それを拉致って言うんだよ
準備と言われてもよく分からなかったので、とりあえず制服に着替えた。
三人の服装が制服らしきものであること、外行きの服でまともなのが制服しかなかったのも理由だ。ほとんど拒否権なんてなかったから畏まる必要なんてないと思うが、三人が可能な限り空に危害を加えないようにしているということは伝わってきた。シトラは例外だが、客扱いをしてくれるようなので空としてもそれなりの態度を取るべきだろう。
重たくて立て付けの悪い鉄の扉を力を込めて開ける。相変わらずの無機質なコンクリート丸出しの廊下が出迎えてくれた。
――ん?
空は違和感を覚えた。確かに安いボロアパートだったが、こんなに暗かっただろうか。少なくとも日の光は入ってきていたはずなんだが。
「鍵かける必要ないんじゃない? どうせ戻ってこないんだし」
空が内心首を傾げながら戸締りしようと鍵を取り出すと、シトラが少々聞き逃せない言葉と一緒に彼の肩から顔を覗かせる。
「は? ああ。拉致だもんな」
「拉致ちゃうで。ちょっと身柄を勝手に預かるだけや」
「それを拉致って言うんだよ」
空が距離感の近いシトラにしかめっ面になって、敢えて状況を悪くそれでいて間違っていない言葉を吐き捨てた。美少女からの近しいコミュニケーションは喜ばしいはずなのだが、彼はまだ彼女を完全に信用していない。何か裏があるのではと無意識で勘繰ってしまうのだ。
代わりにニコニコと笑いながら冗談めかして言うエンには、空もヘラッと笑顔を作って軽く返答する。
視界の端でシトラの額に青筋が走っているのが見えた。アタシと扱いの差が、とかなんとか言っている気がするが面倒なので無視する。
手首をひねって、鍵をかける。シトラの話が本当ならもう戻ってこない。そう考えるともう一度準備の時間が欲しくなってきてしまう。男子高校生には色々と処分しておかなければならないものがあるのだ。
「んーんー」
空が宝物を捨てるか否かの葛藤を繰り広げていると、袖をイリーナに引っ張られた。そこでようやく現実に戻ってきた彼は訝し気に彼女を見る。というのも、今までほとんど感情を露わにしなかったのだ。なのに今はどことなく焦っているように見える。
「どうしたのイリーナってもうこんな時間じゃない! 急ぐわよ」
シトラもイリーナの様子を変だと感じたようで、理由を尋ねながら何となく左手首を、正確に言うなら左手にある腕時計を、見て顔色を変えた。
右手をイリーナが、左手をシトラが、それぞれかなり強めに引っ張っていく。目標はボロアパートのくせに生意気にも設置されたエレベーターだ。
空はシトラが嫌いだ。ついでに言うなら無抵抗で連行されるのも癪に障る。だけど彼は二人の手を振りほどこうとはしなかった。
美少女二人が奪い合う勢いで両手を引っ張っている。両手に花とはまさにこのこと。
素性の知れない彼女たちに未だ警戒しなければならないのは分かっているが、今この瞬間だけはもう二度とないであろう状況を楽しもう、と空は誰かに言い訳するようにして思った。
「ウチを忘れんとってな~」
空がだらしなく鼻の下を伸ばしていると、エンが後ろから抱きついて着た。言葉からして二人のことしか考えていなかったと気付かれたのだろうが、空にはどうでもよかった。
現在進行形で背中に当たっている柔らかいものに意識のほとんどが奪われているからだ。
イリーナが空を一瞥した。空の背筋に冷たいものが走った。
先ほどとは別の包囲のまま、はたから見ればいちゃついているようにしか見えない空たちはエレベーターに乗り込む。シトラが手早くボタンの操作を行いエレベーターはすぐに動き出した。
ここでまた一つ、空の中で違和感が生まれた。
外に出る場合、当然ながらエレベーターは下へと降りていくはずだ。なのにどうして、まるで上に上がっていくような感覚があるのだろう。
空の違和感は、エレベーターの扉が開くと同時に解決した。
「なんだよ、これ」
