すっぱいもの
空はイライラしていた。
イリーナの調整に必要な機材はいつの間にか運び込まれていたようだ。ネオン教授がわざわざ呼びに来たのも、すぐ調整とやらが可能な状態だったからだろう。
今、イリーナは調整を行っている。機嫌の悪さの原因だった。
「空? どしたん怖い顔して」
何ができるわけでもない。だが何かをしなければならない。
矛盾を焦りと一緒に背負い、同じ場所を行ったり来たりしている空に、青い髪の少女は声をかけた。
「教授がまた調整するんだとよ」
「なんや、またイリーナかいな」
「ああ、そうだよ。悪かったな心配性で」
エンはまったく無関係で何なら空の心配すらしてくれているのに、返す言葉にはどうしてもトゲを含んでしまう。
空は反省した。どうやら頭を冷やす必要があるようだ。
「怒らんでよ。ウチも空に助けてもらったんやから」
「助けた? 何のことだ?」
彼女は常に笑顔と軽口でチームを和ませるムードメーカーだ。
助けられた経験は両手足の指を合わせても足りないぐらいあるが、彼女を助けた記憶はない。もし戦場でのフォローのことを言っているのなら、助けたなんて大げさだ。仲間の背中を守るのは義務だろう。
「忘れたとは言わせへんよ。家族の問題を解決してくれたやん」
「ああ。別に気にすんなよ」
それは率直な言葉だった。
仲間の背中を守るのは兵士の役目だ。そしてスイとの確執はエンにとって背後から刺されるようなものだった。
動かなければエンを失っていた。もちろん命の危険があったわけではなく、あくまでも一緒に戦えなくなるだけだったが、空が動くには十分すぎる理由だった。
「そうはいかへん。空はウチと兄さんの恩人やねんから」
恩人なんてたいそうなものではないが、空は訂正しなかった。だって美少女に慕われて悪い気はしないもの。
「そういえば、共感覚の薬ってどんな副作用があるんだ?」
訂正こそしないが、むず痒いのも確かだ。
空はスイ関係で思い出した疑問で、話題を切り替える。
「ウチも使うたことあらへんから分からへんよ。噂やとすっぱいものが欲しくなるとか?」
「なんか妊娠してるみたいだな」
「あははっせやな。でも変わるのは男の人ばっかりみたいやで」
エンが吹き出すが、空は笑えなかった。
「……女性だとないのか?」
「女でエイロネイアに入る人は大体共感覚持っとうしなぁ。たまに薬使うとる人いるみたいやけど、ウチらには関係あらへん」
「まあそうだよな。三人とも天然ものだし」
「空は共感覚いらへんしな。ホンマ腹立つやっちゃで」
「悪かったなお前らと次元が違う強さで。でもそうか。男だけなのか」
女性ばかりとか男女入り混じっていれば、冗談にもなっただろう。女性は妊娠するし、男女混合でも笑い話になる。
だが、男ばかりとなると話は別だ。薬が作られた本来の理由を知っている空からすれば、笑い話ではなく意味が分かると怖い話になってしまう。
「どしたん? 何か気になるん?」
どうやら顔に出ていたようだ。エンが心配そうに覗き込んできた。
「妊娠中にすっぱいものが欲しくなるのはホルモンバランスが崩れるかららしいぜ。調べただけのニワカ知識だから間違っているかもだけどな」
話すべきか悩んだが、共感覚の薬自体は広く普及しているものだ。スイも使っているということさえ黙っていれば説明してもいいだろう。
「スイに聞いた話なんだが、共感覚は女性の方が発動しやすいみたいだ。だから共感覚を与える薬もホルモンバランスを崩す効果があるらしい」
「つまり意図的に女性に変える薬ってことか? でも大きな副作用なんてあらへんやん。仮にも支給品やで?」
上層部からの支給品だから安全。信頼の仕方は間違っていないと思う。実際大きな問題にはなっておらず、噂も好みの味が変わった程度だ。
「いやあるよ。大きな副作用ってわけじゃないが、薬を使うタイミングだと後遺症が残るらしい。共感覚の薬でいえば、思春期に摂取すると顔立ちが変わる」
――例えばスイのように。
空は続きの言葉を胸の内で続けた。イリーナでもない限り気付かれないだろう。
「……もしかして空がイリーナの調整を気にするんは」
「ああ。最年少のイリーナだったら、薬の後遺症に悩まされる可能性が高いからだ」
パイロットのほとんどは、当然ながら成人している。エイロネイアは軍事組織だから倫理とか教育的観点とか様々な考えが絡んでくる。未成年なんてほとんどいないだろう。空やエンのように、才能にあふれ本人が希望でもしない限り。
「本人が望んだのなら、俺も止める必要はないと思う。本人だって悩んだ問題だろうし、他人の綺麗ごとほど鬱陶しいものはないからな」
エンが何とも言えない顔になっていた。虐待から逃れるためにエイロネイアに入った彼女なら、気持ちも分かるからだろう。
「でもイリーナは違う。あの子は俺たちよりも年下で、まだ子供だ」
善悪の判断がついていなかったとしても、何ら不思議ではない。
イリーナはまだ小学校高学年から中学校入りたてぐらいの年齢だ。空なら喧嘩に明け暮れていた。善悪も何もあったものではない。
「もしも辛いと思っていることをされているのなら、助けてあげないといけない。俺たちは家族なんだから」
ただでさえ無口な少女なのだ。我慢に耐えているのかもしれない。本人に自覚はないようだが、だからといって手放しで安心するのもダメな気がする。
「エンなら分かるだろ? 教授は決して信じられるような人間じゃない。得体が知れないんだ」
それにスイを苦しめてきたのは確かだ。本人が望んだことだから、あまり強くも言えないが。
「そやな。空は家族なら誰でも助けてくれる、優しい奴やもんな」
エンがそっぽを向いて、やれやれと言わんばかりに首を横に振っている。
「どうして悲しそうな顔するんだ?」
「何でもあらへん。この鈍感!」
「なっ、誰が鈍感だよ」
空の肩を威勢良く叩き、エンは走って逃げていった。
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