第4話 運命論――アリアドネ
魔獣のぶつ切りスープは相変わらず物凄いにおいがする。私は顔をしかめて、ファウストから器を受け取った。だけど、それがどんなにおいしいものか、今は知っている。
猪型の魔獣の群れを撃退したその日の夕食だ。野営のたき火で鉄鍋を沸かし、町で調達した塩漬けの野菜をぶち込んで味付けする。これに、森で採れた木いちごを付け合わせれば立派なディナーだ。
闇夜の森に、パチパチと火の粉のはぜる音がする。
「プラエスタト・ミヒ・ヴィレス・トゥアス・ウィンディーネ――癒やせ、水よ」
白魔道士である真珠姫がほっそりした両手をかざし、戦いで負った私たちの傷を癒やしてくださる。こんなむさ苦しい場所にいてさえ、姫の慈愛はいっそう光り輝いていらっしゃる。
「俺たち四人、息ぴったりのパーティだねえ。とても半年前に組んだとは思えねえな」
赤髪のランドーが肉にかぶりつきながら笑う。彼の言葉に、頬が紅潮するのを感じる。実際、私もそう思っていたからだ。
「いったいこれで何頭の魔獣を倒した? 数十じゃきかねえだろう」
「少なくとも三桁だろう」
漆黒のローブを身にまとったファウストが、控えめに賛同する。硬木の両手杖の手入れをしている。まだまだ戦う余力があるというところか。
「アリアドネ、あんたはどう思う?」とランドー。
私は肩をすくめる。「魔獣を倒すのにもやっと慣れてきたというところかな」
ランドーは豪快に笑った。まったく、彼の底抜けの明るさこそが、このパーティの要と言っていい。
「あんたは魔獣となんかやり合ったことはねえんだろう。お堅い上流社会のお上品な悪戯をそっとたしなめるようなのが仕事だったんじゃねえのか?」
ランドーはこちらにウィンクを送ってみせた。皮肉なのかもしれないが、そんな仕草をされるものだから妙に憎めない。それに、実際事実だった。これまでの私の職務は、姫の食事に仕込まれる毒を防いだり、パレードでの不埒な輩を撃退したりといったことで占められていたのだから。
ファウストが口を挟む。「どっちが大変かは、見方によるさ」
違いない、と言ってランドーはうなずく。
魔獣肉の味にもいつしか慣れた。今日の獲物はなかなか脂が乗っている。これにワインでもあれば……ああ、今はもう宮廷でのことは遠い夢のようだ。
「くそっ、この肉、靴底みてえに噛み切れねえや」ランドーが肉片を吹き出す。
「靴底を食べたことが?」
真珠姫が目を丸くするので、ファウストが笑った。
「あるかもしれないな、こいつのことだから」
「まあ、ランドー」
「おいファウスト、俺をなんだと思ってる。姫さん、こいつの言うことは世界一信用ならねえからな」
思わず私も吹き出してしまう。平和な夜。こんな時がいつまでも続いたら……旅を続けるうちに、いつしかそう願うようになっていた。
エーデルワイス・エトワール・ペルレリヒト・ドゥ=ガリア殿下――その美しさと慈愛に賛美を込めて、人々は真珠姫と呼ぶ。ガリア王国唯一の直系王位継承者である。
王国歴751年。小国ながら国土は豊かな森や水源に恵まれ、城下町は活気に満ち、民は幸福に暮らしていた――あのときまでは。
姫の敬愛してやまない父王の、突然の崩御。ほどなくして勃発した王位継承争い。本来であれば、我が主君、真珠姫が継承するのが正統であった。しかし、亡き王の弟君にして姫の叔父であられるミノス大公が、巧みに軍を掌握し、武力でもって王位に名乗りを上げたのだ。
当初は真珠姫を支持する声も高かったものの、ミノス大公の暴虐非道が我が方の勢いを失わせていった。あの頃のことは思い出したくもない。姫の騎士隊として共に働いた愛する同僚たち……有能な貴族のかたがた……多くが剣の餌食となった。
そしてついにあの日がやってきた。
ミノス大公の私物と化した軍の総大将、アレス将軍が私たちの前に立ちはだかったのだ。そのときにはもう、姫のそばには私ひとりしかいなかった。
その日、金色の鎧を身にまとった美丈夫が、ずかずかと後宮の渡り廊に乗り込んできた。場違いなその姿を、私はあっけにとられて見ていた。むしろ彫刻のように均整の取れた肉体を、軍神のように美しいとさえ感じていた。しかし、その人こそが将軍アレスだったのだ。そのことに気づいたのは、彼が寝室入り口のレースを乱暴に引き破り、そこにいた姫の華奢な体をとらえようとしたときだ。
私は部屋に飛び込むと同時に槍を構え、アレスに対抗した。しかしアレスはそれさえ予測していたかのように、いとも簡単に剣でもって我が槍を払いのけ、恐ろしい高笑いを上げた。そのあまりの剣圧に私は思わずよろめく。が、すぐさま姿勢を立て直し、槍を突き立てんとする。次の瞬間、空気を震わす金属音。剣が槍の穂先を押しとどめたことがわかった。互いに力を込めて武器を押し合う。アレスは今までに対抗したこともない力の持ち主だった。骨がきしむ。なんて馬鹿力だ……!
