(2)切り離せなかったもの
(視点︰ベラトリス)
小屋の中は、変わらない。
整えられた机。 積み重なった記録。 触れられていない時間。
紙を一枚、手に取る。
書かれているのは、同じ内容の繰り返し。 観測。 仮説。 否定。
結果は、どれも変わらない。
再現できない。
指先で、紙の端を揃える。 ずれはない。 順序も、崩れていない。
それでも――足りない。
「……条件が足りない」
小さく、呟く。
理永の死に至るまでの過程。 思考の歪み。 感情の偏り。
記録はある。 観測もしている。
けれど、それだけでは届かない。
視線が、わずかに外れる。
机の端。 分けられた束。
――触れていない記録。
無意識に分けていたもの。 理永に関するものだけを、別にしている。
指先が、触れかけて止まる。
必要ない。
今は、まだ。
そう判断して、手を戻す。
「……」
息をひとつ吐く。
胸の奥に、わずかに残るもの。 名前のつかない違和感。
消えてはいない。 けれど――
「……支障はない」
切り分ける。
影響しないものは、排除する必要もない。 ただ、扱わなければいい。
新しい紙を引き寄せる。
書く。
『対象:由良
状態:安定維持
特異点:吸血衝動の消失』
ペン先が、一瞬だけ止まる。
消失。
あり得ない現象。
「……」
原因は、特定できていない。
外的要因。 内部変質。 未観測の干渉。
可能性はいくつもある。
けれど――どれも決定には至らない。
視線が、自然と外へ向く。
小屋の外。 由良のいる場所。
動きは少ない。 変化も、ほとんどない。
それでも。
「……保たれている」
崩れない。
壊れない。
ただ、維持されている。
紙に視線を戻す。
書き足す。
『持続時間:不明
再現性:未確認』
それで、止める。
これ以上は、進まない。
ペンを置く。
静寂が戻る。
何も動かない空間。 何も変わらない時間。
その中で、自分だけが進んでいる。
削りながら。 切り離しながら。
ふと、手が止まる。
ほんの一瞬。
あの日の光景が、よぎる。
並んだ墓標。 触れなかった名前。
目を閉じる。
浮かびかけたものを、押し込める。
消さない。 ただ――使わない。
それだけ。
目を開く。
視線は、もう揺れていない。
「……続ける」
静かに、言葉にする。
理由は、必要ない。
意味も、いらない。
ただ――
到達するまで、止めない。
それだけだった。




