化け物なのかな
スイとの居心地の悪い食事を終えて、空は自室で休む気にもなれず気分転換にステラ内部を徘徊していた。
迷路のように繋がっている通路、その中には袋小路となっており、誰も寄り付かなくなった場所も当然ある。空がいるのもまたほとんど人を見かけない場所、恐らく進んだところで壁に当たるだけの通路だ。いつだかに泣きべそかいているシトラを見かけたのもこの付近だった気がする。
なんだか懐かしい気がしてきた空は、予想できるオチに従うつもりもなかったので踵を返した。
「ふ――んっ」
空の耳が、何かを捉えた。
「何の音だ?」
返していた踵をさらに回して声のした方向に意識を向ける。
声の正体はすぐに分かった。照明も焚かれていない暗がりに隠れるようにして、壁に背を預けて座り込んでるスイがいた。十中八九先ほどの音は肩で息をしているスイだろう。
「おい大丈夫か?」
戦場に出たわけではない。だが、スイの様子はどう見ても消耗してしまっている。
彼の様子を確認するために空は駆け寄る。スイの頬は赤みが増しており、熱を帯びていることは容易に想像できた。
「大……丈夫なんだな」
吐息の混じった途切れ途切れの声が、空の背筋に冷たい予感を宿らせる。
近付いて初めて気付いたが、スイが座り込んでいるすぐ近く、伸ばせば手が届きそうな場所に、何本もの注射器が落ちていた。どれも中身は入っていないが、中に水滴がついている。恐らくスイがたった今使用したばかりなのだろう。
「おい……何してたんだよ」
声が自然と尖っていく。
空はただの高校生だ。ゆえに薬品の知識なんてほとんどない。
寸前まで液体を入れていた使用済みの注射器、息を荒げる体に上気する頬。
薬品の知識も医療の知識もない空にとって、それら事実はすべてよくないものであるという認識を与える。
しかもスイはこの場に一人でいた。つまり自分の意思で行った。
違法な薬物を取り扱っている可能性が、まず真っ先に思い浮かぶのも不思議ではあるまい。
「君には、関係ないんだな」
息が整ってきたスイが、赤い頬のままキッと空を睨み付ける。睨み付けるが、その目には力がなかった。
「関係あるに決まってんだろ。仲間なんだから」
「仲間……初めて言われたんだな」
感慨深そうに呟いて、スイは逃げるようにして立ち上がろうとする。震える足に耐えるために壁に手をかけている姿は痛々しい。
「動くなってちょっと休憩しようぜ。この注射器は何に使ったんだ?」
空はスイの両肩を掴み、力づくで座り込ませる。
まだ動けるほど回復しているようには見えない。時間稼ぎをしてでも体を動かさないほうがいいと思った。
「……パイロットなら共感覚について知っているな?」
少し考える素振りを見せて、スイは口を開いた。
「知ってるよ。詳しくないけど」
「この注射を打てば、一時的に共感覚が使えるようになるんだな」
共感覚ってのは薬一つで手に入れられるものだったのか。てっきり生まれつきでしか手に入らないのかと。
空はいとも簡単なもののように告げたスイの言葉に、驚きのあまり舌を巻いていた。
「ドクターは性転換薬って言ってたけど、女性の方が共感覚は発動しやすいそうなんだな。元々は何に使うつもりだったのかは分からないけど、少なくともエイロネイアのパイロットにとってこの薬は有用なんだな」
知らない事実が、続々とスイの口から出てくる。
シトラたち信号機のチート能力は共感覚を起点にしている。人間に機体を制御させるシナスタジアという機能、信号機の標準装備だ、その制御には共感覚が不可欠だ。
信号機と同じ力を得られるのなら、共感覚を与える薬の有難みは理解できる。
「性転換薬……じゃあその顔立ちは」
だが、その薬にはリスクがある。
目の前にあるのは、はたから見れば美少女としか思えない整った顔立ちだ。スイが男だなんて、空は今でも信じられない。
「ボクは成長期からずっとこの注射を愛用していた。多分そのせいなんだな。エンにも内緒にしてきたんだけどな」
成長期に性転換薬を服用していた。だからホルモンバランスが崩壊し体つきも男性ではなく女性に近い成長を遂げてしまった。
いいことなのかは分からない。価値観なんて人それぞれだし、羨ましいと思う人間もいればおぞましいと思う人だっているだろう。
少なくとも空は、成長期がほとんど終わっていてよかったと思った。
「それ以外に副作用はないのか?」
「見て分からないかな?」
ジロリとスイに睨まれてしまった。
やはりスイの体調が見るからに悪そうなのも、その性転換薬とやらの副作用なんだろう。
「やっぱりあるんだな。だったら今のままでいいか。共感覚はいらねぇや」
ノーリスクだったら共感覚を貰ってもよかったが、そこそこ辛い副作用があるのなら必要はない。
共感覚がなくても、空はシトラたちを落とせるのだから。
「共感覚が、いらない? 空君まさか、持ってないのかな?」
「え? ああ持ってないよ。別にないと死ぬわけじゃないし」
共感覚がないと死んでしまうなんて、とんでもない世界に来てしまったものだ。
空は戦々恐々とした。来てすぐ死ぬ世界なんて初見殺しにもほどがある。
「死ぬわけじゃないって……簡単に言うんだな。いや待って、もしかしなくても共感覚なしでボクの動きを読んだのかな?」
「ああ、そうだけど? だってスイの動きはエンとイリーナが混ざっただけじゃねぇか。読むぐらい難しくないぜ?」
「……」
空が何でもないように言うと、スイは目を丸くして言葉を失っていた。
「おーい。スイさーん?」
……何か変なことを言ってしまっただろうか。
空は不安に思った。自分の感性がずれているとは微塵も思っていない。
「君、化け物なのかな?」
「失敬な。俺ぐらいだったら普通だろ」
「普通なわけ――ッ!」
血相を変えたスイが空の胸倉を掴む。
すぐに解放されたが、詰め寄られたときに一瞬だけ見せた表情はスイには珍しい烈火のごとき怒りの色だった。
「空君は全然まったく普通じゃないんだな。なるほど、司令官が轟龍を渡したわけが分かったんだな」
「えと、スイさん? 一人の世界に入られるとさすがに困るんだが」
空はあまり強く言えなかった。またスイを怒らせるわけにはいかない。だからこそ、慎重に言葉を選ばなければいけなかった。
「そういえば、空君は最後迷っていたわけだけどなんでなのかな? 動きを読んでいたのなら、迷う必要もなかったんじゃないのかな?」
「ああ、倒すだけなら確かに迷わなかった」
露骨に話を逸らされたが、あまり強く言えない空は何も言えなかった。
「昔ならな。今は自爆禁止縛りしてるから、どうしてもな」
「縛り? じゃあ空君は自爆でだったらボクを落とせていたとでも言いたいのかな?」
「もちろん。シトラでもなければそうそう負けねぇよ」
シトラの成長速度は目を見張るものがある。
空と何度も戦っているうちに彼女の戦闘パターンは変化しており、この世界に来てすぐの戦い方ではもう勝てなくなっている。自爆も恐らく通用しなくなっているだろう。
「……………………そうかなるほどな。これはとんだ屈辱なんだな」
「あっおいまだ休んだ方が」
「もう大丈夫なんだな。感謝するんだな」
そう言うとスイは立ち上がり、先ほどの消耗からは考えられない軽やかな足取りでその場を後にした。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は来週月曜日午前8時頃更新予定です。




