67.銀板写真
巨大じょうろが出来るまでは、まだ2ヶ月あるので、俺達は一旦、遺跡の村に帰ることにした。
帰る前に、写真店を見つけたので、記念に、3人の写真を撮ってもらうことにした。
この世界の写真はまだ、銀メッキした銅板を感光材料として使う「ダゲレオタイプ」という技術で、露出時間は30分程度必要だった。
「リョータ、笑顔で写っている。気持ち悪い。」
「いやいや、写真は笑顔で写るもんだろ。」
「そんなの聞いたことない。30分もこんな顔してたなんて、リョータはアホ。」
まぁ、何を言われようと、なかなかいい写真が撮れて、俺は満足だった。
一方、俺は地球でのことを思い出していた。小中学校のアルバム写真でも、俺はいつも、笑顔で幸せそうに写っていた。
しかし、その頃の実感として、いつも変人扱いだったので、それほど楽しい思い出はなかった。
では、写真に写っている自分は偽物なのであろうかと思うと、決して偽物ではないであろう。
幸せに気がつかなかっただけなのかも知れないと、俺はその頃の気持ちをもう一度、思い出してみたのだった。
一方で、最近は何かと写真や動画で自分が生きたことを証明しようとする風潮があるが、俺にはそれは無駄のような気がする。
結局、写真を見て納得するのは自分でけではないだらえか?
西郷どんのように写真はないが、その生き様については、全員が知っていることもある




