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嘘つき

 コンコンと、医務室の扉を二度叩く音がした。

 医務室の職員だろう。女性がはーいと返事して、左端が甲破君だよなんて言っている。


「なんや、思ったより元気そうやな」


 カーテンから顔だけを覗かせて青髪の少女ががっかりしたようにはにかんだ。


「アンタは……」

「ウチらの名前を忘れたんやろ? 話は聞いとるよ」


 名前を思い出せない空が言い淀むと、青髪の少女はカーテンの内側に入りながら言葉を被せてきた。


「でもま、目の当たりにするとちょっとショックやけどな」


 そう言って、青髪の少女は困ったように笑った。

 三人の顔は覚えているし思い出もある。だが、やはり名前は出てこない。

 忘れてしまった空も悔しい気持ちなのだ。忘れ去られてしまった少女たちはもっと辛いだろう。


「すまない。思い出そうとはしているんだけど」

「別にええよ。忘れたんならまた築けばええんやからな」


 エンは一目で強がりだと分かる笑みを浮かべて舌なめずりした。


「あっ、それ以上近付くなよ」

「なんでなん!?」

「シトラさんに話を聞かなかったのか? 俺は別に記憶を失ったわけじゃないっての」


 名前は忘れてしまったが思い出は残っている。例えば彼女が空の寝ているベッドに近付いてきたときどうなるかとか、何となく覚えている。


「シトラ……さん?」


 エンが目を丸くして、空の言葉を繰り返した。

 信じられないものを見たような顔をしている。それほど不思議なことを言っただろうか。


「ああ、何となくな。あの人は凄いんだろ? 色々聞かされたぜ?」


 説明してあげると、少女は悲しそうに顔を歪ませる。


「結構忘れてるんやな。そらシトラも肩を落とすわけや」

「そうなのか? だったら後で謝らないといけないな」

「やめとき。今の空やったら話をするだけでも辛いわ」


 青髪の少女はやれやれとばかりに首を左右に振っていた。

 名前を忘れられてしまった少女にとって、空との会話ほど辛いものはない。傷口に塩を塗り込むようなものだろう。


「それはアンタも、なのか?」

「エンや。ウチの名前は」


 エンも気丈に振る舞っているが、相当辛い思いをしているのか吐く息には感情がこもっている。


「……当然や。空はウチにとってヒーローやった。なのに当の本人は忘れてるなんて、こんな悲しいことあらへん」

「悪い」

「謝らんでよ。ウチが悪者みたいやん」


 空が頭を下げると、エンは苦笑いを浮かべて片手をヒラヒラと振った。


「なあ空。何もないとは聞いたんやけど、本当にシュテルンに何もされへんかったんか?」

「……何もなかったよ」

「ウチに嘘は通用せえへんで? 忘れてるみたいやけど」


 そういえばエンの共感覚は音に色を感じるんだったか。嘘の色というものは少々気になるが、彼女に嘘は通じないのは確かだろう。

 正直に言って。ウチも心配なんや。

 彼女はそう言いたいのだろう。空もその気持ちは痛いほどよく分かる。自分と彼女の立場が逆だったのなら、空も同じように心配するだろう。


「本当だ。何もないよ」


 だが、彼女に話をするわけにはいかない。エイロネイアという組織の根幹を揺るがす秘密を、人間が抵抗する無意味を、戦士である彼女に教えるわけにはいかない。

 空は気付かれていると理解していながらも嘘しか選ぶことができない。


「……まあええわ。そういうことにしといたる」


 エンは空の言葉に傷ついたのか、振り返ることで顔を隠した。

 傷つけると分かっている。だから空は黙り込んだ。彼女にこれ以上追い打ちをかけたくはなかった。


「空」

「なんだよ」

「ウチな。記憶を失う前のアンタが好きやってんで」


 エンの突然の告白に、空は目を見開いた。


「だから一人で抱え込まんでよ。ウチはいつでも力になるから」

「ああ、頼りにしてる」


 エンはそれ以上答えず、カーテンの向こうへ消えて医務室からも出ていった。


「――嘘つきやなぁ」


 青髪の少女の涙声が、聞こえた気がした。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


次回は明日午前8時更新予定です。

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