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幸せな未来

「大浴場に一人ってそれだけで気分がよくなるな」


 一人でゆったりと浴槽につかって、空はたまっていた疲れをまとめて吐き出した。

 空は今、空母にあるとは思えないほどの大浴場にいた。床に壁に天井と、すべて違う柄のタイルが使われている。ガラス張りの入口の対面には富士山の描かれた絵まで飾ってある。どう見ても日本の銭湯そのものだ。


 空は一人で満喫しているが、このなんちゃって銭湯はもちろん空一人のものではない。そもそもこの風呂場は解放される時間帯が決まっているから、一人で使えているのもただ運がいいだけだ。じきに見たくもないものを見る羽目になるだろう。

 ちなみに女性陣は自室に簡易浴槽が常備されているらしい。ステラに乗っている女性がほとんどいないことが理由だそうだ。羨ましいと思うか残念だと思うかは個人によって違うだろう。空は狭い風呂場で残念だと思っている。


 早風呂もたまにはいいものかもしれない。空はのびのびと使える口元まで浴槽に沈みながら、生活スタイルの見直しを検討しようと考えた。


「あれ? 先客がいたんだな」

「ブッ!」


 湯気と水滴でほとんど向こう側が見えないガラスの扉を開けて、女性にしか見えない人間が入ってきた。

 空はとっさに顔を逸らす。


「なっなんでスイが入ってきてんだよ男湯だぞここは!」

「? 男だからボクはこっちなんだけどな?」


 不思議そうな声が近付いてくる。どうやら浴槽に入るつもりらしい。


「あっそうか忘れてた。お前男だったな」

「何気にひどくないかな?」


 いくつもあるシャワーの一つを使って体を流している音がする。シャワーの音が終わると次に聞こえてくるのは近付いてくる水を踏む音。

 空はスイを直視するのは何だかダメな気がして、彼に背中を向けることで視界に入れないようにする。


「空君は兄弟がいたりするのかな?」


 スイは空の様子に怪訝な表情を浮かべているが、視界に入れないようにしている空はもちろんそのことに気付けない。


「いないけど? だったらなんだよ?」

「大したことじゃないんだな。ただ、君には助けてもらったからな」

「もしかしてエンとの仲裁に入ったことか? それなら別に――」

「気にするな。空君なら必ずそう言うと思ってたんだな」


 やれやれ、というニュアンスのため息が聞こえてきた。


「まったく、共感覚をいらないと言ったりボクを倒すぐらい余裕だと言ったり、本当に空君はボクの立場を奪うのが好きなんだな」

「いやいや、そんな気はまったくないぞ」

「どうだかな。ボクの中で君は信用に値しなくなってるからな」

「俺が何したって言うんだよ」

「さっきも言ったと思うんだな」


 スイの冷たい視線を背中で受け止めていると何となく分かる。


「……空君にもっと早く会えたらよかったんだな」

「あん?」


 良く聞こえなかった。

 空はもう一回言ってくれというニュアンスを込めて声を出す。決して喧嘩を売っているわけではない。


「空君ならきっと、エンが蒼龍に乗る前に幸せな未来を作れたんだろうなって思ってな」


 聞き返さなければよかった。

 空は後悔した。だが既に後の祭り。

 ちゃんとスイと話をしなければならない。少なくとも勘違いは正さなければいけない。まあこの状況じゃなくてもいいわけだが。

 空はとりあえずあがることにした。このままでは落ち着かない。


「エンが家族を嫌っているのは知っているかな?」


 空の思惑はスイが話を始めたことによってくじかれた。


「そりゃあな。本人も隠してないし」

「あれは、元々ボクのせいなんだな」


 今じゃなければならないか。ならないだろうな。そういう雰囲気をもう作ってるもんな。

 空はまたも後悔した。誰だ慣れないことをした奴は。おかげでたいへんな状況で重たい話になったぞ。


「ボクとエンの実家、ジュンシン家は地方では結構有名な地主なんだな」

「ジヌシ? なんだそれ?」

「要はお金持ちってことなんだな」

「なるほど、二人の家が金持ちなのか」


 スイの呆れたような視線が貫いてくる。視線の気配って本当に感じるなんて知らなかったし知りたくもなかった。


「ボクがいるからエンは嫁に出す予定だったんだな。いわゆる政略結婚という奴なんだな」

「だからかな。ボクの両親はエンを躾けることでしか見なかったんだな」

「躾けって犬じゃないんだから」


 何となく、スイの放つ雰囲気から予想はできる。空の否定は軽すぎた。


「両親にとって、エンはただの道具でしかなかったんだな。人脈を築くために捧げる代償でしかなかったんだな。だから二人は教育こそしっかりしていたけど、愛情なんてまったく抱いていなかったんだな」


