことがあったなら、幽霊さんごめんなさい)
それに私は、ただの怖がりの怖い話好き。霊感なんていうものを持ち合わせていません。
怖いもの好き、オカルト好きだったことから学生時代は「霊感少女」と言われたりもしましたが、ただ好きなだけで幽霊を見たとか、そういう経験は一切ありませんでした――
ただ、見たことはない代わりに「何だかこの場所、嫌だなぁ」という妙な違和感、私がよく使う「背筋がゾゾゾ」というのを、様々な場所で感じたことはあります。
Web記事の取材で行った観光地、移動中に通った道路、橋、トンネルなど、様々な場所で体の心底から背筋を通ってゾゾゾと湧き上がる嫌な感覚は、よくあることです。
これはきっとその場所に対しての個人的先入観から湧き上がるものだと考えているのですが、最近こんな話を耳にしました。
「目に見えるだけが霊感ではない。霊感は様々な形で発現する」
霊の姿が見える人、霊の出す香りや臭いがわかる人、霊の言葉だけがわかる人――
そしてその強さも、「霊感MAXが100なら60くらいはある」というように、ただ単純に“ある・ない”だけではないという話。
それを……もしかして私は「姿は見えない、香りや臭い、言葉もわからないが、そこにいるという肌感だけ何となく感じる程度の霊感を持っている?」と、私的解釈してみたり(笑)
とりあえず創作怪談の執筆中に怖いことがあったかと聞かれると、それはありませんでした。
そしてこの往路108話、復路108話もあと1本で終わりを迎えます。
百物語の法則――なぜ怪談は百話まで、という風潮が昔からあるのか。
怪談会では「百話まで」という昔ながらの慣わしのようなものがあるのか。
それは百話を超えた先で、何かが起こるといういわれがあるから。
前作で100を超える怪談を創作したことで、何かが起こるか気になっていた私ですが、それに対し読者様からいただいた短い創作怪談――
百話を超えた怪談を記した本の題名に「往路」と記し、同じ題名で「復路」と書いた怪談を同じ話数で新たに書く。
来た道である「往路」を「復路」として振り出しへ戻ることで、話数は零となり、百物語の法則から逃れられる。
その通り、復路をここまで書いてきました。そしてあと1話。
明日の投稿が終われば、私は百物語の法則から逃れられる―――はず。




