赫夜と時環帯
かろうじて動いた思考が、一虎に背後、つまりベランダを振り返らせ、そこに何もいないことを裏解させる。
『え、何これ?誰もいないのに、誰かいるんですけど?え?でもこれって、つまり・・・?』
そうして思考を巡らせる一虎に、
『〔君は全てを背負うことが出来るの?〕』
ガラスの中の女が声をかける。一虎は、放たれた銀の髪の女の声が脳裏に響いた、次の瞬間、
「やひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」
悲鳴を上げて、ガラスに映った銀の髪の女の影から必死に身体を後退させる。しかし逃げ出そうとする頭に身体がついていかず、少年の履いた水色のスリッパがベランダの床の上を滑る。
「ほんが!?」
悲鳴を上げた一虎が、ベランダの手すりに頭を打ち付け、倒れた。
すると、
「大丈夫ですか!?」
痛みで視界に星を瞬かせる一虎の頭上から、声。先の銀の髪の女とは違う肉声と、上階からフワリと落下する、確かな存在の影。一虎の眼球が焦点を結ぶ。
瞬間、
「違う違う幽霊なんていないよあれは死んだ人間が土地に残留させた強烈な〔裏力〕が見せる現象であってそれはすでに証明された事実であっていいいいい!?」
テンパって叫ぶ一虎の上に、影がドスンと落ちた。再度頭を打った一虎が「ほんがが!?」と叫んだところに、影が問う。
「あ、すみません!大丈夫ですか?」
「あ、すみません大丈夫ですよそんな馬鹿ななんだこの肉感親方空から女の子がそもそも僕は誰の弟子なんだそもそも親方って誰だいや君は幽霊だあああああああああああああ・・・え?」
倒れた少年の上に馬乗りになった少女を見て、ビビりまくっていた少年の意識がやっと冷静さを取り戻す。やがて一虎のボヤけた視界の焦点が戻り、改めてそれを見た。
首から下、それは見覚えのある黒地に銀の大樹が刺繍されたブレザー、一虎も持っている裏野高校指定の学生服だった。
だが、それは一虎の持っているものとは少し様子が違っていた。
まず、上着からつながる下方にはズボンではなく、ヒラヒラとした、赤、茶、黒の色彩でチェック柄になったスカート。そこから伸びる白い両脚は一虎の腹を挟むように体の両側へ伸び、少年に自らの重みをかけまいと、途中で折られた膝がベランダの床を支点に影の体を支えている。
視線を下から再び上に上げる。すると制服の胸部、一虎が着た場合ならば何の変哲もないそこに、白いシャツとブレザーを内側から押し上げる何かがある。
そして、
「え・・・?」
それらの上にある、顔に沿う形の、白く短い髪。細い首を回り込んで、一房だけ伸びる髪の束。最上級の宝石を思わせる、静かに燃える、大きく丸いルビー色の瞳。
「こんばんは」
月光で艶やかさを増した桃色の唇と左頬に走る罅割れが微笑を作り、一虎と同年代にしか見えないその人物は楽しげに言った。
一虎が、呟く。
「・・・赫、夜?」
自分の所持する〔裏論武装〕の〔化身〕、賑やかしい幼女の名を。
すると、
「一目でわかって頂けて、嬉しいです」
「え?は?いや、ちょっと!?はああ!?ってユーレイは!?」
混乱する一虎は、しかしもう一つ大事なことに気づいて少女の背後を見る。ガラスに映った銀髪の女の幻影が消えたことを確認し、ホッと胸を撫で下ろす。裏由はわからないが、どうやら自分はかなり疲れているらしいと。そう考えることで、直視すると怖い現実から目を逸らし、一虎は1人納得する。
そして次の瞬間には、
「え?は?いや、ちょっと!?はああ!?君が赫夜!?どう!?なん!?」
一虎は改めて、少女姿の赫夜に驚いていた。
すると少女姿の赫夜は一虎の疑問を察したらしく、クスリと笑って言った。
「ベランダを伝ってきたんです。この姿なら身体能力も高いですし。身体の捌き方は、前の主人である大和さんの使用する武術流派で、〔私の意志が目覚めるキッカケになった〕、〔絶薙流〕の膨大な戦闘情報の蓄積を利用してるんです。でも、思った以上に重力や風、気温や空間把握などの計算が難しくて。やっぱりもっと〔慣用効果〕を高めないと戦闘機動をこなすのはまだ難しそうですね。あ、でもでも・・・」
などと赫夜が続けそうになるが、そもそもその答えは一虎が聞きたいことではなかったため、
「あの、ちょっと待って!?」
「はい?」
「えっと、僕が聞きたいのはそういうことじゃなくて。その・・・なんで、大きくなったの?」
すると赫夜は「ああっ!」と合点してニコニコ顔で答えた。
「ええと、一虎さんは、〔時環帯〕ってご存知ですか?」