「よしっ、とりあえずヘリは呼んだわ。もうすぐ来るはず」
「これで一安心やな」
「ん」
空が呆然としている横で、エレベーターに乗りながら手の平サイズの端末を操作していたシトラが安堵の表情を見せる。
空の知る携帯、ではなかったように思える。多分だが組織の内部で使っている携帯以外の通信手段の一つなのだろう。
エンとイリーナも、外まで出れたことにほっと一息つく。ヘリを呼んだと言っていたから、現在できるのは待機のみ。仕事がもう少しで終わるからこそ、三人はそれぞれ安心しているのだろう。
「おいこらお前ら話を聞け!」
「「「ん?」」」
――完全に油断していたなお前ら。
空は一瞬だけまた逃げるチャンスを見逃したと後悔しつつ、目の前にある非常事態を口にした。
「なんで建物が一つもないんだ。どうして町が更地になってんだよ!」
空の視界には綺麗な地平線が見えていた。だが本来ならそれは有り得ないはずだ。
空が住んでいるのは田んぼしかない田舎の村ではない。ゲームセンターがあり、そこそこの人間がいる町中だった。
しかし、今はその面影など存在しない。
アスファルトや土やコンクリートなど、多様な感触を味わえていた地面が今や白のコンクリートが広がるのみ。土や小石はなく、無機質な見た目を強調するためか、街路樹の一本も立っていなかった。
その光景を表現できる言葉を空は一つしか知らない。更地。大昔の戦争であった空襲により黒焦げた町並みが、今目の前に広がっている光景と重なった。
「何を言ってるの? 建物が全部地下にあるなんて常識でしょ?」
シトラがバカじゃないの、とでも言いたげな表情で首を傾げた。
エンもイリーナもまったく疑問を抱いている様子はない。シトラの言う通り、彼女たちにとっては紛れもなく常識なんだろう。
「シトラ、もしかしてこの人記憶障害なんちゃう? ウチらの制服見ても騒がへんし」
「ああなるほど。妙に肝が据わってるのはそういうわけなのね」
「コソコソ話してんな俺の質問に答えろ!」
エンがあごをさすって、自分の予想をリーダーに伝える。シトラも彼女の報告を聞いて、納得したように何度か頷いていた。
無視されているのが気に入らない空は、怒声をもって彼女たちの注目を再度集めようとする。
「んー……」
イリーナの考え込むような声が、認識の外から聞こえてきた。いつの間にか彼女は空の懐に潜り込んでいた。
背中を悪寒が舐める。
彼女は右腕の袖と胸倉をそれぞれ小さな手で掴み、しかし見た目からは想像もできないような強さと勢いで空の足を地面から離す。
盛大な音が鳴り、思わずシトラとエンが同時に目をつぶる。
二人が目を開けると、手足を投げ出して気絶している空と、彼の近くでちょうど何かを投げたようにしてしゃがみ込んでいるイリーナの姿があった。
空はイリーナに投げられた。それも綺麗な一本背負いだ。二人は見ていないが、それはもう惚れ惚れするぐらいのキレだった。
「い、イリーナ? どうしたん突然」
エンがイリーナの突然の奇行に困惑しつつ、彼女の真意を聞いてみた。
正直、仲間じゃなければ話しかけたくなかった。
「……ん」
「どうせ司令官が直接説明する? それもそうね。この男を連れてくるよう命令したのも司令官なのだし」
問われたイリーナは未発達のふくらみを強調するようにして胸を張った。
彼女の吐息に似た言葉の意味を読み取ったシトラは一度頷いて、彼女の奇行としか思えない一本背負いの合理性を認めた。
三人はとある組織に所属している。一般人にしか思えない空を連行するのは、彼女たちの上官にそう指示されたからに過ぎなかった。
「……この間抜け面がアタシたちより上、ねぇ?」
唯一リーダーとして拉致する理由を聞かされていたシトラが、気絶している空に信じられない目を向けて小さく呟いた。
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