写本の悪魔(2)
「写本の、悪魔……」
エイダンは焚書を指示した助祭から、あくまで"伝説"として聞いていた名を口にした。
『そう呼ぶ者もいるな。呼びたい名で呼んでもらって構わないが』
修道士姿の悪魔は肩を竦めた。
『"俺"を燃やしに来たのだろう?残念だができない相談だ。お前は俺を捕らえられない。この通り逃げるための足も手段もあるのでな』
言葉と共に、悪魔の手から彼を構成する「文字」がポトリと落ちる。それは少しのあいだ蜘蛛のように素早く床を這った後、再び彼の一部に戻った。
悪魔は手に持った写本を開いて見せながら、言葉を続けた。「文字」が湧き出た写本の中身は、ただの空白の古びた羊皮紙となっていた。
『この"抜け殻"を灰にして満足ならいいが、そうはいかんのだろう?お前は如何に豪奢に飾られた写本だろうが、"本体"はそこに記された内容だと理解している。まったく、文盲の下男でも寄越してくれれば「本」を焼けば満足だろうと言えたものを。学僧に写本を焼けとは慈悲のないことだ』
エイダンは悪魔の顕現を目にした驚愕からは回復しつつあった。しかし落ち着きを取り戻すと同時に、修道士を模した姿で現れた悪魔への怒りが胸にわいた。
「悪魔め。神僕の姿を騙るだけでは飽き足らず、呪われた身で慈悲を語るか……!」
『何を言う。俺は俺自身の姿で現れただけだ。俺もかつては人間であり、お前と同じく学僧、そして写本僧であったのだ』
「馬鹿な……神の僕が悪魔に堕したとでもいうのか?」
エイダンは思わず声を荒げ――思い直したように首を振った。
悪魔は言葉で人を惑わすという。議論に応じてはならないのだ。
悪魔はエイダンの内心を察したように言った。
『悪魔相手の会話は避けるのが最善。まあ、教会の教えはもっともだ。お前のような学僧でさえ、弁舌は本分でない。悪魔を退けたという逸話は大抵、最初から耳を貸さない頑迷な――失礼、口が滑った――"堅心な"信徒か、弁論に長けた哲人じみた神学者だ。お前はどちらにも些か足りないと見える』
エイダンは無言で悪魔を睨んだ。挑発には乗らない。
『まあそう睨むなよ。久々に人と話せて楽しいんだ。……だがまあ、お前が俺を灰にしたいなら、頑として会話しないというわけにはいかんだろう。"抜け殻"を燃やして済ますというなら別だが、そうでないならお前は何か方策を探る必要がある。違うか?」
「……悪魔と話すことはない」
目を離さず睨みつけたまま、少しずつ後ずさりするエイダンに悪魔は笑いかけた。
『教本通りの対応だ。教えを忠実に守って立派なことだな。……だがあまり優等生ぶるなよ』
悪魔は薄い唇の端を歪める。
『――俺はお前の罪を知っているぞ、エイダン?』




