ここは異世界だ
空は目を覚ました。
頭に走る痛みから、イリーナに投げられたんだと思い出す。同時に緩んでいた警戒を限界まで引き上げる。
手を出さないだろうと油断していた。実際は遠慮なく無力化してきた。
忘れていた。彼女たちは空を拉致しようと不法侵入してきていたのだ。朗らかな雰囲気と三人の美少女に近寄られようと、その内にあるのは明確な敵意だった。
「あっ起きた」
「――ッ」
だから顔を覗き込んできたエンを、警戒を新たにした空は寝ころんだまま殴ろうと拳を突き出した。
ひらりと軽い身のごなしで避けられてしまった。予想通りではあったが残念だ。
「危ないなぁ、ウチの唇は安くないんやで?」
「……るせぇよ」
艶のある唇に人差し指を当てて、魅力的なウインクをしてみせるエン。彼女が殴られそうになっても冗談っぽく笑えるのは、ふざけているように見えて一挙手一投足を見逃さまいと観察しているからだろう。場数の差といえばそれまでだが、今の空にはその事実すら憎らしい。
空は薄暗い部屋にいた。光源が入口の正面にある壁の丸窓一つしかなく、照明が見当たらないのだから正直仕方がないと言える。
大した広さの部屋ではない。二段ベッドが通路代わりの隙間を作って、両サイドに一つずつ置かれている。それだけで部屋は窮屈そうだ。しかも今はベッドの下段に寝ている空の他に例の美少女三人がいるのだから余計に狭苦しさを感じる。
「警戒してるじゃない。イリーナのせいで」
「……ん」
「シトラもたいがいやろ」
あーあー、と面倒くさそうにため息を吐いて、シトラが警戒の原因を視線で責める。
イリーナはイリーナで、肩を落としてしょんぼりしていた。まるでやり過ぎたと反省しているようにも見える。
ちゃっかりシトラはエンの胡散臭そうな目と言葉を無視した。
「なんだよお前ら。人を拉致して町を消しやがって。一体お前らは何者なんだ!」
冷静に考えれば町を丸々消すなんて芸当をたった三人でできるわけがない。でも空はそんな現実なんてどうでもよかった。
彼女たちに出会ってから、色々と変わってしまった。正確に言うなら彼女たちに会うこと自体が有り得ない。空はチンピラならともかく美少女に言い寄られるほど整った顔立ちではない。言っていて自分で悲しくなってきた。
ともかく、すべての原因は彼女たち三人にあると思ってしまう。少なくとも情報は持っているはずだ。情報があるのなら空の疑問にも答えられる。
「まだ教えてもらえると思ってるわけ? 随分と甘ちゃんね。本当にアタシたちより強いのかしら」
「司令官が今まで間違えたことあらへんし、今回も合ってるんとちゃう?」
「ん?」
シトラが再び鼻で笑って空を見下した。もう何度目だろうか。せっかくの美人も鼻につく自信のせいで台無しである。
エンもイリーナも懐疑的な表情を覗かせて首をひねっていた。彼女たちの瞳からは友好的な感情が消えており、空が気絶する前まで見せていた過剰なスキンシップはすべて演技だったのだと痛感させられる。
だが、空は三人の態度に苛立ちこそすれ失望などしなかった。他人からの、もっと言えば敵からの評価などどうでもよかった。顔の悪さとその対応で、今まで一体何人の悪評を貰ってきたと思っている。今さら誰かに嫌われようと気になるはずがなかった。
「答えろよ。舌を噛み切って死んでやるぞ」
空は舌を出して、唯一と言っていいほどの賭け金を提示した。それは自らの命だ。
彼女たちは空の連行を目的としている。気絶までさせたにも関わらず丁重にベッドまで運んだということは、下手に手出しはできないということ。無事に運ばなければならないのは、ほぼ間違いなかった。
ならば、やられっぱなしの空が彼女たちへの抵抗を示す手段としても、彼に対する扱いは使える可能性が高い。今まさに行っているように、自分で自分を傷つけるような真似をすればいかに彼女たち三人が場馴れしていようと従うしかないはずだ。
「へぇー、ぜひ見せて頂戴」
しかし空の命を懸けた交渉も、シトラはまるで意に介していなかった。それどころか両手を叩いて、楽しみだとばかりに笑みを刻む。空には悪魔のようにしか見えなかった。
「いやいや止めぇやシトラ。一応任務失敗になるで」
「できるわけないでしょ。どうせ」
エンに返答しながら、シトラは嘲笑うような目で空を射抜く。
頭をハンマーで殴られたような感覚が空を襲った。
バカにされているだとか、見下されているだとか、そういう次元の話ではない。
シトラは空に対して、何の感情も抱いていなかったのだ。どうなろうと知ったことではない。どうせこの男は口だけで、何一つ成し遂げられないのだから。
「――じゃあやってやるよ!」
溢れる激情は衝動に変わり、強い意志へと変質した。
躊躇いも戸惑いも必要ない。ただお前に俺という人間を刻みつけてやる。
空は叫び、そしてもう一度舌を出して口を大きく開けた。そして無表情のイリーナ、焦ったようなエン、そして少々の驚きに目を見開いているシトラに見せびらかすようにして、勢いよく口を閉じ――。
「待て待て。説明してやるから早まるな」