「アリアドネ!」姫が叫ぶ。
その声に深い信頼がにじんでいるのを感じて、私は更に力を込めた。握りしめた手の平が地獄の業火のように熱い。
「姫! どうか今のうち――」
言おうとした言葉はアレスに遮られる。「アリアドネと言ったか。なかなかの胆力だな。女だてらに我が剣を受けるとは」
姫、どうかお逃げください――私はそれだけを願っていた。私の命は姫のもの、私の存在意義は姫のもの――私はそのために騎士になったのだから。
「どうだ、我が配下にならないか? 父にも推薦してやろう」
そのとき気がつく。そうだ、アレスはミノス大公の令息だった。従兄にして姫を手にかけようとは。私は胸の中で怒りの炎が立ち昇るのを感じた。姫、どうか――。
しかし我が主君は逃げなかった。厳かな詠唱が聞こえた。
「プラエスタト・ミヒ・ヴィレス・トゥアス・ルクス――満ちよ、光芒!」
まばゆい白光が辺りを満たす。ほんの一瞬、アレスの剣から力が抜ける。私は身を翻して姫の背中に手を添え、一緒に寝室から駆け出した。
「エーデルワイス!!」
薄れゆく光の中で、アレスの怒声が聞こえる。
それからどうしていいかわからず、しばらく城下に潜伏していた。姫も私も、生活という面ではからっきしだった。どうにか下町に見つけた空き小屋で、風雨をしのぐことはできたが空腹はどうしようもない。しばらくは、私や姫の身に付けていた装身具などを売って食物に代えていた。そんな生活を数ヶ月続けているうちに、政局はますます悪化し、城内でミノス大公が暴虐の限りを尽くしているという噂で町は持ちきりだった。物資はなくなり、治安は悪化し、人々は目の輝きを失っていく。平和や豊かさは目に見えて崩壊していった。そうして、私たちもついに売るものが底をついてしまった。姫はお召し物を売るわけにはいかないし、私も槍を売るわけにはいかない。
私たちは、城下で唯一残っていた酒場へと足を運んだ。
当てがあったわけではない。ただ、そこでは旅に出る仲間を探せるということだった。私たちはもう町では暮らせないことを自覚していた。酒と肉と煙草のにおいが充満し、薄汚い冒険者たちがたむろする店内で、姫と私は肩身を狭くしてチャンスをうかがっていた。賎しい男たちが下卑た言葉を投げかけてきた。私はできるだけ姫にはそんな言葉を聞かせたくなかった。
「いいえ、聞いておいてよかったのです」そんな私の心配をよそに、姫は言った。「お城のレースの帳の向こうにいる頃、私は知りませんでした。民のことを知らずに君主になろうとしていたのです。アリアドネ、私は知るべきでした」
ああ、真珠姫のことをただの愛らしい18の娘だと考えている全ての人に、この言葉を聞かせてやりたかった! 私は、だからこのかたを、ただ一心にお守りすることだけが私の人生だと考えればよかったのだ。
酒場へ通い始めて数週間、白魔道士と騎士のコンビである私たちに対して、純粋に旅の仲間にと誘ってくれる冒険者もいたけれど、どうしてこうして決め手に欠けていた。そんなとき出会ったのが、ランドーとファウストだった。
ランドーは赤髪の大男、私より少し年上の30歳前後の戦士だった。黒髪黒瞳の青年ファウストは黒魔道士だったから、この二人の職能と私たちの相性はぴったりだった。
そして、彼らは――脱走兵だった。
「いやけが差したのさ。俺が仕えてたのは姫さんのオヤジさん、だったのにさ」と、ランドーは不敬な表現で言いながら寝転ぶ。今夜は天気がいいから月光を浴びながら眠れるのがいい。
野営はいつの間にか昔語りになっていた。旅に出て半年、四人ともそんな気分だったのかもしれない。
「いつの間にかミノスのおっさんになるってんだから。もう軍の規律はめちゃめちゃよ。上が下を虐待するわ、下は上に反抗するわ、俺はあんたがたと違って庶民階級出身なもんでね。忠誠心なんざ持ち合わせちゃいねえのよ。だからついに逃げたんだ、あの日」
豪快な物言いに私は微笑む。私はランドーが嫌いではない。それも、真珠姫が酒場に居続けて、庶民の世界へと我が目をひらいてくださったからこそ思えることだ。
「貴殿も同じか、ファウスト?」私は黒魔道士に話を振る。彼は唇の端を上げるだけで肯定も否定もせず、ただこう言った。
「たぶん、私の人生は王位の証を姫に伝えるように設定されていたんだろう」
「運命論か」とランドー。
「というか、先王にされていたということだな」
ファウストが口にした王位の証は伝説でこそ知られていたものの、実在を信じている者はほとんどいなかった。それらの者は全てミノス大公によって粛清されたからである。しかし唯一具体的な場所を知らされていたファウストが生き残った。なんたる因果だろうか。私は恐ろしいほどの運命に、身が震える。
「本当に、錫杖を手にすれば、王位は揺るぎないものになると?」私は誰にともなく訊く。
「だろうな」とランドー。「民にとっちゃ最高の説得力だろ。それに、そのもの自体がものすごい魔力を秘めてるらしい」
「ミノス親子に対抗できるほど?」
「おそらく」ファウストが答えた。
たき火がはぜる。冷たい風が吹き抜けた。
風のせいか、背後の茂みがガサリと音を立てた。
「寝よう」
私は言って、木の根元に背を預けて目を閉じた。絹ずれの音がして、真珠姫がそばに来るのがわかる。震えるようなささやきが耳元を泳ぐ。
「あなたがいてよかった……アリアドネ。あなたがいてどんなに心強いか、言葉には表せないほどです。でも、ときどきどうしようもなく不安なのです。私は見つけられるかしら、王位の証を?」
私は目を閉じたまま、自分より一回り小さい真珠姫の背に手をまわした。華奢で、柔らかく、この世のものとも思えない甘美な触感。
「もちろんです、我が主君」




