第3話 王の告白、月下の逃亡――ファウスト
「まさか、王位の証が実在するとは!」アレスが叫ぶ。
その日のことは忘れまい。アレスと俺は、国王陛下の御前に召し出されたのである。
王族の一員であるアレスならいざ知らず、中流貴族の末子の俺など、生涯間近で接することがあろうとは思えないかただ。それも公式な会見ではなく、ごく内々のものだった。
場所は城内の国王の私室だ。私室は後宮にもあるが、そちらは唯一の御子であられるエーデルワイス・エトワール・ペルレリヒト・ドゥ=ガリア王女だけが暮らしているという。もちろん男が足を踏み入れることは決して許されない。
豪奢な調度とはいえ閉じられた狭い空間で、俺たちに告げられたこと――それは国王ただひとりが手にすることを許される王位の証の秘密についてだった。
驚くアレスの隣で、俺は言葉を継いだ。
「して、それは伝説にあるような、白い宝玉のちりばめられた白銀の錫杖なのでしょうか?」
うむ、と賢君の誉れ高い50代の現国王はうなずく。
「それは伝説ではない。手にした者に絶大なる魔力を与え、王座に就かせるものだ。私はそれを父から受け継ぎ、王となり、そしてある場所に封じた」
「なぜ封じられたのでしょうか」
陛下の目に鋭い光が宿る。
「危険だからだ、黒魔道士ファウスト。とても危険なものだ……王位にふさわしくない者が手にすれば」
「だから、私たちを呼んだのですか、伯父上――いや、陛下」
陛下はアレスをご覧になった。
「そうだ。そして、もうひとつ告げねばならぬことがある。錫杖の持つ、ある呪いについて」
「呪い?」
俺たちは顔を見合わせた。突然の不穏な言葉に、重苦しい空気が漂い始めるのを感じる。
「錫杖は」と陛下はお話しになる。「それを手にした者が最も愛している者を失わせる」
空気はこれ以上ないほど張り詰めていた。しばらくの間、誰もが無言だった。俺はどう受け止めればいいかわからず反応できずにいた。そう言えば、王妃は王女を産んですぐに亡くなったと聞いている。そのころ、現国王が王位を継いだ……。
俺はやっとのことで勇気を振り絞って問うた。
「ガリア王国の王は、最愛の者を失う運命にあると?」
「然り。そしてその交換条件として、強力な魔力と威光を手に入れる」
「ばかばかしい!」
アレスが声を荒げたのを、俺は息を飲んで見つめた。
「愛などと不確かなものを、伯父上、本気で信じているのですか? なぜ家系の所有物である錫杖を隠す必要が? それほど強大な魔力の武器ならば、ぜひとも我が軍の切り札として取り入れたいものだ」
陛下の相貌がすっと細められるのを、俺は見ていた。陛下は椅子に腰を下ろされた。
「なるほど、それも一つの手だな。考えておこう。話はここまでである」
アレスと俺は敬礼し、部屋を辞した。
ところが、城内の廊下でアレスと別れたあと、王の使いがまたしても俺を背後から呼び止めたのだ。
不思議に思いながら、再び私室に戻ると、今度は陛下と俺のみの対面だった。なにか無礼でもして非難されるのだろうか。内心うろたえながら立ち尽くしていると、座ったまま陛下はおっしゃった。
「ファウスト、貴殿は現在の我が軍における最優秀の魔道士だと聞いている。さて、我が甥アレスの提案は正しいものだと考えるかね?」
俺は思いがけない質問に意表を突かれたが、やがて静かに答えた。
「錫杖を軍の切り札とすることでしょうか? そうは思いません」
「なぜだ」
「錫杖の力は犠牲と引き換えだからです。そんなものを――失礼、そう言ってしまいますが、そんなものを頼りにする軍隊は、国と民のためにあるとは決して言えないでしょう」
陛下は深いため息をつかれた。そして、それが俺の運命を決めた。
「ファウスト、貴殿に錫杖の所在を伝えておく。どうか良きに計らうように」
陛下が急死されたのは、その数日後だった。
数週間後。夜の宮殿。激しい軍靴の音の連続。
石造りの吹き抜けの外廊を、俺たちは疾走していた。走り抜ける度に、天蓋の切れ目に合わせて冷たい月の光が差しては隠れる。
「ランドー! あまり騒ぎを大きくするなよ!」
俺は叫ぶ。前を行く赤毛の大男が大剣を振り回し、振り返りもせずに答える。
「俺のせいじゃねえ! あっちがやってくるんだよ!」
言っている間にも地面で小爆発が連続する。軍の同僚の戦士ランドー、それに数名の仲間たちは跳びはねるようにして進んでいく。
斬りかかってきた黒衣の男のひとりをランドーが大剣でねじ伏せ、俺たちは城門を目指す。仲間たちが右に旋回する。
「プラエスタト・ミヒ・ヴィレス・トゥアス・サラマンドラ――火炎弾!」
俺は振り向きざまに無数の火の玉を追っ手に放つ。何人かは慌てて体についた火を叩き始めたが、かいくぐった者どもが迫ってくる――切りがない!