何の前触れもなく、この場にいるはずのない人間の声が聞こえてきた。
「誰だ!」
空が声の方向に顔を向けて苛立ちを隠そうとせずに怒鳴りつける。空の怒号と同時にシトラ、エン、イリーナが直立して胸に手を当てる。彼女たちなりの敬礼、なのだろうか。
空は彼女たちの視線を追って、入口に立っている男を視界に入れた。
一言で表現するなら眼鏡をかけた優男。
線の細い体に穏やかな瞳。困ったように笑うその顔からは覇気をまるで感じない。
「司令官! 任務通り甲破空を連行しました!」
空への態度とは百八十度違う、見ているこちらが思わず惚れ惚れしてしまいそうな綺麗な敬礼と共に透き通る声で男に報告する。
司令官。つまり彼女たちを派遣したのは、この男だ。
「うんご苦労。姿勢は崩していいよ」
「「ありがとうございます!」」
男は苦笑いをして、片手を軽くかざした。するとシトラとエンは声を揃え、イリーナも含めてほとんど同時に敬礼を解いた。
「久しぶり、空」
男の姿は見覚えがあった。
茶色に染められた髪も、黒縁の眼鏡も、つい昨日まで見ていた。記憶の中ではこれほどしわが深くなかったと思うが、それでもこの顔はそう多くはない。
「健、太郎か?」
馬渕健太郎。
空の悪友。一緒にエイロネイアの攻略を行った戦友。
三人が現れてからおかしくなってしまったすべての中で、異変があるのは変わらないが初めて見つけたいつもの日常。
目の前に立つ男は紛れもなく、空の知る人間だった。
「ああ。俺みたいな眼鏡は何人もいないだろう?」
「何のつもりだよお前は!」
苦笑いを浮かべている健太郎に、空は全力で怒声をぶつけた。突然の怒りに親友が目を見開いていたが、そんなものは知ったことではない。
「ドッキリのつもりか!? 特殊メイクまでして俺を騙したかったのか!」
健太郎の顔には深いしわが刻まれている。それだけ時が過ぎてしまったのかと疑いたくなるが、それは有り得ない。何故なら空と健太郎は同じ年だからだ。片方だけが一晩で急激に老けるなんて有り得るわけがない。つまり彼は特殊メイクで年を取ったように見せかけているに過ぎない。
「空、違うよ」
「何が違うんだよ。朝起きたら美少女三人に囲まれて、町から建物は消えて、一晩で親友は老け込んでる。これのどこに現実味があるって言うんだ」
面識のない空を三人に頼んで連れ出してもらう。自分は特殊メイクで年老いた姿を作る。街並みは特殊だったが、空そのものを連れ出せば難しくもないはずだ。あの空間そのものがジオラマの可能性だって否定できない。何故なら空はアパートを出て一歩も町中を歩いていないのだから。
シトラたちと仲がいい理由は分からないが、彼女たちに協力を頼んだドッキリなんだろう。それならすべて納得がいく。
視界の端でエンが美少女なんて照れるわぁと体をクネクネして喜んでいたが、相手する余裕がなかったので無視する。
「信じられないよな」
「当たり前だ!」
健太郎は傷ついた様子で呟き、空は即座に肯定した。
「だけどこれが現実だ。外を見てみろよ」
健太郎に従って、空は部屋に唯一ある丸い窓から外の様子を確認する。頭上には青が広がっていた。いい天気だ。次いで下を見た。雲一つない大空と同じ色が、眼下には広がっていた。
「なっ……!」
揺らめく青を見て、空はようやく自分がどこにいるのか理解させられた。
海だ。一面に広がっているのは青だけで、陸地の一つも見えない。そんな場所に建物があるはずもない。空がいるのは船の中という、完全に隔離された空間だった。怒りに任せて外に飛び出すことさえできそうにない。
「お前は、というか俺たちは今、空母ステラの仮眠室にいる。ただのドッキリで軍艦が借りられるわけないだろ」
――確かに、ドッキリではなさそうだ。
あっけにとられながらも、空は健太郎の言葉をほとんど無意識で受け止めていた。
仮眠室というのは狭さも気にせず置かれた二段ベッドと申し訳程度の通路を見れば納得できる。健太郎やシトラたちしか見ていないが、四人の学生がただのドッキリで船を借りられるわけがない。空が知る限り、健太郎は普通のマンション暮らしだったはずだ。言葉のほとんどが正しいと言えるのなら、空母という話も嘘ではないのかもしれない。
「空。今から常識は捨てろここは異世界だ」
にわかには信じられない出来事が続いている空へ、健太郎はさらに追い打ちをかけた。
「何を言って――ッ!?」
空は何一つ頭が整理できていなかったが、健太郎に疑問をぶつけようと口を開く。
空の言葉を遮るようにしてブザーが鳴り、部屋が赤く染まっていく。異変があるまで気付かなかったが、どうやら入口上部に警報灯があったようだ。仕事だ仕事だとやかましい音と一緒に赤い光をまき散らしている。
「シュテルンか。実物が出てくるとはちょうどいい」
「司令官」
「うん。三人とも出撃だ」
空を置いて、健太郎は落ち着いた様子で鳴り響くブザーを眺めていた。
シトラが一言、聞きなれない言葉で健太郎を呼び、彼は一度頷いて三人の少女と部屋を出て行った。
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