100.至る者
「で、もう奇術は終わりですか?インペリエ、この程度なら貴女でもやれたでしょう」
「......そう言われては立つ瀬がないだろう。」
四天将であり、王族でもあるインペリエ・アルバスト・ゴアに呆れた声を掛けた女兵士は、連れている一万の兵に於いて明らかに異質だと言える。
この数で唯一、ただ一人被った兜は高く、頭から何かが生えているのかと思ってしまう程歪な形状をしていた。
他の兵士達は、彼女のことを侮蔑を込めてこう呼んだ。
"トンガリ帽子"と。
栄光あるインペリエ軍に加わったにも関わらずあまりにも不遜な振る舞いに、当初は風当たりも強かったが――まさに今、それは止んだと言っていいだろう。
兵士が槍、といっても穂先から目下の敵を穿つのは分厚い長剣のような異端のものだが、それを向けているのは一万の兵を八千まで減らした、言葉を操る人型の魔物。
自らを吸血鬼と名乗り、影を、血を、夜を操った異形の者は今――使い古されたぼろ雑巾のような姿で、息絶え絶えとなっている。
「な゛ぜ......斬れるのだっ!この姿は幻影で――」
「何故って、知りませんよそんなこと。まあ幻影くらい斬れないようでは、戦士とは呼べませんが」
多くの兵士が命を散らしていく中で、インペリエ軍は攻めあぐねていた。
一人死ぬと、その血液はそのまま吸血鬼の武器となり、更に多くの同志を屠っていく。
歩が遅々として進まなくなり、後方に控えるインペリエの隣から飛び出したトンガリ帽子は、斬れない、当たらないはずの幻影をあっさりと槍で両断したのだ。
周囲の兵士は目の前で起きた事象に理解が全く追い付いていなかった。
同胞を殺された悲しみと、強敵をいともたやすく切り伏せた実力に、表情の作り方を忘れてしまっているようだ。
そして件のこの兵士、実は何も考えずに短気に任せて突っ込んだのだ。
空腹による苛立ちに加え、遅々として進まぬ軍の愚鈍さに嫌気が差しただけなのだが、今や瞠目に値する一角の人物という評価が軍全体に根付いていた。
吸血鬼はあらゆる手段で攻撃してきた。
時に、血を針の雨として降らせたが、刺さっても掠り傷一つ負わせることは出来なかった。
時に、本体である影を鎧のように纏ったが、瞬時に四つに切り分けわれ、三つの破片は彼方に飛ばされた。
時に、眷属の蝙蝠を呼び寄せたが、怯えて攻撃すら加えようとしなかった。
戦いのさ中、デミトリ・アルヴァインと自らの名を名乗った吸血鬼だったが、トンガリ帽子は気にも留めずに切り刻み続けた。
「分かった!も、もう引く!だから――」
「魔物を逃がす訳がないでしょう。ゴブリンみたいなことを言いますね......あ、話したことはないか」
トンガリ帽子が顎に指を当てて目線を反らした直後、デミトリは影の一部を鋭利な刃に変え、猛烈な勢いで刺突を繰り出す。
「死ねえええええええええええええええええええいいいぃ!!!」
ズッ――
影の刃は、女兵士の身体を突き抜ける。
確定的な致死の一撃、周囲の兵士からも悲鳴が上がる。
「おい、カルラっ!?」
インペリエでさえも驚嘆を禁じ得ず思わず声を荒げる。
然し――
「はい、なんですか?」
「えっ............なんで?」
鎧が防いだわけでも、空間が歪んだわけでもない。
血の一滴すら流れることなく、影はただ"通過"したのだった。
そしてそれは正に、先刻までインペリエ軍が苦戦を強いられていた現象そのもの。
実体の無い幻影――物理攻撃、魔法攻撃の一切を虚無と化すその在り様は、トンガリ帽子をさらに怪物と呼ばせるのに相応しいものであった。
間抜けな声を上げてしまったデミトリは自分自身に絶望する。
「は、はは。お前も吸血鬼だったのか――」
「はあ?随分と突拍子もないことを言いますね。それが死に際の言葉で良いのですか?」
「ちが――」
「ではさようなら」
長く分厚い穂先の広い面で、羽虫を叩き潰すかの如く振り下ろす。
パァンという破裂音と共に黒い液体が大きく扇状に広がった。
時を同じくして広がっていくのは、強敵を屠ったことによる兵士達の勝鬨ではなく、何が分からないかも分からない――純粋な困惑でたった。
