(4)応答
(視点:少女)
研究室は静まり返っていた。
誰一人、声を発しない。
由良の拳は、青年の目前で止まったまま動かない。
届いていない。
触れてさえいない。
それでも青年は微動だにしなかった。
少女は思わず息を呑む。
(止められた……?)
違う。
そんな単純な感覚ではなかった。
由良の拳と青年の間には、何も存在しない。
壁も、結界も見えない。
それなのに、その先へ進めない。
まるで世界そのものが、その一撃を拒んでいるようだった。
由良はゆっくりと拳を引く。
赤い瞳は青年を見据えたまま、一瞬たりとも逸れない。
「……相変わらずか。」
小さな呟き。
その声には驚きよりも、確信が滲んでいた。
青年は静かに由良を見る。
「攻撃行動を確認。」
淡々とした声。
「個体識別。由良。」
わずかな沈黙。
「記録と不一致。」
「再演算。」
わずかな間。
「……保留。」
少女は思わず目を見開いた。
由良の一撃を。
千年を生きた吸血鬼の力を。
それでも青年の表情は、一切変わらなかった。
ベラトリスの表情が僅かに強張る。
「由良……。」
由良は答えない。
ただ静かに青年を見据えている。
その姿を、青年もまた観測し続けていた。
「状態変化。」
青年の視線が、由良から少女へ移る。
少女は肩を震わせる。
群青の瞳。
感情は何一つ映らない。
見られている。
ただ、それだけなのに、身体の奥まで見透かされるような感覚が走る。
青年の口が静かに開く。
「術式を確認。」
続けて、青年は完成した術式陣へ視線を落とす。
「理永理論。」
その名が研究室に響いた瞬間だった。
由良の瞳が鋭く細められる。
ベラトリスも息を呑む。
少女だけが、困惑したまま青年を見つめていた。
どうして、この人が。
理永の名を知っているのだろう。
青年は静かに術式陣を見つめる。
そして、初めて僅かに言葉を続けた。
「継承……確認。」
その一言は、誰へ向けられたものでもなかった。
まるで世界そのものへ、観測結果を告げるように。
研究室は再び、深い静寂に包まれる。
誰もまだ知らない。
その「継承」という一言が、千年以上前から続いてきた物語を、大きく動かす始まりになることを。




