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まともじゃない

 誰だって平等に夜は来る。それはすることがなさ過ぎて惰眠を貪っていた空も例外ではない。

 消灯した医務室。怪談にはもってこいのシチュエーションだ。空はすることもないのでボーッとしていた。

 寝過ぎたせいで眠れない。寝過ぎたせいで鈍い頭痛がずっと続いている。二重苦で眠れず苛立ちだけが募っていくが、夜中に叫ぶことはできない。医務室のスタッフに迷惑をかけるわけにもいかない。

 グルグルと回ってくる余計な考えを見ないようにして、空は天井のシミを数えていた。


「誰かいるのか?」


 物音がした。できるだけ音を出さないように気配を消しているようだが、一人で苦痛に耐えている空はすぐに気付けた。

 声をかけてから気付いた。知らないフリをすればよかっただろうか。病院というのは幽霊が出るにはもってこいだ。生と死が混在する病院は、魂がさ迷いやすいという話を聞いたことがある。

 ステラの医務室に地縛霊がいるとは思えないが、ステラは空母だ。生き死にのはざまを行ったり来たりしている。幽霊がいたとしても、それほど不思議ではないと思う。

 空が寝ているベッドを区切るカーテンが揺れる。生唾を飲み込む音が静寂に包まれた医務室に響いた。


「ん」


 カーテンをめくって現れたのは、暗闇の中でも輝く銀髪の少女だった。年は十二、三ぐらいだろうか。


「ええっと誰だっけ?」


 足があることを確認して安堵した空は、見覚えがある顔へ素直に質問した。

 空が三人の記憶をほぼ失っているのは知っているだろう。彼女たちの間で情報が行き交っていると聞いた。

 開き直り、といえばそれまでだ。長い時は思った以上に残酷で、思った以上に強欲だった。


「ん」

”イリーナ”


 声は吐息交じりの一言。だけど空は彼女の言葉が理解できた。


「ああ、イリーナさんね。パイロットなんだろ?」

「ん?」

「シトラさんもエンさんもパイロットだったからな。確かパイロットは俺以外にも三人いたはずだし」


 乗っている機体は黄龍だったはずだ。シュテルンにとって一番厄介な最速の機体を乗りこなす、潜在能力がまだ隠されている最高のパイロット。

 空の空ではない部分が、彼女との接触を一番恐れていた。

 空の異変に気付く可能性は、彼女が一番高い。


「んー?」

「大丈夫。もう大分思い出してきたよ。オレの傷も治ってきたし」

「ん?」

”傷?”


 イリーナが首を傾げる。


「いや何でもない。まだ治りきってないみたいだ」


 空は慌てて否定した。何故かイリーナに対して異常に警戒してしまう。


「んー」

「どうしたんだイリーナさん。人の顔をジロジロ見て」


 案の定、イリーナは何か違和感を抱いたらしい。空の顔を覗き込むようにして首を傾げる。

 空は平静を装っているが、心臓はバクバクとうるさいぐらいに鼓動している。


「んっ」

「さん付けを止めろ? そう言われてもな。俺よりも大変な目にあってきたんだろ?」

「ん」

「年下だからってそれじゃ俺が納得しないっての」


 どうやら気になったのは違う箇所だったらしい。空は安堵して、それから苦笑した。

 イリーナがどんな目に遭ったのか、おぼろげながら覚えている。それだけ激怒したから、というのもあるんだろう。言語よりも感情を突き動かされた体験のほうが記憶に残るというのは、珍しい経験をしたものだ。


「んっ」

「えっ、止めないならもう話さない? そんな子供みたいなこと言うなよ。大人なんだから」

「んー」


 不満げに細められる赤目。

 イリーナは何か言いたいことがあるようだ。もちろん、空の異変についてではないだろう。


「なんだ?」

「んっ」

「分かった悪かったよ。さすがにからかい過ぎた」


 気付いていないフリをして空が首を傾げると、イリーナはフンと拗ねてしまった。

 空は苦笑して謝る。感情を読めるという割には、案外気付かれないものだ。


「ただいまイリーナ。心配してくれてたんだろ?」


 空は両手を広げて、微笑みを渡す。


「見ての通り俺はもう大丈夫だよ。確か明日退院だし」

「……ん」

「何? 大丈夫には見えない? そんなことないだろ」


 ほら、と空は手を差し出した。

 確かイリーナの頭をよく撫でてあげていたはずだ。空の体に異変がないことは、撫でられたときの感触で分かるはずだと思った。


「っ!」


 だがイリーナは、大きく一歩下がって空の手から逃れた。

 その顔に怯えの表情を浮かべて。


「……なるほど。ホントに俺はまともじゃないらしいな」

「んっ、んーん」

「無理すんなよ。俺の感情が見えるんだろ? だったら俺が今どんな気分か分かるはずだ」


 もしかしたら、何も見えていないのかもしれないが。

 エンがシュテルンの味方をしてくれた者に違和感を感じているのは思い出していた。恐らくシュテルンに記憶をサルベージされたんだろう。貴重な情報なのは間違いないからだ。

 エンが気付いた様子がないからと安心していた。イリーナの共感覚は自他共に認めるほど特殊で、そして優れている。

 彼女だけが気付ける可能性だって、十分あるのだ。


「ん」


 だが、彼女自身どうして避けたのか理解できていないようだった。イリーナは戸惑ったような顔になっていた。表情筋は相変わらず一切動いていないが、


「ああいや、言い方が悪かった。別に怒ってるわけじゃないんだ」


 まだ希望はある。それだけ分かれば十分だ。彼女には今後近付かないほうがいいのは身のためだ。気付かれる可能性がある。


「ん?」

「ホントだとも。俺が嘘を吐いたことがあるか?」

「……ん」


 空が再び微笑みかけると、イリーナは戸惑ったように頷いた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


次回は今日午後12時更新予定です。

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