第5話 秘密を知る者――ファウスト
城から脱出したあと、ランドーと俺が潜伏場所として選んだのは街の酒場だった。
酒場には情報が集まる。人も、外国人も、人外の種族も、ときには驚くような人物が紛れていることもあるのを、軍隊にいたころに知った。俺たちは旅に出なければならなかった。将軍アレスより先に王位の証を手中にするために。だが、手にした後どうすればいいのかは全くわからない。
しかしランドーと俺にとって第一に必要なのは、癒やしの力だった。アレスに刻まれた傷跡は数日を経てひどく膿み、苦痛を増すばかりだった。
煙草の煙と酒の香りが漂う店内で、俺たちはテーブルに陣取り、長らく客を値踏みしていた。
それに気づいたのは、偶然だった。
彼女らがいつからそこにいたのかは知らない。薄暗い店内のさらに暗い隅の席に、身を寄せ合うようにふたりは座っていた。
ひとりは白いローブを頭から被った白魔道士、もうひとりは珍しい女物理攻撃手だ。壁に立てかけた槍から騎士と知れる。俺たちが興味を持ったのは、白魔道士の力を求めていたからだ。
「おい、姉ちゃんたち」
ランドーの無遠慮な言葉に、騎士から鋭い視線が送られる。わずかに白魔道士をかばうような姿勢をとる。
「なにか用か?」
「怖い顔すんない。俺が興味あるのは、そっちの白魔道士の姉ちゃんでね」
突然、槍の切っ先が俺たちの鼻先をかすめた。ランドーは反射的に大剣を抜刀するや槍を薙ぎ払う。さすがの手練れだ。
槍と大剣との金属音に、ざわつく店内が静まり返る。が、一瞬で元に戻る。こんな小競り合いなど、よくあることなのだ。
騎士が再び槍を構え、低い声を出す。
「このかたに手を触れるな」
「違う違う」ランドーが慌てて答える。「旅のパーティの仲間を探してんのよ。俺はランドー、戦士だ。こっちはファウストで、黒魔道士。あんたがたとは相性悪くないんじゃねえかと思うがね」
騎士がわずかに顎を上げ、俺たちの顔を眺めている。値踏みされていることに気づき、居心地が悪くなった。亜麻色の長い髪が揺れる、存外顔立ちの整った女だった。20代半ばで同年代というところか。白いローブの女に目をやると、彼女も深くかぶったフードの下からこちらを見上げている。まだ少女というくらい若い。その深く青い瞳と、フードから見え隠れする見事な金髪を見て、俺は瞬間的にある場面が思い浮かんだ。
ある年の戦勝報告会……王座の間……今は亡き国王の後ろに控えていた白いドレスのあの姿は……。
俺は息を飲む。その様子を隣で見たランドーが不審げな顔つきをするのが視界に入った。
俺は彼女を見下ろす。ローブの下の深く青い瞳。
そして、ついにその単語をしぼり出す。
「エーデルワイス・ドゥ=ガリア殿下」
店内のざわめきが遠くなる。
「プラエスタト・ミヒ・ヴィレス・トゥアス・ウィンディーネ――癒やせ、水よ」
エーデルワイス殿下――一般には真珠姫として知られるそのかたが、ランドーと俺に最初に施してくださったのは、癒やしの魔法だった。夜空の星のような白銀の輝きが俺たちの傷跡に降り注ぐと、たちまち傷は癒えた。あれほど苦しんだ痛みもすでになく、体が軽くなる。
アリアドネと名乗る姫の筆頭護衛騎士――とは言っても、護衛はもはやひとりしか残っていないが――は、律儀にも俺たちに非礼を詫び、そしてパーティは組まれた。
「最果ての森に、それはあるのですね」
と真珠姫は噛みしめるように言う。最初のキャンプの夜だった。
俺たち4人はたき火を取り囲み、今までのこと、これからのことを語り合っていた。それは、お互いに夜を明かしても語り尽くせない冒険物語だった。
姫が将軍アレスに追われたこと、粛清の嵐、城下での潜伏生活、街の荒廃……俺たちが見聞きしたこと、彼女らが体験したこと、それらを重ね合わせたり答え合わせしたり、そんなことに旅の初めの数日は費やされた。
