戦う理由
「戦う理由、か」
空は一人呟いた。
夜の帳が下りた海。甲板に一人腰かけて、流れる暗闇を眺めていた。部屋には戻れない。空とじっとり楽しもうと企んでいるエンがまだ待っている可能性が高いからだ。
「考えたことなかったな」
貞操の危機を迎えているができるだけ思考から追い出したい空が代わりに考えるのは、夕方に聞いた金髪碧眼の少女の言葉。
シトラには、三人を守るために戦うと断言した。でも、空の本心かと問われれば、首を横に振らざるを得ない。彼女の言う通り、自己陶酔でしかないからだ。掴まる木枝を見つけたから簡単には流されないが、それでも濁流には呑み込まれてしまう。命がけのドッグファイトという緊張状態の中で簡素な決意がいつまでも続いていくとは、シトラも空も考えていなかった。
誰にもアタシと同じ思いはさせない。そう断言した世界最強の少女の眩しさは、今も空の瞼の裏に残っている。
「考える時間がなかったってのはただの言い訳だし」
空は異世界に来て、なし崩し的に轟龍に乗った。だから戦う理由を見つける前に戦場に出てしまった。そう言うのは簡単だ。だけどそれは言い訳でしかない。
考える時間は十分あった。それに断る機会だって決して少なくはなかったのだ。なのに結論を出さないという結論を出した。それは紛れもなく空の自業自得だった。
「はぁ~~~~」
「どうしたんだよ。こんなところで特大のため息吐いて」
甲板に一人きりだと思っていた空に、だからこそ人目もはばからず特大のため息を吐いたのだが、背後から声がかけられた。
「健太郎。どうしたんだよこんな時間に」
振り返ると暗闇に隠れるようにしてメガネが、もとい空の親友が疲れたような顔で立っていた。
「質問に質問で返すなよ。それにそれは俺のセリフだ」
「悪い悪い。お前の方は……ちょうど仕事が終わったところか」
健太郎のくたびれた顔ととっくに深夜と呼んでいい時間になっていることから判断した予想を、空は軽い気持ちで聞いてみる。
「まだ仕事中。息抜きがてら外の空気を吸いに来ただけだ」
「おうそうか。お疲れ様」
「他人事だな。なんなら代わってくれてもいいんだぞ」
目を逸らす空に、健太郎は半眼を向ける。
だってしょうがないだろう。たまたま今日はアクシデントがあったから黄昏ているが、いつもの空ならとっくに寝ている時間だ。なのに親友はまだ働いている。これが社会人という奴なのだろう。
空は同情した。だからこそ、決して目を合わせなかった。
「……なあ、教えてほしいんだけどよ」
「露骨に話題変えるなよ。それで、何が聞きたい?」
健太郎の声に呆れた雰囲気が混ざったので、ようやく空は彼の目を観察し始めた。
目は口ほどにものを言う。だから目を見て話をすれば、親友の真意が掴めると考えていた。
「健太郎が戦う理由ってなんだ?」
「金になるからだ」
「えっ……?」
目下の悩みである問いかけを放つと、健太郎は驚くほどの即答をしてくれた。その単純明快すぎる答えに空は何を言われたのか認識に時間がかかり、呆けた声が漏れた。
「大そうな理由なんてないよ。俺は異世界から来た人間で、世界を守るためなんて言われてもピンとこない。だったらいっそ割り切って、通帳で増えていく残高を見て一人ほくそ笑んでいた方が気楽だろ」
「それはまあ、そうかもしれないな」
空と同じ異世界人である健太郎は、随分と淡泊な理由で戦っていた。完全に割り切っている。
でも、納得はできた。ウジウジと悩むぐらいなら、金稼ぎだと思っていた方が楽なのは確かだ。そして金稼ぎの結果、シュテルンを倒せるのだからまさに一石二鳥である。
「シトラに言われたんだろ。変な顔するぐらいなら戦うなって。それで悩んでたってところか?」
阿吽の呼吸を誇っている親友が、ズバリと空の心境を言い当てた。
「他の二人も復讐のためなのか?」
「いや違う。少なくとも俺はそんな話聞いていない。シトラが一番重たいよ」
心境を読まれても空に動揺はなく、話題を広げるつもりもなかったので言及はしなかった。
無言は肯定だ。シトラたちならまだしも、健太郎なら言わなくても分かってくれるだろうと思った。
司令官として、三人の少女の大体の事情を把握している健太郎は、苦笑いを浮かべながら首を横に振って空の予想を否定した。
「じゃあどうして戦うんだ?」
「エンは家族から離れたかった。軍隊ならその望みが叶うと思っただけで、自分に眠っている才能なんて自覚すらしていなかった。イリーナはあの通り、一般的な社会生活に馴染めなかった。流れ流れた先で共感覚を持っている二人に出会っただけに過ぎない」
多分、シトラほど単純ではないにしろ、何かしら重たい事情があったんだと思う。そうでなければ戦場を飛ぼうとは思わなかったはずだ。なんだか含みのある言い方だったし、多分間違ってない。
「愛国心や使命感を持っている人間なんて一人もいない。自分が負けたら後がないという責任と労働という義務だけが彼女が戦場を舞う理由だ」
健太郎の言葉は半分正しくて半分は間違っている。
初めのころは、それこそ信号機をあてがわれたとき、エンもイリーナも大した感情を持っていなかったんだと思う。今まで彼女たちと付き合ってきた空には確信めいたものがあった。
でも、きっと今は違う。
二人の少女もシトラと同じようにある思いを抱いているだろう。すなわち、誰も悲しませないように、という尊敬すべき感情だ。
「悩んでいるのは俺だけか」
空は自嘲の笑みを浮かべた。
少女たちと比べて、なんと自分の小さいことか。覚悟を決められなかったからと言われればそれまでだが、それでも彼女たちに敗北感を感じずにはいられない。
「まあ、エンも昔は悩んだみたいだが、あの明るい性格だからすぐに答えを決めたぞ。自分のために戦う。ウダウダ悩むぐらいなら開き直った方がいいってな」
「俺にはとても真似できそうにないな」
「でも参考にはなっただろ?」
「ああ、少なくとも悩んでるのがバカらしいって思えるぐらいにはな」
空は諦めたようにため息を吐いて、甲板に預けていた腰を持ち上げる。
今更逃げられない。ならば考えるだけ無駄だ。どうせ空は轟龍に乗らなければならないのだから。
「それはよかった」
「皮肉のつもりだったんだけどな」
健太郎がニヤリと口角を上げて、空はジト目でそんな親友に注いだ。
「甘いな。伊達に権力者たちにヘコヘコしてきたわけじゃないぜ」
「チッ、面の皮が分厚くなってやがる」
舌打ちを一つして、空は歩き出す。健太郎も休憩を終えたのか、後をついてきていた。
久しぶりの軽口だった。同い年だったはずの健太郎が空よりも年上になっていることはやはり違和感でしかなかったが、それでも久しぶりの何でもない会話は心地よかった。
……そろそろエンは諦めてくれただろうか。




