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どちらか一つ

 長い永い時が、経った。

 雲一つない晴天はシュテルンと別れてから少しも変わっていない。夜にもならないし、太陽もないから時間の経過は一切不明。空腹はなく、疲れもない。世界の果てを目指していくら走ろうと息切れ一つしなかった。


「――――ぁ」


 孤独な世界に言葉は必要ないと気付いたのはいつからだろうか。狂いそうになる知能を放り出したのはいつだっただろうか。

 永久の中で思い出したようにこぼれる音が、まだ死んでいないという苦痛を空に与えた。


「――ぁ?」


 文字通り指一本動かせない空の視界に、水面の波紋以外の変化が現れた。

 光の粒子が動いている。変化はとても小さなものだった。しかし、長い時を耐えた空にはとても大きく感じた。


「昨日ぶり。と言ってもお前は違うんだったな」


 光はやがて人型になり、倒れこんでいる空を覗き込むようにして微笑む。


「――ぉ、まえ、は?」

 どこかで見たことがあるような顔だが、誰なのかは思い出せない。

 言葉が出てきただけでも奇跡だ。長い時のせいで、記憶のほとんどは風化してしまった。


「忘れてしまったか。オレはお前の親だよ」

「お、や……?」

「そうだ。親の言うことは聞くべきだ」


 シュテルンはうずくまり、右手で空の額に触れる。手から光の粒子がこぼれ、空の頭に吸い込まれていった。

 意思を削ぐことが目的で放置したが、会話に支障をきたされても困る。そのため会話ができる程度には意識を回復させる必要があった。


「甲破空。お前に三人の撃墜を頼みたい」

「三人……」


 呂律が回る程度には回復した空に、シュテルンは満足そうにウンウンと頷いた。


「断る。俺は、お前の言いなりには、ならない」


 記憶はほとんど風化しているが、それでも三人の顔は覚えている。もやがかかっているが、この無限に続く空間に投げ出されていた間、心のよりどころにしてきたのだから。


「強情な。いや、強い信念だと褒めるべきか」


 シュテルンは目を丸くしたがすぐにニヤリとした表情になった。


「まあいいだろう。さらに時間をかけて精神をすり減らしてもいいが、時間を無駄にはしたくない」


 三千年以上放置した。この無限に広がる空間だけ時間を加速させたとはいえ、一日を使ったのだ。

 しかし、空は首を縦には振らなかった。これ以上放置しても結果は変わらないだろう。


「空、お前がオレの味方にならないと、シュテルンを敵だと認識していると理解した」


 シュテルンは立ち上がり、悲劇の主人公でも演じるように、目元を手で隠す。


「ただ話ぐらいは聞け。シュテルンはお前のすぐ近くにもいる」

「は……?」


 意識は回復してきたが思考能力はまだ鈍い空は、呆けた声を出すのが精いっぱいだ。


「考えてみろ。甲破空は元々オレの世界にいた。お前はシュテルンだ。ならもう一人、異世界から渡ってきた人間は本当に人間か?」

「健太郎。エイロネイアの司令官が、敵の一員だと?」


 名前はすぐに出てきた。恐らく、シュテルンが情報を頭の中に入れたんだろう。


「ああそうだ。あの男はオレを裏切った。さらに世界の寿命を縮めている。オレを落としていく羽虫とは比べものにならないぐらい邪魔な存在なのは間違いない」


 健太郎がいなければ、エイロネイアはトップを失う。パイロットを失うよりも損害が大きいのは間違いない。


「だからそうだな。お前が好意を寄せている三人の代わりに排除してくれ」


 合理的判断を下す人間の瞳の冷たさを、空は初めて知った。


「俺に、殺せと言うのか。親友を」

「そうだ殺せ。何を躊躇う? あの男はお前の敵(シュテルン)だぞ」

「できるわけがないだろ」

「ならばあの小娘たちを殺せ。どちらか一つだ」


 いくらシュテルンだったとしても、親友は殺せない。

 代わりに三人を殺せと言われても、やっぱり殺せない。

 空はどちらか一方を捨てるなんて選べなかった。


「できない。それなら俺は自分を殺す」


 空は舌を出し、弱めに噛む。


「お前は俺に死なれると困るんだろ? じゃなかったらわざわざ三千年も放置しないよな」


 シュテルンは拷問するでもなく洗脳するでもなく、ただ放置した。

 いくら時間の感覚を変えられるからといって、放置するのは効率が悪いはずだ。無理やり従わせれば、下手したら数時間で済んだかもしれないのだから。

 シュテルンが小さなため息を吐いた。


「確かにオレは甲破空に死なれると困る」


 シュテルンが話し始めると、空の口が意思に反して勝手に開き始めた。


「だけどそこにお前の人格は含まれていない。知識と経験と技量さえあればそれでいい」

「――ッ!?」

「勘違いするなよ。総体オレからすればお前は些事だ。どうとでもできるし、いくらでも取り返しがつく」


 口を強制的に開かされて舌を噛み切ることを封じられた空に、シュテルンは光の粒子が舞い散る右手で触れようとする。

 あの光に当たってはダメだ。理屈は分からないがあの光のおかげで意識は回復した。意識を回復させるということは精神に作用するということだ。つまり、洗脳ができたとしてもおかしくない。


『――――――ら』


 シュテルンの手が、突如止まった。


「チッ、邪魔が入ったか」


 悪態をつき、シュテルンは大きく後退した。同時に空の体に自由が戻る。


『お願い起きて。アタシはここにいるから』

「――ぁ。いるのかそこに」


 名前も思い出せない誰かが、空を呼んでいる。

 呼ばれているのなら答えなければならない。起きろというのなら、会いにいかなければ。


「オレも消えるか。まあいい。伝えたいことは話した」


 シュテルンのほうに顔を向けると、彼の体は光の粒子が包まれていた。言葉の通りなら、消えるのだろう。


「甲破空。もう一人のお前(オレ)を受け入れてくれるよう、願っている」


 消える直前の言葉を、空は否定も肯定もできなかった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


次回は今日午後12時更新予定です。

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