 どうせ他人に渡すのだ。しっかりした出来にはしたいが、愛着は持たない方がいいに決まっている。製造業の父親がいたから空はその気持ちも理解できる。

 誇らしさと愛着はまったくの別物だ。


「食べ方歩き方はもちろん友達の選び方も将来なるであろう旦那への奉仕の仕方まで、ときには娘に体験させるようなことじゃない内容であっても情け容赦なく、両親はエンの体に叩きこんだな」

「エンの誘惑が多いのも……」


 彼女の両親による教育が大きいのだろう。


「今考えればどう見ても虐待だったんだな。だけどボクもエンもそれが普通だと思っていたし、両親の言葉は絶対だったんだな」


 聞いたことがある。親に虐待されている子供は、それを愛情表現の一つだと考えることがあるそうだ。自分が親になると子供のときにされた愛情表現しかできず、連鎖的に虐待をするようになってしまうのだと。


「おかしいと気付いていたのは使用人だけだったな。だからエンは家から連れ出されたな。一人でやったと思うんだけど、全員が口を割らず漏れなくお仕置きされたんだな。エンは行方知れずになったな」

「子供を道具としか見ない親のお仕置きか」

「もちろん、今も生きている者は一人もいないんだな」


 昨日の夕飯のメニューでも答えるような気軽さで、スイは当たってほしくなかった予想を口にした。


「ボクが両親をおかしいと気付いたのはそのときで、エンがエイロネイアのパイロットになったと報せが入ったのはしばらくしてのことだったんだな。エイロネイアは世界中に影響力を持っているからいくら地方で有名な地主であろうと手は出せなかったな」


 ざまあみろだ。

 空は思い通りにならず激怒したであろう最低の二人に、心の中で中指を立てた。


「ボクはエンを連れ戻すよう両親に命令されてエイロネイアに入隊したんだな。だけど知っての通りボクには才能がなかったな。共感覚がなかったんだな」

「だから薬で強制的に共感覚を発動させているのか。自分の顔つきが変わっても激しい副作用に悩まされていても、親の期待に応えるためだけに」

「ボクにとって家族はあの人たちだけなんだな」

「――」


 言葉が出なかった。

 空は最低の二人だと思ったが、スイやエンにとっては大切な家族だ。

 家族の期待に応えようとすることの何が悪いのだろう。家族の期待に応えるために耐えがたい苦痛を受け続けているスイに、一体何が言えるのだろうか。

 薄っぺらい言葉しか出てこない。無力な自分が悔しくて、空は歯ぎしりした。


「始めた当初は薬の安全性なんて保障されてなくてな。エンに会う前に何度死にそうな目にあったか分からないんだな」


 笑い話ではない。

 スイは今も副作用に悩まされている。エンには隠しているようだが、空はその様子を何度も見てきた。


「それでも何とか改良されて、ボクは今もこうして生きていられるんだな。でもきっと空君ならボクみたいな目に遭うまでもなく、エンを死の危険も両親の毒牙もないどこか幸せな場所へ連れていけるんだろうな」


 水音がして、スイは空の真正面へと回り込んできた。


「ボクは諦めてないんだな。空君。妹を任せたいんだな」

「……異常だよお前は」


 まっすぐに見つめてくるスイに、空は目を逸らして否定することしかできなかった。

 彼は何一つおかしくない。おかしいのは彼の両親と、自分の常識を押し付けようとしている空自身だ。


「そして却下だ。スイ。エンの家族はお前しかいない。血の繋がっている中で唯一妹を心配してやれるお前が、エンを幸せにしてやるべきだ」

「ボクの妹は魅力がないかな?」

「ちげぇよ。輝くような魅力があるからこそ、お前にしかできない磨き方があるんだ」


 今度こそ浴槽を出よう。予想以上に深刻な話を聞いたこともあるし、水にぬれたスイを至近距離で見てしまったこともあるし、何より話が長すぎた。

 完全にのぼせた。気を抜くと倒れそうだ。


「約束しろ。誰かに託すな。お前がエンを幸せにするんだ」


 スイの瞳に映る自分に意識を集中させて、空は無理やり話を終わらせた。

 そしてそのまま、ふらつく足で浴場を後にした。


「……強引なんだな君は」


 スイの呟く声は、頭がガンガンと痛む空には届かなかった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


次回は来週月曜日午前8時頃更新予定です。

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