黄昏アピール
海はいつもと変わらない。穏やかな波が船に当たっては返っていく。
空は誰の邪魔にならない甲板の定位置でいつものように海を眺めながら、いつも通りではなかったことについて考えていた。
健太郎が語らなかったのは初めてだった。
機密事項だから話そうにも話せない。理屈で言えばそれだけだろう。興味本位で軍事組織の深部に首を突っ込んではいけない。子供でも分かることだ。
だが、健太郎は独自で調べるといった空を止めなかった。もしも機密事項だというのなら、司令官という立場上、拘束してでも止めなければならないはずだ。
話せない。だけど止めもしない。
何となく引っかかる。喉元に小さな魚の骨が刺さったような、そんな違和感が。
「どしたん空? 黄昏て」
「エンか。ここでお前と会うのは初めてかもな」
「甲板なんて寒いだけやん。なんでこんなところにおるん?」
見ればエンは肩をすくめて震えていた。もうすぐ夏が来ようというのにいささか大げさじゃないか。
空は寒さに強いほうであった。だから彼女の気持ちが理解できなかった。
ちなみに甲板は風を遮るものが何もなく、陸地に比べれば肌寒い。
「外の空気を吸いたいときがあるんだよ。お前こそなんでここに?」
「空が見えたからや。知っとるか? ここ艦橋から丸見えやねんで?」
「えっそうなのか? どうりで健太郎がすぐ来たわけだ」
空は顔が熱くなったのを感じた。
一人でポツンとしていたのは誰の目もないと思っていたからだ。なのに見られていた。穴があったら入りたい。
「それで、黄昏アピール中の空は何に悩んでるん?」
「止めてくれ結構恥ずかしいんだから」
空の気持ちに気付いているからこそ、エンはニヤニヤと殴りたくなるぐらい魅力的な笑みでからかってくる。
空は顔を背けた。殴りたくなる気持ちを抑えたいのもあったし、無防備に顔を近付けてくる少女から少しでも離れたかったからだ。
「健太郎にイリーナの調整について聞いたんだ」
「調整? ああ数か月に一回やるだかってやつ?」
エンが記憶を引っ張ろうとして首を傾げる。多分彼女も詳しくは知らないんだろう。
「シトラもイリーナ本人も知らない。健太郎は教えてくれない。何か裏があるんじゃないかって思ってな」
「まあ、何も知らへんかったらそう思うんやろな」
エンが意味ありげに呟いた。
「あん? エンは調整内容を知っているのか?」
「いいや、ウチも知らへんよ」
首を横に振られた。話が違うじゃないか。
その言い方は知っている人間の話し方だ。
「でも司令官が秘匿主義者なのは知っとる」
「秘匿主義者だって?」
「そうやで。むかーしのことやけど、ウチもよく司令官に直談判したもんや。大体ヒラヒラと避けられてたけどな」
空にはその姿が容易に想像できた。
スイが来たときも、健太郎が空についてだんまりを決め込んでいたからだ。
秘匿主義といえば聞こえがいい。彼は立場上情報を気軽に話せない。だから必然的に何でも知っているのに隠す。それはまだ理解できる。
だが彼は、それ以上に話したがらない。理由は単純で、面倒だからだ。
「でも俺は色々教えてもらったぞ。例えばエンの戦う理由とか」
「なんっ、まあ兄さんに会ったんやから遅かれ早かれか。司令官には後で言っとかなアカンな」
ブツブツと俯きながら考え込んでいるエン。
何やら不穏な気配がするが、空は見なかったことにした。とりあえず心の中で親友に合掌する。
「だからイリーナのことも教えてもらえると思ったんだ。結果どうだったと思う?」
「知らないことがいいこともある。そう言われたん?」
「ああ」
「やっぱりな。司令官の常套文句やもん」
意味ありげな言い方だったが、単純に口癖だっただけか。
健太郎の紛らわしい言い方に空は肩を落とす。もしかすると思ったほど深刻な事情ではないのかもしれない。
「そういえば、エンは何を健太郎に質問してたんだ?」
ふと気になった。
エンが聞いた内容によっては、深刻ではないという予感が外れている可能性もある。ここで調査が止まるかどうかが決まるかもしれないのだ。聞いておいて損はないだろう。
「ええやろ別に」
「いいじゃないか。教えろよ」
エンは自分の体を隠すように抱きしめた。照れくさいのか赤みが混じっている耳が見えている。
「笑わへん?」
「笑わないって」
「ホントに?」
「絶対だ」
空は苦笑いを取り消して、真剣な表情で頷いてみせる。
少なくともこの時点で空の疑問は解決したも同然だった。笑えるかもしれない内容だって分かっただけで十分だ。
聞く必要のなくなった空が、それでもエンに喋らせようとしているのはただの興味だった。
「……どうやったら空に近付けるか聞いたんよ」
「俺に、近付く?」
予想外の言葉に、空は固まった。
「あっアレやで。どうやったら空みたいに強くなれるか聞いたんや。決して空がタイプの女の子とか昔話とかそんなこと聞いてへんで」
両手をわちゃわちゃと前後左右に振り回しながら、エンは必死に弁明する。その顔は真っ赤だ。
「ああ、なるほどな。俺の実力か」
ふむ。勘違いするところだった。
空はエンに気付かれないようにため息を吐いた。勘違いして態度を変えれば、即死級のダメージを負っていた。危うく死ぬところだった。
冗談で誘惑を仕掛けてくるエン。きっと悪くは思っていないのだろう。それは理解できる。だけど彼女は家庭の事情でそのようなスキンシップしか取れなくなったそうだ。
彼女の好意はあくまでライクだ。本物の恋心じゃない。はずだ。今までもこれからも。
「そりゃあ言えないわな」
「な、なんでやっ」
「企業秘密ってやつだからだ」
空も自分の実力の秘密を教えてくれと言われても、この世界の人間には言いにくいところがある。
自分は異世界から来た。その異世界で毎日信号機と戦っていたから強くなった。
きっと事実をありのまま教えてあげると、大丈夫かお前という冷たい視線を頂戴することになるだろう。
「じ、じゃあ空はどんな女の子が好きなんや? それも企業秘密か?」
「どうしてそんな話になるのか分からんが、別にそれぐらいなら」
「ええんか!?」
「すごい食いつきだな。まっ――」
体を乗り出してきたエンに空は苦笑して、彼女の頬に自分の右手を添える。
「――俺はエンだって魅力的だと思うぜ」
ボンッと音がして、空とエンの顔は同時に真っ赤になった。そして勢いよく顔を背ける。息ピッタリだ。
「な、なんてな。ほら、いつもやられてたから仕返しだ」
「そっそやな。いやービックリしたで。見事にやり返されたわ」
二人は顔を真っ赤にしたまま声をどもらせていた。しばらくは相手の顔が見れそうにない。
「そろそろ冷えてきたし戻ろうぜ」
「いや、ウチはもうちょっと頭を冷やしてから行くわ」
「そうか」
空はそれ以上聞かず、足早に甲板を後にした。
海上の冷えた風が、火照った顔には心地が良かった。
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次回は明日午前8時更新予定です。