初めての魔獣狩りの機会もほどなくして訪れた。アリアドネは慎重に真珠姫をかばいながら戦っていたから、姫は白魔道士としての職務に専念していればよかった。ランドーと俺はいつしかアリアドネに影響されるように、真珠姫を戦いの現場から遠ざけるよう努めた。いや、影響されたのではない。真珠姫ご自身が、俺たちにそうさせざるを得ない威厳をお持ちなのだった。
彼女は進んで魔獣肉を口にし、俺たちを癒やし、ときに鼓舞し、導いてくださった。
「父から、あなたのことを聞かされていました。王位の証である錫杖の隠し場所をある者に伝えたと。しかし、父はそれが誰であるかを言い残さずに亡くなったのです。いえ、はじめから言い残すつもりがなかったのかもしれません」
その会話が持たれたのは、ある星もない夜の森だった。前線で散々暴れたランドーとアリアドネはすでに寝息を立てていて、魔道士組がなんとなく眠れずに腰を下ろしていた。
「なぜそう考えるのですか、姫?」
真珠姫は困ったように微笑む。「父はロマンチストだったのですよ、あなたがたには決して見せなかった姿ですが。運命と愛を信じていました。そして偉大な白魔道士でもありました。次期王なれば、父が信頼すると決断した者と必ず結びつく……と考えたのかもしれません。あるいは私を試すためかもしれませんね。父は――私を愛してはくれましたが、それ以上に王国と民を愛していましたから。その愛は執着ではなく広く豊かな慈愛だったのです、今にして思えば。そんな父だからこそ、民のために私を捧げたのではないかと思うのです」
「ちょ……ちょっと待ってください。つまりその流れで言えば、私が次期王を見極めて、錫杖を託す役目を負っていると?」
俺は驚いて叫んだ。とんでもない運命の輪がいつの間にか回っていたことに、今さらながら気づく。なぜ亡き王は俺を選んだ? アレスではなく?
真珠姫の瞳が俺を真っ直ぐに射貫く。
「あなたは私に錫杖の所在を最果ての森と明かした。なぜです?」
「それは……」
俺は言葉を失う。なぜだろう? なぜアレスに問われて拒んだ秘密を、真珠姫には明かしたのか。あの光り輝く奇跡の、かつ暗黒の呪わしい錫杖の在処を。
強い光の宿る瞳。あの薄汚れた場末の酒場で、アリアドネと必死に身を寄せ合っていた少女とは、今は思われない。
雲が晴れ、白銀の月が木に立てかけられた槍の切っ先に反射した。その横でアリアドネが眠っている。
答えに窮して、俺は話題をそらした。
「姫、あなたは錫杖の呪いをご存じなのですか?」
「愛する者を失う」
厳かな姫の声色に、思わず俺はアリアドネを見た。愛を知らない者を、錫杖は選ばない。
そして、いま国中でこの事実を知っているのは姫とアレスと、俺だけだった。
「おやすみなさい、ファウスト」
姫は立ち上がり、アリアドネの隣へ座り込むと、彼女の肩を支えに目を閉じた。
熾火の横で俺が無言で考え込んでいると、闇の中から声が聞こえた。
「ファウスト」
「起きていたのか」
顔を上げて見ると、はしばみ色の瞳と目が合った。
「私はこのまま姫を愛していてもいいのだろうか」
俺は答えに窮する。もちろん肯定するべきだろう。だが、もし姫の特別に愛する者が彼女だったとするなら……王位継承の暁には護衛兵士はこの世にいない。呪いとはそういうことだ。
「私は愛するぞ。そうすることは止められない。止められるのならば、愛ではないのではないか?」
「そうかもな」と俺は応じるしかない。
「だが、もし姫が……これは恥知らずな思い上がりかもしれないが、姫が私のことを思い、一瞬でも王位継承をためらったならば、そのときは貴殿が私を殺してほしい」
「なにを言ってる」
「先王陛下はそのために私たちを選んだのだ。陛下が捧げようとしているのは、私だ」
「ばかを言うな」
高潔な騎士が自分の身をかき抱き、取り乱しそうになるのを必死で抑えている。俺はきっぱりと首を振った。
「殺すもんか、アリアドネ。あなたがどんなときでも、私は必ずそばにいよう。約束する」
俺の言葉に彼女はじっと耳を傾けていたが、やがて静かに目を閉じた。




