好きなもの
風に当たってたら風邪をひきそうになったので、空は仮眠を取ろうと通路を歩いていた。
ステラで生活するようになって数か月が経つというのに、まだ船内を全部把握しているわけではない。例えば先ほど通り過ぎた十字路がそれぞれどこに繋がっているのかも知らない。
今度探索しなければならない。迷わないよう気を付けながらだし、いつシュテルンが出てくるか分からないから時間はかかるだろうが。
「あっ空」
空が冒険心をときめかせていると、青い髪の少女と鉢合わせてしまった。
「よ、よおエン」
ある意味今一番会いたくなかった相手に、空は思わずどもってしまう。
スイの事情を知ってしまったあとだと、彼女の顔を見るだけで気まずくなってしまう。
「なんや? 距離を感じるんやけど?」
「気のせいじゃないか?」
咄嗟にとぼけてみる。図星を突かれても平静を装えた自分を褒めてやりたい。
「ウチの共感覚は音の色が分かるんやけど? 今の空が嘘を吐いているってのは何となく分かるんやで」
「何と言う迷惑な能力だ」
「聞こえてるで」
しかしエンには通用しない。多少の誤魔化しでは彼女を騙せない。
思わず本音を漏らしてしまった空を、エンはジトーと音が出そうなぐらいに睨む。
「エンは、さ」
「無視かいな」
「スイが――昔のスイのことを、教えてくれないか?」
――スイがお前のために自分の身を削っているって知ってるのか。
聞けるわけがない。いくらエンが家族を嫌っているからといっても、言っていいことと悪いことがある。今のは不用意に話してもいい内容ではない。
いつまでも隠し通せるとは思えないが、それでもスイ本人が話さなければならないことだ。
「昔の兄さんを?」
「今は嫌ってるみたいだけど昔は兄妹仲良かったんだろ? だったら好きなものの一つぐらい教えてくれてもいいんじゃないか?」
「いいんじゃないかって別に構わへんけど……どうするつもりなん?」
「あー、内緒だ」
内緒も何もアイデアは一つも浮かんでいない。
空は自嘲を込めて口元に孤を描く。エンから見れば不敵に微笑んでいるように見えるのかもしれない。
「ふーん。まあええけど」
少なくない興味と若干の疑いと多数の嫌悪が入り混じった様子のエンは、詳しくは聞いてこなかった。
空としてはありがたいが、なんだか寂しい気持ちにはなる。もう少し興味を全面に押し出したっていいんじゃないだろうか。
「兄さんは基本的に何でも食べるで。ただ、あんまりジャンクフードは食べたことあらへんのやないかな?」
「ジャンクフード? ハンバーガーとか?」
「そうそう。家庭の事情ってやつやからあんま詳しく聞かんとってな」
聞いてるんだけどな。
空は口の中で呟いたし何なら苦笑いしそうになったが、必死に堪えた。
エンは空とスイがどんな話をしたかは知らないはずだ。知らないのなら、わざわざ教える必要もないだろう。
「そっかハンバーガーか。にしても、ジャンクフード知らないってそれはそれで損な生き方だよな」
そりゃ毎日豪華なフルコースが並んでいるのかもしれないが。何なら一食で空の給料が飛ぶのかもしれないが。
庶民的舌の持ち主である空は、高級しか知らない舌の持ち主に同情してしまう。
食の価値は何も金額だけで決まるものでもないだろうに。
「まったくや。なんであんなに美味しいものを禁止にしてたんやろな。ホンマ勿体ない人生やわ」
「詳しく聞くなって言った割に理由喋ってくれるのな」
少なくともジャンクフードが禁止されていたのは分かったぞ。理由までは知らないってことにしておくけど。
「ンゲッ、そ、そんなことあらへんで?」
「せめて目線を泳がせなかったら説得力あったんだけどな。まあいいや。情報サンキュ。助かったぜ」
空は片手を上げて、止めていた足を動かす。
元々仮眠目的で自室に戻ろうとしていたのだ。エンみたいな美少女との会話だからまだ耐えられているものの結構眠気が限界だったりする。
「ならお礼に空の体で」
「……」
空は無言になってしまった。
いつも通りの冗談だ。いつも通りの軽口だし、いつも通りの戯れの一つ。
だけど家庭の事情でそういう冗談しか言えなくなったのだと知ってしまったあとだと、どうしても虚しくなってしまう。彼女の性格を作ったのは間違いなくエンの両親なのだ。多分冗談だと思っているのは空だけで、乗り気で頷けば彼女は簡単に添い寝してくれるのだろう。
「あれ? 否定せえへんってことはオッケーってこと?」
「いやいや、あまりにいつも通りの残念な頭だったから残念に思ってただけだ」
「残念て、真顔でひどいこと言うなあ」
エンが目元に手を当てて、泣いたフリをする。
空は彼女の頭を乱暴に撫でて、髪型をグチャグチャにしていたずらっぽく笑った。エンも困ったように、それでいて楽しそうに笑顔を見せる。
それでいい。美少女にはやっぱり笑顔が一番だ。
空は無自覚だった。エンをからかう右手と反対に、ポケットに隠した左手が強く握りしめられていたことなんて。
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