第二話 顔の定まらない男
「……客を選ぶの?」
「面が、選ぶ」
ユエンは、当たり前のことのように答えた。
「物が人を選ぶわけがないでしょう」
「君の面は、そうではなかった?」
シエンは無意識に、外套の上から破片を押さえていた。
「——知ったようなことを、言わないで」
「失礼」
口では謝りながら、悪びれた様子は欠片もない。
ユエンが、棚の間をゆっくりと歩く。
その横顔が、仮面の陰へ入った。
次の瞬間——シエンは目を細めた。
(……若く、見える?)
さっきより頬の輪郭が、わずかに細い。灯の加減かとも思った。だが、この店に灯はない。
「止まって」
ユエンが振り返る。
今度は、四十を過ぎた男のように見えた。声まで、心なしか低い。
「何かな」
「顔に、何をしている」
「生まれつき、印象に残らない顔なんだ」
「嘘ね」
「そう言われると傷つくな」
「——傷ついた顔では、ない」
ユエンが、黙った。
ほんの一瞬だった。だがそれは確かに、何かを隠す者の沈黙だった。
「変装? それとも……妖術?」
「ここは面屋だよ、シエン」
名を呼ばれた瞬間、短刀が再び持ち上がる。
「名乗った覚えはない」
「帳面を持った、髑髏の女。街の外では、ずいぶんな噂になっている」
「私を追っている者の、仲間?」
「違う」
「証拠は?」
「仲間なら、こうして話している間に、後ろから刺している」
「それは証拠にならない」
「では、信用しなくていい」
ユエンは、あっさりと言った。
「信用と取引は別物だ。——君も、そうやって生きてきただろう」
言い返せなかった。
信用できる相手としか取引しない暗殺者は、すぐに死ぬ。依頼人が嘘をつく可能性も、報酬を惜しんで口封じに来る可能性も、常に頭に置いておく。
信用はしない。条件だけを見る。
(……この男、それを知っている)
「祭りの面が欲しいだけなら、外で買えばいい」
ユエンが、棚から一枚の狐面を手に取った。赤い毛並みの一本一本まで、本物のように見える。
「だが、次の戦いには耐えない。君を見つけた相手は、丈夫な面を砕く方法をもう知っている。布なら——なおさらだ」
「ずいぶん、詳しいのね」
「空にあれほど大きな目を出されれば、嫌でも分かる」
黒煙の目。ここへ来る途中に消えてはいたが、あの合図を受けた者たちは、すでに動き出している。
「この店が見えないなら、隠れていればいいでしょう」
「君ひとりなら、ね」
ユエンは狐面を棚へ戻した。
「追手が、街ごと放っておいてくれればいいが」
「……脅しているの?」
「予想している」
シエンは短刀を鞘へ戻した。
信用したわけではない。両手を空けて、いつでも棚を調べられるようにしただけだ。
人の顔をした面には、なるべく触れないようにした。
眠る女。怒る老人。泣き腫らした少年。
どれも、作り物とは思えないほど生々しい。獣の面も同じだ。毛の一本一本、牙の欠け、鼻先に残る古傷まで、克明に刻まれている。
「これは……何で、できているの」
「面だよ」
「材質を訊いている」
「知らないほうが、かぶりやすい」
シエンの手が、止まった。
「——どういう、意味?」
「そのままの意味だ」
ユエンは、それきり答えない。
棚に並ぶ無数の顔が、急に、一斉にこちらを見ているような気がした。
死者のように閉じた瞼。乾いた唇。
(まさか、本当に死者から——)
そう訊こうとした、そのときだった。
別の一枚が、視界に入った。
——呼吸が、止まった。