「えぇと、すみませんインペリエ。何か用でしたか?」
「お前というやつは......何故攻撃が当たらなかったのだ。本当にお前も吸血鬼なのか?」
「さあ、私にも分かりません。細かいことを気にし過ぎでは?」
「どこがだ!大問題だろうが!」
「それよりほら、さっさと死んでいった兵士達を火で送ってあげるのでしょう?」
散って行った二千の兵士達は今も尚、赤く染め上げられた草原にぶつ切りとなって散らばっていた。
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あまりにも想定外の被害に、それ以上に想定外だったトンガリ帽子の存在。
荼毘に付す同志二千人を見送りながら黙祷を終えたインペリエは、深い溜息と共に瞼を上げる。
そして目の前にいる一人の獣人族を見て、またも溜息。
インペリエの天幕において、トンガリ帽子は兜を外していた。
絹のように艶やかな白銀の髪に、兎を彷彿とさせる大きな耳が頭頂部から生えている。
成程これなら、兜の歪さにも合点がいくと言うものだ。
「明日には出るぞ。あと二週間も進めば南部のヘルガ砦に辿り着く。物資補給を済ませ、オズと共に出立する」
「オズとは?お仲間ですか?」
「オズ・プリムウッド、私と同じ四天将だ。軽薄に見えるが、信に足る頼もしい仲間だぞ」
「名前を覚えるのは苦手です。そういうのはインペリエとアリアだけで十分ですよ」
「あのな、四天将の名を覚えていない方が......いや、いかん。これは驕りだ」
「そうですよ驕りです」
「ああ、そうす――何故お前に言われなければならんのだ」
インペリエは軽く鼻息を吐き、机に広げた地図を手早く畳んでいく。
その間、黙々と槍を手入れするカルラの姿を素直に美しいと思うのは、致し方無いだろう。
大したことをしているわけではないが、熟練の細工職人が迷うことなく宝石を研磨していく姿に似ている。
大胆さと繊細さが同居するそれこそが、洗練と呼ばれる領域なのだろう。
「カルラ、これから戦う敵の中に注意しなければならない者が三人いる」
「別に気にしませんよ。要は殺せばいいのでしょう」
「まあ聞け。一人は"女男"。土属性を操る男だが、戦場では女として振舞う珍しいやつだ。私と同じ大斧を使う戦士で、堅牢さは中々厄介だ」
「......変な人ですね。次は?」
「二人目は雷神だな。お前と同じ槍使いだが、奴は雷を操る。私も一度対峙したが、油断出来ん相手だ」
「はあ。それで、最後は?」
「黒槍と呼ばれる少年兵だ」
「――黒槍の少年兵、ですか」
「ああ。お前と同じ白い髪に、黒い雷を操る槍使いだ。見つけたら必ず――その場で殺せ。こいつを放っておけば必ず後悔する。帝国の脅威となる......確信があるのだ。いいか、絶対に逃がすな。間違いなく息の根を止めろ」
インペリエがここまで強く言及するのは珍しいことだが、カルラの頭は違うことでいっぱいだった。
自分が知っている最愛の息子は、雨上がりの土のような深い茶色の髪だった。
魔力の有無は良く分からないが、恐らく別人だろう。
きっとそうに違いない。
見つけたら殺す、それだけだ。
カルラが自分に言い聞かせるほどに、何故だか胸に渦巻く不安は膨らんでいく。
黒い槍を使う少年の名が――セラでないことを祈るばかりだった。
「......分かりました。その三人には気を付けておきます。大勢を動かすのは任せますよ。その代わり、貴女が進む道は私が切り開きます」
「頼もしいな」
「それが貴女との契約ですから。ラビとリリスは元気ですか?」
「ああ、私の屋敷で元気にしているぞ。たまには顔を見せてやれ」
子を持たぬインペリエにとって、あまり実感が沸かないことではあったが、赤子のリリスを抱き上げた時、巨躯の身体を電気のように貫く何かを感じたのは確かだった。
親としての子を想う力がどのようなものなのかを僅かながらに感じることで、より一層結婚願望が強くなったのは言うまでもない。
「顔を見せるもなにも――」
槍の手入れを終えたカルラは、長い兜を被りなおして天幕を後にする。
「――このまま敵を殺し尽くせばいいのですから、さっさと終わらせて帰りましょう」