「くそっ、たかが脱走兵になんちゅう騒ぎだよ」
ランドーがつぶやく。襲い来る矢を跳躍して避ける。黒魔道士の黒いローブが翻ると同時に地面に降り、間髪入れずに駆け出す。仲間のひとりがうめき声を上げて倒れ込んだ。背中に刺さった矢。俺は唇を噛みしめて走り続けた。犠牲、という言葉が頭をよぎる。胸に熱いものがこみ上げる。もうそんな者はひとりも出したくなかった。
「もうすぐだ! 持ちこたえろ!」
ランドーが咆哮する。堂々たる堅牢な城門が夜空にそびえ立つのが見えた。残った仲間はわずかに4人。事前の策が奏功して、鉄格子は上がっている。あそこを抜ければ――しかし俺たちの足は止まった。
城門の頂上に、金色の鎧の男が仁王立ちしている。
そいつは月を後ろに背負い、抜き身の剣を携えていた。月光が髪を照らすさまは光輪のようにさえ見え、その容姿はいっそ怖いほどに整っていた。まるで古の荒ぶる軍神のようだ。
「脱走兵諸君! いったいどこへ行くつもりだ?」雷鳴のような声が降り注ぐ。
「アレス!」俺は遠くの元戦友に向かって声を張り上げた。「私たちはもうこんな腐りきった軍はごめんだ。正式に除隊届を出したはずだ」
「そんな末端の事務手続きのことなど知るか」
アレスはもはや同輩ではなかった。やつは、先王崩御後、国葬も終わらぬうちに将軍に抜擢されたのだ。その工作をしたのが誰かは公然の秘密だった。ミノス大公――アレスの実父にして先王の弟殿下である。
そして、軍の心ある者らはそれ以上の恐ろしい事実を疑っていた。アレスか大公か、どちらかが彼の血族を手にかけたのではないか、と。しかし、ミノス親子に蹂躙され退廃した軍に、俺たちの発言権はもはやなかった。
俺は仲間たちの前に進み出て、やつと対峙する。
「アレス、ここを通せ。お前と戦いたくはない。なにが目的だ?」
「王位の証」
俺は息を飲む。アレスは凍りついた目でこちらを見下ろしている。
「お前が鍵だな。そうだろう、ファウスト」
そうだ――推理するまでもないことだ。アレスは、俺が錫杖の場所を託されたことを知っている……。
「なぜ伯父上はお前に託されたのだ! この私ではなく!」
突然の激昂に、俺は息を止めて首を振る。
「知らない。知るわけがない」
「まただ……また私は選ばれなかった」
「アレス、錫杖の魔力を望んでいるのか? なぜだ? なぜ力に執着する? 愛を失うんだぞ!」
「エーデルワイスが産まれるまでは!」アレスは癇癪を起こした子供のように声を荒げた。それから息をついて髪を掻き上げ、やっと抑制の効いた声で続ける。「私は王位継承者だった。幼少期、帝王学を授けられた私は、突然それを打ち切られた。未来を消された子供はどうなる? 以来、父から武勇こそが我が生きる道と教えられたのだ。我が人生に愛などない。いや、むしろ愛と引き換えに力を得られるなら喜んで捧げよう」
俺は言葉を失う。思い至ったこともない戦友の来歴。あの笑い合った日々の彼の心境を思うと、友としての無能感に打ちのめされざるを得なかった。
「ファウスト、白状しろ。私もお前と戦いたくはない」
そう言ったアレスの言葉が、どうか最後の真実であることを願う。声音からは真偽はわからなかった。だが信じたかった。
アレスは少し肩を落としたように見えた。が、次の瞬間、鋭い残像が周囲を走った。
金色の鎧の男が地面に飛び降り、俺たちを一閃に斬り裂いたことがわかったのは、灼熱の痛みが肩を襲ってからだった。ランドーが地面にひざまずき、ふたりの仲間の肉体が音を立ててくずおれた。
「プラエスタト・ミヒ・ヴィレス・トゥアス・トール――落ちよ、雷!」
まばゆい閃光と共に轟音を立てて地面が崩壊する。アレスが体勢を立て直す前に、ランドーと俺は城門を走り抜けた。




